Cの転職活動②
C以外の兄弟は、全員最終学歴が大卒。
上の兄弟ならともかく下まで大学に行ってしまうと、元々学歴コンプレックスの凄まじかったCはもっと卑屈になる。
正直、私は大学に行きたかったわけでもない。多分Cも行きたいわけではないのだけど、それでもかわれるならかわりたいとさえ思うほどに卑屈だ。
ともかく、Cが学歴コンプレックスでうじうじとしている間に、私の就活が始まってしまう。
経ってしまうとはやいものの、Cが高校を卒業し、何もせず家でPCを触り続けている日々に私は高校入学と卒業、大学進学、就職活動まで進んだのだ。
Cは前述するリハビリのような場所へ通い始めた。
なんだかんだ人とのコミュニケーションは比較的上手いC、結構上手くやれていたようだ。
しかし、それはあくまで中学までのフラットな状態のことだった。
リハビリといってもドクターの様な人がいたり、リーダーがいたり、多少なりとも上下関係は存在している。
十年弱家族以外とほとんど接していなかったCは、その意識が欠如していた。
大きいというわけではないものの、人間関係にいざこざが生じ、逃げる形でやめたらしい。
最後に挨拶くらい、といったAの言葉も無視し、父母は愛するCに、最後まできちんといったなら大丈夫といって終わった。
そこから少し経って、新しい場所を見つけてきた。
半年ほど働いてみたものの、次第に上を目指す思考が芽生えたのか、はたまた母に何か言われたのか…
ともかくCは再度転職活動を試みる。
まず、ハローワークで大量の求人を印刷した。
自分なりの要望と照らし合わせる作業を家で行う。
「やっと、Cも前進だね」
母はいう。
きっと母は思いもしないだろう。
Cがなぜ、照らし合わせる作業を、印刷前に行わなかったのか。Cはただただ母に褒めてもらいたい一心だった。
きっと今働いているところが嫌だと思う点もあったのだろうが、それ以上に、母に認めてもらわなければ存在価値がないとさえ思い込んでいる、思い込まされているCは必死にアピールをした。
Cはいくつか絞って見学をしてみることにしたらしい。
当日の朝、母はメモで「大丈夫。大丈夫」と書いていた。
何がなのか、全くわからない。ただただ、私が仮に書かれていたとしたら無言でその紙を捨てたと思う。
そのくらい、母の大丈夫に振り回された記憶しかない。
見学をしてきたCは「やはり、転職はやめる。だけど、それを母に言うのが怖い」そう告げてきた。
前進したと、嬉しそうに話した母の期待に応えられなかったことが悔しいのだろう。
けれど、私は、それ以上に自分よりも年上の兄がいまだ母に囚われている事が悲しかった。
「弱い息子で、ごめん」
期待に応えられなかったCが、いった。




