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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第二章 輝ける君のために
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第33話 国境突破 後編

 この書にて交わした約束を違えれば、忽ちに死ぬと純白の女王は言った。


 そこまでするはずがないとある王は言って、従者の手で書に記名させた。その直後に、王は後悔した。


 それならば従えないとある王は言って、その場を後にした。その直後に、王とその従者の身体は四散した。


 それでいいとある王は言って、自らの手で名を書に書き込んだ。その直後から、王とその国は傀儡と化した。


 諸王たちは各々の思いで純白の女王に忠誠を誓わされて。自らと自らの国の未来を全て捧げる。


 諸王たちを束ねて縛って叶えた願いは世界平和。純白の女王アリアは自らの傘下に入った王たちに一切の戦争行為を禁じるよう命じた。


 それはややもすれば、人々にとっては素晴らしい世界なのかもしれない。だが、世界中の人々は知っている。この平和が薄氷の上にあるものであることを知っている。


 諸王たちは女王アリアの術式によって、首に常に刃を突き付けられている状況にあることを知っている。


 市民たちはファレナ王国が兵器によって、それこそ指一本動かすことなく消滅されることを知っている。


 世界中の人々は、ある一人の女の気まぐれで簡単に殺されることを知っている。


 死という根源的な恐怖に曝されて、まともになれる者などおらず。


 少しずつ、少しずつだが、世界中の人々の心は荒み始め、少しずつではあるが山賊や海賊が増え始め、少しずつではあるが、世界は混沌へと陥り始めていた。


 王たちが自国に帰り、従属のために一斉に国の法を変えていったこの10日間。たった10日で、それは確実に起こり始めていた。


 人々は戦争行為がなくなった今、あえて思う。平和とは何なんだろうと。まるで常に縄を首にかけられているかのようなこの状況は、皆が理想とする平和なのだろうかと人々は思う。疑問に思う。


 そして将来的に、人々は求めるだろう。この平和を壊す者を求めるだろう。誰かを求めるだろう。


 彼は、それを知っていた。


「ボルクス貰ったぞ!」


「くっ」


 ランフィードの放った剣はボルクスの義腕の肘に突き刺さる。義腕はその衝撃で何かが切れたのか、力を失い、握っていた剣を手放した。


 金属が地面に落ちる音が響く。ボルクスはその落ちる剣に目を一瞬奪われ、そして――


「うん、まぁ、王子また一段とやるようになりましたな」


 ボルクスはそういうと眼を閉じてその場に座り込んだ。いつの間にかランフィードの剣はボルクスの眉間に突き付けられている。


「ふぅ……うまいなぁボルクス」


「おっと、聞こえますぜ」


 小声でつぶやくランフィードに、片目を開いてボルクスは答える。ハッとした顔を見せて、ランフィードは口を閉じて剣を握り直した。


 ボルクスは眼を瞑り直し、いかにも悔しそうな顔をして顔を伏せた。


「どわー! こりゃたまらん! 退け退け!」


「えぇ何もしてないんですけど!?」


 何か重いものが地面に落ちる音がした。ランフィードはその方向へを眼を向ける。ボルクスもまた、薄目を開けて音の方向を見た。


 そこには剣を握りあっけに取られるリーザ・バートナーと、大剣を投げ捨てて走るベルクスがいた。兵士たちも困惑しながらも、ベルクスと共に撤退していく。


 ベルクスの顔は、いたずらをして笑いを押し殺している子供のようで。くしゃくしゃに顔を歪ませて走っていた。


「ベルクス……全く、嘘がつけない男だなぁ……」


 自らの左手で顔を抑えるはランフィード。


「やっべ、バレる。兄者下手くそすぎる」


 やってしまったという顔をして眼を見開くはボルクス。


「さて、そろそろか、な」


 遠く、ファレナの背後で空中に寝ていたヴェルーナ女王は起き上がった。


 首を左右にゆっくりと曲げ、女王は地に足をつき歩き出す。両腕をまくり上げ大量にまかれた宝石を外に出しながら。


「のぉファレナよ参る、ぞ」


「どこへです女王陛下」


「決まっておろうが、ロンゴアド国へ入るのだ」


「え、まだ兵士がいっぱいいますし、もうちょっと待った方が」


「問題はない、よ」


 女王はずんずんと先へと進んでいく。少しためらいはあったが、ファレナは速足でそれに付いていった。


「見てて気づかんかったかファレナ、よ」


「何にですか?」


「あやつら、いや、少なくとも兵団の団長と側近たちは戦う気など毛頭ない、ということに」


「そうなんです?」


「うむ」


 女王は歩く。ついには、ロンゴアド兵団兵士を横目に、歩く。


「すまないボルクス。僕も行くよ」


「あとで追いつきますぜ。虫どもを退治したらね」


「ああ、あと、伝えておいてくれないか父上に。さらばですと」


「わかってます。まぁ、王もああ見えて連戦練磨の男です。最悪の事態もとっくに覚悟済みですわな」


「例えどうなったとしても、もう僕は振り返らない。いつか死すならば前へ進み死んでみせるがロンゴアド国。必ず僕は国を、世界を救ってみせる。彼らと共に」


「よい覚悟ですな。武人の国であるロンゴアド国の王子として素晴らしい成長を遂げました。さぁ行ってください。兄者には後できつめにしかっときますわ」


「ああ、頼むよ」


 ランフィードはボルクスの肩を軽く叩き、ヴェルーナ女王たちの元へと歩き出した。


「ファレナよ。主は世界にとっては毒、ぞ」


「毒?」


 兵士たちの間を歩きながら、女王はファレナの眼をみてそう口にした。ファレナはその声に、首を傾げながらも少し考え、そして顔を曇らせる。


「余計な事しようとしてますか?」


「そうではない、な」


 リーザが二人に駆け寄る。剣を構え周りの兵士を威嚇しながら。だが兵士たちは誰一人彼女たちに襲い掛かろうとはしない。


「人はの。常に死を突き付けられて生きておる。それに常に目を背けて人は生きておる。道を行けば、突然後ろからさされ死するかもしれぬし、外を行けば野獣に喰われ死するかもしれない。家に籠れば病にて死するかもしれないし、時を待てば老いにて死ぬ」


「はい」


「これから世界はその死に対して眼を背けられなくなるであろう、な。アリアの思いがどうであれ、一人の女に命を握られているということに対して眼を背けられなくなるであろう、な。だがな、慣れる。慣れてしまう。かかか、何年かすればこのいつ殺されるかわからない今に、慣れてしまう」


「はい、それは、わかります女王様。私も、眼がみえないということに慣れていましたし……もう二度と戻れませんけど」


「死を直視することに慣れてしまえば、待ち受けるは獄ぞ。死に慣れるとはそれ即ち死の軽視。死ぬならば、殺してもかまわないという心。人は、己の悪の心に常に枷をかけている。悪の心が一切ない人間など、人を超えんかぎりありえん、よ」


 ランフィードはヴェルーナ女王たちに追いついた。並び歩く四人。兵団の兵士たちは少しずつ彼女たちから離れていく。


「ファレナよ。これからどうするかは主に託す。だが心しておけ。主は毒ぞ。主が行動は、力を動かす。世界を混乱せしめる力を。心せよ。注意せよ。そして怯えるな。今できつつある死の秩序を殺す毒であれ」


「……わかりませんが、わかりました。頑張ります」


「それでいい、な。主を守るがために集まり、主が意志に従った者達を、今度こそ導いてみせよ」


 四人は、砦の門へと到達する。そして門の近くには、大量に倒れる兵士たちの中心に赤と青の双剣を握り立つジュナシア・アルスガンド。


 彼の剣には一滴の血もついておらず。彼の周りで倒れる兵士たちは一人たりとも死んではいない。


 ファレナは彼に向かって頷くと、彼は無言で四人に合流した。


 ファレナたち一同五人、皆肩を並べて門を潜る。門の陰には髭をさするベルクス。彼はやり遂げたように笑っていた。


「全く、これではファレナ王国にロンゴアドが裏切ったと思われてしまうな。いや困った、な」


 ヴェルーナ女王はそう言いながら、右手を上にあげる。


「これは独りごとだが、兵士どもよ。わらわたちがこの場より去るまで誰一人動く、な」


 女王は、人差し指と中指、右手の指を二本立てて。すっと、その腕を前へと降ろして。


 そして五人、ファレナたちはそのまま歩き、ついには砦の外へと出た。


 彼らは振り返らない。誰一人振り返らない。ロンゴアド国の砦の先は、綺麗な街道が広がっている。


 一歩、二歩、彼らは並び進む。三歩、後方で爆音が鳴り響く。


 彼らの背を打つ爆風。兵士たちの叫び声。


「んーしまった、な。どうやら使い魔を何匹か巻き込んでしまったらしい。しまった、な。これではファレナ王国の兵たちにここの状況を知らせられないの。しまった、な。かかか」


 彼らの後方にあるはずの砦は、すでにその姿を消していて。


 一切振り返ることなく、彼らは街道を進んでいった。

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