第30話 誰が為の今
嘗て、三人の老人たちがいた。彼らは天才だった。
一人は、魔力をそのまま形にする術を開発した。それは後の世に魔術として広がることになった。
一人は、魔力を形として残せる法を開発した。それは後の世に魔法として広がることになった。
一人は、魔力を導く形としての印を刻み付けた。それは後の世には魔導として、魔を超える刻印として彼の一族にのみ伝わることになった。
三人はそれぞれの思いを胸に。世界へと旅立っていった。彼らが去った後の彼らの故郷は、魔術と魔法、そして元々あった錬金術、それら三つの勢力が我らこそが魔を操るべき者であると主張し、憎しみ合い、そしてついには滅ぶことになる。
三人の老人たちは、何を思ったのか。故郷を捨ててまで何を成し遂げたかったのか。
「んー? 何じゃ娘、こんなところで何故寝ておる?」
一人の老人は道に横たわる金髪の娘に声を掛けた。その娘はところどころ傷つき、もはや服としての機能を有していない破れた布切れを身に着けて、そこにいた。
娘は、老人を見上げる。虚ろな瞳で、老人を見る。
「なぁんじゃ。物乞いするなら相手を選べ。わし金なんぞもっとらんぞ」
何を思ったのか。ただすがりたかっただけなのか。
金髪の娘は、老人のボロボロのローブの裾を握る。それを面倒そうな顔で老人は払いのけようとしたが、引っ張っても引っ張っても娘は手を離すことはなかった。
「ふーむ……しょうがないのぉ」
老人は右手を娘の背中に置いた。老人の右手は青白い光が放たれていた。光は、老人の手から娘の背中へ、背中から全身へ、ゆっくりと移っていった。
そして光が晴れると、娘の全身の傷は癒えていた。もはや傷など、一つも無い美しい肌がそこにはあった。
娘はハッとした顔をして、ゆっくりを起き上がった。身体の傷もなくなり、そして体力も戻っている。そのことに心の底から驚いた金髪の娘は、眼を見開いたまま動きを止めた。
「なかなかの魔力量じゃな。すぐに回復しよった。まぁ、悲しいことがあったんじゃろうけどな。生きてればなぁんかいいことあるんじゃぞ。ではな娘」
老人は驚き、固まる娘にそう声を掛けると、道を歩き出した。
娘が気がついた時にはすでに老人の姿はなく、足跡だけがそこに残されていた。
金髪を持つ娘は立ち上がり、ボロボロの布となった服を身体に巻き着けて走り出した。その足跡を追うために。
――私は、この争いしかない世界で、あの老人に希望を見た。
「あの、リーザさん。私ジュナシアさんが好きなんですけどどうすればあの人喜んでくれますか?」
「ぶっ!」
のどかな草原に腰かけて、小さなパンを口に含んでいたリーザは、ファレナのその言葉に思わず口にしていたパンを吹きだしてしまった。
ゲホゲホと咳き込むリーザ。水袋から直接水を飲み、リーザは喉に詰まったパンの欠片を胃袋へと流し込んだ。
「はぁはぁ……ちょ、ちょっと、姫様、いえ、ファレナ様、物食べてる時にきっつい冗談やめてください……」
「冗談じゃないです。あの、どうすればいいですか?」
「えぇぇぇ……ちょっと……えぇ……」
リーザは困惑した。ファレナが唐突なことをいうのは慣れてる彼女だが、それでも限度があるのだ。
「ええっと……いいですかファレナ様。好きとか嫌いとかは程度があってですね。いきなりいうと誤解を生むんです。うん、驚かせないでくださいファレナ様。喜ばせるってお礼がしたいとか、そういうことですよね。好きって、親しく思ってるってことですよね」
「ううん? うーん……まぁ、そうですけど」
「今の状況だと中々難しいものがありますけど、やっぱりお礼と言えば贈り物ですよね」
「贈り物」
「はい、ファレナ様も知ってるかと思いますけど、彼、あとセレニアさんもですけど、結構手袋とか傷んでるんですよね。だから無事ヴェルーナに着いたら一つ買ってあげればいいんじゃないですか。喜ぶはずですよ」
「なるほど! さすがリーザさん!」
「いやぁそれほどでも、ふへへ」
得意げな顔をして、リーザは再び手に持ったパンを口に含む。二度三度咀嚼して――
「で、私あの人愛してるんですけどどうしたらいいですかね?」
「ぶはっ!」
リーザは盛大にパンを地面に吹きだした。鏡のように輝く鎧にパンの破片がへばりつく。
盛大に咳き込んで、リーザは動けなくなった。慌ててファレナがリーザの口元に水を持って行く。
それを飲み、それでも咳き込むのが収まるにはしばらくの時間を有した。
「はぁはぁ……ファレナ、様、わざと、ですね?」
「あ、わかります?」
「わかりますよ……ごほっ……はぁー……もう、子供じゃないんですから……」
「ふふふ」
子供のように笑うファレナに、リーザは何も言えず、困ったような顔をして水を喉に流し込む。
一つ大きく息を吐いて、リーザは草原で腰を伸ばす。そして二人は互いに顔を見合わせて、笑い合う。
それはもはや仲の良い友人同士が交わす顔に他ならず。少し離れたところで宙に腰かける赤色の女王は彼女たちを見て、口元を緩ませる。
「心があり、感情もある。例え生まれが多少人と異なっていたとしても、あれを見て人でないと誰が言えようかな。紛れもなくあの娘は、人、ぞ。のぉアルスガンドよ」
「はい」
赤色の女王の後ろには黒色の男。ジュナシア・アルスガンド。彼は女王に背を向けて、遠く空をみて立っていた。
「使い魔はとっくに戻ってきておろう。夜まで待つか? それも良かろうが、如何せんあやつら二人が夜の戦いに慣れてないであろう。危険もある、ぞ」
「はいわかっております」
「なればまだ日が高いうちに参らんか? ロンゴアドの国境は、ロンゴアド国への関所はすぐそこではないか」
「はい、ですが、もう少しだけこのままで」
「そうか。まぁそれもよかろう、な」
女王は振り返ることなく、ジュナシアも振り返ることなく、二人は互いに背を向けて話す。互いに顔をみることもなく。二人はただ静かに今を待つ。
「アルスガンドよ。主、何に躊躇う?」
「躊躇いはありません」
「嘘をつくな。もう一度聞くぞ。何に躊躇う?」
「躊躇いは、ありません」
「そうか。まぁそうしか言えまいてな。男であるから、な」
ジュナシアの肩が揺れる。彼の背中に伝わる圧力は、赤髪の女王が持つ威圧感か。
「なぁ、アルスガンド。刻印師……いや、敢えてこう言おう。魔導師である貴様は、生の根源は何だと思う?」
「さぁ? 考えたこともありません」
「生の根源とはな。わらわは思にあると考える。全ての存在は無より出でて、思を持って生を得る。魂とはそれが集まり、多様性を持ったものであると、考える。ならば、何故魂より魔力は生みだされる?」
「さぁ? 女王陛下は問答が好きなのですか」
「かかか、なんとつまらん男よ。いや、違うな。面倒なだけなのだな。主、性格は父親似だの」
「そうですか。そう言われたことは初めてです」
「かかか、のぉアルスガンド。魔力とはな、生命の力なのだ。思の集合体である魂が、生命の力を生み出す。考えてみれば、当たり前であろう、な?」
「……まぁ、そう言われてみれば」
「さて、ここで一つ疑問ができよう、な。あそこに微笑むアリアの写し身であるファレナというものは、生きているのか否か。どちらだ?」
「当然、生きていると考えます」
「さよう。生が魂に、魂を形どる思にあるのならば、肉体など飾りよ。あやつは生きている。生きて進んでいる。例え、弱弱しくとも、な」
「はい」
「主の躊躇いは、そこに原因があるのではない、か? うん?」
「……それは」
「アルスガンドよ。躊躇え。ひたすらに躊躇え。貴様の躊躇いこそが、更に先へと進ませてくれるであろう、な」
「……よくわかりません。俺には」
「それでいい。20に満たぬ小僧がわかるものではない。くかかか」
女王は笑う。カラカラと、気持ちのいいように笑う。
ファルネシア女王が言うように、ジュナシアは躊躇いを持っていた。それは、今この景色のままで、進めたくないという躊躇い。
草原に二人、ファレナとリーザは微笑ましく談笑している。
草木が揺れている。
風に乗ってほのかに花の匂いが漂っている。
「これ以上は、安らぎは無い、ぞ」
女王が告げるその言葉、言われるまでもなくジュナシアはそれを理解している。だからこそ、動けなくなっていた。
「わらわの娘が生まれた時な。わらわはこの娘のためならば長き生全てを捨てても良いと思うた、よ。故に、アルスガンド。我が娘を守り切れず、血の涙を流させた貴様の父を、わらわは決して許さん、よ」
その言葉をジュナシアは聞き流すことなく、胸に留める。愛情のこもった女王の言葉を、聞き流すことなどできはしない。
「だが、な。感謝もしておるよ。主の父がいなければ、我が娘は、シルフィナは自らの力にのまれ冷酷な魔法師になっておっただろう。赤子の宮を切り刻まれるなどという獄のような仕打ちを受けたとしても、己を保っているのは偏に貴様の父のおかげ、ぞ」
自然と、二人は振り返った。ジュナシアはファルネシア女王の顔を、女王はジュナシアの顔を、見た。
「主も救ってみせよ。あの娘を。ようやく生を見つけれたあの娘を救ってみせよ。できるはずであろう? アルスガンドならば。できるはずであろう? 愛を知る貴様ならば」
「はい」
「かかか、では参るか。ロンゴアド国の関所砦攻略、国境破り、わらわも今は女王ではなく魔法師として楽しむとするか、な。ゲートが一切ない地で逆によかったかもしれんな」
「はい、ハルネリアからの指示です。派手にいきます」
「血が滾る、な。かかか」
女王は地に足をつけて、空中に浮かぶ透明の椅子から腰を上げる。そして一つ指をパチンと鳴らして。
その音でファレナとリーザは女王を見る。女王が顎でいくぞと合図をすると、ファレナたちは立ち上がり歩き出した。
草原の中心に敷かれた道の上に四人。彼らは足を揃えて道を進む。道の先は、ロンゴアド国へ入国するために必ず通らなければならない巨大な関所。関所砦。
敵はロンゴアド兵団。四人は気を引き締め、並んで道を進んでいくのだった。




