第39話 ただ歩んだその足跡は
進め。
「進め!」
進め。
「進め!」
頭に鳴り響くその声を、喉に乗せて口に乗せて、大きく外へと吐き出す。
嘗ては騎士の鏡とも呼ばれたことがある聖皇騎士トリシュは、狂気の顔を見せてただただ頭の中の声を外へと吐き出す。
彼が普通ではないと誰もが思う。だがそれを彼に伝える者はいない。
殺せ。
「殺せ!」
殺せ。
「殺せ!」
彼は、正しく狂人。触れる者全て殺す狂人。彼は大軍を引き連れ、次々とヴェルーナ女王国の村を、町を落としていく。
そして次々と、人々を殺していく。
彼の後ろにいる騎士の武器は、兵士たちの武器は、赤色に濡れてない物は一つも無く。血で、肉で、彼を初めとする者たちは真っ赤に染まっている。
これは本当に人がすることなのだろうか。
血の行軍は続く。人々を飲み込んで。ヴェルーナの城へと向かって。
ある者は、泣き叫ぶ子供を嬉しそうに剣で貫いた。
ある者は、逃げ惑う男の背に向かって槍を投げた。
ある者は、命を懇願する者を魔術で破壊した。
当然、躊躇っていた者達もいる。虐殺などしたくないと言った者もいる。
だが、人は慣れる。慣れてしまう。いつしかその躊躇いは、慣れというもので薄まってしまう。
ファレナ王国騎士団の者達は今、完全に狂気に慣れきってしまっていた。
「……来るぞ。三つ目の隊だ」
「これで最後だ。セレニア、合わせろ」
頷くセレニアに向かって、人差し指を一本。眼を合わせて。
一つ頷く、二つ頷く、眼を瞑って、三つ、頷く。
折り曲げられる彼の指。ぐっと握り拳を握るように手を強張らせて。
地面から飛び出す銀色の刃は、その数数十本。どこかを狙うことはなく、ただ真っ直ぐに飛び上がる。
向かう先には大量の行軍の先端、数人の兵士、数人の騎士。
狂気の行軍は、その瞬間に足を止める。先頭にいた数人の兵士たちが村に足を踏み入れるや否や、刃が飛んできて、それが喉に突き刺さって、その刃の違和感に手を添えて、もがいてあがいて血を吐いて。
音を立てて地面に倒れる者達の顔を見て、兵士たちは足を止める。そしてそれを物陰で見ていた彼は静かに声を発した。
「これで終わりだ」
ヴェルーナ女王国郊外、ある村の隅で彼は静かに人を殺す。いつの間にやら敵兵たちの死骸は村のいたる所に存在するようになって。
彼は胸に手をあてた。トントンと小さく胸を、脇を手で叩いていく。
帰ってくる感触に、少しだけ彼は顔をしかめる。
「セレニア、残ってるか」
「数本ならあるがこれはやれんよ。私が戦えなくなる」
「そうか」
彼は剣を抜く。青と赤の二本の剣を腰から抜く。
「セレニアは少し下がれ。もう村で抑えるのも限界だ。急いでマディーネと共に残った村人たちを避難させるんだ」
「わかった、先に退く」
セレニアは彼の横顔を見て、そしてその場から消えた。しゃがみ込んでいた彼は一人、剣を両手に持って立ち上がる。
彼はすでに気がついていた。もはや、この国はどうにもならないことに気づいていた。守り切れないと気づいていた。
すでに双剣以外の武器は無く、本来ならばただ生き残るために一人ででも撤退すべき状況で、それでも大軍に向かって走り出したのは何のためか。
当然、それは、他人のため。
「誰だ!?」
誰かが叫んだ。その声、男の声。
そう叫んだ男にも、家族があり、友人があり、その男の人生があるのだろう。
だが男は、彼にとっては敵。叫んだことで彼の標的になって。一瞬のうちに彼に懐に入られて、そして斬り殺された。
飛ぶその男の頭を見て、すぐそばにいた別の男が困惑の顔を見せる。
「たった一人!? 何人いると思ってるんだ!?」
誰も殺されたくはない。当然、それは当然のこと。
だからこそ、人は死する瞬間恐怖する。恐怖しない者は、死人のみ。
頭の先から両断され、そう叫んだ男も一瞬のうちに死んだ。
容易く、あまりにも容易く、人は死ぬ。
だからこそ、生きてきたということに意味がある。価値がある。
彼は縦横無尽に大軍の中を走り、次々と人を殺していった。飛び散る血が服についても、顔が血に濡れても、彼は止まらない。
「馬鹿野郎が! たった一人に! 退け!」
人を押しのけて、その声は彼に近づいてくる。かなりの速さで近づいてくる。
次の瞬間彼の眼に唐突に飛び込んで来た映像。自らの身体を両断せんと襲い来る剣の映像。
それを両手の双剣で止めたが、それでも彼は大きく吹き飛ばされた。空中で姿勢を整え、何とか彼は地面に足をつけ着地する。
そして見上げる顔の先。煌びやかに鎧に身を包んだ男がそこに立っていた。男の後ろには多数の敵兵。
「やった! さすがトリシュ様!」
兵の一人が声を上げた。そしてそれに続かんと、一斉に声を発する兵士たち。
「やかましい黙れ!」
それを一喝して、トリシュは兵たちを静める。
「貴様らは早く城へ迎え! 早くこの国の人間を殺しに行け! 弱いものしか殺せないのならばそれで役に立ってみせろ!」
命じられた兵士たちは、一瞬驚いたような顔を見せてから、各々バラバラの歩調で走り出した。
カランと、軽い音が鳴る。トリシュが自らの剣の鞘を投げ捨てた音。
「ちっ……雑魚共が……先行した部隊はどうしたんだ。全く……う、う……んん……?」
トリシュは頭を押さえて、眼を左右に揺らす。その姿を前に、彼は、ジュナシアは左右の双剣をクルクルと回す。
「君、悪いが……最初から最後までここで私と戦ってもらう。君を抑えろと、女神様が言っている。女神様……がっ……うくっ……何故、殺し……」
頭を振って、トリシュは剣を構えた。正統派な、両手での剣の構え。
――何故か、ジュナシアはこの目の前の男を、全力で叩き潰さないといけないと、思った。
左手の甲が輝く。その手を顔の前に上げる。
赤き光は刻印を過ぎ、ジュナシア・アルスガンドの身を包み。赤い光は黒い風を呼んで。
巻き上がる黒い風は彼の身体を包み変え一瞬のうちに彼の姿を変える。黒い魔者に姿を変える。
エリュシオンの魔者に姿を変え彼の赤い眼に、映るのは目の前で剣を構える騎士だけ。
「おお、中々に、実際目の前にするとかなりのものだ。さぁ、女神様、次は……」
そしてトリシュは瞬きするよりも早く、身体を四散させた。




