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Cの転職活動

以前、Cに関して一番かわいそうだと思っていると書いた。

最近再度痛感する出来事があった。


その前にお伝えしておくと、我が兄弟はAとCはきちんと精神的な意味での病人である。

Aは十五年選手、Cも多分そろそろ十年選手になった気がする。

そんなCは、普通のタウンワークなどで募集しているバイトでは続けることができない。何せ確認作業が多く、大抵の事は所謂病人ではない人からするとイライラされてしまうからだ。

一向に作業が進まず、それで良い場所であれば良いが、そういうわけにもいかず、大抵一ヶ月と保たずに罪悪感などからやめてしまう。


今は、そういった所ではなく、病気の方がリハビリがてら通う場所へいっている。

きちんとお金も貰えるらしく、私が極稀に帰省すると嬉しそうに

「何か買おうか?」

といってくる。

だが、フルタイムで働いているわけでもなく、ましてやそういったリハビリの場所は中々給料が低い。


Cは、社会人の私、もしくは大学生時代のバイトの月収よりも低い金額しか稼いでいないわけである。

しかし、Cは良くも悪くも変わらない。そのため、私の方がCよりも稼いでいると認識はしているものの、感覚として残っていないのだと思う。だからこそ、それくらいならできるよ、と自慢げにいってしまう。

そんなCを、気持ちとしては馬鹿にしているわけではないけれど、「それくらい払えるよ」と拒否しない自分は、もしかすると馬鹿にしているのかもしれないと思う。

それでも、Cが自分で稼いだお金を、自尊心を満たすためかもしれない、下の兄弟に何かしてやりたいという気持ちからかもしれない、本心は分からないが何かしようとする気持ちを受け取らない事ができないでいる。


Cも病気になってすぐに働き出したわけではない。

高三になってから毎年、母は、センター試験や大学受験をしないのかと聞いていた。

受けたのは確か五年間で二回だけだったと思う。

高三の年と、私が高三の年。


課題は真面目にこなすものの、自分の実力となるほどに真摯に取り組んでいたわけでもないCが、大学受験がうまくいくわけもない。

まして、母はある程度のランクを求める。

実力と母の理想の乖離が、更にCの狂いに拍車をかけた。


私が大学生となった年、やっとCは解放された様だ。

母は、私がそこそこの大学に行った事で満足したみたいで、Cに何かを言う事はなくなった。

といっても、Cの学歴コンプは凄まじいものになっているが。

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