宗教家②
それでも決まらない。
しびれを切らした母は、また通う。
きっと金になると判断したのだろう。とある提案がなされた。
確かに、母は思い込んだら湯水のごとく金を使う。勿論自分がしたいことに対してのみだが。父はそれに反論しつつも最終的には金を出す。
多分めんどくさかったのだと思う。
何せ、母はキレると物を壊すし、ヒステリックになって家の空気が悪くなる。
そんな相手をしたがる者もおらず、結局父がなぐさめる役割を担わなければいけない。
となると、早々に金を出しておいた方が楽なのだ。
私の家は一軒家。田舎の方のため、無駄に横広で、微妙に土地は余っていた。
その余っている土地に、水と地と何かの神を祀った祠?社?ともかく何か良くわからないが拝む様の何かを作った。きちんと、その宗教家による祈祷もなされ、庭の余った部分に、そこに備える様の榊の木も植えられた。
私が唯一感動している事といえば、存外榊の木の生命力が凄さ。
我が家の家族は全員、飽きっぽい。家の中であればまだAは続けられるのだが、家の外で行う事になるとだれもが続けられない。
榊の木は庭に植えられ、勿論水やりや時には肥料なども与えなければいけないだろう。だが、飽き性な我が家のだれ一人、世話をする事はなかった。それでも、榊はきちんと葉をつけていたのだから、生命力が素晴らしいのだろうと推測する。
その祠のような何かは、恐らく石、設置、祈祷の費用諸々を考えると七十万はくだらないんじゃないか、と思う。
それを作る母も母だが、面倒とはいえ了承する父も何とも面白いものだ。
そんな宗教家との日々も突如終わるを告げる。
年老いていた彼女も、流石に一日いろいろな人の話を聞く事が難しくなってきた様で、もう終わりだという事になった。
心の支えを失う事になる母がまた面倒な事になるのでは?そう思ったものの、代わりに支えになるだとか探してくるだとか、そんな謙虚さは兼ね備えていない。




