第7話 血の魔剣士
声が聞こえる。
そこは嘗て、砦として用いられていた場所、砦は朽ち、ただただ寂れた場所。
日が落ちると、そこには声が響き渡る。叫び声が。慟哭の声が。
砦の中にある一室。壁は崩れ、床は剥がれ、部屋として用いるには心もとない部屋。
その中心に、赤い剣が突き刺さっていた。その剣を中心に、地面に走る赤い円。紋様、魔術陣。
「血は力に、血は力に、血は力に、血は力に」
禍々しい鎧を着た男が魔術陣の周りを歩く。片手には本、片手には赤い液体の入った瓶。一定の量を落としながら、その男は歩く。
瓶の中身が無くなると、男はすぐさま机に置かれた瓶を取り蓋を開ける。そして同じように液体を落としながら歩く。
数適液体を落とした後、男は立ち止まり瓶の口を鼻に近づけその匂いを嗅ぐ。一通り嗅いだ後、男は壁に向かって瓶を投げつけた。
どろりとした瓶の中身が壁にぶちまけられる。
「この血! 処女の血ではない! あの歳で! まったく乱れてる!」
鎧姿の男は叫び、そして嘆いた。涙を流しながら、処女ではない者の血を使ってしまったことを後悔する。
「ふざけるでない! これでは我が魔剣が腹を壊してしまうではないかぁ! あの女め! 許さん!」
男は、扉を蹴とばす。その扉の向こうには、首から血を流した死体が大量にあった。首から流れる血は金属の漏斗を通り、瓶へと注がれていく。
その死体は身体つきから明らかに女。首なしの女の死体が十体以上。
男は一つの女の死体を掴むと、金属の漏斗を外し、その死体をおもむろに壁に投げつけた。バンっという肉が壁にぶつかる音が鳴り響く。
その死体の血を受け止めていた瓶を踏み砕き、男は叫ぶ。
「王国は乱れ過ぎだ! 町娘だ! やはり町娘を捕らえないと! 我が魔術の果てに至れない!」
男は激しく扉を閉じて闇の中へと消えていった。魔法機関指定オーダーナンバー14、魔剣士、アーセル・ブラッド。その男は、ただただ血に飢えていた。
砦から少し離れたところに町がある。平和なその町は、朝早くから人たちで溢れる。男も、女も、皆が笑顔で町を行く。そこは平和そのもの。
町を歩く者の中に、彼らもいた。セレニアと、ファレナ。そして彼、ジュナシア。彼らは町民の服を着て、町を行く。
「せ、セレニアさん! あそこ! あそこにまたお店が! 何かいい匂いがしてますよ! 買ってきます!」
「お前、どれだけ食べるんだ。はぁ……」
初めて訪れる町の市場にはしゃぐファレナ。彼女はパンを頬張りながら、店で買った果実を口に運ぶ。いつの間にか彼女は食べ物で口がパンパンになっていた。
「なぁ……こんな町民にまぎれることは無かったんじゃないか?」
セレニアが彼に問いかける。彼は、ジュナシアと名付けられた彼は、セレニアの顔に眼を向けた。セレニアはそれに思わず目をそらしてしまう。
「セレニア」
「あ、ああ……悪い。お前の、町民の姿も悪くないな……いや違う。仕事だこれは……いや、頭首の命ではない、やりにくいな……どこから手を出す?」
「相手の魔術の解明。リストには詳しくは書かれてなかった」
「純粋な魔術師ではないんだ。そこまで深い術式ではないだろう……なぁお前、私が」
「セレニア」
「あ、ああ……じ、ジュナシア。私が……あーくそっ」
顔を真っ赤にさせて、セレニアはその黒い髪をかき分けて頭を掻く。この町へ着く前に彼はセレニアにあることを言った。
自分を名で呼んで欲しいと、彼は言った。
だから、セレニアは彼をジュナシアと呼ばねばならない。
「……ジュナシア、私が砦に潜入してこようか?」
「いや、いい。使い魔はすでに飛ばしてある」
「ならばどこから術の解明に動く? 数か月張り付くのもいいが、時間をかけたくはないだろう。あの調子であの女に食わせてるとあっという間に金が無くなる。相手を殺す前に私たちが餓死するぞ」
ジュナシアたちの眼の先にはいつの間にかさらに食べ物を手にしていたファレナの姿があった一口ごとに笑顔を振りまく彼女は、いつの間にか町民たちの注目の的になっていた。
「お嬢ちゃん、よく食べるね。これも持っていきな」
「んぐ、んぐ、ありがとうございます!」
店主もあまりにもおいしそうに食べ物を食べるファレナの姿に、すっかり顔がほころんでいた。露店の店主たちは購入したモノ以上のモノをポンポンと何の躊躇もなく彼女に渡していく。
ファレナの両手は気が付けば食べ物で一杯になった。満足したように、彼女はジュナシアたちに駆け寄る。
「いっぱい貰いました! さすがに食べきれませんので食べてください! さぁセレニアさん、ジュナシアさん、遠慮なく!」
「日持ちしないものばかりじゃないか……」
セレニアが一つ、果物を手に取って口に運ぶ、ジュナシアもまた、同じように口に運ぶ。
「いいものを貰ったな。時期的にいいものだ……なぁおま……いや、ジュナシアもそう思うだろ」
「まぁ……」
もぐもぐと、二人は果物を食べた。その甘酸っぱさが彼らの空きっ腹に染み込む。
セレニアは一通り果実を食べた後、目をすっと細めた。その目でファレナを見て、彼女は口を開く。
「だがもう私の傍から離れるな。目立ち過ぎると碌なことが無いぞ。いいな?」
「あ、すみません。そうですよね。暗殺者ですもんね。目立っちゃ駄目ですよね。すみません本で予習はしてたんですけど……」
「それと町中で二度と暗殺者という言葉を使うな。二度は無いぞ。いいな?」
「あ、す、すみませんセレニアさん……」
三人は町の片隅へと移動する。この町の近くに目標とする者がいる。だが真正面から乗り込むと必要以上に傷つくことになる。だから暗殺者は、まずは情報収集から入るのだ。
「あの、それで、私初めてなんですけど暗殺って、どうするんですセレニアさん?」
「お前……暗殺する気だったのか?」
「あ、いや、それで連れてこられたのかなって……すみません」
「ふぅ……それで、じ、ジュナシア。とりあえずここまでで掴んだことをまとめよう。術式のことは別にしても、ここにきて数時間でかなり分かったことがあるだろう」
「ああ」
セレニアは両腕を組んで、周囲に人影も人の気配もないことを確認すると、ゆっくりと口を開きだした。一つ一つ丁寧に、言葉を繋げていく。
「まずはこの町だ。ここは魔術師の本拠地から一番近くの町だ。リスト通り、魔力を使った気配がある。情報通りだな」
「そうだな」
「集めた情報によると、数か月前は人さらいが横行してたらしい。攫われるのは決まって若い女。見つかった例はないと。まぁ十中八九魔術の材料だろう。人体か、魂か、ありきたりだな」
魔術には材料がいる。個人の魔力では明らかに足りない術式を行使するために。魔力の詰まった道具や、魔力発生源そのもの、つまり人や他の動物などがそれに選ばれる。
「……そして最近は人さらいは止まったらしい。これがわからないな。術式の研究を止めるなど、魔術師にとっては自分の否定に他ならない。ファレナ、お前は城にいたのだろう。アーセルの噂など聞いてないか?」
「え、えーっと……知りません。私、部屋からほとんど出ませんから。お話し相手も侍女ばかりで、そもそも眼が見えるようになったのって数か月前ですから……って、何故その魔術師の噂が城で流れるんです? 無関係ではないんですか?」
「ファレナ城には魔術協会が入ってるからな。噂になってないということは、そこまで大きな術式ではないかもしれないな」
「セレニア」
「うん? 何だ?」
「使い魔が死んだ。かなりの結界だ」
「何だと? 妙だな……たかが魔剣士が、そこまでの結界を張れるか? オーダーナンバーも14だぞ」
セレニアとジュナシアは二人して考え込んだ。少しいつもと違う感覚に、何となく彼らは嫌な感覚を覚えた。
「…………駄目だ。考え込んでも仕方ない。おいファレナ、宿を取りに行く。ついてこい」
「は、はい、あの、ジュナシアさんは?」
ファレナはジュナシアの顔を見る。その顔は優しげで、だが少しだけ眼が鋭くなっていて。
その眼にファレナは何か引っかかるものを感じていた。
「……夜まで町を見る。情報が欲しい。セレニア」
「わかってる。中央広場にいててくれ。夜に迎えに行く」
「頼む」
一言残し、ジュナシアは消え去った。ファレナは消え去った彼の姿をキョロキョロと探したが、当然のように見つかることは無かった。
「何してるファレナ。行くぞ」
「は、はい。あの、ジュナシアさん。何かちょっとずつ喋るようになりましたけど……私に話しかけてくださらないのは、何なんでしょう」
「……あいつは人見知りするんだ。あいつがいなくなったからあえて言っておくが、あいつは私のモノだ。いいな?」
「は、はい……うーん……これさえなければいい人なんだけどなぁ」
「何か言ったか?」
「な、何でもありません……」
夜が来る。町は暗さを増す。夜は、魔術師の時間。
その時間に向かって、町はゆっくりと進むのだった。