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自我

物を買う時に、何を基準に買うだろうか。

欲しいか欲しくないか、価格、有名かどうか、色々な基準が人によってあると思う。

私は自分がアダルトチルドレンと自覚するまで、欲しい物を買うこともできなければ、一人で食事もできなかった。


他人とどこかに行くだとか、何かを食べるといった際には遠慮なくお金を使うことができる。お揃いの何かを買おうだとか、何を食べようと言われればすぐに頷くのだけれど、どこか雑貨屋を見て、友達がこれを買うといった際に私は買おうと言えない。欲しくないわけではない。欲しいと思っても躊躇してしまう。


最初に買うという行為でいってしまったが、何も買う以外のことでも自分で選ぶことができない。

人と一緒にどこかに行く。何かを食べる。指示をされて働く。

そういった、他者の指針がなければ何もできない。

それは自分で選ぶことがなかった人生だったということもあるし、何かを選べば拒絶されてしまっていたからだという経験に基づくものだ。

無意識の部分で、自分が選び、自分から行動することに躊躇いが生じている。

そんな私は、他人を遊びに誘うこともできなかった。

全てが受け身な人間が、いつまでも誘ってもらえる状況などよっぽど奇特な人と出会うか、自分が魅力的でなければならない。

しかし、どちらともなかった私は次第にどこにもいかず、ただただ生きて学校へ通う日々を過ごしていた。


そんな折に、就職活動で過去を否定され、疑問を持ち始めたことで、自分で自分の選択をしても良いのだと気付き始めた。


今でも、時折かつての選ぶことができない自分が現れて、買いたい、欲しいと思ったにも関わらず購入することができないこともある。それでも、少し前の自分に比べたら一歩ずつ自我が芽生えている気がしている。

まだまだ一人で歩き始めて数年のひよっこだから、まだ少しだけかつての自分に甘えてもいいのではないかと甘やかしながら、選べるようになっていこうと思っている。

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