第11話 漆黒の集団
「ギャアアアア!」
人は、海。誰しもが海に匹敵する可能性を持っている。
「やめろォ!」
人は、繋ぐことができる。過去と現代、そして未来。すべてを繋ぐことができる。
「助けてぇぇぇ!」
過去が無理でも、今。今が無理でも、未来。未来で無理なら、その先の世界。
「やめてくれぇ!」
それは進歩、あるいは進化。あるいは――――
「もう……殺してくれ……」
響く。声が響く。助けを求める声が、あるいは、助けを諦める声が。
四肢を切断され、肉と魂の入れ物となった大量の肉塊に囲まれて、魔術師たちは一心不乱に研究をする。無表情で彼らは人だったモノに囲まれて何かを創り続けている。
ある魔術師は、その肉塊に大量のナイフを突き刺している。
ある魔術師は、その肉塊を大切そうに愛撫している。
ある魔術師は、その肉塊には目もくれず、一心不乱に床に飛び散っている血を集めている。
地の獄。釜の底。狂気の果て。
200人以上の魔術師たちは、豊富な『材料』を前に悦び、謳い、そして舞った。誰にも邪魔されずに、思う存分彼らは魔の探求ができるのだ。
エリュシオンへの道を進むことができるのだ。
暗き森の中、白き聖堂の奥で行われている狂気。彼らは皆。ただただ魂の座への道を進んでいた。
だがそれも、この夜で終わり。今日この夜で終わり。
彼らの探求は、間違っているのだ。何故なら終わるから。ここで終わるから。
間違ってなければそれは、終わるはずなどないから。だから彼らは間違っているのだ。
所詮、堕ちた頭で考えられたことなど、果てに昇ることはないのだから。彼らは今日、終わるのだ。
――暗き丘から彼らの終焉を告げる者達が降りてくる。今宵降りてくる。
そこは暗き丘。月すら出ていない夜の闇、より深く、その丘は闇に落ちている。
闇は恐怖の象徴。何も見えない。何があるのかわからない。一歩先を理解することができない。
人はそれに恐怖する。誰もが恐怖する。根源的な恐怖がそこにはある。
暗き丘に並ぶ数十人の黒い者達。誰も彼もが酷く冷たい眼をして、その者たちは皆一様に丘の下を見ている。
丘の下には輝く聖堂。聖職者が祈りを捧げる聖堂。
青い髪の魔法師はその黒装束の者達を見上げて、何とも言えない奇妙な感覚を覚えた。彼らには温かさがないのだ。体温がないのだ。いや実際は、血も体温もあるのだが、それでも彼女から見る彼らは、温かさがないのだ。
いるだけで冷たさを感じる彼ら、世界で最も強いであろう漆黒の暗殺者集団。アルスガンドの一族。青髪の魔法師が、ラナ・レタリアが知るアルスガンドの長とその妻からは想像もできないような、冷たい集団がそこにいた。
「う……んん」
隣から聞こえてきたうめき声に、ラナは横を向いた。彼女の横では、ハルネリアが腹部を抑えて呻いていた。
苦しそうに、つらそうに、ハルネリアは身体を丸めていた。最愛の姉弟子である彼女をラナが心配するのは当然か。ラナは右手の杖を持ち替え、ハルネリアの背中に手を置いた。
「姐さん、大丈夫ですか? 体調が悪そうですけど」
その声に反応して、ハルネリアは顔を上げる。彼女は誰が見ても体調が悪いとわかるような顔色をしていた。
「姐さん……」
「大丈夫……ちょっと、疲れただけだと思うから……うっ」
「姐さん? ちょっと本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫……こんな時に何で……体調を崩すなんて……はぁ……はぁぁぁ……」
悔しそうに、つらそうに、ハルネリアは溜息をつく。ラナは心配そうに彼女の背中をさすった。
「むむ? どうしたのだラナ。ハルネリアがどうかしたか?」
「先生、姐さん、少し体調がすぐれないそうです」
「なんと珍しい。気負ったか? どれハルネリアこちらを見よ」
暗闇から現れたのは、白髪の魔法師。顔に深々と皺が刻まれた老人は、しわしわの手でハルネリアの額を触った。
「む、これは……いやまさかの……ハルネリアや。今宵は味方が多い。埋葬者も上位6名を連れて来た。ワシもおる。主は後方におれ。いいな?」
「しかし、それでは、せっかくアルスが用意してくれた私の出世……」
「功を焦るな。死しては全ては無」
「ぐっ……自分が情けな、い」
「ラナ、こやつから離れるな。よいな?」
「はい」
老魔法師は丘の上を見上げた。黒き闇の中を彼は見上げた。
「あれが、刻印師の一族……万年ぶりの出陣か。まさに、神話よ」
並ぶ。漆黒の者達。
左手の甲、輝く円形の紋章。色は様々、形は一つ。彼らは世界で最もエリュシオンに近きを置く者達。魔を超える魔を有する者達。
アルスガンドの暗殺者は、聖地アズガルズの崩壊より万年。世界の隅に残り続けた最後の魔導士。
総勢30名。アルスガンドの暗殺者たちは暗き丘の上に立つ。
その者たちの先頭にいるは、赤と青の双剣を腰に携えた男。アルスガンドの一族の長。輝く紫色の紋章を左手に、彼は傍らにいる妻に声を掛けた。
「エリンフィア。半分はお前が連れていけ。お前らは裏口からだ」
「わかった。お前は表か」
「ああ」
「確認だが、全て殺していいんだな?」
「ああ、構うな。全部殺せ。誰も生かすな」
「材料も、だな?」
「誰も生かすな」
「ふふふ……わかった。では先に行く。合図を待つ」
「頼む」
そしてエリンフィアに連れられて、彼らの半数は消えた。音もなく、影もなく。一瞬で消えた。
アルスガンドの長は周りを見回す。眼下に並ぶ魔法師たちは、それぞれ緊張した面持ちで自らの魔道具を磨いている。
後方、聖堂より伸びる道の先。百騎ほどの騎馬たちが全ての街道をふさいでいる。誰も逃がさないようにするための、ファレナ騎士団の者達だ。
「ルシウス」
「はい頭首様」
長が呼ぶ声に反応する一人の男。端整な顔と気の強そうな目つき。しかしどこか弱さが見える男。
「確認する。今日聖堂に全ての魔術師はいるんだな?」
「間違いなく。ここ一月張り込みました。少なくともあの聖堂に出入りした魔術師は全員今夜揃っております」
「研究成果を発表する会、ね。おぞましい限りだぜ。反吐が出る」
「はい」
「ルシウス。ところでイセリナの子供。見たか?」
「はっ……? いや、それは、その……」
「イザリアだ」
「……はっ? 何のことです?」
「名前だ。イセリナの子供の名前。今日まで考えてた」
「それは、ありがとうございます頭首様……」
「お前がイセリアとその子供に伝えろ。親父なんだぞお前。お前がどれだけ否定しても、お前がセオドアのところに転がり込んでも、イセリナが産んだ子はいるんだ。生まれつき黒髪。アルスガンドの血が濃い。あの子供は強くなる。お前らよりもな」
「しかし、私とイセリナは……」
「責任を取れとはいわない。だがな、せめて見守れ。イセリナ、いつか死ぬぞあのままだと」
「……わかりました」
「ルシウス、魔法師たちに声をかけろ。俺についてこいと言え」
「はい、すぐに」
消える細身の男。そして長は胸元から葉巻を一本取り出す。
指ではじいてその葉巻の頭を飛ばし、火をつける。口に咥えて大きく息を吸って、一気に葉巻は灰となる。
そして長は大きく息を吐く。周囲に昇る真っ白の煙。その煙に囲まれて、彼は、彼の一族の仲間たちは、丘の下を見る。赤き魔法師の後姿を見る。
想いは胸に。何かを抱いて。長は葉巻が燃え尽きた灰を吐き出し振り返った。長の前に並ぶのは漆黒の暗殺者たち。
長は赤い剣を抜く。そして声をあげる。
「よぉお前ら、揃いも揃って暗いんだよ」
長は青い剣を抜く。そして声をあげる。
「場を用意してやったぜ。この仕事は間違いなく、正義だ。正しいことを俺たちはしている。たぶんな、もう二度とこんな機会ないぜ」
長は二本の剣を交差させる。そして振り下ろし、声をあげる。
「行くぜお前ら。全部殺せ。会うやつ全部。報いを。やつらに報いを」
『報いを』
それは、アルスガンドの一族すべての者が望んだ光の中の戦い。
漆黒の闇の中で、光の道を彼らは進む。そう、この瞬間から、そして終わるその時まで、彼らは確かに光の中にいたのだ。
この日始まった夢。それは同時にある夢の終わりを示していて。
選択は先延ばしに、赤と黒。どちらの夢を取るか。
夢の終わりまで、あと数刻。




