第42話 青蒼の下で魔物は吠える
それには意思は無く、意志は無く、ただ進むという行為を繰り返し繰り返し行っているに過ぎず。
一歩、一歩、一歩。その歩みに意味はない。凍り壊れる大地に意味はない。
ただ、それは進むという行為を行っているに過ぎなくて、生きてる限りそれは歩き続ける。
細長く、巨大なその身体は、一歩ごとに大きく揺れて、まるで関節が紐で結ばれただけの人形のように、ゆらゆらと腕を、頭を、腰を揺らして進む。
あまりにも異様で、あまりにも奇妙で。
ゆらゆら、ゆらゆらと、揺れて進むは湖の上。巨大なそれが踏みしめた場所から一気に湖は凍る。周囲の木々を巻き込んで、訪れる氷の世界。
ゆらゆらと、それは足を前へと進ませて、ゆっくりと歩いて向かうはヴェルーナ女王国が城。世界で最も高名な魔法師が居城。
「あれが何かなどどうでもいいんでしょうけど、それでも興味が絶えません。あれは、何でしょうね」
両手で杖を持って、輝く青い髪をなびかせて真っ直ぐに巨人を見る。氷の湖のほとりで、ラナ・レタリアはつぶやく。隣に立つ者に聞こえるように。
「魔法機関埋葬者が第一位、ラナ・レタリアの下に号を発します。最優先対象として青い巨人を滅しなさい。112番の優先指令として、この地にいる全魔法師へ命じます」
風が揺れる。静けさが周囲を包む。ラナ・レタリアの周りにいるのは、4人の埋葬者、そして数十人の魔法師。
「機関長、優先指令の許可を」
「存分に」
「ありがとうございます。では」
ラナは杖を掲げた。高く、高く掲げた。周囲にいた魔法師たちも各々の魔道具を取り出した。
「全員……進めぇぇ!」
ラナ・レタリアの号令と共に、その場にいた全ての魔法師たちが氷の湖へと一歩踏み込み、そして駆けだした。
遥か遠い過去より続く人類の歴史において、人々が絶滅しかかったのは一度や二度ではない。
数多の進歩の中で、まず人は火を発見した。そしてそれを使って物を熱するとそれが変化するということを発見した。
木を焼く。石を焼く。鉄を焼く。葉を焼く。肉を焼く。生物を焼く。水を焼く。
火を使うということは、何かを変えるということ。次に人は、それを組み合わせてさらに物を変化させることを発見した。
焼いて、焼いて、煮込んで、叩いて。ありとあらゆる試行の果てにたどり着いたのは、膨大な知識。物を変化させる知識、それは錬金術という名の学問へと進歩する。
人々はそれを使い様々な物を発明し、発見してきた。そして見つけた物をさらに変化させる力。人を動かす魂と、それから生み出される魔力。
魂は人の肉体の中にあれど、それは肉体の中にはないものでもあり。言い換えれば、魂はこの世界に存在した上で、この世界には存在しないものでもある。
その両面性故に、魂は、それから生み出される魔力は、『世界』に干渉できる。
その発見が、錬金術を魔法に、魔術に、そして魔導にと進歩させた。
そして人々は思った。さらに先に進めないのか、と。
結果として――人々は進めてしまったのだ。その先に、その先に待つ『世界』に。
青蒼のエリュシオン。その『世界』へと足を踏み入れた巨大な人は、全ての魔の先にいる。
氷の湖を駆けていく魔法師たちは少しづつそれに気づかされる。遠目で見て巨大だと感じたその巨人。近づけばさらに巨大で。
「こんなのが……彼と同じ……?」
赤髪を輝かせて、大量の本を展開しているハルネリアは、一言、そう言葉を発した。
その言葉は誰にも届くことはなく。巨人の足音にかき消された。
「火球! 敵左足! 全員撃ちなさい!」
ラナの号令の下、魔法師たちは脚を止め一斉に炎の弾を作り、打ち出した。まるで投石機のように、次々と火の玉は巨人の足へと飛んでいく。
相手はあまりにも巨大。外れる方がおかしい。当然その火球は、巨人の足に全て当たった。
「次!」
さらに火球が追加される。埋葬者以外の魔法師は見習いクラスがほとんどとは言え、それでも一人の人を簡単に粉々にできる威力の火球を撃てる。
次々と撃ち込まれる火球。巨人の足は、それを受けて火花を散らす。次々と当たっては、次々と火花を散らす。
「次!」
撃ち込まれる火球。
「次ぃ!」
撃ち込まれる火球。
――果てない炎の中、それは動く。
一歩、身体を揺らして一歩。青い巨人は一歩だけ歩を進めた。
それだけ、それだけの行為。それだけの行為でラナは察した。
「……何て硬さ」
無傷どころか、意にも介していない。巨人は、足に打ち込まれる火球に、そして目の前にいる魔法師たちに、一切の意識を向けていない。
そう、巨人にとって目の前にいる者達は、撃ち込まれた魔法の数々は障害ですらないのだ。
「ウゥゥウウウアアアアアア……」
地鳴りのような音だった。周囲の空気全てを揺らして、ラナたちの腹の奥に響く音が鳴った。
それは、巨人の声。言葉にもならないような声。
巨人は腕を伸ばし、魔法師たちの方へと掌を向ける。
「何を……?」
「いけない! ラナ!」
「ハルネリア?」
破裂音。パンという破裂音の後に広がるは衝撃波。空気の塊が圧縮されて、押し出されるように。一気に空気を押し込んでそれは前へと伝わる。
「セレニアさん!」
「急に言うな!」
一瞬、ラナの前に何かが一瞬現れた気がした。
音、衝撃、青い光。
風圧、肌を押す風圧。押されたままに、砕ける感覚。
まさに瞬間。気がついた時には、ラナの目の前の景色が変わっていて。遠く彼方。巨人が先ほどよりも遠くへと移動していて。
痛み、頭の髄に走る痛み。
眼に飛び込む。何か。眼に走る何か。
「なんてこと……! 何人生き残ってる……!? ショーンドさんそっち生きてる!?」
「駄目だ! 見習いは二人以外全員死んだぞ! 何が起こったんだよハルネリアさんよ!?」
「なんて、こと……これが、周りが凍る正体……!」
痛い、痛い、痛い。ラナの身体に走る痛みは、急速に彼女の意識を現実に引き戻す。
痛みの先へ、眼を向けようと首を曲げる。そして見た。自分の状態を見た。
両脚が無かった。大腿部から下が、なかった。
「なぁっ……あ、ああ……!? 何、何、何……!?」
「ラナ落ち着きなさい! 止血はしてあるから!」
「私の……そんな、脚……何で、何で!? 攻撃!?」
「攻撃じゃない……アレは……!」
ラナは痛みと混乱で狂いそうになる自分を必死に抑えた。それができるのも、経験豊富な魔法師である彼女だからこそ。
ハルネリアは額に汗を流して、前を向いた。その先にいるのは青い巨人。
「奪ってる……アレは、全てを吸収しながら歩いている……周囲の熱も……空気も……一瞬で熱が奪われて、一瞬で空気が奪われて、一瞬で全ての物が動きを止める。それが氷の正体……!」
「な、に……何、それ。待って、待ってください。それじゃ、あれが、城についたら……」
「城にいる者は何もできずに全員死ぬわ。あの見習いたちのように」
ラナはハルネリアが目を向けた方向へと、首を動かした。そこには、ラナと同じように身体の一部が欠損した者達が大量に倒れていた。
脚、腕、頭、身体の半分。それらが欠損した部分は人それぞれなれど、そこに倒れている殆どすべての者たちは身体のほとんどを持って行かれていた。
「……倒れてるのは皆」
「死にましたか? 一瞬で? そんな、あの、一瞬で? ハルネリアさん、そんな、嘘……」
「いいえ、本当のことよ」
「……お待ちください。私、たち、いつの間にこんなに遠くへ? 湖の畔まで……飛ばされました?」
「いえ、そこは私の知り合いが」
「知り合い……」
首を横へと向けるラナ。その眼線の先。黒くて長い髪を風に揺らして、鋭い眼をした女が一人。
「セレニアさん助かったわ。何度も往復させてごめんなさいね。刻印かなり使わせたけど、魔力大丈夫?」
「……問題ない」
「そう、ならいいわ。それじゃ」
スッと眼を細めるハルネリアに、左手を抑えながら前に進むセレニア。
氷の上に足を出して、セレニアは進む。
「ショーンドさんはラナの治療を。マディーネとギャラルドさんはお母様……女王陛下の下へ。女王と、メリナを助けて」
「応、任せとけ。さっさと治して適当に義足でもくっつけてやるぜ」
筆を持った手を胸に押し当て、ショーンドが答える。
「僕が女王陛下の……光栄ですね。感動モノです」
金属でできた輪を転がして、ギャラルドが答える。
「はい、師匠は?」
空に浮かんでいる大量の紙を手に集めて、マディーネが問いかける。
「私は彼らと一緒にあれを止める。もう一体の方は、任せるわ」
「はい、わかりました師匠」
強くうなずいて、マディーネは答える。
二人の会話に、ふと違和感を感じて、ラナは問いかけた。
「もう一体とは……?」
その問いに、ハルネリアは上を向いて。
「最初から、エリュシオンの魔物は二体いたのよ」
「なんですって? そんな、馬鹿なこと」
そして降り注ぐ。光の柱。空に広がるエイジスの壁に叩き付けられて。激しく、激しく光が迸る。
轟音と、圧倒的光。驚いた顔のまま固まるラナ・レタリア。
「どこにいるかはわからない。でも、最初からこの光が、私がロンゴアド兵団と共に破壊した兵器と同じものから放たれているということは、わかっていた」
消え去るエイジスの壁。ヴェルーナ女王国を覆っていた光は、またもやなくなって。
「もう一度エイジスを展開するにはこの国の人々では魔力量が足りない。次撃たれたら終わり。この国は終わり」
そういいながら、ハルネリアは背を伸ばして前を向く。氷の上を歩くセレニアの方を見る。
「それまでに決着をつける。あの巨人を倒して、世界のどこかにいるもう一体のエリュシオンの魔物を倒す。それができなければ、この国と魔法機関は終わり」
ラナはハルネリアの横顔を見た。そんなことできるはずがないとラナは思ったが、それを口にできないほど、ハルネリアの顔は澄んでいて。
「それじゃ……ラナ、姉弟子の階級を簡単に超えたあなたなら、脚ぐらいなくてもすぐ復帰できるわ。頑張ってね」
「ハルネリア……姐さん」
「お母様ならきっと、もう一体がどこにいるかを探し出してくれる。マディーネ、それを見つけれたらすぐに私に伝えて。何とかして、そこに行ってみせるから」
「はい」
「それじゃ、ね。生きてたらまた会いましょう」
言うべきことを残して、ハルネリアは氷の湖に再び足を踏み入れた。前をゆっくりと歩くセレニアに追いつかんと、少し速足で、そのローブを揺らして彼女は歩く。
その後ろ姿をラナは見送って。そして言えなかった言葉を言った。
「勝てるわけがありません。ですが、何故、こう、堂々と、前へ進めるのですかあの人は……」
「私もそう思いますラナ様。しかし、前を、遠く、向こうを。見えますか? アレを」
「アレ……アレは……?」
「もしこの世界に奇跡があるとするならば、彼がここにいることこそが奇跡。私が師匠と会ったように、この奇跡はきっととても優しいことになると思います。私は、信じます。このマディーネ・ローヘン。命をかけて、信じます」
「……そう、ですか。ならば私は、ただ見守るのみ、です」
遠く、向こうを見るラナの眼に映るその姿。禍々しき姿の中に、何故か伝わるやさしさ。
背に赤と青の大剣を背負い、右手に騎士を引きずって。遠く向こうを歩くは漆黒のエリュシオン。
黒き魔者が、青き魔物へと迫るその姿は、正しく奇跡。ラナ・レタリアはその姿を見て、どこか安心した表情で眼を瞑り、意識を遠く深淵へ落とした。




