第41話 人々を照らす日は陰り
遠い遠い日に、男は世界の先を目指した。
世界の先を世界の果てを世界の向こう側を。男は、世界の先を、約束された理想郷を、エリュシオンを目指した。
幾多の魔術師が、魔法師が目指したその果てを目指す。それは、ありきたりのことながら、究極の目標。
実際エリュシオンを本気で目指してる者など殆どおらず、それが何かを理解しようとする者も殆どいない。
何故なら、その目標は到達すべき極地であって、到達すべき極致ではないから。各々魔に関わる者にとっては、それは夢であって、叶えるべき現実ではないから。それを目指すということは、人の生を捨てるということだから。
圧倒的に、生が足りない。一人の生、60年、70年、80年。それだけで到達できる場所ではない。
だからその男は、ただひたすらに生を求めた。永遠の生を。
まず男は生を奪った。数多の魂を喰らい、数千数万の命を重ねて自らの生とした。
確かに、男は死ななくなった。殺されてもすぐに再生できる。男は、死霊使いの開祖となった。
だがそれでも、足りない。生が足りない。そう、男は年月とともに、確実に老いていったのだ。
人の命を喰らい続ければ老いにくい身体は得られる。だがそれは老いがないということではない。時と共に必ず終わりは来る。誰にも終わりは来る。差はあれど、終わりは来る。
男は考えた。老いを止めるには時間を止めるしかないのではないかと。時間を止める術を開発するべきなのではないかと。
結論として、男は千年を生きたが結局老いに勝つことはできなかった。時間を止めることなど、世界を止めるに等しい行為。それこそすべてを超越しなければ不可能で。エリュシオンから力を得なければ不可能で。魔術師である男にはそれは不可能で。
男は、数億の魂と共にその命を終えた。結局、目指したエリュシオンへは彼は一歩たりとも近づけなかったのだ。
残ったのは、数億の魂と、老いて死に、枯れ木のようになった身体。
そして、奇跡が起きた。
生き場を失った魂は、一つの身体に次々と、次々と入り込む。消えることを拒む魂はその亡骸に次々と入り込む。
身体は形を変え、少しずつ、少しずつ大きくなり。数億の生は一つの個となる。
生まれ出るは『青蒼のエリュシオン』。それは大きく、大きく、大きく。男の目標の一つだった、永遠の生を得る。
皮肉なことに、男の願いは、エリュシオンを目指すための生が欲しいという願いは、死して後に叶ったのだ。
「何だあれ、でかくないか……?」
ヴェルーナ女王国の城の下、市民たちの避難を急ぐ役人の一人は、遠くに現れた人のようなものをみてそう言った。
ヴェルーナ女王国の中心には巨大な湖がある。その湖の向こう、遠く遠く離れた向こう、それでもそれはまるで目の前に立っているかのように見える。
巨大、あまりにも巨大。
青い身体を揺らして、細く長い人のような形をしたそれは、灯台と見間違うかの如き背の高さで。ヴェルーナに立つ家々の屋根の高さが膝にすら達していない。
それが歩いてくる。一歩一歩、ゆっくりゆっくりと。
一歩歩くごとに白い煙があがる。一歩歩くごとにバキンバキンと何かを割るような音がする。
凍っている。その巨人が歩く場所は、巨人がいる場所は、全て凍っている。そして砕け落ちている。
ゆっくりゆっくりと、それは真っ直ぐにヴェルーナの城に向かって歩いていた。
「おい……こっちくるぞ……ギャラルドさんよ……どうする?」
「何でもかんでも僕に聞くな。ショーンドさんも考える癖をだね」
「いや、あれ、考えるって、おいつかねぇよ理解が……」
魔法師たちが唖然とした顔をして、思い思いに声を上げていた。
「はぁ……トリシュめ。ついに召喚しやがったな。アリア女王陛下はアレはよっぽどじゃなければ使うなと……いや、よっぽど、なのか?」
「そりゃあ兵士の大半が蒸発したからの。わしらも魔力のほとんどを持って行かれた。敗北必至じゃぜ今は」
「あれ敵味方の区別なんてねぇんだろ? どうすんだよもう支配もくそもねぇぞ。火山のど真ん中にもどせんのかよあれ」
あるだけの魔力をエイジス発動のために吸い取られた騎士たちは、ファレナ王国騎士団聖皇騎士サーガスとオルディンは、互いに肩を支え合ってそれを見ていた。
「姫様! 姫様ぁ! 何ですアレなんです!?」
「リーザさん私もう姫様じゃないと……何でしょうねあれ。なんか段々近づいて来てるような……女王様どう思います?」
「あれもまたエリュシオンの形、か」
城の中、玉座の間にて、ファレナたちもまた、それをただ見ていた。
あまりにも大きいその魔物。意思のないその魔物は、ただ前へ進むという行為だけを行う怪物。進む先全てを凍らして、青蒼のエリュシオンはヴェルーナ女王国を進む。
ゆっくりゆっくりと、進むその足は、正しく破滅への一歩。全てを壊し、全てを飲み込み、ただ進むそれは、災害に他ならず。
あれは、倒さねばならない。
漆黒のエリュシオンと化したジュナシア・アルスガンドはその赤き眼を光らせ、巨大な魔物を見る。意思のない魔物など、自分にとっては最悪の存在。故に彼の本能は、あれを壊せと訴え続けている。
「圧倒的力である青蒼のエリュシオン、無限の魔力と無限の力を持つアレがもたらす悲劇。どうなる? どうなってしまう? ふふふはははははは!」
高笑いをして、トリシュが自らの剣を右に振る。その速度はもはや人の眼に捉えられるものではなく、轟音と共に剣圧で地面が割れる。
「さて、そろそろ、傷ぐらいはいけるだろ? 僕の成長に、まだまだ付き合ってもらうぞ漆黒のエリュシオン。ふふはははは!」
騎士の笑い声は遠くまで響く。遠く巨大な魔物の元まで。その巨大な魔物は、ゆっくりと全てを凍らしながら歩く。全てを凍らして、全てを踏み割って。
青い眼が光った。それだけで、巨人の足元は一気に凍り、全ては白銀の粉に姿を変える。
村が、町が、家が、青い巨人に触れた先から粉になる。
その国にいた、全ての人がそれを見ていた。
その国に来た、全ての人がそれを見ていた。
そして全ての人が理解した。
『それ』に、手を出してはいけない、と。
『それ』に、手を触れることはできない、と。
青い巨人は身を揺らし、一歩一歩確実に前へと進む。振り返ることはなく、前を見ることもなく、ただ足を前へと動かして進むその姿は、正しく力。圧倒的な力。
誰が言い出したか、誰が始めたか。人々は、我先にと巨人から逃げ出した。城を避け、左右に、東西に、少しでも巨人から離れるべく、人々は逃げ出した。
「ま、待ってください皆さん! 城は安全……安全です! 城へ、城へ入って! 城……待って!」
安全かどうかなど、誰にも分らない。
「待って! 女王陛下がお守りくださいます! 城下町から離れないで! 離れないで!」
本当に、守ってくれるのかなど誰にも分らない。
「馬鹿な、馬鹿なことが……これは、夢か? 敵の兵士を……消せたのに……こんなこと……」
遠い、その巨人がいる場所は遠い。だが、近い。あまりにも近い。一歩ごとにその足音が、その爆音のような足音が大きくなる。一歩ごとに、周囲の気温が少しずつ下がるのが理解できる。一歩ごとに、追いつめられるのが理解できる。
それは、悪夢。確実に迫る悪夢。
「ラナ様。いかがなさいますか?」
「魔法師は人を救う者。この地にいる全ての埋葬者を集めなさい。機関長も呼びなさい。この地に彼も必ずいます」
「なんとか、なるのですか?」
「わかりません。しかし、ほってはおけません。魔法機関はこのために、魔法は人を救うために。急ぎなさい」
「はい……すぐに遠距離通信の式を」
悪夢を終わらせるのは、目覚めの鐘の音。平穏な時を人々は待つ。誰に願うことなく、人々は静かに待つ。
魔法機関埋葬者第一位、ラナ・レタリア。風に揺れる青髪を手で抑えながら、彼女は巨人の前に立った。




