前編
私が今住むこの世界は【人間の世界】だ。
人間が食物連鎖の頂点に立ち、人間が住みやすいように地上を変えていく。
ただこの人間には、人間と同等、もしくはそれ以上の力を持つ良き隣人がいた。人間は彼らを【妖精】と呼ぶ。そして妖精は基本的には、妖精の世界で暮らしている。
世界が違うので普通ならばまじりあわない者同士だ。時折妖精が人間の世界に行くこともあるけれど、勝手に渡航した場合、その存在はとても不安定で人間には見ることも触ることもできない。しかし最近人間は【召喚術】を発明し、それにより妖精を呼びだすことができるようになった。そして妖精が契約をすると、契約期間中人間の世界に住めるようになるのだ。
妖精と人間の違いは様々ある。姿の違い、意識の違い、生きる時間……とにかく、生まれ育つ世界が違うので、その差はとても大きい。
とりわけ最も大きな違いは、妖精は人間とは違い魔法が使えるということだろう。だから人間は、良き隣人である妖精を召喚し、契約を結びたがるのだ。逆に妖精が人間と契約するメリットは、あまりないのだが、妖精は基本的に綺麗なものが好きだ。だから魔法を使う代わりに綺麗なものを貰う。勝手に渡航した場合、妖精は人間の世界のものを持って帰ることができないから契約をする。
後は妖精が好奇心旺盛な性格であるというのも人間と契約する理由の一つだろう。楽しそうなことなどに彼らは目がない。だからよく人間のお祭りには妖精が混ざっていると言われる。
「こんにちは。こちらで妖服が売られていると聞いたのですが……」
「いらっしゃいませ。はい。大丈夫です。当店は、妖精専門の妖服屋でございます」
お店のドアが開き、少し不安そうな顔をした女性が恐る恐ると言った様子で声をかけて来た。
『ほら、言ったでしょ? ここは妖精界でも有名な妖服屋なの!』
「だって、看板も出ていないし、店の裏手は温室だし、中はまるで花屋のようだし……」
女性の肩にのる手のひらサイズの妖精はぷりぷりと怒るが、女性が戸惑うのも無理はない。妖精の妖服は人間の洋服とは少々作りが異なるのだ。
「すみません、お客様。当店は、妖精専門の妖服屋なので、妖精のみに見える看板しか出してないんです」
店の奥から出て来た、この店のもう一人の従業員の男を見た瞬間、女性の目がハートになったのが分かった。
茶色の髪は平凡だが、緑と茶色のオッドアイが印象的な青年だ。鼻筋が高く、肌も白くきめ細やかで平民の店員として出てくるには場違いな、王族のような美しい外見をしている。
「そ、そうなのですね。あの、今日は私と契約を結んでいる、この子の服を買いたくて。その」
女性は頬を染めもじもじと髪をいじる。熱い眼差しといい、明らかに恋の熱に浮かされた様子だ。
「そうでしたか。妖服は初めてですか?」
「はい」
「ならレイン、説明お願いできますか?」
場違い男なロイズに説明を丸投げされて私は内心ため息をついた。というのも目の前の女性は、完璧にロイズに気を取られていて、私の存在を忘れていた様子なのだ。突然私が呼ばれて、何コイツ的な目が向けられた。
しかし仕方がない。妖服を作るのは私だ。
「妖服というのは、花びらや木の実など妖精が気にいったものを使って、各妖精に合わせて作るものを指します。当店では、素材を妖精に選んでいただき、【妖精の粉】で時を固定をして一着一着作っております」
『へえ。本当に色々選ばせてくれるんだ』
「普通は違うの?」
依頼人の女性の言葉に、妖精は深くうなずいた。
『ええ。妖精が作ると、作り手の気まぐれがすっごく入ってくるのよ。だから最高の一品になるか最低の一品になるかは運なの。更にそれが自分の着たいものになるかは……まあ、運ね』
青い瞳の妖精は、ハイライトを消した瞳で遠い目をした。たぶんかつて自分の趣味に合わない最低な一品を提供されたのだろう。
「当店はそのようなことがないように、ご要望をお聞きして作りますのでご安心下さい。よろしければお連れの方は、お待ちの間こちらのロイズが温室をご案内しますが、いかがしましょうか?」
「是非!!」
目を輝かせ食い気味に来る女性に対して、ロイズがマジかよ止めろというような目線を一瞬送ってきたが、私は無視する。ロイズは案内が回避不能と悟った瞬間、綺麗な猫かぶりの笑顔で店の裏にある温室に案内を始めた。
二人が行った後、私は材料を取りだし見せた。
妖精は様々な材料を興味津々で見ている。妖服は人間の世界ではほぼ売られてないものだ。だからかなり高価になることは伝えたが、先ほどの女性は裕福な家のご令嬢らしく問題ないと妖精は話す。
『私、石より花の方が好きなのよ。その点、この店は花の種類が多いのね』
「ええ。腕のいい、花園の門番がいますので。そういえば、最近は人間の世界で【闇の妖精】を見たり聞いたりしたことはございませんか?」
私が【闇の妖精】という単語を述べた瞬間だった。妖精は自分の腕を抱いてぶるぶるぶると震えた。
『止めてちょうだい。その単語を出すの。あああ。耳が汚れそう』
「失礼しました。私どもは妖精を相手に商売をしていますので、他のお客様にご迷惑がかからぬよう念のため、例の妖精の情報がないか聞いているんです」
『まあ、そういうことなら仕方がないけど……。私達妖精は言霊に左右されるんだから、気を付けなさいよ』
妖精というのは綺麗好きだ。しかし闇の妖精は、妖精が闇に堕ち変質した者を指す為、妖精たちにとってはとても汚いものと認識されていた。
『とりあえず、私がこの単語を聞いたのは久々よ。最近この辺りでは聞かないわね』
「そうでしたか。ありがとうございます。闇の妖精は心の弱った者が相手なら一方的に蝕み契約をするので、こちらも警戒をしておりまして」
闇の妖精は契約をすると契約者の願いを叶えるけれど、契約者を悪の道へ導いたり周りを不幸にしたりとろくなことをしない。……とはいえ、私たちが、闇の妖精について調べているのはそれが理由というわけではないけれど。
『逆に私も質問したいんだけど。貴方、何?』
「何、とは?」
『人間……にしては気配が変な感じだし、もしかして妖精と人間の混血児? その眼鏡も、認識を阻害する妖精のレンズを使っているでしょ』
「私は人間です。認識阻害は、オッドアイなので気味悪がられたいするのでちょっとした伝手で手に入れたものを付けているんです。ロイズ……貴方の契約者を案内している者ぐらい美しければ、オッドアイも魅力的だったのでしょうけど」
チラッと眼鏡をずらせば、妖精にも緑と茶色の色違いの瞳が目に入るはずだ。通常は見えてはいるけれど無関心になり、瞳の色が気にならないようになっている。平凡顔なので、普通ではない瞳の色は悪目立ちをするのだ。
『でも変な気配なのよねぇ』
「もしかしたらこれではないでしょうか?」
私は左の薬指についている指輪を見せる。ただの指輪ではあるのだが、妖精のみが気が付く特殊な気配を感じたはずだ。
『なんだ。貴方も契約者なのね。だから気配が混ざっているのかしら?』
そんな雑談をしつつも妖精はノースポールの花を選ぶ。私は妖精の粉を使って妖精自身に花をくっつける様にしてドレスを作っていく。花そのものを使ったり、花びらだけを使ったり、またはちょっとしたアクセントとして葉っぱや茎でベルトのようにする。バランスよく貼り付けたら、最後は妖精の粉で時間固定をし、枯れたり破れたりしないようにドレスを補強する。
完成したドレスを見れば妖精は嬉しそうにクルクルとまわった。
『あなたの丸眼鏡を見ると、美的センスが壊滅しているのかと思ったけれど、なかなかいいじゃない』
人の眼鏡をとやかく言うなとは思うが、確かにこの眼鏡に美的センスは皆無だ。
丁度ドレスが完成した辺りで、ロイズと契約者の女性が戻って来た。女性は妖精の新しい服を見るなりすごく可愛いと褒め、多めのお金を包んでくれた。ありがたい。人間の世界は何かとお金がかかる。
「「ありがとうございました」」
ロイズと一緒にお見送りを終えると、ロイズははぁとため息をついた。どうやら温室を案内する中、猛烈なアタックをされたらしく、疲れた顔をしている。
「妖精は闇の妖精の情報を持っていなかったわよ」
「俺の方も収穫はゼロ。というか、闇の妖精の情報を貰う為とはいえ本当にキツイ。貴族からのアプローチを相手のプライドが傷つかぬようにお断りするのって、本当無理。もういいじゃん。たまたま偶然、闇の妖精が入ってきたらラッキーぐらいで、そんな必死に情報を集めなくてもさ」
もっと気楽に行こうぜというロイズに言われ、私はカチンとくる。
大変なのは何も人間の相手だけではないのだ。それに――。
「誰の為に闇の妖精の情報を集めていると思うのよ!!」
他人事のようなロイズに私は叫ぶように怒鳴る。
闇の妖精情報を集める理由が客との為と言うのは嘘ではないが本当でもない。そしてその情報を必要としているのは私ではなく彼の方にあったのだから。
◇◆◇◆◇◆
「あーもう。本当に、あのやる気のなさ……腹立つわ」
私は妖服の材料を集めるために、浜辺を歩いていた。妖服はロイズの作った花だけでもできる。アクセサリーも同様だ。
でも妖精は住んでいた地域によって相性のいい素材が違う。花は無難にどの妖精にもあう素材ではあるけれど、妖精は綺麗なものが好きだ。なので妖服屋を休む日は、綺麗なリボンを店で探したり、森に木の実を探しに行ったり、浜辺でシーグラスを探したりしている。こういう素材集めは私の役目で、ロイズは来ないというか、邪魔なので来させない。
だから私が怒っているやる気のなさは仕事のことではなく、【闇の妖精】の情報を集めることに関してだった。
ロイズが【闇の妖精】の事に関わり合いたくないのは分かっていた。私だって必要がなければ【闇の妖精】の情報を集めたくなどない。
とはいえ少し怒りすぎただろうかと、しばらくシーグラスを探し続けていた私は深くため息をついた。昨日の妖精の様に【闇の妖精】という単語すら嫌悪する者もいる。
「駄目だなぁ。自分の感覚を押し付けちゃいけないって分かっているのに」
自分と他人は考え方が違って当たり前。好きなことも嫌いなことも、知っていることも知らないことも違うのだと分かっていたつもりなのに……。怒りが時間経過により収まってくると、今度は自分の未熟さにため息をつきたくなった。
帰ったら怒ったことに関しては謝ろうと思いつつピンク色のシーグラスに手を伸ばした時だった。
「あっ」
「ご、ごめんなさい」
私の手と別の小さな手がぶつかった。ぶつかった側の小さな手の方は、すぐさま縮こまってしょんぼりとする。
「私こそごめんね。貴方もシーグラス集めをしているの?」
私の質問に、少女はビクッと肩を揺らしつつも、おずおずといった様子で頷いた。微かに震えているのは、私が怖いからだろうか?
「あ、あの……勝手にとってごめんなさい」
「えっ? 別に私のじゃないし、早いもの勝ちなのだから気にしなくていいわよ。どうしてシーグラスを集めているのかしら? 私はね、妖精の妖服の材料にするために集めているの」
ビクビクしている少女の目線に合うように私はしゃがむと、理由を話した。
「わ、私も契約している妖精に上げたくて……。これ、拾っても怒られない?」
「ええ。この辺りのシーグラスは拾っても誰も怒らないから心配しないで」
どうやらここで拾ってもいいものか分からなかったらしい。少女の年頃は十歳ぐらいだろうか。十歳ぐらいの子が妖精契約するのはままあることだけど、その場合金持ちの子という注釈がつく。というのも、それぐらいの年で召喚魔法を学べるのは貴族だけなのだ。
ただし時折妖精に気に入られて、妖精の方から召喚魔法を教え、契約を結ぶこともある。少女の身なりからして、多分後者だろう。そもそも妖精はシーグラスも好きだけれど、金持ちの場合はよりキラキラした宝石を贈りたがるのだから。
「よかったぁ。あのね、私の契約した妖精はね、とってもキラキラしたものが好きなの。でも私お金がないから買ってあげられなくて。海に行けば真珠とかあるかなって思ったの。でもなかったから、代わりにこのキラキラした石をあげたらどうかなって思って」
真珠は貝の中にある。こんな浜辺で見つかるのは稀だ。
更にシーグラスは、正確には石ではない。ガラスが海で削られてできたものなのだ。
「お家の人はお仕事中かしら」
「えっと。……おかあさん、病気で……」
おどおどとした様子で言うのは、両親にここへ来る事を言わずに出て来たからだろうか。
「そうなのね。ならこのシーグラスは貴方が持って行って、早めに帰りなさい。そうだ。少し待ってね」
私は先ほどお見合い状態で拾えなかったピンクのシーグラスを拾うと妖精の粉をかけた。するとピンクのシーグラスがキラキラと輝く。
「わぁ。すごい」
「きっとこの方が妖精も喜ぶわ」
渡したシーグラスを少女はまるで宝石でも扱うように、大切そうに持った。
「おねえさん、魔法使いなの?」
「いいえ。私はしがない妖精の妖服屋よ。私の名前はレイン。貴方のお名前を教えてくれる?」
「クレア!」
「教えてくれてありがとう、クレア。じゃあ、もう帰りなさい。クレアの一日に妖精の加護がありますように」
親に内緒で来た子供をいつまでも海辺に放置するものではない。十歳ぐらいならばまだ保護される立場であり、高潮で子供が流されたという事故だって起こっているのだ。
私が別れの言葉を述べれば、クレアはこくりと頷いた。
「レインの一日に妖精の加護がありますように。ありがとう、レイン」
クレアは興奮で頬を紅潮させつつも、ちゃんとお礼を言って走り去っていった。その足取りは軽やかだけれど、スカートから見えるふくらはぎは、かなり細い。それはシーグラスを渡した時の手を見た時も同じ感想を持っていた。
「……ごめんねクレア」
私はクレアを見送りつつも、妖精の粉から落ちて伸びていく光の道を見つめたのだった。
◇◆◇◆◇◆
夜になり、私はベッドからそっと抜け出た。そしてアンダーチュニックだけを身に付けている状態だったので、素早くコルセットとスカートを履く。
そしてサッと髪を束ねると、窓を開けた。玄関から出るとロイズに見つかりかねないからだ。よいしょと窓枠に足をかけて、飛び降りればパチパチパチと拍手が鳴る。
……拍手?
顔を上げれば、とてもいい笑顔をしたロイズと目が合った。いや、いい笑顔なのに、ロイズの目が笑っていない。それを見た瞬間、私の行動は読まれていたことを確信した。
「レイン。まだ朝じゃないんだけど? そもそも窓からの出入りを許されているのは妖精だけで、人間は玄関を使うものだ」
レインは違うよねという圧力に、私は両手をあげた。一体いつ、私の計画を見破られたのか。ロイズは興味あること以外は淡白で気にしないので、大丈夫だと踏んでいたのに。
「今日妖服の材料集めの時に、少しひっかかりを覚える子がいたの。もしかしたら闇の妖精が関わっているかもしれないじゃない? だから、確かめようかなって」
「馬鹿か。夜に女性が一人で出歩くのは、人間界では危ない事だって前にも教えたよな。闇の妖精だってそうだ。一人で行って、本当に闇の妖精が関わっていたらどうするつもりなんだ」
「……もしもの時は妖精の粉を使って、ロイズを呼ぶつもりはあったわよ」
私だって馬鹿ではない。
妖精の魔法に、妖精の粉などかなうはずもない。彼らにとっては妖精の粉など、子供のおもちゃだ。ただし、対人間なら何とかできる……と思う。
それにもしもの時は、ロイズを呼ぶ気はあった。
「だったら最初から呼べよ。俺を頼れって」
「だってロイズ、闇の妖精と積極的に関わり合いたくないでしょ? 嫌々調べてはいないとは言わせないわよ? だから私が沢山ある情報から、本物を見つけ出そうとしてるんじゃないの」
自分が頼られなくて傷つきましたという顔をしているけれど、私だって考えて動いているのだ。それなのに一方的に考えなしな言い方をされるのは腹が立つ。
私が睨みつけると、ロイズは怯んだ顔をした。
「うう。レイン、ごめん」
ロイズはとても素直だ。こういう時に誤魔化したり嘘はつかない。だから私はロイズの謝罪に苦笑いした。
「……でも、こういう心配するような気づかいはして欲しくないんだ。ちゃんと俺もやるから、のけ者にしないで」
まるで幼子のような頼りない顔に、私も少々意地を張りすぎていたと思い、謝罪の意味を込めてぽんぽんと頭を軽くたたいた。それにしても道行く人が振り返るレベルの美形が半泣きになると色んな意味で心臓に悪い。
「分かったわ。それにしてもよく分かったわね」
「レインから薔薇の砂糖漬けの匂いがして、置いてあった薔薇の砂糖漬けがかなりなくなっていたから。絶対他の妖精に配って、何か情報集めていると思ったんだ」
「……犬並の鼻ね」
薔薇の砂糖漬けは妖精のお客様用に作ってあるものだけど、今日は客はいなかったのだから不審に思われても仕方がない。さらにこの薔薇の砂糖漬けは、ロイズの好物でもあるのだから、おこぼれを狙っていたのなら余計に気づきやすかっただろう。
私は負けを認めため息一つ落とすと、こんなことになっている原因でもある今日の昼間のできごとを話す事にした。
「実は昼間に会った、クレアという少女に不信感があって妖精に頼んで情報を貰ったの。でも、やっぱり私の勘は正しかったわ。クレアはお母さんが病気と言っていたけれど、あの子の母親は一ヵ月も前に死んでいるの」
母親が死んでいるのに、母親は病気だと偽った。そして父親の言葉を出さなかったところ見ると、父親はいなくて彼女にとっての親は母親だけなのだろう。人間は簡単に死ぬので、片親だけという子供は元々多い。
「それで見に行くと」
「ええ。海に真珠がないか調べに来てたのが気になってね。孤児の子供に宝石をねだる妖精ってねぇ……」
あり得ないでしょと言外ににじませれば、ロイズが苦笑した。妖精は契約者が金持ちの子供ではないのと分かっていて契約を結んでいるはずだ。
「クレアの独断でというのならば問題ないでしょうけど。とりあえず、実態を確認するために、妖精の粉をふったシーグラスを渡しておいたから、家までの道は分かるわ。この目のおかげで」
そっと私は、眼鏡の下に隠れている緑色の目に触れる。
この緑の瞳は、本物の妖精の瞳。妖精の瞳は魔法の痕跡も見ることができるし、契約をしていない妖精も見ることができる。
「それを使いこなせるのが稀だと思うけどな」
そんなロイズの言葉を聞きながら、私達は光の道をたどった。
走っていくと、少女の家は、貧民街だということが分かった。光の道筋はボロボロの長屋に続いていた。
「これはまた、年代物の家だな」
ロイズの素直な感想に、私も頷く。貧民街ではあるけれど、この家はさらにボロボロな気がする。まるで、廃墟だ。
窓からうっすら光が漏れているが、ランプという感じではなく、ろうそく程度の光量だ。私はその光の漏れ出た窓をそっと覗いた。
「――っ?!」
その窓からのぞき見たものを見た瞬間、口から悲鳴がこぼれそうになる。それを慌てて手のひらで押さえ座り込んだ。
そこから見えたのはベッドに横たわる枯れ木のような女性に、何かを話しかけるクレアだった。クレアを見れば、ソレが彼女の愛おしい存在である事は分かるけれど、おぞましいと思ってしまう。
けれどその言葉は、クレアを大きく傷つける言葉だ。私は感情のままに叫ばぬよう、息を吐く。
そして心臓が少しだけ落ち着いたところで立ち上がった。
「大丈夫か」
「うん」
ロイズの気づかいに私は頷いた。……私のやるべきことは決まった。
私は家のドアノブを回し中に踏み込んだ。思った通り鍵がかかっていない。そもそも鍵などクレアも持っていないのだろう。
「クレア。ソレから離れなさい」
「えっ?! レイン? どうして……」
クレアは私の顔を見て動揺をしたようだが、次の瞬間その目に憎しみの火を灯して私を睨みつけた。
「妖精が言っていたのは本当だったのね。いい人だと思ったのに」
「何を言われたの?」
「妖精は貴方が闇の妖精だと言ったわ! 私達を騙しに来たんでしょう?!」
どうやら妖精の粉の所為で、クレアに憑りついた妖精に警戒を与えてしまったらしい。
「私は闇の妖精でも妖精でもない、ただの人間よ」
「嘘つき! だったら何でただの人間が、私の家を知っているの?!」
後をつけたなどの方法だってとれるだろうに、少女は頑なに私が闇の妖精であると思い込んでいるようだ。
「クレア、聞いて――」
「あーあ。人の家に勝手に入ったらダメなんだ」
私が何とか誤解をとき話を聞いてもらおうとすると、ロイズがのんびりとした口調で話した。
「今はそんな事を言っている場合じゃ――」
「ここ、君の家でもないでしょ? この家からは君の思い出の匂いがしない」
ロイズの言葉にクレアもキョトンとした顔をする。普通の人間は【思い出の匂い】でその所有者であるかどうかを見極めたりしない。
ロイズが場違いな美形なのも相まってクレアは混乱したようだ。
しかし言葉を一瞬失ったクレアとは違い、枯れ木のような女性はカタカタとゆれた。
「おかあさん?」
「クレア、まずはソレから離れて。ソレは闇の妖精が作ったフェッチ。ただの樹の人形だから」
「何を言っているの?」
「クレアのお母さんは先月亡くなったんだ」
妖精に薔薇の花びらの砂糖漬けを渡す代わりに貰った情報では、クレアの母親は先月亡くなっていた。病死ではなく、他殺で。クレアの母が付き合っていた男性は、とても暴力的だった。
「嘘、嘘、嘘っ!! 貴方、やっぱり闇の妖精なのね!!」
クレアは近くに置いてあった果物ナイフを私の方へ向けた。
「クレア。そんなことしないで。貴方の魂が汚れてしまうわ」
「魂なんて、見えないじゃない!! 嘘つき!!」
クレアは刃物を向けて私の方に突進してきた。私は刺されても止めようと身構えるが、その前にロイズが走りクレアの手を捕まえ床に押し倒した。
その拍子にナイフが弾き飛ばされる。私はそれを遠くに蹴った。
「お前が闇に堕ちても俺は一向に構わないけれど、レインを傷つけるのは駄目だ。いいか、その目をかっぴらいてよく見てろ」
ロイズがフェッチに向かって手をかざした瞬間、フェッチが砕け飛んだ。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。おかあさん、おかあさん、おかあさんっ!! この人殺し!! はなせ、はなせってばっ!!」
ロイズを振りほどいたクレアは、こちらに攻撃してくるのではなく、フェッチの残骸に縋りつく。
「そこはちゃんと無精がらずにやりなさいよ……」
クレアの目には、あのフェッチが母親に見えているのだ。だから私はその魔法を解くため、妖精の粉にふっと息を吹きかけた。次の瞬間、少女の目にもソレがようやく枯れ枝に見えたらしい。
「ひっ。嫌あああああああああっ!!」
「ほら、どっちにしても悲鳴をあげるじゃん」
枯れ枝から手を離し絶叫するクレアを見て、ロイズはそれを心配する素振りも見せず、肩をすくめる。この人でなしと言いたいが、正しくロイズは人ではないのだ。
「でもまあ、胸糞が悪いのは間違いないけど。本当に、闇の妖精って奴は。こっちの神経逆なでしてくれる」
そういったロイズの髪がありきたりな茶髪から金色に変わる。姿は大きく変わっていないはずなのに、世にも美しい青年がそこには立っていた。
「妖精王の御前だというのに、隠れるのはないだろ。闇の妖精だろうと、俺が妖精王であることには変わりない」
「よ、ようせい……おう」
クレアが悲鳴を止め、呆然と光り輝くロイズを見た。
「クレア、貴方が契約したのは闇の妖精なの。闇の妖精は最初はシーグラスでも満足したふりをするかもしれない。でもそのうち本物の宝石を望んで、貴方に盗みをさせるようになるわ」
呆然としているクレアに私は闇の妖精の手口を説明する。彼らは妖精とは違い、とても厄介な存在だ。
「でも闇の妖精の本当の目的は宝石ではないの。彼らはキラキラしたものに、それほどの価値を見出したりしない。彼らが好むのは魂の腐敗する臭いや、魂が壊れる音、そして増していく闇や残虐性を見るのが好きなの」
金などで解決する相手ではない。だから厄介なのだ。彼らの声に耳を傾けたら、もたらされるのは身の破滅だ。
「なあ。クレアだっけ。お前、本当は母親に虐待されていたんだろ」
ロイズの言葉にビクリとクレアが震える。
「優しい親が欲しくて、闇の妖精を呼んだんだ。母親を生き返らせたかったんじゃなくてな」
「ロイズ」
真実かもしれない。
妖精王は、過去を見る力があると言われているから。でも真実を突きつけることが幸せであるとは限らない。
「まあ待て。確かに、親は選べないからな。自分が望む親が欲しくなる気持ちは分かる。でもな、このままだとお前もあの親のように腐っていく。ああなりたくなければ、前を向け」
ロイズの言葉は厳しいものだ。
でもクレアの心を気づかった言葉だった。
クレアの頭を撫でるロイズの目はこれでいいんだろと言っていた。私はそれに頷く。
次の瞬間、少女の中から靄のようなものをロイズは引っ張り出した。それに私はふっと妖精の粉を振りかける。妖精の粉を振りかけられた闇の妖精は地面に転がった。妖服を作る要領で、時間を固定したのだ。とはいえ、妖精の粉には傷つけるような力はない。
だから私ができるのは、ここまでだ。
「さあ、裁きをしよう」
ロイズが一言そういえば、半透明な巨大鎌が出現した。まるで繊細なガラス細工のようだけれど、そうではないことを私はこの目で何度も見ている。
ロイズが指を一振りした瞬間、鎌は無慈悲にその首を下へと落とし闇の妖精を切り裂いたのだった。
◇◆◇◆◇◆
「ロイズ。助かったけど、もう少しクレアに優しくできないものなの?」
一応一通りの作業を終えた私達は私達の家兼仕事場である妖服屋へと向かった。既にロイズの髪は私と同色の茶色に戻っている。場違いな美形ではあるけれど、先ほどのような人外じみた美形ではない。
「十分優しくしたさ。レインに刃物を向けたけど、殺さなかっただろ?」
「……そもそも殺すとか言わないでよ」
優しさを発揮しなかったら殺していたとか、頭が痛い。
とはいえ、妖精は自分のしたいことを優先する傾向が強い。だからこれでも十分ロイズが人間の世界に気を使ってくれているのは分かる。
妖精は理由があれば容易く人間を殺す。人間が虫を殺すのと、似たような感覚だろう。ただしそんな事をしていけば、人間の世界は大混乱になり、妖精との関係は悪化する。
うん。ここはクレアが殺されなくて、良かったということで止めておこう。
「というかさ、レインが甘いんだよ。特に子供とか。刃物向けられたのにそれを内緒にして、クレアをわざわざ孤児院に送り届けたりとかさ」
「人間はそういう風にできてるの。あと、闇の妖精に関わっている時の精神状態は通常とは違うんだから、とやかく言わない」
ぶーぶーと言われても、人間という生き物がそうできているのだと思う。というよりは人間の世界の生き物がだろうか。赤子は基本的に大人が可愛いと思う姿をしている。それは力の強い者に害されず無事に成長する為のシステムだ。妖精の様に生まれた時から様々な事が一人でも可能な種とは違う。
「レインはさっき会ったばかりのクレアより、俺に優しくしてくれていいと思うんだ」
「あのね。誰の為に闇の妖精を調べていると思っているのよ。……まあ、今回も空振りだったけど、そもそもはクレアの為ではなくて、ロイズの為なんだから」
私は十分優しくしていると思うのに、子供相手に本当に大人げない。
「別にさ、俺はこのままでも構わないし、そんな積極的に闇の妖精に関わりに行かなくてものんびりとでいいんじゃない?」
あくまで他人ごとな雰囲気にプチっと私の中の堪忍袋の緒が切れた。
そもそも、今本当に嘆くべきなのは私がクレアを優先した事ではなく、ロイズの【妖精の羽】が見つからなかった事のはずなのだ。
「誰の妖精の羽を探してると思ってるの?! 妖精の羽がなくて困るのはロイズなんだからね!」
なくて困るのは誰なのか。今一度心に問いかけて欲しい私は、ロイズを怒鳴ったのだった。
◇◆◇◆◇◆
そもそも、私とロイズの関係はあまり一般的ではない。妖精と人間で契約関係を結んでいるということはさほど珍しくないけれど、契約前に私達が【妖精の取り換え】をされた仲というのは、自分以外では聞いた事もない。
そう。私はロイズと取り換えられ、妖精の世界でずっと暮らしていた人間だ。
何故私とロイズが取り換えられることになったのかは、実は妖精の世界にいる時に割と早めに育ての親である妖精に教えてもらっている。
実はロイズは生まれて間もない頃に【魔】に刺され、【悪鬼】に寄生されてしまったそうだ。大人の場合悪鬼に寄生などされないし、たとえ寄生されても追い払えるが、生まれて間もない子供は違う。更に悪鬼に寄生されると魂を徐々に浸食され、闇の妖精に堕ちる。
子供が悪鬼に寄生された場合、唯一助かる方法が人間の世界に行くことだ。除去できなくても、人間の世界では悪鬼は活動できない。
しかし妖精が人間の世界に行くには様々な条件がある。それに人間界で闇の妖精に目を付けられた場合、弱い子供は結局闇の妖精に堕とされる可能性が高い。
だから人間に擬態ができる、チェンジリングと呼ばれる方法を使ったのだ。妖精の子を人間の子とする代わりに、人間の子を妖精の世界で育てる。これにより妖精の赤子は人間に擬態できる上に、育ての親も得ることができる。
ただしこのチェンジリングは誰でもいつでも簡単に行えるものではない。更にチェンジリングをすると古来からの制約に従わなければならない。
その一つが、自分の子供が人間の親にされたことを、取り換えられた人間の子供も同様に行うというものだ。だから妖精はロイズ達家族を見守り、私にも見せてくれた。
幸い、私の実の親はとても善良でおおらかな人間で、ロイズを可愛がることはあれど、虐待することもなかった。ロイズは妖精なので人間とは違う行動もとる。でもそれをまるっと受け入れていた。
おかげで、妖精の親は私に対してできる限り心を配ってくれた。
それでも私も無条件で大切に扱ってくれるのは妖精の親だけで、周りは違った。人間である私は成長が遅く、飛ぶこともできず、魔法も使えない。更に見目も妖精と比べると劣る。
彼らはそれを歯に衣着せず指摘する。何故、できないのかと。
それが悔しくて悲しくて仕方がなかった私は次第に親以外の妖精と会わぬよう、部屋に引きこもるようになった。その為妖精の親は、少しでも私を元気づけようと、私でも使える妖精の粉で魔法を使う方法を教えてくれた。
妖精の粉の魔法など、妖精にとっては子供のおもちゃだ。それでも私はとても嬉しくて、妖精の親の役に立ちたくて妖精の粉と花を使って妖服を作りプレゼントした。すると彼らはとても喜び、さらにその出来栄えを褒めた。私が恥ずかしくなるぐらい大袈裟に。
でもそのおかげで自信がついた私は、他の妖精にも妖服を作るようになった。すると親だけではなく彼らもまた褒めたたえた。
実は妖精は成長が早く魔法も得意だが、気がそぞろになりやすく一つのものに集中すると言うことが苦手だったのだ。更に妖服を通して妖精と関わるようになってから、妖精はとても素直で思った事をそのまま伝えてしまう質であることを知った。
つまり私に『何故できないのか』と言ったのは、嫌味ではなく本当に純粋な疑問だったのだ。
どうやら人間と妖精は様々な面で違うことを知った私は、私とは反対に人間の世界で暮らすロイズが大変ではないかと思うようになった。実際私が思った不安は的中しており、両親はロイズを可愛がっていたが、周りにはロイズを気味悪がる者もいた。
ロイズに悪意が向けられる度、私は自分の事のようにロイズを応援するようになった。そして人間界では生活していないけれど、人間の気持ちが分かる私は、ロイズに助言も送った。聞こえないだろうとも思ったが、時折ロイズに届いている気がしたのだ。
ただ気味悪がられたのも子供の頃までで、成長したロイズはとても美しい青年となり周りは放っておかなくなった。しかし悪意がなくなったわけではなく嫉妬されるようになる。その為妖精であるロイズは、周りとの齟齬に次第に疲弊する姿を見せるようになった。
「お父さん、お母さん、話しがあります。ロイズが大人となり、悪鬼に怯えなくなったら、もう一度私とロイズを取り換えて下さい。多分ロイズは妖精の世界の方がいいと思います」
「レインだって、妖精の世界で馴染んでいるのに、いいのかい? 妖精の粉があれば魔法だって使える」
「そうですね。でも私はロイズには本当の笑顔でいて欲しいと思ったんです」
妖精の両親に自分の素直な気持ちを伝えると、彼らは泣いた。そして私に一つの魔法をかけた。
「お前がいつでも必要な時に必要なだけ妖精の粉が取り出せる魔法をかけよう。この魔法があれば、レインはたとえ人間の世界に行っても魔法が使えるよ。そして妖精たちにはレインの妖服作りの腕を沢山宣伝しておくよ。そうすればきっと人間の世界でも妖精から仕事が来るはず。仕事をすれば、人間の世界でも食うに困らない生活ができるはずだ」
こうして私は、人間の世界でも妖精の粉が無尽蔵に使える人間となった。
そして月日が流れ、ロイズの羽化が始まった。妖精は背中に羽が生えれば大人だ。それは唐突に始まり、ロイズを一気に変えた。人間の中では目立つ外見だったが、擬態がはがれより美しい姿になったのだ。そして羽が生えたロイズの元に妖精が行き、彼が何者なのかを説明した。
これでロイズは幸せになれると思ったのだが、突然自分が妖精であると突きつけられた現実を受け入れられず、背中の羽をちぎり床にたたきつけてしまったのだ。
更に運が悪いことは続いた。ロイズの前に闇の妖精が現れ、ロイズの羽を盗んでしまったのだ。
妖精の羽は魂の一部だ。それを失えば魂が欠けて、闇の妖精に取り込まれやすくなる。
ロイズのピンチに私は血の気を失い、オロオロとその場をうろついた。ずっと見守って来た、大切なロイズのピンチなのだ。
そんな時だった。
私はロイズに召喚された。どうやら、妖精の羽を失ったロイズは闇の妖精に無理やり契約させられないように、誰かと契約する必要があった。しかし自身の気持ちは別として、妖精であるロイズは同じ属性である妖精とは契約ができない。だから一時しのぎとして、人間だけど妖精の世界で育った私と契約をすることにしたのだ。
こうして私はロイズが自分の羽を取り戻すまで、彼と契約することとなった。