俺の異世界生活は、ログインボーナス(干し肉)だけで終わった 〜召喚された瞬間に魔王が倒されていた件〜
そこは、世界の中心から最も遠い場所だった。
県立高校の図書室、西日の差し込む窓際の席。それが、佐藤健二(17)の定位置だ。
クラスでの立ち位置は「出席番号10番くらいのやつ」。
休み時間になれば、数人の固定メンツ——趣味の合うオタク仲間の男子数人と集まって、「今期のアニメのヒロインが可愛い」だの「スマホゲーのガチャで爆死した」だの、低体温な会話を楽しむ。それが健二の日常だった
(いいなあ、こういうの……)
健二は、読み終えたばかりのラノベを閉じ、重いため息をついた。
タイトルは『最強スキルで異世界成り上がり』。
無能と蔑まれた主人公が、実はチート級の能力を持っていて、最後には魔王を倒して国を救う。そんな、掃いて捨てるほどある物語だ。
俺にも、何か「特別なもの」があればなあ
そう呟いた瞬間、足元のじゅうたんに、ありえないほど緻密な、青白い幾何学模様が浮かび上がった。
「……え?」
心臓が、鐘のように早鐘を打ち始めた。
ラノベで何度も読んだ、あの展開だ。健二はとっさに、机の上のカバンを掴んだ。
光は強さを増し、図書室の空気を震わせる。強烈な浮遊感。
健二の視界は、純白の光に飲み込まれた。
◆
目を開けると、そこは石造りの巨大な空間だった。
天井は高く、ステンドグラスから差し込む光が、床に巨大な紋章を描いている。
「おお……! 成功だ! 伝説の勇者様が、ついに降臨されたぞ!」
目の前の玉座に座る老人が立ち上がった。国王だろう。
その隣には、シルクのドレスを身にまとった絶世の美女。そして、その周囲を、銀色に輝く鎧を着た騎士たちが、ずらりと取り囲んでいた。
彼らの視線は、一斉に健二に向けられていた。期待、安堵、そして信仰にも似た、熱い視線。
「……勇者?」
健二の喉が、引きつったように鳴った。
これほど多くの「特別な人間」たちに、これほど強い視線を向けられたことなんて、一度もない。
「……あ、あの、ええと……」
健二は思わず、一歩後ずさった。
膝がガクガクと震え、カバンを握る手が汗ばむ。国王の威圧感、王女の美貌。そのすべてが、彼を押しつぶそうとしていた。
「勇者様、どうか……どうか我が国をお救いください! 北の防衛線が突破され、邪悪なる魔王の軍勢が、刻一刻とこの王都へ向かって進軍を続けているのです!」
王女が、潤んだ瞳で乞うた。
健二の脳裏に、ラノベのページがめくれた。
(そうか……俺は、特別な存在として、ここに呼ばれたんだ)
恐怖が、次第に別の感情に上書きされていく。それは、これまで感じたことのない、強烈な高揚感だった。
健二は、震える手で空中に指を動かした。
「……ステータス・オープン」
【名前】サトウ・ケンジ
【職業】 異界の勇者
【レベル】 1
【能力値】
HP:15 / 15
MP:10 / 10
STR(力):8
VIT(体力):7
AGI(敏捷):9
【固有スキル】
超成長:経験値獲得量が100万倍になる
剣神:あらゆる刃物を神の如き業で操る
全属性魔法適正(極):この世の全魔法を最高効率で習得・行使する
鑑定眼:万物の真理を見抜く
健二は、息を呑んだ。
(スキルは……スキルは最強だ。でも、この数値はどうなんだ?)
健二は「鑑定眼」を使い、目の前で跪く近衛騎士をこっそり覗き見た。
【名前】ヴォルフガング・アイゼン
【職業】近衛騎士団長
【レベル】45
【HP】1200 / 1200
【MP】310 / 310
【STR】350
【VIT】320
【状態】 勇者への畏敬、及びその実力への微かな疑念
(……桁が違う。団長クラスともなると、俺の40倍以上か)
健二は冷や汗を拭い、次に救いを求めるように隣の王女を鑑定した。
【名前】ルナリア・エル・ロズウェル
【職業】第一王女
【レベル】5
【HP】 45 / 45
【MP】 80 / 80
【STR】12
【VIT】 10
【状態】救世主への祈り、及び高揚
(嘘だろ。王女様にすら負けてる……)
健二のSTR(力)は「8」。
レベル5の、それも非戦闘員であるはずの王女の「12」にすら届いていない。
(でも超成長があればすぐに追い越すはずだ)
「勇者様、どうか……どうか我が国をお救いください!」
王女が祈るように手を差し出す。
その歪な状況に健二の心臓は口から飛び出しそうだったが、彼は必死に虚勢を張った。
「安心してください、王女様。俺が、この世界を救ってみせます」
声はまだ震えていたが、健二はできるだけ「勇者らしく」胸を張った。
「国民たちよ! 見よ、これこそが伝説の勇者、ケンジ様だ!」
国王に促され、健二は城の巨大なテラスへと導かれた。
扉が開いた瞬間、地鳴りのような歓声が健二の鼓動を直撃した。
「うわ……っ」
広場を埋め尽くす群衆。数万という人々が、自分一人のために拳を突き上げ、名を呼んでいる。
健二の視界がチカチカした。足がすくみ、一歩も前に進めない。
(無理だ。こんなの、俺みたいなモブが立っていい場所じゃない)
だが、隣に立つ王女が、優しく健二の背中に手を添えた。
「大丈夫です、勇者様。皆、あなたという光を待っていたのです」
その言葉に、健二の「勘違い」は加速した。
そうだ。俺は勇者なんだ。今はレベル1でも、この人たちの期待に応える義務がある。
健二は引きつった笑顔で、ぎこちなく手を振った。
「ウォー――!!」
歓喜の嵐が吹き荒れる。
その瞬間、健二の中で何かが変わった。
教室の片隅で友人とスマホゲーの話をしていた、どこにでもいる「モブ」の佐藤健二は、もうここにはいない。
今、この世界の中心に立っているのは、万雷の拍手に迎えられた選ばれし勇者ケンジなのだ。
豪華な食事が運ばれ、近衛騎士たちが自分にだけ敬礼を捧げ、メイドたちが頬を染めて通り過ぎる。
誰からも特別視されることのなかった日常では、決して味わえない「主役」としての熱狂が、健二の理性を静かに麻痺させていった。
「魔王? ああ、俺のレベル上げの餌食にしてやりますよ」
気づけば、そんな大口を叩いていた。
◆
出陣の儀式として、国宝である「雷鳴の聖剣」が運ばれてきた。
あまりの重さに、レベル1の健二はよろめきそうになる。それを必死に隠し、格好をつけて剣を抜き放とうとした、その時だった。
城内に、雷鳴よりも激しい鐘の音が鳴り響いた。
「報告! 報告します!!」
一人の騎士が、玉座の間へ転がり込んできた。
その表情は、恐怖ではなく、狂喜に満ちていた。
「北の最果てにて、安否不明となっていた王国精鋭部隊『暁の牙』が、魔王の首を獲りました! 魔王軍、完全に瓦解! 世界に平和が訪れました!!」
一瞬、時間が止まった。
健二が持っていた聖剣が、床にガチャンと音を立てて落ちた。
「……は?」
「本当か!? アレンたちが生きておったか!」
国王が椅子を蹴って立ち上がる。
魔王軍の猛攻を前に、国力は限界に達していた。最後の希望だった精鋭部隊『暁の牙』が消息を絶って三ヶ月。万策尽き、禁忌とされる異世界召喚を「最後の博打」として強行した直後の出来事だった。
城門が開き、王都の目抜き通りを抜けて、数人の一団が歩いてくるのが見えた。
王国最強の武力——対魔王特別班『暁の牙』。
その中心に立つ男を見て、健二は息をすることさえ忘れた。
輝くようなブロンドの髪、彫刻のように整った顔立ち。返り血を浴びてなお、その姿は神々しいほどに美しい。彼こそが『暁の牙』を率いる若き天才騎士、アレンだった。
その後ろには、重厚な盾を構えた重装騎士や、複雑な呪文を編み上げる魔術師など、それぞれの分野を極めた精鋭たちが、一糸乱れぬ動きで控えている。
鎧の触れ合う金属音すらも完璧に同調し、彼らが一歩踏み出すたびに、広場を埋め尽くしていた群衆から怒号のような歓声が上がった。
やがて一行は玉座の間にて、国王の前に一糸乱れぬ動きで頭を垂れた。
なお、数分前まで「世界の中心」にいたはずの健二は、あまりに気圧されて隅へと追い詰められ、オロオロと壁の花と化していた。
「陛下、約束通り魔王の首を。通信手段を絶たれ、ご心配をおかけしました。……道中の魔物も一掃しておきましたので、もうこの国に脅威はありません」
アレンの声は、健二の裏返った声とは違い、深く、落ち着いた響きを持っていた。
彼はふと、呆然と立ち尽くす健二に目を向け国王に問うた。
「……おや。そちらの方は?」
「ああ……ええと、たった今召喚したばかりの勇者様、なのだが……」
彼は国王の言葉を聞くや王国で最も格式高いと言われる完璧な騎士の礼をしてみせた。
「これは、勇者様。お初にお目にかかります。……あなたがこの戦場に身を投じる前に、すべてを終わらせることができて、本当に良かった。我々が少々、功を焦りすぎたようです。……あなたの出番を奪ってしまったこと、お詫びいたします」
嫌味ではない。本心から、若き勇者の身を案じ、申し訳なさそうにアレンは微笑んだ。
その内面の高潔さが、健二をさらに惨めにした。
アレンの隣に立つ女性魔術師が、健二を鑑定したのか、クスクスと笑いながら囁いた。
「ねえアレン、この勇者様……レベル1よ? 装備に振り回されてるわ」
アレンは優しく、しかし毅然とした態度で彼女をたしなめた。
「よさないか。召喚されたばかりなのだ、これから研鑽を積まれるお方なのだ」
健二は、何も言えなかった。
アレンから放たれる圧倒的な「強者のオーラ」。
そして、彼が魔王を倒すために積み上げてきたであろう、本物の努力の重み。
「超成長」というチートを当てにしていた自分とは、立っているステージが違いすぎた。
「勇者様、少々お時間をいただけますかな」
喧騒のなか、落ち着いた声が健二を呼び止めた。
振り返ると、眼鏡の奥で理知的な瞳を光らせる男——この国の政務を司る宰相が立っていた。
国王はすでにアレンたちとの談笑に夢中で、こちらを振り返りもしない。
「魔王が討伐された今、貴殿の処遇について現実的な相談をせねばなりません。……結論から申し上げますと、一刻も早く、元の世界へお帰りいただきたい」
「え……でも、俺は召喚されたばかりで……修行だってこれからだし……」
「平和になったこの国にとって、制御不能な『異界の力』はあまりに危うい。貴殿はそのリスクを理解されていますかな?」
健二がなおも食い下がろうとすると、宰相はふっと表情を和らげ、静かに問いかけた。
「ケンジ殿には、向こうの世界に家族はいらっしゃいますか?」
「え? あ、はい。父さんと母さん、それから……」
「我々の都合で無理矢理召喚しておいて勝手な言い分だとは承知していますが、その方々は、ケンジ殿が消えて悲しまないでしょうか。……戦う必要のなくなった少年を、いつまでも親元から引き離し続ける理由が、私には見当たらないのです」
宰相は、そっと健二の肩に手を置いた。
「このままここに残れば、貴殿は一生、国が管理する『生きた兵器』として監視され、自由を奪われるでしょう。……それよりも、明日の朝、いつものように両親と朝食を囲む。それが、本来あるべき若者の姿ではありませんか?」
宰相の言葉には、冷徹な事務作業の裏に、健二の「元の生活」を尊重する温かさが混じっていた。
(……そうだ。俺、明日も学校だし。母さんが夕飯作って待ってるしな)
テラスで数万人の歓声を浴びたとき、自分は「特別な誰か」になれた気がした。
けれど、宰相の言葉で思い出した。自分の居場所は、命のやり取りをする戦場でも、監視される王宮でもなく、くだらない話で笑い合えるあの教室なのだと。
「……わかりました。帰ります」
健二が真っ直ぐに前を向いて答えると、宰相は満足げに頷いた。
「賢明な判断です。……これ、つまらないものですが、土産に持っていきなさい。私が個人的に気に入っている干し肉と、この国の銅貨数枚です」
「……え、銅貨? 金貨とかじゃなくてですか?」
思わず本音が漏れた健二に対し、宰相は眼鏡を押し上げ、どこか慈しみを感じさせるような穏やかな笑みを浮かべた。
「ケンジ殿の世界のことは分かりませぬが、身分にそぐわぬ財は往々にして身を滅ぼすものです。……特に宝石や金貨などは魔力を強く宿しており、異界へ持ち込めばどのような予期せぬ影響を及ぼすか分かりませぬ。ケンジ殿を危険に晒すわけにはいかないのです」
「危険……。そういえば、そうですね」
「ええ。ですがこの銅貨は、魔力こそほとんど含まれておりませんが、我が国の紋章が刻まれた確かな証。これならば安全に持ち越せますし、あちらでふとした時に、この国のことを思い出していただけるでしょう。……高価な品ではありませんが、私の精一杯の『心』だと思って受け取ってください」
宰相の声はどこまでも誠実で、温かみに満ちていた。
健二はそれを聞き、「この人は俺が向こうで困らないように、あえて安全で、かつ思い出に残るものを選んでくれたんだな」と、その深い配慮に素直に感動した。
「……ありがとうございます。大切にします」
「ええ、ケンジ殿。あちらではどうか、健やかな日常を謳歌してください」
宰相は健二の背中を優しく押し、魔法陣へと促した。
だが、その内面では全く別の計算が働いていた。
(……やれやれ、適当な理屈を並べれば納得してくれるものだな。金貨一枚すら惜しいこの国難の折に、ポケットに入っていた端金で済んで助かったよ。あとは彼が消えれば、私の仕事は終わりだ)
健二はそんな宰相の腹黒い安堵には露ほども気づかず、安っぽい麻袋を宝物のように抱えこんだ。
そこからの手続きは、驚くほど迅速だった。
宰相が目配せをすると、魔術師たちが静かに魔法陣の調整を始める。
「聖剣」と「鎧」は、まるで重荷を降ろすように健二の体から回収された。それは「不要になったから剥ぎ取られた」のではなく、健二が「一般人の佐藤健二」に戻るための、必要な通過儀礼のようだった。
王女ルナリアは、アレンの隣で「本当にお疲れ様でした」と自国の英雄を労っている。
その光景に、もう健二は寂しさを感じなかった。彼女が守りたかった平穏を、アレンたちが勝ち取り、自分が邪魔をせずに立ち去る。それがこの物語の、もっとも美しいエンディングだと理解できたからだ。
健二は、図書室から持ってきたままのカバンを肩にかけ、魔法陣の真ん中に立った。
「……お疲れ様でした。さようなら、異界の勇者様」
魔術師の声とともに、視界が再び優しい白光に包まれていった。
◆
「……とう君。佐藤君、起きなさい」
肩を揺らされ、健二はハッと目を開けた。
そこは図書室だった。西日はさらに傾き、影が長く伸びている。
目の前には、司書委員の女子生徒が、呆れた顔で俺を見下ろしていた。
「閉館時間よ。さっきから『暁の牙には勝てねぇ……』ってうなされてたけど、大丈夫?」
「えっ……あ、ああ。すみません」
健二は慌てて立ち上がり、無意識に空中で指を滑らせた。
「……ステータス・オープン」
しかし、そこには半透明のウィンドウも、神のごときスキル名も現れない。
ただ、司書委員の女子が「は?」と怪訝な顔をして、健二の指先と顔を交互に見ているだけだった。
「……何やってるの? 中二病?」
「い、いや、なんでもない! 忘れ物したかと思って!」
健二は真っ赤になってカバンを掴み、逃げるように図書室を飛び出した。
やっぱり夢だったんだ。レベル1の勇者も、アレンの神々しい姿も、すべてはラノベを読みすぎて見た幻覚——。
だが、校門の近くで足を止めた健二は、カバンの中がやけに重いことに気づいた。
恐る恐る中を覗くと、そこにはゴワゴワした麻袋に入ったワイルドな干し肉と、見たこともない紋章の銅貨が転がっていた。
「……夢じゃ、なかった」
健二はふっと口元を緩め、校門の前で待っていたいつもの友人たちの元へ駆け寄った。
「おーい健二、遅いぞ! ガチャの結果報告会するって言っただろ」
「わりぃわりぃ。……なぁ、お前ら。信じないかもしれないけどさ」
健二は友人たちの輪に加わり、ゆっくりと歩き出した。夕焼けに染まる通学路、どこからか夕飯の匂いが漂ってくる平和な日常。
「俺、さっきまで『勇者』として異世界に召喚されてたんだ」
「はぁ? また始まったよ、お前の妄想」
「いやマジだって! 召喚されて、王女様に縋られて、でもレベル1で……」
「はいはい、それで魔王を倒したのかよ?」
友人たちがニヤニヤしながら茶化してくる。
「いや、それがさ。出発しようとした瞬間に、別のイケメンパーティーが魔王を倒しちゃって。俺、日帰りで帰らされたんだよ」
健二の話に、友人たちは声を上げて笑った。
「なんだよそれ、史上最弱の勇者じゃん!」
「日帰りって、旅行かよ!」
馬鹿にされているはずなのに、健二の心は不思議と軽かった。
たとえステータス画面は消えても、カバンの中の干し肉の匂いと、友人たちの笑い声が、今の彼には何よりの「報酬」に感じられた。
「……いいから聞けって。そのイケメンがマジで良い奴でさ、宰相さんも俺の親のことまで考えてくれてさぁ……」
モブキャラ佐藤健二の、たった三時間の聖戦。
その物語は、夕暮れの街に溶けていく笑い声とともに、いつまでも続いていった。
(完)




