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ネガポジ  作者: 猫野ミケ
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有馬莉愛Ⅰ

 何でそんなことばかり言うんですかね……。

 トイレって声がよく響きます。

 でも聞こえて来るのは、最近の流行りとかTVの話題なんかじゃなくて、私への中傷や罵倒の類いでした。

「あいついつも昼になったらどっか行くけど、誰も一緒に昼食べてくれないのかな?」

「自分が特別とでも思ってるんじゃない? 鏡とかいちいちチェックしてそう」

「キモ。自分が一番可愛いとか思ってんじゃない?」

「あはは、思ってそー。友達一人もいないぼっちのくせにね」

 狭い個室に閉じこもりながら、嘲笑混じりのそれらを私は聞き流していました。

 この人達もずいぶん暇ですね。

 わざわざ私がいる場所を探して、聞こえるように私の話を昼休みの度にするんですから。

「あ、いっけなーい。間違ってバケツ倒しちゃったー」

 言葉と共に、床のタイルを這うようにして、ドアの隙間から水が流れてくる。

 倒したというわりには焚き火でも消すかのような勢いで、上履きが水浸しになってしまいました。

「あー、風で雑巾がー」

「あははは、やりすぎー。そろそろ行こうよ。誰かさんが便秘でずっとトイレ篭ってるみたいだし」

 足音と共に、彼女達の笑い声が遠ざかっていく。

 私は投げ入れられた二枚の雑巾を取り払って、ため息をついた。

 迂闊(うかつ)でした。

 二枚同時に飛んできたせいで、避けきれず一枚がお弁当の上に乗ってしまいました。

 まだ半分も食べてないのに。午後はお腹が減りそうですね。

 こんなに残して帰るとお母さんが悲しみそうなので、お弁当の残りはやむなくトイレに流すことに。

 好物のアスパラベーコンが水に浮いて、なんだかとても罰当たりで勿体ないことをしてるような気になりました。

「また場所を変えなきゃいけませんね」

 私のせいじゃないと、運が悪かったのだと、言い訳のように一つ呟く。

 色々なトイレを徘徊する幽霊、そういえばそんなのいましたね……。


 私はトイレを出ると、そのまま屋上へ向かいました。

 厳密に言えば屋上は解放されていないので、その扉の手前の小さなスペースが目的地です。

 私たちがいる校舎は一年生しかいなくて、まだ入学してから間もないためあまり他の生徒には知られていないみたいです。

 私はお昼を済ませると大体ここに来るようにしていました。

 お昼も最初からここで食べればいいと思ったのですが、あの子達が私を探してしまうので、下手に探させたくありませんでした。

 お気に入りの場所だったし、ここを発見されて溜まり場にでもされたら困ってしまうので。

それなら、昼食はわざとトイレに限定して回り、ある程度分かりやすくしておいた方がいいように思えました。

 というのも、実はこの場所には私より先に先客がいたからです。

 生徒ではなく、人間ですらない、燕の親子でした。

 窓を開けるとまだ幼い雛の鳴き声が響いてきます。

 建物から突き出した雨避けと雨樋の隅に巣が作られていて、覗き込むように顔を出すとそれがよく見えます。

「こんにちは。今日も元気ですね」

 小声で声をかけると、雛は返事をするようによりいっそう可愛く囀る。

 ただ単純に親鳥が餌を探しに行っていて、お腹が空いてるからかも知れませんが。

 春ですね。

 嫌なことがあっても、ここに来ると少し気が紛れるような気がします。

 しばらくその心地よい鳴き声を聞きながら、窓の縁に頬杖をついて景色を眺める。

 日差しをポカポカと気持ちよく感じながら、私はお弁当箱の中から先ほど敢えて流さずに残しておいたササミを取り出し、小さく割いた。

 親鳥が帰ってきたのが遠目に見て分かったからです。

 小さな黒い点が宙を優雅に舞いながら、あっという間に近付いてきました。

 そのまま巣の縁へと止まり、雛に餌を与え始めます。

 私はそれが終わるのを見計らって、先ほどのササミを窓から放り投げました。放物線を描いて落下を始めると、燕がそれを攫う。

「相変わらずお上手ですね」

 燕は軽やかに舞いながら巣へと戻る。

 そして、雛達に餌をあげ終えると、私がもたれている窓の縁へとやってきた。

 手を伸ばせば届きそうな距離で私の方を見詰めて来る。

 随分と懐かれたものです。

 少し心配になってしまうぐらいに。

 野生の警戒心とかはないんでしょうか?

 そういえば、燕がよく人工物に巣を作るのは、カラスなどの外敵から身を守ってもらうためと聞いたことがあります。共存、といえば聞こえはいいかも知れませんが、簡単に言ってしまえば人間を体良く利用してるという説です。可愛い顔して案外計算高いですね。

 しばらくして彼が飛び立つのを確認してから、私は窓を閉めました。

 そのまま壁に背中を預け、ズルズルとしゃがみ込む。

 背中から伝わるひんやりとしたコンクリートの感触。

 遠くからかすかに響く喧騒や足音。

 薄暗い空間に、直接ではなくやわらかに差し込んでくる午後の光。

 何だか、隔絶した世界にいるみたいです。

 私がここで横たわって、そのまま死んでしまっても、案外誰にも発見されないのかも知れません。

 たまたま、偶然的に、誰からも見落とされるのかも知れません。

 当然そんなはずはないんでしょうが、そんなことをボンヤリと考えながら、私はチャイムが鳴り響くまでの間、それこそ死体のように動かずにそこで過ごしました。

 一人は、嫌いではありませんでした。


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