かぐや姫が悪役令嬢!?
一.
地球から遠く遠く、今日も天上において人々を見守る月。世の中の人はいずれも月を愛で、歌を歌い、幸せを得る。まさか月を進んで嫌おうなんて人はいないだろう。
それは月が穢れなき場所であるから。
生あれば罪ありというのに、どうして月に生命が生まれ得たのか…
それは分からない。けれど、説明するとすれば、その生命が我々人間と全く違う次元で生を受けたからなのかもしれない。
俗に言うパラレルワールドで、到底人間にはっきりと認識することはできない。しかし、確実に存在し我々の運命に影響を与え続ける世界。
それこそ天上の王国。
そこには絶世の美女、蓮の花の如き美貌を持ったお姫様がいる。名はない。月にいる限り、必要のないものだから。
しかしある日、彼女は一つの疑問を抱いてしまう。
「どうして地上の人々はあれほどまでに幸せそうなのだ?私は決して幸せを感じたことがない…人々は憎しみ合っている、恋をし、身を滅ぼす。しかし恋はまた幸せをも生む。はて、これはどうしたことか…難題…難題…」
しかしその疑問こそ罪であった。天上の王国において地上に憧れることや、人間の持つ幸せを羨むことなど決してあってはいけない。
なぜなら、幸せとは総て苦しみの上に成り立つためである。そして、その苦しみは他人の苦しみをも作り出してしまう。
一人で決して生きられない人間は、常に他者との関わりの中に生き、他者の心に爪痕を残しながら生きていくものである。故に、天上の王国はその相対性を排除し穢れなく繁栄してきた国なのだ。
お姫様はすぐに王のもとへ呼ばれた。言葉はない、しかし姫の中に王と対面した時心の声が響く。
言葉もまた、相対性に頼るため罪である。この会話じみた声の応酬は、全て姫の中で完結する葛藤のようなものである。
ーー貴様、地上の国に憧れたそうではないか。
ーーはい、しかし答えてくださいませ王様。なぜ人はあんなにも幸せそうなのでしょう。
ーーそれは人間が罪深い生き物で、幸せは総て本当の幸せではないからだ。お前も見ることができたろう、人々は束の間の幸せを受け、突如として裏切り裏切られ、永遠を手に入れることはない。
ーー王様、では本当の幸せとはなんなのでしょう。
ーーそれは常に自分の中に生き、他者と関わらぬことだ。足を捨て、言葉を捨て、心を捨てよ。この国にさえいれば本当に幸せなのだ。いいか姫、人間の全ての活動は性衝動に基づくものなのだ。穢れを背負わないで幸せを感じられない。罪と切っても切れない生物よ。
ーー私は信じられません…果たして無が幸せであるということを。
ーーよし、ならば貴様に罰を与える。自分の目で確かめてくるがいい。
そうして姫は下界へと落とされることになる。宇宙の向こう側にある天上の王国から、姫は突き落とされる。
ひらひら、ふらふら、と宇宙の真ん中を漂って行く時自分の住んでいた月を初めて綺麗だと思った。
ニ.
従来の竹取物語であれば姫の落ちる場所は日本の貴族社会なのであるが…姫が落とされたのは中世、西洋の貴族社会。しかも赤子としてではなく、歳は十六ほどの少女として。
天上の王国では王が、
ーーありゃりゃ、間違えた。てへぺろ。まあ学習チートと記憶喪失は入れといたから大丈夫か。
となっていたのは別のお話。
とある大きな森の中。ふわりと地面に着地した。
「ん…?」
これが姫の生まれて初めて言葉を発した瞬間である。姫は喜んだ、人に自分の思いを伝える言葉がある。
すると、遠くの方から音が聞こえる。これが人の弾くピアノというものか。
姫はそれを大変美しいと思い、走って行ってみた。
なんだか悲しく、懐かしい音色だ…淡い音に、ときどきはっきりと盛り込まれる転々とした音が心に響く。
ひんやりと冷たい、乾いた風の中緑の木々の間を縫って走っていくと英国式の庭にテラスが見える。そこでピアノを弾いている人がいた。少年だ。
姫はそっと側で見守ってみる。一曲終わったところで男は立ち上がり、初めて見る人間にびっくりして音を立てた姫に気づく。
目が合った。しばらく時間が流れ、双方固まった。
風が吹いて初めに目を逸らしたのは姫の方。どうしていいのか分からない姫は走り出した。
「おい! お前、少し待て!」
なんだから怒られているような気がする。まだ姫には言葉がわからない。
走ることに慣れていない姫はすぐに追いつかれ、腕を掴まれた。
「ん!ん!んー!」
「そんなに暴れるな! ここは私らの領内だがお前を責めたりはしないよ。私の名はレオナルド。王太子だ。お前は?」
「ん?んー…」
「そういえば見ない顔立ちをしている。異国の者か?言葉が喋れないのか?」
姫は何か質問されている。しかし自分はどうしても答えることができない。
姫はもどかしくなってやっとの思いでレオナルドの腕を振り切ると、テラスのピアノへ走った。先ほどレオナルドが弾いていた曲に少しアレンジを加えて弾いてみる。
弾き終わり、ゆっくりと歩いてくるレオナルドに微笑みかけてみた。
「美しい… 即興なのか? さぞ高名な君主の娘なのであろう。」
レオナルドは姫のことを本当に美しいと思った。実は、この時点で高名な君主の娘であれば自分の妃に迎えたいとすら思っていたのである。
「いえ、私には自分がどこから来たのか分かりません。」
「な…! お前、きちんと話せるではないか。」
姫の中に言葉が溢れ出てくる。分かるようになっていた。
レオナルドは帰る場所のない姫を自分の城で養うこととし、なんとかして血統や家名が重視される世の中、姫を妃に迎えることができないかと悩んだ。
姫はおとなしくレオナルドに従った。
姫はピアノを天才的なまでに弾きこなす技量もあり、容姿は絶世の美女と呼ぶにふさわしいまで美しかったのである。
三.
幾らか日が経ち、王太子レオナルドは自分の両親に姫を養うことをうまく説明する。平穏な毎日ではあったがついに姫の噂が立ち始める。
あそこの城に絶世の美女がいるそうだ。レオナルド様はなにか、魔女の類にたぶらかされているのではないか。養うのはいいがこのまま結婚や共に国外逃亡など企てられてはいけない。
といったところで、すぐに王は古くから所縁のある家の者との縁談を進める。王太子は婚約者となってしまったのである。
晴れて婚約パーティがレオナルドの城内で催されることとなった。
これには姫も給仕の娘として参加した。
華々しいドレスを着てレオナルドと婚約者を祝福に来る王と妃のペアを無数に見ながら、姫はもどかしい気持ちに駆られていた。
皆、笑顔でダンスに励んだりしてはいるものの全て政略結婚。レオナルドもそんな夫婦の一人となるわけだ。これで本当に幸せなのか、それは分からない。
ただ押し付けられたものを用いて幸せに生きていかなければならないというなら、それもまた真実なのかもしれない。
姫はレオナルドが自分に気があり、姫さえうんと言えば国外逃亡すら厭わない覚悟であることは聞いていた。けれども、うんと言ってしまってはいけない気がする。
それは自分でレオナルドを好いていないということなのか、それとも世界の掟に従わなければレオナルドが幸せになれないと思っているのか。まだ整理がついていない。
パーティの熱気が頂点に達した時、レオナルドが給仕の姿をしていた姫を呼んだ。
「おい姫! お前のピアノを披露してみろ、皆様にだ。お前の音楽の美しさは私が保証する。」
姫はレオナルドに連れられ渋々と壇上に立つ。レオナルドはどうしても、婚約破棄をして姫と結婚したいらしい。ピアノの披露は姫のお披露目会ともなるわけだ。
婚約者と結婚すればいいのに…
姫はそう思う。パーティの中、人間誰と結婚しても幸せの程度はそう変わらないのでないかと思い始めていたからだ。
結局人がいて、また人がいるということは束の間の幸せでしかないかもしれない。
人々の話し声がかすかに聞こえる。
「あれはどこの娘でしたかな?家名は…」
「いやあれは無名の娘でしてな。確かに美しのでレオナルド様が見初められたとのことですが、まあただの給仕ですな。」
「魔女だと噂する人もありますぞ。レオナルド様の婚約者は大変よく思っておられないそうで…」
そんな話し声が嫌になって、不気味な調子を加えて、狂気的にピアノを弾く。確かにその音楽は言っていた。
「お前らは全員まがいものだ。」
と。
演奏が終わると会場は静寂に包まれる。姫は疲れ切ったように首を垂れ下げ、目をつむって肩で息をしていた。
しばらくしてまず動いたのはレオナルドの婚約者。
「やはりあの者は魔女だ! 皆聞いたか今の演奏を!なんと恐ろしい…レオナルド様は奴に恐ろしい呪いをかけられておいでだ、処刑にしろ! すれば呪いも解けよう!」
レオナルドがなんとか誤解を解こうとするものの、その努力も無駄に終わりすぐに姫は捕らえられた。
牢獄へと連行される途中、姫は空に輝く月を見た。
ーーあそこへ行けたら…地上でない、罪のない世界。まがいもののない世界。
これが現世において罪となる感覚であることを姫は知らない。
四.
姫の処刑は明日に敢行されることとなった。姫は投獄され、どうして本物の愛を求めることが罪になるものかと悩む。
本当のことを言ってしまえば人は傷つき、自分も傷つく。しかしそれを求めないことに果たして意味があるのかと、また悩む。
姫の入れられた牢獄に面談を求めレオナルドの婚約者がやってきた。鎖に繋がれた姫は力なくその相手をする。
本当は誰とも話したくない、そんな気分でいた。
「おい魔女、いい気味だなぁ。お前が死ねばレオナルド様にお前がかけた呪いも解けよう。」
「もしもレオナルドという男の苦しみが私の死によって洗われるのならば、喜んで死にましょう。しかし私は何もした覚えはない、レオナルドの心を踏みにじり無理矢理我がものとするあなたの心こそ魔女らしい。」
婚約者の女は憤り今すぐ殴ってやるから鍵を開けろと衛兵に怒鳴る。しかしそれが叶うことはなかった。
「いいか魔女、お前は生まれた時から魔女だから罪なのだ。何をしようがしまいがその呪いからは逃げられない。そしてその運命から私はレオナルド様を救うのだ。」
「いいえそれは私が呪いをかけたからではなく、この世に血統や家名を気にする呪いが既にはびこっているからです。あなたはいつか気づくでしょう、レオナルドを救ったものがあなたではなく実は社会だったということに。」
「そんなことはどうでもいい、結果さえ残っていれば本質などどうでもいいのだ。しかしお前はその、社会というものによって明日身を滅ぼすことになる。火あぶりにされればお前の美しい顔も苦悶と憎悪に歪もうぞ。」
「私は愛と勇気を持って死にましょう。」
「戯言を…知っているか、そんなことができるのは神だけだ。神は悪魔にこの石ころをパンに変えて見せよと誘惑された際、それを退けた。しかし人間であれば空腹には勝てない。いつかは生ぬるい信仰を捨てて生きていかなければならない!人は穢れた生き物だ。
これが第一の苦悩。
そして第二の苦悩はお前が言った社会というものの苦悩だ。それに逆らって生きていくことはできないのさ。
そして第三の苦悩、自分が社会を変えて一人で生きていけたとしてもこれが邪魔をする。世界的結合だ。人は誰でも誰かと繋がりたいという欲求を胸に秘めている…」
「はい。人は生きれば生きるほど穢れていきます。その流れには逆らえない…けれど、私は信じ続けます。あなたのことも、憎んではいませんよ。」
姫が微笑んだ。
本当は相手の顔に「嘘をついて生き、幸せを得たと悦にいる。お前らの姿など公然の場で自慰行為に喜んで及ぶようにまで醜い。」
と、叩きつけてやりたかったのだが。できなかったのが罪なのか、幸せなのか、ついぞ姫にも分からない。
もうそれ以上二人が会話することはなかった。静かに婚約者の方が牢獄から去って行く。
姫はまた、牢屋の格子窓から夜空に光る月を見ていた。
五.
処刑の日、レオナルドは来ていないらしい。恐らく姫が火あぶりにされるのを見る自信がないのか、馬鹿なことをしないようにと他人に妨げられているか。
処刑台に姫が立った時、遠くに大声で何か言っている人間が見えた。
「あの方は…?」
姫は自分を連行してきた衛兵に聞いてみた。
「ああ、少し処刑の時間が遅れるかもしれません。あの方は隣国の王太子で…少しばかり変わり者でしてな。エドワード様です。あなたが魔女ではないと言って聞かないのです。」
この世界も捨てたものではないかもしれない。少し姫は気を楽にした、一人でも信じてくれる人がいるというのなら嬉しい。
ただ、元より命乞いをする気は毛頭なかった。
すると、そのエドワードという男が処刑台の方へ人混みをかき分けて走ってくる。
エドワードは姫の横、処刑台の上に立つ。
「この者は今から我が妃となる!一国の王女を魔女と呼ぶならいいだろう、反逆者として刑に処す!」
これには姫も驚いた。自分の美貌を聞き及んだのか、また馬鹿な男でも現れたか…
「エドワード様!それはあまりにも無理が…これはレオナルド様の妃となられる方のご命令、争いの種を生みますぞ。」
「よい、私が収める。レオナルド様の妃の怒りが静まらぬのなら、魔女の手先として私が身を切ろう。しかし濡れ衣を着せられ殺されるのはよくない、頼むから逃がしてやってくれ。」
衛兵は悩んだ末、集まっていた民衆に解散の命を出した。すぐにエドワードは姫の手を取り、広場の端に止めてあった馬に共に跨ると走り出す。
姫はなんだか死にそこなった気分だ。
「あなたは…どうして私を?」
「お前が美しいからだ。私の国に着いたら幾らか護衛をつける、好きなところへ行くといい。」
「妃にするのでは?」
「ただの策だ。気にするな。」
六.
エドワードの国に到着したのは日の沈む頃。豪勢な夜食が振舞われた後、姫は庭の散歩に誘われたので言われるがままにした。
月のよく見える、池の真ん中にあるテラスで二人は椅子に座る。
「あんなに馬鹿なことをしてあなたはどうするの? 私は魔女と呼ばれた人ですよ。」
「ほとぼりさえ冷めればお前を付け狙う者はいなくなる、そういう連中だ。お前の処刑にこれといった意味もない。」
「私、あなたの妃ならばなってもいいと思いますよ。レオナルド様のは嫌でしたけれど。」
「どうしてだ?聞いてもいいかな。」
「だってあなた私を求めない。」
二人は笑った。そして二人は目を合わせると、月明かりの下で少し踊った。不思議と息の合う二人だった。
姫は今、楽しいと思った。ただ誰かが欲しいわけでもなく、名誉や見返りが欲しいのでもない。ただ二人の男女が月明かりに誘われ、踊っているだけなのだから…
「レオナルド様がね、一度亡命しないかと私を誘ったんですよ。断った理由は…」
「欲望に溺れた男の手引きがあると自由じゃないからだね。」
「はい、そうです。」
時々挟む会話のリズムがステップとうまく重なる。
「でも私、帰らなければなりません。月へ。だってもう帰りたいと言ってしまったんですもの。」
「君は月の人だったのか。いいよ、どこへでもお行き。プリンセス・スプランドゥール。」
「燦光の姫…?」
「そして影だよ。君が真実と虚の狭間に落ちて消えないように、名前をあげよう。」
その時姫は歌を歌った。エドワードはしっかりとその歌を心に刻む。
歌い終わると、姫は笑顔を浮かべ、淡い光の塵となって消えた。
…それは夢のように一夜限りの逢瀬となったけれど。
とある世界に月を愛でるのが大好きな王太子がいたという。彼は月を見る度になんだか愛しい気持ちになって、涙を流した。そして勇気をもらった。
後に魔女を匿った罪で国を追われるが生き延びる。彼の子供は音楽家となり、親の口ずさんでいた歌を曲にした。
「別れの歌」という名が残る。
今でも月に帰った姫は世界に誠の愛が芽吹く度、その輝きを持って祝福するという。また彼女はいつでも、真実を求め世俗にもがく人々を空から見守る。
読了感謝します。
本日、短編を一時間ごとにもう三作投稿します。




