第16節 戦場のハッキング
セラフィナの背後で、聖騎士の剣が白刃をきらめかせた。
絶体絶命。
その瞬間、俺は行動を開始した。
炎の玉を放つでもなく、雷を呼び寄せるでもない。
俺はただ、森で集めた鉱石から作った小さな装置のスイッチを入れた。
ブゥン、という低いハミング音が、ごくわずかに空気を震わせる。
同時に、俺は権能を行使した。
この一帯に広がる環境制御用ナノマシンに直接コマンドを送ったのだ。
(イヴ、プロトコル『土壌流動化』を実行)
(対象エリア、騎士団の足元、半径5メートル)
(土壌含水率を、局所的に90%まで引き上げろ!)
『コマンド承認。対象エリアの土壌内ナノマシンに指示』
『分子間結合を一時的に弛緩させ、含水率を強制的に引き上げます』
次の瞬間、驚くべきことが起こった。
セラフィナに斬りかかろうとしていた騎士の足元が、何の前触れもなくぬかるみへと変わったのだ。
「うおっ!?」
騎士はバランスを崩す。
振り上げた剣の勢いを殺せないまま、無様に転倒した。
それは、他の騎士たちも同様だった。
彼らが立つ固い地面は、一瞬にして足首まで沈む泥濘へと変貌していた。
鋼の鎧の重さが、今や彼らを地面に縫い付ける枷となる。
「な、なんだこれは!? 妖術か!?」
「足が……動かん!」
騎士たちが混乱の声を上げる。
妖術じゃない。
科学だ。
俺は、戦場そのものをハッキングしたのだ。
だが、俺の攻撃はまだ終わらない。
次に、俺は掌サイズの円盤――音響ルアーを起動させる。
(イヴ、プロトコル『音響心理攻撃』)
(対象、騎士団全員。複数の魔物の咆哮データをランダム再生)
(発生源を仮想的に複数設定し、包囲されていると誤認させろ)
『了解。音響ルアーより、指向性超音波を放射』
『対象の聴覚神経に直接、仮想音響データを書き込みます』
『グルォォォォォオオオオオッ!』
森の奥深くから、巨大な獣が咆哮するような、凄まじい音が響き渡った。
それも、一つではない。
東西南北、あらゆる方向から、あたかも魔物の大群が迫ってくるかのような幻聴が、騎士たちを包み込む。
オークの鬨の声。
ワイバーンの風切り音。
グリフォンの鋭い鳴き声。
それらが混じり合い、地獄のオーケストラのように鳴り響く。
「敵襲! 魔物の大群だ!」
「囲まれているぞ! 陣形を組め!」
規格化された訓練しか受けていない彼らは、この予測不能な事態に完全なパニックに陥っていた。
泥濘に足を取られ、幻の敵に怯える。
もはや、彼らに戦う力は残されていない。
俺は光学迷彩のマントを羽織り、その姿を周囲の風景に溶け込ませる。
マントの表面のナノマシンが、背後の景色をリアルタイムで投影し、俺の存在を光学的に消し去った。
そして、呆然と立ち尽くすセラフィナの元へと静かに近づいた。
「行くぞ」
俺が小声で囁くと、彼女はびくりと肩を震わせた。
その蒼い瞳が、信じられないものを見るように、俺がいたはずの空間を見つめている。
俺は、混乱の極みにある騎士たちに最後の一手を加える。
懐から取り出した小さな球体を、彼らの足元へと投げつけた。
球体は地面に当たると同時に破裂し、中から粘着性の高い液体が飛び散る。
それは、俺が森の植物の樹脂を元にナノマシンで合成した、特殊な速硬化性ポリマーだった。
液体は空気に触れると瞬時に硬化する。
騎士たちの足と泥濘を、一つの固い塊として固定してしまった。
「よし。これで十分だ」
俺はセラフィナの手を掴むと、森の奥深くへと駆け出した。
背後で騎士たちの罵声が聞こえたが、もはや追ってくる者はいない。
俺たちは、誰一人殺すことなく、傷つけることさえなく、この絶体絶命の状況を切り抜けたのだ。
しばらく走り続け、完全に安全な場所までたどり着いたところで、俺たちは足を止めた。
ぜえぜえと肩で息をする俺の隣で、セラフィナもまた、荒い呼吸を繰り返している。
アドレナリンが切れ、どっと疲れが押し寄せてきた。
俺は、掴んだままだった彼女の手を、慌てて離した。
その手の温もりが、妙に心に残る。
「……助かりました。ですが、あなたの力は……本当に不思議です」
「誰も、傷つけていない……」
セラフィナが、まだ信じられないといった様子で呟く。
彼女が知るスキルや魔法は、そのほとんどが敵を破壊し、傷つけるためのものだ。
俺のやり方は、彼女の常識からあまりにもかけ離れていた。
「非効率なだけだ。殺すより、無力化する方がコストが低い」
俺はぶっきらぼうに答えた。
前世で、俺は自らが開発したAIが、殺戮の道具として利用されるのを止められなかった。
そのトラウマが、俺に不必要な殺傷を躊躇わせているのかもしれない。
だが、そんな感傷を彼女に話すつもりはなかった。
「……それに、あんたが時間を稼いでくれたおかげだ。感謝する」
素直に礼を言うと、セラフィナは驚いたように俺の顔を見た。
そして、柔らかく微笑んだ。
「いいえ。私たち、良いチームになれますね」
その言葉に、俺は何も答えられなかった。
(……論理的な契約、か。あるいは、それ以上のものに、なるのかもしれないな)
ただ、彼女の言う通りかもしれない、とぼんやりと思った。
システムに捨てられた、壊れた玩具同士。
だが、二人なら。
この理不-尽な世界で、まだ何かできることがあるのかもしれない。
俺は、差し伸べられた彼女の手を、今度はためらうことなく、強く握り返した。
これにて第4章、完結です! 二人の絆、深まりましたね……! 最高のバディの誕生です!
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