あとかたづけ
みなとはミニマリストだった。
必要最低限のものしか傍に置かず生活していたようだった。
だった。
全て過去形だ。
みなとの部屋の後片付けを任されて数日が経つ。
生活に必要なものしかない部屋の片付けをしているはずだけれど、度々、みなとの生活に必要だったろうかというものが、少ない所持品の中にもいくつかあり、ついつい片付けの手を止めてしまう。
その中のひとつに『客人用のひと組の布団』と『新品の宿泊セット』があった。
誰かしらひとりはいつでも泊めることのできる用意だ。
けれど、みなとという人は、誰かを家に招いて泊まらせるような習慣を持っていなければ、そういうことが起きるような生活もしているわけでもなかった。
家族は遠い場所にいて部屋の片付けをする余裕すらなく、兄弟親戚とは特に親しくもない。親しい友人も、家に招いて泊まらせるような付き合い方をしていたわけでもない。友人と遊ぶのも、人と付き合うのも嫌いなわけではなかったようだけれど、寂しいからという理由で人の傍に行こうとしないひとだった。
それで生活をできる人でもあった。
それなのに、誰かのためのひと組の布団と誰かが泊まっても困らないような新品の宿泊セットを部屋に置いている。
この収納が限られた、一人が暮らすことしか考えられていない作りの狭い部屋に。
ミニマリストになったからこの部屋でよかったのか、この部屋だったからミニマリストになったのか。そう考えてから、品のない憶測だな、と頭の片隅で思う。
どちらが先だったとしても、あまりにもどうでもいいことだった。後者の可能性を考えたとき、少なからずの憐れみの感情が自分に過ったのにも腹が立った。自分がみなとのようにすっきりとした部屋で生活できていないから勝手に劣等を感じて、無意識に下に見ることの出来る要素を探してしまった。たいしてどういう生活を送ってきたか知っているわけでもないというのに。
布団を撫でる。
ほのかに防虫剤の香りがする。使えるように気を配ってはいたようだが、仕舞いっぱなしだったのだろうなと思うとなんだかおかしくなった。
みなとは、限られた生活空間に、使うことのなかった誰かのための物にずっとスペースを割いていたのか。必要最低限しかものを持たない生活をしていたひとが。
溢れた私物で埋められた部屋を片付けるとき、他人が使うものから捨てて片付けて収納スペースを作り出した先月の自分を思って比べた。
家族は近くにいて連絡すれば来てくれる、友人を部屋に呼ぶこともする、万が一自分がいなくなっても部屋を片付けるのは、みなとの訃報があったときたまたま事情を知って後片付けしますとわざわざ名乗り出る物好きな友人になることはないだろう。
みなとは、普通にいい友人だった。
部屋の状態も聞いていたし、それくらいならしてもいいかと思える程度には。
人との付き合い方はあっさりとしていて、あっさりとしているのだけれど、優しい、と分かるひとだった。だから、友人としてけっこう好きだった。
後片付けをしようとするような物好きは自分みたいなのしかいないかもしれないけれど、みなとのことをそう言う人はそこそこいると思う。
でも、みなとは寂しいからという理由で、人の傍に行こうとしないひとだった。
みなとは優しい。
たまに他人が言う『本当のところは分からない』の『本当のところ』がどういうところかは知らないけれど、優しいと思わせてくれる接し方を、付き合い方をしてくれていたことが確かなことだけは分かる。
そういう優しいひとには、寂しいひとが寄っていきやすい。
寂しいひとは、自分を懐に入れてくれるひとに一等関心を寄せるけれど、入れてくれないひとには普通の友人としてのカテゴリーにも入れてくれないことがある。寂しくてひとを求める人は、相手も寂しいとき自分を求めてくれると思うみたいだ。少しでもその可能性があると。
寂しいからという理由で、ひとに寄りつかないみなとは、そして、それで生活できてしまうみなとは、その可能性がゼロに等しかった。
みなとは優しいひとだった。だから、寂しいひとでよく周りが埋まった。そして、そのひとたちは離れていく。
布団を撫でる。
止めていた手を動かして、後片付けを再開する。
誰かのために必要だとずっと用意されていたこのひと組の布団を引き取らせてもらうことは出来るだろうか。
考えながら、自分の部屋でどうにかこの布団を仕舞うためのスペースを空ける算段を頭の中で巡らせた。