クズな君を愛してあげる
「あなたってどうしてそんなにクズなのかしら」
透き通る白い肌に、派手な装飾をあしらった純白のドレス姿の君は高飛車な笑みを浮かべていた。
教会のバージンロードを父親にエスコートされ、君の手が僕に渡った瞬間。
その瞬間に、僕を見下した君はまるで女王様のごとく自信に満ち溢れて僕の隣に立った。
「クズはいつまで経っても変わらないのね。ねぇ、クズリフ?」
僕らの婚姻を見届ける司祭の前で、声もひそめず恥じらいもなく君はそんなことを言う。
神の前でさえ変わらない女王様っぷりに、僕は穏やかに微笑みを浮かべて君の間違いを指摘した。
「僕の名前はグズリフだよ。夫になるんだから、そろそろ覚えてほしいな」
「あら、そうだっけ。クズもグズも変わらないじゃない?」
「君も変わらないね、イザベラ」
そう、君こそ昔から何も変わらない。
僕より背の低い君は相変わらずすべてを見下していて、その高慢さはもはや行きすぎて清々しいくらいで。
それでも背を伸ばした君の成長と共に、自惚れもまた内側で立派に育ってきたんだね。
❇︎
僕がはじめてイザベラの間違いを指摘した時、それは確か十歳にも満たない幼い頃のことだった。
イザベラに招かれティーパーティーに参加した僕は、まだ無垢な心持ちのままに自分の名前を訂正したつもりだった。
「クズじゃなくてグズ? そんなのどっちだっていいじゃない」
淹れたての、まだ熱湯のお茶をカップごと僕に投げつけたイザベラは、込み上げる笑いを押さえることなく僕を馬鹿にした。
「ほら、こんなのも避けられない。愚図でクズ、あなたらしいわね」
周りを巻き込んだ嘲笑。哀れむ目、見下す目。
汚れてしまった僕を汚らしいと蔑み、イザベラはティーパーティーから早く出て行けと手で払った。
固まる僕を、その小さな足で蹴り飛ばして。
「招かれたからって、身の程を弁えずに参加しちゃだめでしょう? 私とあなたでは格が違うんだから」
同じ家格なのに、僕をこき下ろすイザベラはただ僕という存在を見下しているようだった。
なぜ僕を蔑むのか、こんなにも酷い仕打ちをするのか。この時の僕にはわからず、女の子にやり返すなんてこともできず、訳がわからないまま静かに席を立った。
間違いを指摘したことが気に触れたのかと思ったけれど、そこですれ違ったイザベラの父の、イザベラにそっくりな冷たい目線で僕は思い知らされた。
彼は僕を蔑むどころか、存在自体がなかったかのように無視してイザベラの元へ行ったのだから。
弾ける仲睦まじい親子の声を背に、僕は大人から受けるはじめての恐怖に身を震わせた。
❇︎
「君の父は変わったのにね」
二人肩を並べた僕たちは、たくさんの参列者に見守られる中で司祭の口上を聞いている。
僕の言葉をどう受け取ったのか「父も歳を取ったわ」と君は素っ気なく返してきた。
まったく、そういう意味じゃないんだけどな。
僕は思いつつ、君が事実を未だ知らされていないことに口元がうずうずとした。
ちら、と横目で見た君は瞼を伏せ、それなのに強気な横顔が可笑しくて仕方なかった。
つんと尖った唇が、僕への反抗心を表しているようだった。
――あぁ、本当に何も知らないんだな。
僕の元までエスコートされてきた時、君の父がどんな顔をしていたか。
僕に向け、あんなにも媚びへつらって笑顔を作っていたのに。
――君は、すべてを知らないんだな。
いっそ哀れなほど無知な君に、僕の心の中は優越感で満たされていった。
❇︎
「私がせっかく招待してあげたのに断るなんて、随分と生意気になったのね? クズリフ」
それからもイザベラはいろいろなシーンで僕を招待し、何かと理由をつけては貶めて嘲笑った。
だったらと招待を断ればそんなことを言われ、僕の知らない所で涙の演技までしていたこともあった。
一体何をどうしたいのかわからず、断ることもできない僕はただイザベラの気の向くままに手を上げられ罵声を浴びせられる日々を送っていた。
頭を嫌みたらしく叩かれたり、肩を突き飛ばされたり。仲の良い令息を使って僕を羽交い締めにしたこともあったし、お茶を浴びせられたのは一度や二度じゃない。
エスコートしなさいと呼ばれて行けば、他の令息の手を取り僕に恥辱を与えて。
どんどん過激になっていく僕への明らかな虐めは、ついに危うい一線を越えてしまう。
「クズリフ、あなたに印をつけてあげるわ。私の僕である印よ」
楽しげに言うイザベラは家紋の入った封蝋印をおもむろに蝋燭で炙り出した。
嫌な気配を察した僕は逃げ出そうとしたが、すでに体格のいい令息達に取り囲まれあっという間に捕まってしまう。
茶器やお菓子が乗っていることなど構わずにテーブルに押し付けられ、派手な音を立ててそれらが床に散乱していく。
拒む僕を物ともせず、それ以上の力で袖を捲り上げられむき出しの左腕がイザベラに差し出された。
妖艶な笑みを浮かべて、イザベラは緩慢な動作で震える僕の腕に熱された封蝋印を押し付けた。
「綺麗につけましょうね」
滲み出る脂汗に、熱さと痛みで悲鳴を上げた。
どんなに暴れても拘束が解かれることはなく、続く苦痛に喉が裂けんばかりに声を張り上げた。涙でぼやけた視界に映る、僕から目をそらす招待客達に必死に助けを求めて叫んだ。
……――叫んだのに。
これまでだって誰一人として僕に手を差し伸べてくれる人がいなかったのだから、結果は当たり前のことだった。
どうして誰も助けてくれないんだろう。
イザベラはどうして僕をこんな目に遭わせてくるのだろう。
それを放置するイザベラの父は、なぜ僕の存在をないものとして扱うのだろう。
あまりの出来事にさすがに僕の父上は激昂した。
これまでのことだって手紙で謝罪を求めたりそれなりに訴えてきたが、そのたびにイザベラの父は受け流し無視をしてきたのだ。
これまで通りじゃ埒があかないと直談判をしに屋敷を訪ねた父上は、ようやく向き合ったイザベラの父に凍てつくような鋭い視線を向けられ大きく唾を飲み込んだ。
負けじと見返すも、勝敗はすでに明らかで蛇に睨まれた蛙のような有様だった。
僕の父上がついにその威圧に怯むと、イザベラの父は視線を和らげ回りくどく同情心で父上を丸め込み始めた。
好奇心旺盛な子供同士の戯れだった、と。
少々度が過ぎてしまったことは残念に思うが、子供のことなのでお互い様だろう、と。
直接の謝罪はなく、なのに打ち負かされた父上は張り詰める緊張の中でそれを受け入れ、飲み込んでしまった。
その時のイザベラの父の表情が、僕を虐めている時のイザベラにそっくりだったんだ。
同じ家格でありながら優劣の生じる貴族社会。
イザベラの家格が誰も口出しをできない優であるなら、僕は限りなく下の家格に近い劣だ。
イザベラが僕を見下し虐める理由が、父上達のやりとりを目の当たりにしてはっきりとわかってしまった。
❇︎
司祭の口上はいよいよ僕と君の誓いを求めた。
静観する参列者の前で僕らは向かい合い、お互いにそれぞれの思惑を持って目を合わせる。
言葉での誓約、口づけ、たったのそれだけで婚姻の儀は終わりだ。
けれど君は挑発するように僕を見上げて、艶やかな唇でわざと声を大きくした。
「結婚してあげてもいいわよ? あなたが傅き、私に忠誠を誓うならね」
静まり返っていた周囲の空気がさらに息を呑んで物音を消した。
凍りつく場に、僕はニヒルに笑みを浮かべる。
「君のことは大切にするよ。傅いてもいいし、僕は騎士じゃないけど忠誠を誓ってもいい。けれど、僕の上に立とうとしちゃダメだ」
僕の言葉に君は大きく眉を歪めた。
「上に立つなですって? 格下のクズリフが、こんなに大勢の前でよくそんな生意気な口がきけるわね」
「イザベラこそ、そろそろ言葉を慎んだ方がいい。周りの人間がいつまでも君を取り囲んでちやほやすると思ったら大間違いだよ」
「……は?」
「流れは変わったんだ。相応の立ち位置を弁えないと、足元を掬われてしまうよ」
――そう、流れは変わった。
君が僕に印を押したあの日、僕のこの不遇の真意を知ったあの日から。
それ以降の僕は君からの招待をすべて断った。
君がどれだけ怒ろうともあちこちでデマを吹き込もうとも一切構わなかった。そのうちに僕の名はどんどんと泥を浴び、地に落ちていったが、それでさえどうでもいいことだった。
僕が家業を継ぐために父上の下で学んでいる間、君は懲りずにティーパーティーを開き続けた。
父上だけでなく有能な事業家の下で学ばせてもらっている間に、君は選りすぐりの令息と婚約をしていた。
新たな事業を始めようやく波に乗ってきた頃は、婚約者と仲睦まじくなった令嬢を君が虐めている時だった。
家業と合わせ事業の成功により、誰もが見下すことのできない資産を僕が得た時には、君は婚約破棄を言い渡されている真っ最中だったね。
どれだけ家格が高く優秀でも、傷物になった君と派手な金遣いの両親では次の縁談もなかっただろう。
回る借金の歯車は、あっという間に君の家門を奈落の底に突き落としていった。
「僕がなぜ君と婚姻するのか、わかる? イザベラ」
僕が手を差し伸べた時、君の父はあっさりと僕の手を掴んだよ。あんなに見下していた家門の、存在を無視していたはずの僕の目をしっかりと見つめて。
借金の形に、一瞬の迷いもなく君を売ったんだ。
「あんなに僕を痛めつけた君を、なぜ選ぶのか。君にわかるかい、イザベラ?」
ずっと近くで見てきた、または加担してきた奴らは僕の成功と共にすぐに謝罪を申し入れてきた。
今の僕なら家ごと捻り潰すのも容易い彼らは、けれど今後の僕にとって大事な繋がりになるかもしれない。
広い心で受け入れてやると、あっさりとイザベラから僕の側に寝返った。
そして口々に噂されるのは、僕が復讐のために婚姻するのではないかと言うこと。
「……復讐でもするつもり?」
世間知らずの君の口から鋭く返され、僕はニィッと口角が上がるのを止められなかった。
手で隠したところで君にはしっかりとその笑みを見られてしまい、君は美しい顔をしかめた。
「復讐だなんて、クズリフ。お前は私の犬も同然よ。その左腕に押された印の存在を、忘れたの?」
君は果敢に僕を威圧してくるが、瞳の奥に怯えが混じりつつあることを僕は見逃さなかった。
左腕の袖を捲り、君に印の火傷痕を見せつけて指先で撫でる。
「一瞬たりとも忘れることはない。イザベラが僕に与えた最高の苦痛だった。君は僕を、犬にした」
けれど、と僕は参列者を見遣る。
婚儀の成功を祈る君の父と、固唾を飲んで僕の復讐を期待する過去の君の取り巻き達。
中には僕が慈悲深いと盲信するやつもいるんだから、可笑しなことだ。
「君はその犬に、どれだけ救われたんだい?」
両親の借金に、家門の立て直し。
貧困にあえぐ領地に食物を与え、整備し、生活の基盤が固まるまで手を施し。
貰い手のいない、君にまで目をかけて。
「すべてが覆ったんだよ、イザベラ。君の犬は、今ではここに集まった皆の頂点に立っているんだ」
この貴族社会のトップは、君ではなく僕だ。
青ざめた君は純白のドレスを翻して逃げようした。ここにいるすべての人間が自分の敵になったことを理解したのだろう。
だが、僕がそんな事を許すはずがなかった。華奢な腕を掴んでしまえば、あっという間に君は僕に捕まってしまう。
震える唇で「助けて……ごめんなさい、グズリフ……」と縋りついてくる君を、僕は力任せに引き寄せて耳元で冷たく囁いた。
「どれだけ泣いて縋ったって誰も助けてなんかくれないよ。悪に染まった美しい君は、僕に愛されるしかないんだから」
君を抱き寄せたまま左腕を掲げる。
痛々しい火傷痕はくっきりと君の家紋を形取り、君の所有権をそこに表していた。
僕はそこに、ちゅっと音を立てて唇を寄せた。
「僕が愛してあげるよ、イザベラ。君も僕を愛してくれるだろう?」
返事なんてどうでもよかった。
怯えはいつか絶望となり、やがて諦めになる。
そうなってしまえば君は、僕を愛すしかないんだから。
「イザベラ、愛してる」
はじめて君が僕を目に映した瞬間から、ずっとずっと。僕は君に恋焦がれていた。
どれだけ蔑まれ暴力を振るわれても、名を辱められても、傷つけられても。
僕だけに向ける君のその目が好きだった。
復讐じゃなく、僕は君を愛するために手に入れたんだよ。
「憎くて愛しくて、いっそ壊してしまいたいくらいだ」
狂おしいほどに。
僕の腕の中で震える、小さな肩に囁き続けた。
僕の愛を囁き続けた。
君を愛すのは僕だけなんだよ。
だから早く、君も僕を愛してごらん?
次は君が犬になる番だから。
「婚姻の儀が終わったら、君にも印を刻んであげないとね」
一生逃げられない、僕の愛の証をね。