チョコは、甘い恋が好き? 02
就職は、その成績の良さで、一流ホテルのパティスリー部門に就職できた。やはり、あさ美はすごい。一流のパティシエに囲まれて、毎日、楽しいだろうと,祝福していた俺だが、休日がずれてしまって、会う機会もないだろうと思っていたのに、あさ美は、5月の連休明けの平日の夜、
「おばさん、浩紀いる?」
と、やってきて、
「今日は、ガトーショコラ作ったの。試食してみて」
と、今までと何ら変わることなく、俺に試食を促すのだ。その眼が、キラキラと「うまい」と言うことを期待しているようだ。
確かにうまかった。俺も、最初はあきれていたけど、もう、5年だ。こんな関係も良いんじゃないかと、
―あさ美が勝つ日まで!-
と、姉の婚活を応援する弟のような気持になっていた。それなのに、恋は一向に実らない。
―なぜだ。なぜなんだ。-
俺は、毎月、チョコの試作品を食べさせられてきた。最近の物は、本当に美味しい。
その甲斐あって、と言うのか、連敗は続いていたが、5年ほどで、ル・モンディアル・デ・ザール・シュクレで入賞できた。そのことを、パリから、あさ美の電話で知った。
「浩紀!」
「ル・モンディアル・デ・ザール・シュクレに入賞した!」
「るもんである 何?」
「ル・モンディアル・デ・ザール・シュクレ!」
「何時だと思っているんだよ。まだ、夜中の4時だぞう(泣)」
「るもんでも、さもんでも、いいよ。とにかくおめでとう、あさ美」
「うん。ありがとう。あと、ごめん。すぐに伝えたくってさ。おやすみ」
「おやすみなさい」
俺は、寝ぼけたまま、電話をきったけど、目が覚めてしまった。それから、慌てて、ル・モンディアル・デ・ザール・シュクレが何なのか、ネットで調べて、あまりの大きな賞だったことに興奮した。
朝、大学へ行く前に、あさ美のお袋さんと親父さんにおめでとうを言っておこうと、寄ったんだけど、二人がまだ、このことを知らないみたいだったから、
「あさ美、何時、帰ってきます?」
と、別な質問をして、退散してきた。
「俺、この10年、試食、頑張ったからなあ、それへの敬意を示してくれたんだろう。」
「この心遣いを、好きなやつに出来ているのかなあ」
「そこが、足りないんじゃないか。こんど、言っとこう。うん。」
一人で、納得して、ちょっと得意になって、あさ美が帰ってくるのを待った。
その後、ホテルには、あさ美の名前で、お客が来るようになって、前よりももっと、忙しくなっていた。それでも、やはり毎月の試食は続いていた。お目当ての男はいるらしい。そして、どんなに忙しくても、乙女心は、より燃え盛るらしく、美味しいチョコを作くることに、闘志を燃やしていたのに、10月に入ってホテルを辞めた。なぜだと聞くと、
「なんか、益々、忙しくなって、テレビにも出ろとか言われて、浩紀にチョコ食べてもらえなくなりそうだったから。」
俺は、息をのんだ。
「あさ美、おまえ、なんの為にホテルに勤めたんだよ」
「えっ、美味しいチョコを作るためだけど」
「そうだけど。男、恋しい男作るんだろ。ホテルでさ」
なんで、俺が悲鳴を上げているんだ。
「う―ん。でも、ホテルじゃなくてもいいよ。恋人は。」
「アホか!」
疑問は、確信に変わった。
―あさ美は、恋をしていないのだ。―
きっと、そうだ。6歳の女の子が、白馬の王子様にあこがれているように、恋に恋しているだけで、誰かに、本物の切ない恋をしているわけではないんだ。そこに気付かない限り、この先もずっと、絵本の王子様のために、チョコを作り続けてしまう。
本当の恋を体験させてやりたい。心配だ!このままだと、ウエディングドレスを着る前に、婆になってしまう。幼馴染として、それだけは、回避させてやりたい。と、やきもきしていた。
それがだ。今年は、一向に、バレンタイン用のチョコの試食が無い。いつもなら、うれしそうに、もじもじとしながら、
「浩紀、試食してみて。」
と、頬を上気させて、真剣に、聞いてくるのに。変だなあと思っていたけど、今日、気づいた。今、現在、あさ美の周りに、男がいないのだ!学生時代も、ホテル時代も、周りには男性が多かったが、今や、厨房にも、あさ美一人。お店の店員さんたちも、女性ばかり。
―良いのか、悪いのか?―
―いや、これで良いんだ。―
一度、男のいない世界で、落ち着いて、「恋愛とは」と考えたほうが良いんだ。うんうんと一人でうなづきながら、厨房へ向かった。
厨房へ行くと、あさ美が、ナイスミドルな男と話をしている。
―誰だよ?―
警戒警報が、心でなった。
―あさ美は、少し、ちゃんと考える時間が必要なの!―
―誰だよ!―
睨んでいる俺に気付いた男は、丁寧にお辞儀をして、
「あさ美さん、では、後日、伺います」
「ありがとうございます。また、よろしくお願いします。」
男はもう一度お辞儀をして、裏口から出ていった。
「誰だよ?」
「ケーキの材料を頼んでいる、食品会社の社長さんよ。」
―まさか、あの男が、今年のバレンタインの男になるのか!―
初めて、ズキっと心臓の痛みを感じた。今まで、あさ美の思い人に会ったことがなかったせいだろう。自分に言い聞かせて、改めて、あさ美の顔を見た。今までの「夢見る少女の」ような、浮かれた感じではないことに、なぜか心が騒いだ。
―なんでだよ。いい人そうじゃないか-
現実の恋に目覚めたあさ美なら、うんと応援してやらなきゃならない。
呆然としている俺に、あさ美の声が聞こえた。
「浩紀、あなたに食べてもらいたいの」
「えっ? 試食? 今日かよ! 遅すぎだろ?」
「これ、浩紀の為のチョコだから」
そう、言いながら、じっと出来上がったチョコレートを見ていた。そのまなざしには、いつも以上に、いつくしむ様子がうかがえた。俺の、心臓が飛び跳ねた。
―えっ? えっ? 俺、どうしたんだ?―
ジワリと額に汗が浮かんだ。その俺を覗き込むようにして、あさ美が言った。
「浩紀、好きなの、私の恋人になって」
「俺?」
「オレー!?」
「あさ美の周りに、誰も男がいなくなったからと言って、それはおかしいだろ!」
「もう少し、考えろ! あさ美!」
「いやいや、さっきの男もいるぞ。」
「じゃあ、二択かよ?」
「二択で、俺か?」
暑くもない厨房で、大汗をかきながら、猛獣のごとく行ったり来たりしている俺を笑いながら見ていたあさ美が言った。
「10年たって気づいたのよ。私の王子さまは、10年前から隣の家にいたことを」
「えっ? えーーーーーーーーー!」
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第33回 チョコは、甘い恋が好き? と検索してください。
声優 岡部涼音君(おかべすずね♂ )が朗読しています。
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