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ネガポジ  作者: 猫野ミケ
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瀬戸千歳Ⅱ

 生まれた時から私は何も特別なものは持ってはいなかった。

 変わった家庭環境も、特異な才能も、何もなくただひたすらに凡庸だった。

 築いていった人間関係も、学業も、運動神経や芸術的才能も、すべてがそこそこだった。容姿だって自分では良くも悪くもないと思う。

 取りたててコンプレックスになるようなものもなかった。

 だから平凡な私は奇抜なものに憧れた。

 ただ一つ変わっていたのは、私の憧れの対象は、一般的なそれとは逆ベクトルに働いたという点だった。

 何故恵まれなかったのか、ではなく、何故不幸ではなかったのかが頭から付き纏って離れなかった。

 こんなに苦しいのに、悩んでいるのに、私には感情に釣り合うほどの障害がない。

 だから何かに責任を押し付けることも出来なくて、吹っ切れるように壊れることも出来なくて、ジワジワと日々を息苦しく過ごしていくだけだった。

 漠然とした不安や焦燥感や、ちょっとしたことで何もかも投げ出したくなるような憂鬱が、この先ずっと続くのかと思うと恐怖さえ覚えた。

 あえて言うのなら、私の性格が生まれた時から歪んでいたんだと思う。

 きっと私は、神様に不良品の魂を入れられてしまったんだろうと、幼い頃からよく思っていた。

 でもそれを証明することは出来なくて、神様はおろか誰のせいでもなくて、消去法で行くと私自身のせいなのだという結論にしか至らなかった。

 どれだけ悩んでも、『平凡な癖に、悲観ぶるなんて滑稽ね』と、嘲笑にも近い嫌悪と侮蔑を自分に投げかけていることに気付いた。馬鹿じゃないのかと呆れて、でも悩むことはやめられなくて。


 だから、私は分かり易い不幸を渇望した。

 高校にでも入れば何かが変わるかと思ったけれど、何一つ変わることはなかった。

 自分が心底嫌いで、代わり映えのしない生活が漫然と流れるだけのものだった。

 あぁ、自分の人生はこのまま続いていくのだなと、何故か結果が分かったような気にさえなった。


 そんなわけで、五月の連休を利用して、わたくし瀬戸(せと)千歳(ちとせ)はただいま樹海に来ております。


 目的は一つ。

 死ぬ場所の下見。

 なけなしのお小遣いと、高校に入って始めたばかりの僅かなバイト代を頼りに、単身春先の森へと生まれて初めての一人旅。

 いつ自分の精神に限界が来てもいいように下見を欠かさないだなんて、こんな時まで几帳面な自分の性格が恨めしいけれど、今は奇妙な高揚感に包まれていた。

 きっと、理想的なポイントを見付けられれば私は随分と楽になると思っている。

 何しろ、いつでも思い立った時に人生を諦めることが出来るんだから、こんなに心強いことはないわ。

 大体自殺っていうものを実行しようとしたときに考えるのが、事後のことなのよね。自分にとってはもはや関係なくなることのはずなのに。

 残された両親や友人のことはもちろんだけど、もっと具体的な問題も気になるの。

 まず第一に、醜い死に様は嫌ね。

 私の美意識ってやつかどうかを別にしても、両親が私の死体を見て悲しみより先に嫌悪感が先立つようじゃ、流石に哀れすぎる。

 なので水死や首吊り、その他諸々損傷の激しいものは論外。

 次に場所だけれど、これはゆっくりと事を運べる場所が理想的ね。

 途中で人に発見されて助けられでもしたら眼も当てられないわ。

 死因が限られる以上、早期発見が生存に繋がってしまう自殺方法が多いだろうし。

 でも困ったことに、あまりに見つけられない場所だと、当然死体は腐敗してしまう。

 そこで思いついたのが、年中氷点下近い気温で死体の保存にも最適、人も滅多に来ないうえ、雰囲気もたっぷりで神秘的、樹海の氷穴だった。

 思いついたときは居ても立ってもいられなくて、高校に入学してすぐに軍資金を稼ぐためにバイトに就くことにした。

 初めて自分で稼いだお金をこんなことに使うなんて少し屈折している気がしたけれど、私は実行せざるを得なかった。それぐらい自分にとっては優先度の高いことに思えたから。

 家には高校で新しく出来た友達と遠出するって言ってあるし、樹海で迷わないよう業務用のタコ糸を四kmも持ってきたし、準備は万端だわ。


 しかし、いざ樹海に来てみると、イメージと違って観光色がわりと強いことには驚いた。

 遊歩道やバーベキュー広場なんかを見てると時期的なものがあってか人も多いし、想像していたきな臭いおどろおどろしい雰囲気とはかけ離れてる。

 樹海にはいくつも氷穴があるようだけど、そんな観光スポットのようなところでは意味がないわ。

 私は、自然に埋もれたマイナースポットを見つけるために、人に見られないように辺りを見渡してから、そっと遊歩道を外れた。

 ネットで調べた怪しい情報が正しければ、この先にはまだ一般的にあまり知られていない、滅多なことでは誰も来ない洞窟があるはずだった。

 遊歩道から百mも行かないうちに雰囲気はガラッと変わり、先ほどまでの朗らかな様相から一変、周囲はただの未開の森と化した。

「……少し入っただけで随分と様子が違うのね」

 少し大きめの、苔が生えた大樹にタコ糸をしばりつけると、私はゴールを目指して歩き出した。

 道という道などは当然なく、露出した岩肌と樹木の根で足場が非常に悪い。先ほどまで歩いていた舗装された道と違い、進む速度が目に見えて鈍化する。

 まだ昼間だというのに、生い茂った木々に陽の光りは遮られ、鬱蒼とした樹海は静寂そのものだった。

「うん、いいわ。これよこれ」

 さっきまでは期待外れもいいところと思っていたけれど、なかなか悪くない空気じゃない。

 少しばかり探検家の気分を味わいながら、大まかな地図と方位磁針、そして後ろへと伸びるタコ糸の角度などを頼りに噂の氷穴スポットへと歩を進める。

 そもそも樹海というのはそこまで広くはないらしいし、都市伝説と違ってキチンと方位磁針も機能する。

 思いのほか発見は容易に思えた。

 噂が噂を呼び、自殺スポットとして名高いけれど、もっと適した場所が実は国内にはあるんじゃないかしら。

 まぁ、自殺スポットなんて呼ばれてる時点で集団心理が働くんでしょうけど。……私もその一員かも知れないと思うと、何だか萎えてくるわね。

 でもせっかく来たんだし、やっぱり目的は達さないとダメよね。それに、私はただ単純に行き当たりばったりで死んでしまう人間とは違うはずだもの。


 自分でも詭弁だなと思いながら、誤魔化すように自身を納得させて歩を進める。

 そして、三十分も歩いた頃だろうか、ひときわ大きな巨木が佇んでいた。

 根が張り出していて、腰をかけるのにちょうど良さそうなので一息休憩を取ることにする。

 タコ糸を確認するとまだまだ余裕があり、四分の一も使っていないことに気付いた。

「んー、でもこれだと一km近くは進んでるはずなのよね。そろそろ見付かってもいい頃だと思うんだけど」

 背中に背負ったバックから水を取り出し乾いた喉へと流し込む。まだ冷たさを保ったままの水が食道を滑り落ちていき、胃へと届いて染み渡るのが分かった。

「そういえばまだ起きてから何も食べてなかったわね」

 空腹の時にしか得られない、この胃の中に何も入ってないことが分かる感覚は正直嫌いではなかった。

 体の中心を異物が通り、徐々に馴染んでいく様は、何かを吸収していると実感できる掛け替えのない時の一つだと思う。

 ……でも、なんだか今の表現だと卑猥な感じがするわね。

 表現そのものより、そんなことに気付いてしまう自分に嫌気が差して、またまた不快な気分を味わう。

 ここ最近はそんなことばかりだ。

 どんなに楽しい場でも、どんなに悲しいことが起きても、冷静な冷めた自分が一言添えてくる。『今までの悩みを帳消しにするぐらい楽しい?』とか、『どうせ三日も経てば、忘れてしまうんでしょう』とか。

 その考えを払拭しようと思うほどむしろ思考は加速していって、いつの間にか最初に感じたものから大きく逸脱し、あらぬ方向へと感情は進んでいってしまう。

 私には純粋さというものがなくなってしまったんだろうなと、よく実感する。

 そして、一度失ってしまった純粋さというのは二度と戻ってくることがないことを私はよく知っている。

 きっと、絵と一緒なんだ。

 色んな色を重ねすぎてしまって、気付けば汚い混沌とした黒に埋め尽くされている。

 そして、一度筆を入れたキャンバスは、もう白紙には戻せない。

 私はそういう存在なんだと、常々思う。

 そんなことを考えていると、この思考そのものがすでに脱線なんだろうなと、本当に嫌になる。私の心は、もう取り返しが付かないほど混沌としている。

 ……まずいわね、どんどん気が滅入ってく。

 今日はそんなつもりじゃなかったはずなのに、このまま消えてしまいたくなる。

 ダメよ、まだ身辺整理だって終わってないのに、そんな思い付きの行き当たりばったりで死ぬなんて馬鹿げてる。

 月曜日の疲れ果てた社会人じゃあるまいし、そんなこと私のプライドが許さない。


 私は気を取り直すように再び水を口に含んだ。

 いつもと違い、今日、この場所では、消えてしまいたいという衝動と行動が直結し兼ねない。タコ糸とかあつらえ向きのものも持ってるし、そこら中に丁度糸を吊りやすそうな樹の枝が散見されるので、あまりそういうことを考えるのは良くないと思った。

 私は口につけたペットボトルを垂直に傾けた。勢い良く流れ込んできた水がそのまま滑り吸い込まれていく。……気管に。

 私は景気良く水を噴き出した。

 多分他人が見ていたらマーライオンさながらだったと思う。

 激しく咳き込みながら、息苦しさと鼻と喉の激痛で涙目になる。

 樹海に来てまで何してるのかしら、私。

 涙目で滲んだ視界の端に、ハンカチのようなものが差し出されたので、ありがたく拝借する。

 咳き込みすぎて嗚咽気味の口元にあて、出来るだけ落ち着けようと一旦息を止め、一拍開けて深呼吸する。

「大丈夫か? 出来るだけ何回かに分けて咳き込んだほうがいいぞ」

 そう言うと、私の背中を軽く叩いてくる。絶妙な加減と角度によって、私はまた咳を余儀なくされた。

 ただ、そのおかげで、水を気管から吐ききれたのか、随分と楽になった。

「ごめん、ありがと」

 そう言って、ハンカチを返そうとしたところで、異変に気付いた。


 ……誰? この人?


 サラリと自然に現れた人物に驚き、私は立ち上がりながら後ろに仰け反るという、バランスも何もない反応をしてしまった。

「っうゎ!!」

 臀部からもんどり打って、巨大な根に背中をしたたかに打ち付ける。

「痛たたた……」

 打った衝撃で肺から空気が逃げていき、呼吸が困難になる。

 岩に打ち付けなかったことは幸いと言えたけど、こんなに盛大に転ぶのは小学校以来だったので、結構堪えた。

「ここは足場が悪いから、そんな風に急に動いたら危ないよ」

 痛みに耐えながら声の方を見上げると、若い男の子が右手を差し出していた。

 転んだ衝撃と突如現れた男の子への混乱から、考えがまとまらなくなる。けれど私は、取り合えずその差し出された右手に掴まって立ち上がった。

「大丈夫か? いやー、なかなか派手なリアクションするね。しかも時間差で」

「え、っと、あの」

「ああ、ハンカチなら気にしないでいいよ。いつも使わないし、ポケットに入れっぱなしだったんだ」

 その人は聞いてもいないのに馴れ馴れしく話しかけてきた。転んだところを見られた恥ずかしさなんかより困惑が遥かに先に立つ。

 咳き込んでたとはいえ、まったく接近に気付かなかった。

 いや、それどころか、辺りには小鳥一匹さえいないほど静かだったのに、いつの間に近付いていたんだろう、この人。

「あ、ありがとうございます。……あの、こんなところで何してるんですか?」

 いまいち思考が纏まらず、直球な疑問を投げかける。

 一見、私と大して歳も変わらなそうな男の子で、明らかに樹海に入るにしては軽装。というか、街に出るような私服だった。観光にしても自然を舐めているとしか思えない格好だ。その上、顔はやつれ、服は上下共ヨレヨレで所々汚れていた。まるでホームレスみたいに。

 しかし、悲壮感らしいものは漂っていないし、むしろハキハキとした物言いに、私は明るい人なんだろうなという印象を持った。

 つまり、格好も雰囲気も、この場所にいることに違和感を感じるような人物だった。

「ちょっと探し物をしててね。そしたら、激しく咳き込んでる声がしたんで来てみたんだけど、拍子抜けしたよ。誰か薬物自殺でも図ってるのかと思ったら、女の子が水飲んでむせてるだけなんだから」

 ……まるで、自殺者であった方が良かったみたいな物言いね。

「それただの水だよね? それとも、何かの薬と一緒に飲んだりしたのかな?」

 男の子が、かなり無遠慮に危険な質問をしてくる。もし本当に私が自殺でも図ってたとしたらどうするつもりなんだろう。

「い、いえ、普通に喉が渇いたから水を飲んでただけです」

「ふーん、そうか。じゃあ一口もらってもいいかな? 実は飲み物とか何も持ってなくて喉渇いちゃってさ」

「は、はぁ……」

 私は言われるがままにペットボトルを差し出した。

 彼は受け取ると躊躇無くそれをいっきに飲み干した。

「プハー、生き返るぅ! それで、君こそこんなところで何してるの?」

「……えっと」

 そうか、こっちが疑問に思うんだったら、向こうも思って当然よね。どうしよう、咄嗟に言い訳が思いつかない。

「あの、何と言いますかその」

「あぁ、やっぱり世を儚んでって感じ? でもその割には装備も準備万端だし、あんまりそれっぽくはないね?」

 私の言葉を遮るように男の子が話しかけてくる。瞬間的に察した。この人、人の話を聞かないタイプだ。

「いえ、別にそんな変なことは考えてないですよ」

 今日のところは、だけど。

「私、自然って大好きで、GWを利用して観光に来たんです。樹海の氷穴は、一年中凍り付いていてすごく神秘的だって聞いたので」

 木々のざわめき一つない森の中に私の精一杯の嘘が響く。

 男の子がキョトンとした顔でこちらを見つめてくる。ちょっと無理があったかな。

「へー、それにしても若い女の子が一人でって随分珍しいな。森ガールってやつ?」

「いや、えっと、それはちょっと意味が違うと思います。確かファッションスタイルのことだったと思うので」

「そうか。じゃあ、単純に自然好きな少女、ってことだね」

 何だか含みのある言い方だな、と思った。こちらを覗き込むような男の子の視線に居心地が悪くなった私は、会話を逸らすことにした。

「あの、探し物って何なんですか? 良かったら手伝いましょうか?」

 出来れば関わりたくないけど、話を逸らすためについそんなことを口走ってしまった。

「ん、いや、そこまで真剣に探してるわけでもないし、使えなくなっているものが殆どだからいいよ。君自身がそうかとも期待したんだけど、そうか、ただの自然好きな子なのか」

 男の子は少しばかり残念そうに唸りながら、そんないまいち意味の分からないことを言った。

 ただ、その様は、単純に言うとぬか喜びや肩透かしを食ったというようなものに見えた。

「あの、使えなくなってるってどういうことですか?」

「あー、何と言うか、こういう風になってる奴のことだよ」

 彼が何気なく自分の足元の方を指差す。

 大きな木の根が邪魔で見えないので、私は少しばかり身を乗り出してそちら側を覗き込んだ。

「えっ……!!」

 ――思わず息が止まった。

 何かの衝撃を受けたかと錯覚するほど心臓が大きく拍動し、体が動かなくなる。

 驚きの余り、逆に悲鳴さえ出てこない。

 彼が指差す先には、それを追った私の視線の先には、明らかに人のものと思える白骨死体が横たわっていた。

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