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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第二章 輝ける君のために
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第29話 茜色の剣

 指を動かすたびに、パキパキと軽い音がする。


 足を動かそうと前に体重を動かすが、倒れそうになったためすぐに体重を元の位置に戻す。


 生身としか思えない外観をしても、それは生身の肉体とは全くの別物で。その身体に押し込められた魂は、イザリアは、ただ自分の身体を動かすことに必死だった。


 両手を剣で貫かれ、それを抜こうと足掻く少女の前に立つは、二人の女。いや、一人の女と、一体の女性型のオートマタ。


「あれが動く前に説明するわ。700番台の素体の特性」


 目の前にいる獣のような少女が涎を垂らしながら足掻くその異様な姿を見ても一つも動揺することなく、淡々とハルネリアは言葉を重ねる。


「700番台はテスタメントが創り続けてきたオートマタに、私が開発してきた式を入れてある戦闘向きの素体。その最大の特徴は、魔力放出を可能としてること。イザリアさん、ゆっくりでいいから生身だった時の、身体強化の術式を思い出して使ってみて。問題なく使えるから」


 イザリアはその言葉にハルネリアの方を見て頷く。そして胸に手をあてて、ゆっくりと自分の新しい肉体に魔力を流していく。


「オートマタは魂を魔力源として動く機械人形なの。だから自主的に魔力を生成したりはできない。稼働時間以上に動こうとすると魂が消えることもある。でもその素体は違う。魔力の道、神経回路にへばりつくように魔力の回路を繋いである。だから魔力は生身と同じように回復する。定期的な魔力補給もいらない」


 イザリアは手をセレニアの方へと突き出した。手のひらを開けて、何かを受け取るような仕草をする。


 セレニアはその手にどこからか取り出した剣を置く。一本、そして反対の手にもう一本。


「魔力は循環しなければ回復しないからね。あと、神経、つまりその肉体は、旧式の素体と違って感覚がある。旧式の素体はあくまでも相手の魔力の動きをみてるだけで、実際には聞こえないし見てない。でもそれは、生身と全く同じように聞いて、見て、そして触れて、理解することができる」


 パキパキと手首を鳴らしながら、イザリアは両手に持った剣をくるくると回す。その仕草は正しくイザリアの仕草で。セレニアはそれを見て、酷く懐かしい気分を味わった。


「時間が無くて声帯の方まだ繋がってないけど、あとで繋げてあげる。顔や体つきもイザリアさんとはかなり違うけど魂の記憶に合わせて調整してあげる。というよりも調整しなければならない。魂の記憶はかなり厄介で、例えば腕、実際の肉体ならば動かせれないような動きでも記憶に沿って動かしてしまう」


 イザリアは唐突に回していた剣を止めた。その剣を握っていた右手を眼の前に上げ、不思議そうな顔をしていた。


「つまりは、思ってるように物理的に動かない。今ちょっと痛かったでしょ。痛いって感じるのも結構すごい技術なのよ。これまでの素体だと、調整の際は勢い余って自分で自分の身体を壊すこともあった」


 呼吸音が聞こえる。セレニアは隣に立つイザリアの魂が入った入れ物が、呼吸をしていることに気がついた。


 セレニアは、思わず横目にイザリアを見る。見た目は完全に別人ではあるが、それが纏う空気は、それが佇むその姿は、間違いなく彼女の記憶の中のイザリアだった。


 その何とも言えない違和感に、少しだけセレニアは困惑したが、今はそのような場合ではなく。セレニアは気を入れ、正面を向いた。


 二人の正面にいる獣は、もはや人の言葉を発してはおらず。低い低いうなり声をあげながら狂気に染まった眼を二人に向ける。


「その子供は、たぶん本当に小さい時から身体をいじられている。人の肉に宿る小さな小さな魔力を植え付けられて。ある意味両親……魔術師の犠牲者でもある。だから、終わらせてあげないといけない。さぁ、終わらせてあげて」


 ハルネリアの言葉を受けて、セレニアとイザリアは少しだけ踵を上げて構えた。二人のその構えは酷く似ていた。


 獣が左手に突き刺さった剣を引き抜く。そして血が流れ落ちる左手で、右手に刺さる剣を引き抜く。


 引き抜いた剣を投げ捨てて、獣は牙を剥く。アルスガンドの姉妹に向かって。


 そして、獣は唸り声をあげて、前へと飛び出す。凄まじい速さで前へと飛び出す。


 真っ直ぐに、眼にも止まらない速さで。


 真っ直ぐに――


「人を殺すことに、抵抗はありますか?」


 セレニアの頭の中で、はっきりと声が聞こえた。それは耳で聞こえた声ではない。記憶の中の声。その声があたかも目の前で語られているように声が聞こえた。その言葉にセレニアは嘗てと同じように心の中でこう答えた。


「抵抗などない」


 跳び込んで来た獣の両手を切り落とす。セレニアとイザリア、二人全く同じ動きで剣を振って。


「イザリアは、抵抗があるのか?」


「いいえ」


 くるりと身体を返して、二人同じ動きで、今度は獣の足を分断する。


「アルスガンドに、人を殺すのに抵抗がある者はいないと思います」


 そして、次は胴。イザリアが下半身を、セレニアが上半身を、十字に斬り裂く。


「そう思ってました」


 そして頭、縦にイザリアの剣、横にセレニアの剣。


「あの方は、若様は、抵抗があるようです。本来ならば軽蔑すべきなのでしょうが、でも、不思議なことに」


 流れるように、十字に斬られた頭をさらに細かく二人は斬り裂く。両断の上に、両断。これで8等分。


「愛おしいか。イザリア」


 セレニアとイザリアは二人同じ動きで、さらに加速していく。分断され宙に浮く部品が地につくよりも速く、二人は次々とその部品を細かくしていく。


「はい、胸が、締め付けられるように。あの人のそんな、心の弱さが愛おしくてたまりません。変ですかね、セレニアさん」


 いつの間にか、加速していく二人の剣は、光を帯びて。切断された獣の身体はその光に触れたところから蒸発していく。


「ああ、変だな。変だ。イザリアは変だ」


 それは、イザリアが持つ魔力の光。そのオートマタの肉体は、指の先まで魂と直結された物で。故に、魂が創る魔力をそのままの純度で放出することができる。


「私と同じぐらい、変だ」


 オートマタとは、魔力で肉体を動かす機械人形。そう、魔力で肉体は、動くのだ。


「そうですか。似た者姉妹、ですね」


 故に、魔力で肉を分解することができるのだ。


「全くだ。だが、こればかりは似たくはなかったな」


 二人は次々と獣を斬り裂いていく。そして次々とそれを分解していく。肉を喰らい、肉体を創り上げた獣は、その肉を次々と剥がされ、元の人間に、生物に、物に戻っていく。


「セレニアさん、私が正妻です。順番は守ってください」


 少女は何を思うのか。自分を作った両親のためと言いながらも、母を喰い、父を投げ捨てた少女は何を思うのか。


「守れると思うか私が? 私はそんなに行儀よかったか? うん?」


 誰もそれを知ることはない。何故ならもう、少女は何も言えないのだから。


「素直な子供のままでいればいいのに、困った妹です。セレニアさんと言えども、若様に近づいたら殺しますよ。あの人は私のものです」


「そっくりそのまま返してやる。あいつに近づくなよ姉さん。あいつは私のものだ」


 そして二人は剣についた血を払い、二人並んで立った。イザリアのオートマタが作り出す肉体を破壊する魔力放出を利用して、細切れ以上に粉々に分解された少女は、人食いの少女は、血しぶき以外この世に残さず消え去っていた。


 セレニアはイザリアを見る。イザリアはセレニアを見る。二人は会話を一つも交わしていないが、その視線だけで何かが通じたようで。


 嘗て交わした一人の弱い男に対しての誓いを、二人はそこで思い出していた。


 人は生き返ってはいけない。人は生き返らせてはいけない。人は生き返ることはない。


 だからこそ、生き返った時にはそれは奇跡であり。


 セレニアとイザリア、二人は同時に振り返る。そこには束縛を解かれよろよろと立ち上がる魔法師たちがいる。


 イザリアが折れ曲がった自分の右腕をセレニアに突き出す。その右腕の先、右手には、セレニアから借りた剣が握られている。


 その剣を奪い取るようにセレニアは受け取って、関節という関節が外れ明後日の方向を向くイザリアの左手からも剣を奪い取って。セレニアはその双剣をくるりと背に回すと、その二本の剣は跡形もなく消え去った。


 セレニアは黒髪に戻った自分の髪をかき上げると、イザリアに背を向ける。その背を優し気な微笑みでイザリアは見ていた。


 足元には存在を歪められた少女の血だまり。セレニアがそれを踏むと、バシャっと血が周囲に飛び散った。

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