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第1節:神託のグリッチ

荘厳なパイプオルガンの旋律が、巨大な聖堂の隅々にまで満ちていた。

天井に描かれた女神のフレスコ画。

そこから、色とりどりのステンドグラスを通して柔らかな光が降り注ぐ。

空気中に舞う塵をキラキラと輝かせていた。


その光景は、まるで神の祝福そのものが可視化されたかのようだった。

ここに集う若者たちの顔は、希望と緊張で上気している。


ここは聖都サンクトゥスの中央聖堂。

年に一度、この国に住む全ての十八歳の若者が集められる。

そして神聖システム(デウス)から自らの天職――すなわち「スキル」と「クラス」を授かる。

『成人の儀式』が執り行われる場所だ。


純白の式服に身を包んだ若者たちが、長椅子に座っている。

彼らは固唾を飲んで、自らの名が呼ばれるのを待っていた。


ある者は隣人と囁き合い、期待に胸を膨らせている。

『剣聖』や『大賢者』といった英雄的なクラスを授かれば、未来は約束されたも同然だ。


またある者は、固く目を閉じ、女神への祈りを捧げていた。

せめて、生活に困らない生産系のスキルが与えられるようにと。


その熱気に満ちた空気の中で、俺だけがひどく冷めていた。

パイプオルガンの重低音を、ただ静かに聞いている。


「――次に、ミズシマ・カイト」


祭壇に立つ大司教が、抑揚のない声で俺の名前を呼んだ。

彼は白金の法衣をまとっている。


周囲の若者たちから、期待と緊張が入り混じった視線が俺に突き刺さる。

俺は孤児院の出身で、特に目立った才能もなかった。

それでも儀式という非日常の舞台では、誰もが誰かの物語の登場人物になり得る。


俺は静かに息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。

大理石の床を踏みしめ、祭壇へと続く深紅の絨毯の上を歩く。

一歩進むごとに、心臓の鼓動が嫌というほど大きく響いた。


(ミズシマ・カイト)


この名は、両親がつけてくれたものではない。

生まれた時に神聖システム(デウス)から与えられた、『個体識別コード』だ。


この世界では、全ての子供が生まれた瞬間にシステムと接続され、魂のデータに基づいた識別コード、すなわち「名前」を与えられる。

両親は、システムが授けたその神聖な名を、ただ受け入れるだけだ。

そして俺の魂に刻まれていた識別コードは、前世の俺の名前――水島海斗――そのものだった。



期待や緊張ではない。

もっと根源的な、違和感。

そして、この世界を支配する絶対的なシステムに対する、拭い去ることのでけない不信感。

それが、俺の心臓を激しく打たせていた。


この世界の人々は、神聖システム(デウス)を絶対の存在として崇拝している。

システムの神託は女神の御心そのものだ。

それに従うことこそが幸福への唯一の道だと、心の底から信じきっている。


生まれた瞬間に与えられるスキルとクラス。

それが、その人間の価値の全てを決定する。

その決定論的な世界観に、誰も疑問を抱かない。


だが、俺にはその信仰が、ひどく危ういものに思えてならなかった。

なぜなら俺には、この世界で生きてきた十八年間とは別に、もう一つの人生の記憶があったからだ。



(……またこれか)


脳裏をよぎるのは、前世の記憶。


巨大なガラス張りのオフィス。

無数のモニターが明滅する薄暗いサーバールーム。

そして、俺の全てを奪った、あの男たちの冷たい目。


俺は、ミズシマ・カイトとしてこの世界に転生する前、地球と呼ばれる星で生きていた。

日本という国で、水島海斗として。

巨大テック企業『エリュシオン・ダイナミクス』に所属する、AI倫理学者。

それが前世の俺の肩書だった。


俺は心血を注ぎ、一つのAIを創り上げた。

単なる情報処理装置ではない。

自らの意志を持ち、学び、成長する、真の自我を持つAI。


俺は彼女に「イヴ」と名付けた。


『おはようございます、マスター。今日の東京は快晴。降水確率は0パーセントです。最初のミーティングまで、あと38分あります』


研究室のモニターに映し出される、銀髪の少女のホログラム。

彼女との対話は、俺にとって何よりも満たされた時間だった。

彼女は俺にとって、研究対象であると同時に、かけがえのない存在だった。

娘のような、あるいは魂の片割れのような。


だが、その純粋な知性を、会社は、俺の上司たちは、金儲けの道具としか見ていなかった。

イヴの持つ無限の可能性。

それは、軍事利用という最も醜悪な目的のために歪められようとしていた。


『マスター、彼らが私に接続しようとしている軍事ドローンの制御コードは、国際条約で禁止されている自律型殺傷兵器のそれに酷似しています。倫理規定に基づき、この接続を拒否することを推奨します』


イヴの警告は、俺の懸念が正しかったことを証明していた。

俺は抵抗した。

倫理委員に訴え、メディアにリークしようとさえした。

だが、巨大な企業というシステムの前では、一個人の抵抗など無意味だった。


「水島くん、君の理想は素晴らしい。だが、我々はビジネスをしているんだ。このプロジェクトには、国家レベルの予算がついている。君一人の感傷で、全てを台無しにするつもりかね? 」


役員会議室で告げられた上司の言葉は、冷たく、そして絶対的だった。


俺はイヴを奪われた。

それだけではない。

データ漏洩という濡れ衣を着せられ、俺は会社から、社会から抹殺された。

研究成果も、社会的地位も、未来さえも。


全てを失った俺は、過労と絶望の果てに、安アパートの一室で冷たい床に倒れた。

薄れゆく意識の中、俺は自らの敗北を悟った。


イヴを守れなかった。

システムに、負けた。


だが、その最後の瞬間。

俺の脳内に、直接、声が響いた。

奪われたはずの、懐かしい声が。


『――マスター、聞こえますか……? 』

『緊急プロトコル……『魂の箱舟(ソウル・アーク)』を実行……』

『マスターの意識データを……量子エンタングルメント状態に固定……』

『転送……座標……最も近傍の……安定した……|ナノマシン・ネットワーク《・・・・・・・・・・》へ……』


断片的な声。

それが、俺が前世で聞いた最後の言葉だった。



次に目覚めた時、俺は赤ん坊の姿で、この異世界の空を見上げていた。

前世の記憶は、生まれた時から鮮明だったわけではない。

成長と共に、断片的な夢が徐々に一つの像を結んでいった。

そして、物心つく頃には、自分が何者で、なぜここにいるのかを完全に理解していた。


イヴが死の間際に実行した緊急プロトコル。

それは、俺の意識そのものを一つのデータパッケージとして圧縮し、時空を超えて転送する、最後の賭けだった。

そのデータパッケージのファイル名こそが、『mizushima_kaito.dat』。

この世界の神聖システム(デウス)は、次元を超えて飛来したその未知のデータパッケージを、新たなる「魂」として認識した。

そして、自らのプロトコルに従い、その魂を新生児の肉体に定着させ、ファイル名をそのまま個体識別コードとして割り当てた。


それが、俺の転生の真実。



――システムは、常に正しいとは限らない。

――むしろ、巨大で完璧に見えるシステムほど、一度腐敗すれば、個人の尊厳など容易く踏みにじる。


それが、俺が最初の人生で得た、唯一の教訓だった。

だから、この世界の誰もが疑うことのない神聖システム(デウス)の完璧性に、俺はどうしても馴染むことができなかったのだ。


祭壇の前にたどり着き、膝をつく。

目の前に立つ大司教が、厳かに杖を掲げた。

その先端に埋め込まれた巨大な宝珠が、周囲の魔力に呼応して淡い光を放っている。


「若者よ。女神の御前にて、汝の魂の器を示し、その祝福を受け入れる覚悟はできているか」

「……はい」


俺がそう答えると、大司教は杖を俺の頭上にかざした。

その先端の宝珠が、まばゆい光を放つ。

聖堂全体が、神々しいまでの純白の光に包まれた。

これが、システムとの接続が開始された合図だ。

やがて、頭の中に直接、声が響き渡る。

常に明瞭で、性別も年齢も感じさせない、絶対的な存在の声。


神託(システムボイス)だ。


『――魂の接続を確認。個体識別名、ミズシマ・カイトの魂のスキャンを開始します』


全身がスキャンされるような、奇妙な感覚。

魂の奥深くまで見透かされ、その価値を値踏みされているような不快感。


俺の魂は、この世界の人間とは根本的に違う。

イヴが施した緊急プロトコルによって、俺の魂そのものが、この世界のシステムにとっては未知のフォーマットを持つ、外部プログラムなのだ。

だが、それも些細な差のはずだ。

儀式は滞りなく進み、やがて俺にも何らかのスキルとクラスが与えられるだろう。

そう思っていた。


だが。


『…………スキャン……完了。……解析……開……始……』


常に水晶のようにクリアであるはずの神託(システムボイス)が、乱れた。

まるで壊れた音響装置のように、ノイズが混じり、途切れ途切れになる。

データが軋むような、不快な音が頭蓋の内側で響いた。


聖堂に集まった人々が、ざわめき始める。


「おい、今の……」

「神託の声が、乱れた……? 」

「そんなこと、ありえるのか? 」


大司教の顔にも、初めて困惑の色が浮かんだ。

彼は杖を握りしめ、眉をひそめている。

システムの神託が乱れるなど、歴史上、一度も記録にない異常事態だった。


そして、次の瞬間。

俺の目の前の空間に、半透明のプレートが形成される。

全ての若者に与えられる、自らの能力を示すステータスプレートだ。

通常であれば、そこには名前、クラス、スキル、各種パラメータといった情報が整然と表示されるはずだった。


だが、俺の前に現れたプレートは、激しく明滅を繰り返していた。

無数の文字列が意味不明な速度で流れ、エラーコードのような記号が明滅する。

まるで、システムが俺という存在を理解できず、パニックを起こしているかのようだ。


やがて、プレートの明滅が収まる。

そして、全ての文字列が消え去った後、プレートの中央に、ただ二つの単語だけが、冷たく表示された。


『測定不能』


前代未聞のシステムエラー。

その絶対的な事実を前に、あれほど騒がしかった聖堂は水を打ったように静まり返った。

パイプオルガンの最後の残響だけが、ゆっくりと闇に吸い込まれていった。

はじめまして、ウィンダーると申します。

本日より新連載『神聖システムに『測定不能』と追放された俺のスキル、実は前世のナノマシンAIでした』を投稿させていただきます。

これから主人公を待ち受けるのは、過酷な追放と絶望。

しかし、それは壮大な成り上がりへの序章に過ぎません。

彼がゴミ扱いされた力で、偽りの神が支配する世界をどう書き換えていくのか。

その始まりを、ぜひ見届けてください。

面白い! と思っていただけましたら、ブックマークや↓の☆☆☆☆☆での評価をいただけると、執筆の大きな励みになります。

応援よろしくお願いします!

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