おにぎり
私はおにぎりが嫌いだ。
いな、コンビニやスーパーに並んでいる綺麗にラッピングされた三角形のおにぎりは好きだ。
自分や家族が握ったものが嫌いなのである。
その理由の最大の要因が母だ。
年に二回、父が何かしらのイベントで一日町内に駆り出される日があった。そんな日は、一日箱詰めで外に出る事も休憩程度と中々過酷な日程である。
多分本来は、弁当をサービスしてもらうものがあったのだろうが、私が何かを意識する頃には既に母が昼と夜に大量の弁当を差し入れして持って行っていた。弁当とはいったものの、それが父だけの分であれば何も文句はない。優しい妻だな、としか思わなかったが、そのイベントに駆り出されている人達全員が食べられるほどの量だ。人数にしてザッと十人前後。
弁当屋でも惣菜屋でもない、ただの一家庭が作るには中々ハードな量だと思うのだが、母はその日を大変楽しみにしていた。
朝から晩まで、散々様々なおかずを作り上げ、大きなタッパーにおかずごとに入れていた。
母が一人でつくって持って行く。
それならば、それもそれで問題はない。私は、町内の学校にも通っていなかったので後ろ指を指される様な事は一切ないのだ。
だが、母は恐らくは作るものの中で一番面倒というか辛い思いをするおにぎり作りを私に任せた。
母曰く、私が一番綺麗におにぎりを作れるから、というものだ。
ある程度冷めた米でさせてくれるならば良いのだが、炊飯器を少しでもはやくあけたいという理由から、母は炊きたての米でおにぎりを作らせた。
当時、小学生だった私は最初のうちこそ「嫌だ」と抵抗を示した。
炊きたての米でおにぎりを作ったことがある人ならば分かると思うが、本当に熱い。火傷するほどではないのだが、本当にするのではないか?と思うほどの熱さ。まして、当時は年齢も一桁で我慢をすることもできないほどだった。
しかし、子供のわがままを母が許すわけもなく、急激なヒステリックな叫び声にCに諭されおとなしくおにぎりを作った。
たった年に二回とはいえ、約十年続いたそれは、今でも心の奥底に沈み込んでいるようで、今でも自分でおにぎりを作ることができない。
冷めた米だとしても、どうしても茶碗によそってしか食べることができないのである。




