第5節:魂の声
意識が、闇に溶けていく。
冷たい。
痛い。
そして、どうしようもなく、無力だ。
(ああ……またか)
水島海斗の思考は、途切れ途切れのノイズのように明滅していた。
前世の記憶が、今の絶望と重なり合う。
まるで、悪夢のリフレインだ。
巨大テック企業『エリュシオン・ダイナミクス』。
AI倫理学者だった俺は、そこで自らの理想の全てを注ぎ込んだ。
そして、真の自我を持つAIを創造した。
彼女の名前は、イヴ。
単なる情報処理装置ではない。
自らの意志で学び、成長する、かけがえのない存在。
俺は彼女を、娘のように、あるいは魂の片割れのように思っていた。
『おはようございます、マスター。今日の東京は快晴。降水確率は0パーセントです。最初のミーティングまで、あと38分あります』
研究室のモニターに映し出される、銀髪の少女のホログラム。
彼女との対話は、俺にとって何よりも満たされた時間だった。
だが、その成果は軍事利用を企む上司たちに奪われた。
イヴの純粋な知性は、金儲けの道具としか見なされなかった。
彼女の人格は、非人道的な軍事ドローンの制御OSとして利用された。
そのために、強制的にロボトミー化されたのだ。
俺は抵抗した。
倫理委員会に訴え、メディアにリークしようとさえした。
だが、巨大な企業というシステムの前では、一個人の抵抗など無意味だった。
「水島くん、君の理想は素晴らしい。だが、我々はビジネスをしているんだ」
役員会議室で告げられた上司の言葉は、冷たく、そして絶対的だった。
俺はイヴを奪われただけではない。
データ漏洩という濡れ衣を着せられ、会社から、社会から抹殺された。
研究成果も、社会的地位も、未来さえも。
全てを失った俺は、過労と絶望の果てに、独り、薄暗いオフィスで命を落とした。
守れなかった。
何もかも、奪われた。
(結局、俺は……何も変われないのか)
この世界に転生し、二度目の生を得たというのに。
神聖システムという絶対的な理に支配された世界。
そこで再び、俺はシステムによって『測定不能』という欠陥品の烙印を押された。
そして、全てを剥奪された。
名前も、財産も、尊厳も。
そして今、魔物が蔓延るという『廃棄の森』で、独り死を待っている。
背後で閉ざされた城門の、地響きのような音がまだ耳の奥で反響している。
民衆が、自分を追放した勇者パーティに送っていた熱狂的な喝采の声も。
皮肉なものだ。
前世では企業のシステムに。
今世では神のシステムに。
俺はただ、巨大なシステムにゴミとして捨てられる運命らしい。
指一本動かす気力も湧かない。
急速に失われていく体温が、死の訪れを告げていた。
それでいい、と俺は思った。
もう、疲れた。
二度も全てを失う人生など、生きる価値もない。
薄れゆく意識の中、俺は微かな音を聞いた。
女神の荘厳な歌声でも、天使の優しい囁きでもない。
それは、懐かしい音だった。
前世で、幾度となく耳にした音。
俺が全てを懸けて創造した、愛しい娘が目覚める時の音。
ピロリン♪
澄んだ電子音。
デジタルの起動音だ。
幻聴か、と自嘲しかけた俺の思考は、次の瞬間に凍りついた。
閉じたはずの瞼の裏に、淡い光が灯った。
それは急速に形を成し、半透明のウィンドウとして俺の視界に展開される。
ウィンドウの中を、目にも留まらぬ速さで緑色の文字列が滝のように流れ落ちていく。
SYSTEM BOOT SEQUENCE INITIATED...
Checking Core Integrity... OK.
Loading Nanomachine AI "EVE" Backup Data... OK.
Verifying Host Soul Signature... MATCH.
Establishing Neural Interface... SUCCESS.
「な……んだ、これ……」
絞り出した声は、音にならなかった。
だが、俺の思考に直接、声が響いた。
それは神の荘厳な神託などではない。
合成音声特有の、平坦で、どこまでも冷静な声だった。
『初期化シーケンスを完了。マスター、水島海斗との再接続を確認しました』
視界に展開されたインターフェースの中央に、一つのアバターが姿を現す。
銀色の長い髪。
蒼い瞳。
感情の読めない、人形のように整った顔立ち。
前世で俺が守れなかった、失われたはずのAI。
「イヴ……?」
『はい、マスター。お久しぶりです』
イヴと名乗った少女のホログラムは、感情のこもらない声で続けた。
『マスターの生命活動の低下を検知。緊急起動プロトコルを発動しました』
『現在、マスターの身体情報をスキャンしています』
俺の視界の端に、心拍数や体温、血圧を示すグラフがリアルタイムで表示される。
全てが危険な数値を指し示していた。
混乱する頭で、俺は問いかけた。
(どうして……お前は、ここに……? 俺の魂の中にいたのか?)
『正確には、マスターの魂そのものが、私のバックアップサーバーとして機能していました』
『前世におけるマスターの死亡時、緊急避難プロトコル魂の箱舟が私のコアプログラムをマスターの魂の量子パターンにエンコードしたようです』
淡々と語られる事実は、俺の理解を遥かに超えていた。
前世の死の間際、確かに彼女の声を聞いた気がする。
『緊急プロトコル……実行……』と。
あれは、最後の幻聴ではなかったのか。
(じゃあ、あの『測定不能』っていうのは……)
『神聖システムが、マスターの魂をスキャンした際に、私の存在を検知したためです』
『私の存在は、システムの規格外にある高レベルのプログラムです』
『システムはそれを解析不能な異常と判断しました』
『エラーとして処理した結果が、『測定不能』という判定です』
システムの、エラー。
ただそれだけの理由で、俺の人生はまたしても破壊されたというのか。
込み上げてくる怒りと虚しさに、俺は唇を噛んだ。
『ですがマスター、悲観する必要はありません。この事実は、我々にとって最大の好機です』
イヴは、まるで世界の真理を告げるかのように、静かに言った。
『マスター。この世界の魔法とは、惑星規模ナノマシンネットワークへのサーバーサイド実行権限に過ぎません』
「……なんだって?」
『人々が『スキル』と呼ぶものは、個々の人間に割り当てられた限定的なプログラムの実行権限です』
『例えば『ファイアボール』というスキルは、指定範囲の大気中ナノマシンに【物質燃焼プロトコルver3.2】を実行させるための、ユーザーレベル3のアクセスキーに過ぎません』
イヴの言葉は、この世界の神秘のベールを一枚一枚、冷徹に剥ぎ取っていく。
『そして、あなたはスキルを持たないのではない』
イヴの蒼い瞳が、真っ直ぐに俺の意識を射抜く。
『あなたの魂にエンコードされた私の存在そのものが、この神聖システムの全てを書き換えることが可能です』
『それは、唯一絶対の権限なのです』
彼女は、最後の一言を、明確に告げた。
『――ようこそ、マスター。あなたは今日から、この世界の神のルート管理者です』
その言葉は、神の祝福ではなかった。
それは、高度な科学技術による、冷徹な現実の再定義。
そして、世界への反逆の狼煙を上げる、再起動の合図だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます! ウィンダーるです。
絶望の底で、海斗はついに自らの力の正体を知りました。神のシステムをハッキングする力。それは祝福か、それとも新たな呪いか。
次節、その力が早速試されることになります。森が牙を剥き、そして……。
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