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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第二章 輝ける君のために
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第44話 輝ける君のために

 生きるだけ生きて、あとは死ぬ。だからこそ、精一杯の生を、精一杯の死を。


 両手一杯に抱えられた花は、強くその鼻腔を打ち、強く生を感じさせる。それこそが、帰る理由だった。


「セレニアさん、武器は?」


「……ない。ハルネリア、お前もう一度氷割れないのか?」


「本を一冊まるまる使う式なのよ……準備時間が足りないし、何よりもさっきみたいに目印つけないと狙いがつけられない」


「他の魔法師は?」


「自慢じゃないけど、私以外であそこまでできる人いないわ。女王陛下除いてだけど」


 大きな音が鳴り響く、氷から這い出ようと巨人が暴れる。その傍らで、片足の騎士が高笑いをしている。


 その光景を、ただ足を止めて見ていられるほど、彼は、アルスガンドの末裔は、ジュナシア・アルスガンドは諦めが早い男ではない。


 もはや選択の余地はなく、絶望的な状況を変える術は一つしかなく、青くて蒼い巨人を屠る術は一つしかなく。


「ハルネリア、寄越せ。ありったけだ。ありったけ寄越せ。魔力を寄越せ」


「はっ?」


「寄越せ、早く」


「なっ……魔力をわたせってこと?」


「そうだ、早くしろ」


「いや……そんな、物みたいに。あのね、知ってるでしょうけど。これ初歩の初歩よ。魔力は一人一人違うから」


「知ってる。だが、できるはずだ。後先を考えなければ」


「なっ」


 爆ぜる氷、浮かぶ巨人。


 魔力は魂より出でる隔世の力。それは人それぞれ、一人一人特異なもの。故に、魔力の波形で人個人を特定することすらできる。


「あのね、親子であっても魔力の受け渡しの成功率は5割もないのよ。ましてや私とあなた、血縁的にはかなり遠いところにいる。可能性としてなら、セレニアさんの方がまだ血縁的には近いわ」


「駄目だ。セレニアは魔力の絶対量が少ない。俺に渡したら、最悪刻印を維持できなくなって廃人になりかねない」


「いやだから……」


「早くしろ。人格を消し飛ばして刻印を発動すればあれには勝てるかもしれないが、それだと俺がこの国を壊しかねない。雪原とは違うんだ。それに、もう自殺する気はない」


「待ちなさい……いや、でも、待って、もう少し考えさせて。何か手があるはず」


「駄目だ。時間がない。見ろ」


 すでに青い巨人は膝まで氷から出て――


「最悪……手も足も、動かなくなるわ」


「構わない。動けなくても刻印は使えるはずだ」


「どうして、そこまで?」


「黙れ。もう問答はいい。早くしろ。お前のその老いすら止めるほどの魔力、ありったけ俺に流し込め。全て死ぬぞ。いいのか。お前の故郷、全て壊れて死ぬぞ。いいのか?」


「それは……セレニアさん、イザリアさん、彼方たちも黙ってないで」


「グダグダ言うな。死ぬまで世話をする覚悟ぐらい、とうにできている」


「私は若様に何もいうことはありません。全ては望むままに」


「こんの異常姉妹ども……ああもう、いいわ、いいわよ! 毎回毎回毎回! 何であなた達は私に無茶なことさせるのよ! あーもう! ほら、私の正面に立ちなさい!」




 ――きっと、彼が生まれた時から、術は用意されていたのだろう。この状況を変える術は用意されていたのだろう。




 最後の切り札はその血。アルスガンドの長の血と、一族で最も強かったその妻の血と。


 想像などできない。誰にもこの結果など想像などできない。


「いい? 私、これでもヴェルーナ・アポクリファなの。ありったけっていうけど、私の魔力入れたらあなた間違いなく最低でも腕の一本は動かなくなる。内臓機能もきっといくつかやられる」


「くどい」


「そういう頑固なところ本当にあの人似ね……手足動かなくなっても、臓物が動かなくなっても……最悪、オートマタで何とか……いや、もういいわ。やるわ」


 遠いあの日、ジュナシア・アルスガンドがまだ名が無かったころ。彼は星を見上げていた。そして思った。この星の下に、一体どれだけの人がいるのだろうかと。


 一体どれだけの人が、生きているのだろうかと。


「口開けなさい」


「口?」


「これが一番早いしロスがないのよ。噛まないでよ?」


「何? うっ」


 伝わる唇の熱。伸びる舌の暖かさ。ハルネリアの命の暖かさ。血の暖かさ。


 切り札は過去から用意されていたもの。


 数えて18年、彼の生。生まれて18年、彼の生。


 一人の父と、二人の母から産れたその特異性。


 彼の生の特異性。エリュシオンの門を開いたその特異性。


 この結果は用意されていたもの。世界で最も古き血は、とうの昔に交わっていて。




 ――幕を閉じるのは今に至った運命。選択に次ぐ選択が、至らせた『今』。




「……ちょっ、ちょっと! なに、えっ!?」


 肩を押して、ハルネリアは口を彼の口から離す。


「何だ、おい、ハルネリア、お前、何をした?」


 セレニアが声を上げる。


「失敗した? 成功した? どっちですか?」


 イザリアが声を上げる。


「なにこれ、なに……ちょっとだけ、ちょっとしか流してない。本当に、彼に渡した魔力は、少しだけ……なに、これ」


 ハルネリアが声を上げる。


 彼女たちの背で巨人が立ち上がろうとしている。だが、今は、今はそれに気を向ける余裕はなく。


 奇跡とは起こらないから奇跡であり、起こったのならばそれは起こるべくして起こった必然であると、人は言う。


 故に起こったこれは、必然なのだろう。


 開く。『門』がさらに大きく、開く。覗くその先は、正に――――


「『条件』だった?」


「何呆けてる! 離れろ! 圧だけで死ぬぞ!」


 セレニアが叫んだ。その声に、ハッと我に返ったハルネリアは、全力でその場から離れる。


 嘗て、ある決断をした女がいた。


 それは、運命に抗う行為。それは歪んだ行為。


 自らの腹に他人の命を宿す。あり得ないその行為。だがそれを決断させたのは、彼女のその深すぎる愛情故に。


 結果として生み出された、三者の血を持つ世界で唯一の存在。


 『漆黒のエリュシオン』


 赤く伸びる翼を持ち、赤く輝く眼を持ち、黒くて赤い身体を持つそれは、世界で唯一の意思のあるエリュシオンの魔物。


 赤き魔法師の血を受け、その身体に眠る全ての力を目覚めさせた彼は、もはやただの黒い魔者ではない。


 首に巻かれていた赤き布は赤き翼となって、黒一色だった身体は赤い脈が走る身体になって。


 圧倒的魔力量は黒くて赤い蒸気となって身体から溢れる。正しく、圧倒的。


「ウウウウオオオオオオオオオオアアアアアア!」


 低い声、酷く低い声、響き渡る声。そして声と共に、溢れる魔力の波動。


 空気を押し込んで、空気を押しつぶして、それは全てを押しのける。


「ぐうう……いきなり姿が変わったぞ!? おいハルネリア!」


「知らないわよ! 前までの彼じゃない! もう、わかんない……私にもわかんないわよもう!」


「考えるのはあとです。セレニアさん、ハルネリア様、今は引きましょう。若様の魔力放出に巻き込まれます」


 困惑しながら、ハルネリアたちは必死に距離を取る。すでに彼女たちがいた場所は彼の魔力の波動で押しつぶされ、凍った床に無数のひび割れが走っている。


「なんだ、これ……へ、変化するのか? 女神様、あの……」


 さしものトリシュも、もはや笑うことはなく、片足の彼は尻餅をついて、困惑して右往左往するばかりで。


 もはやこれは敵ではないと、それは、漆黒のエリュシオンは判断したのだろう。その赤い眼はもう彼をみることはない。


 見るのは、青い巨人のみ。


「クアアアアアア……」


 甲高い声を上げて、青蒼のエリュシオンは立ち上がった。その巨体は、翼の生えた漆黒の魔者を覆い隠し。


 青い巨人は気づいていないのか、気づけないのか。変わりなく、脚を進めようとそれは重心を前に動かした。


 二つのエリュシオン。もはやそれのいる場所は、違う。


 この光景を理解できる者などいない。理解しようとする者などいない。


 気がつけば、青い巨人の腹部に青い大剣が突き刺さっていた。とてつもなく巨大になった青い大剣が、突き刺さっていた。


 その勢いに負けて、青い巨人は身を三歩後退させた。細身のその身体を、大きく揺らして。


 巨人にすら見えないその動き。全ての速さを超えた漆黒のエリュシオンが動き。誰にも、見えない。誰にも、追いつけない。誰にも、理解できない。


 一瞬の、さらに一瞬。黒き魔者は赤き大剣をさらに大きくし、巨大な柱を振るかのように、重々しく真横に払った。


 いとも簡単に両足を切断され、巨人は倒れ込む。腹部に刺さった赤き大剣を軸にして、巨人は氷の上に蹲る。


 凍る能力も、その回復力も、追いつかない。一瞬が長く感じるほどの一瞬。


 もはやそれは、止まった時の中を動くが如く。赤き翼の漆黒のエリュシオンは、赤き大剣を肩に構え、大きく大きく空に飛び上がった。


 そして広げる。巨大な赤き翼。真下には、青き大剣が突き刺さった青蒼のエリュシオン。


 億を超える魂も、その巨体も、もはや先へ進んだ者にとっては何の意味もなく。


 それは、高き位置から赤い大剣を肩口に構え、そして力の限り投げつけた。大剣は円を描き、真っ直ぐに巨人に向かって飛んでいく。


 命中したのは、青き巨人の頭部。頭部に突き刺さった赤き大剣は、勢いのまま腹部の青い大剣に到達する。


 十字に裂けた巨人は、もはや巨人と呼べるような形ではなく、ただの青い肉片で。


 黒き魔者は空の上で一瞬だけ太陽を見て、両腕を広げた。禍々しい黒くて赤い両手に、黒い光が集まる。


 漆黒のエリュシオン、意思のある魔物、意志のある、魔者。


 彼は、この状況において尚、あることを感じていた。目の前で十字に斬り裂かれた青い人に対して、感じていた。


 あまりにも、哀れだと、感じていた。


 意思がなくただ人を殺すだけの災害に過ぎない存在になって、その上で悲願であるエリュシオンに至ったとして、意味などあるのだろうか。


 意味などない。


 それはきっと、有る者だからこそ思うこと。有る者にしか思えない、こと。


 両手に集まった光を正面に固め。巨大な巨大な魔力の弾を作って。そして撃ちだす。真っ直ぐに、青き人に向かって撃ち出す。


 それは何もかもを消し飛ばす弾丸。黒き光に青き人の全ては飲み込まれて、そしてその下。氷固まった湖を通って。


 一瞬後に、蒸気を発して、氷は全て水へと融解する。凍った湖は、一瞬で普段の水溢れる湖に戻る。


 湖の中央に浮かぶは巨大な赤い翼をもつ漆黒のエリュシオン。どこから飛んで来たのか、その両手には赤と青の双剣を持って。


 その禍々しい姿、世界の終焉をもたらす魔王が如き姿。それは、人を救う最後の切り札。


 彼は見上げる。彼は見る。遠く、遠く、高き塔から光の柱がこちらに飛んできているのを見る。


 彼は見下ろす。湖の底を見下ろす。そして言う。無言で言う。


「これだけはそっちで何とかしろ」


 彼は、その光の根元に向かって飛んでいった。その速度は、正しく目にも止まらぬ速度。


 光の柱を横目に、漆黒のエリュシオンは飛ぶ。ヴェルーナ女王国を脅かす、最後の敵に向かって。

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