第28話 死の向こう側
誰よりも、強く微笑んでいた。
誰よりも、美しく微笑んでいた。
誰よりも、優しく微笑んでいた。
死して尚、彼女は誰よりも強く、美しく、そして優しく微笑んでいた。
その亡骸を抱きかかえる男の表情は、酷く冷たく、酷く無表情で。
涙の一つも見せない男に対して、彼女は静かに微笑んでいた。
彼らを静かに、ただ静かに見ている女が一人、その女は、自分で自分に問いかけていた。自分は、死んだあともあのように優しい表情ができるのだろうかと。
男と、女の周りには、大量の盛り土、その土の一つ一つに、彼らの村の民たちが眠っている。
並ぶ大量の墓。木を無造作に突き刺しただけの墓標。木々には一つとして名が刻まれていない。
亡骸を抱えた男は一言も口にせず、ついにそれを墓穴へと滑り落とした。
男は、男の傍にいる女は、土を手ですくって丁寧に亡骸へとかけていく。ゆっくりと、ゆっくりと。
落ちていた木をその盛り上がった土に突き刺して、一つの墓が完成した。
満月の夜、血の匂いに包まれた暗殺者の村で。二人は一言も発することなく、彼らの家族に、彼らのこれまでに、別れを告げた。そして二人は、哀しみを抱くことも無く、静かにその場を後にした。
二人は知っている。誰に言われるまでもなく、知っている。
死んだ者は、生き返らないことを知っている。
死んだ者は、生き返らせてはいけないことを知っている。
死んだ者は、生き返ってはいけないことを知っている。
故に、復讐は自分たちのためであることを知っている。
報いを。殺した者に報いを。殺された者に救いを。
「イザリアは、あの男が嫌いじゃないの?」
薄暗い月夜の下で、青い髪の少女が問いかける。それを聴いた黒髪の少女は、小さく微笑んで、そして答える。
「大嫌いです」
その言葉とは正反対の顔をして、黒髪の少女は答えた。
「だったら、何故私たちと一緒に暮らしてくれるの? だって、イザリアの母様はもういないんだから。師父様や師母様と一緒に暮らせばいいんじゃないの?」
「そうですね」
「だったら、あんな屑と一緒にいなくても」
「ふふふ、父様に向かって屑とはまた、なかなか言いますねセレニアさん」
「だって」
イザリアは、セレニアの口元に指を添えて言葉をふさぐ。それ以上は言わなくてもわかると、イザリアは眼でセレニアに伝える。
「父様は確かに、私たち親子を一度捨てました。母様が任務先で亡くなった時もあの男は顔すら見せませんでした」
「うん」
「あの男は私が若様の許嫁に選ばれたと聞くや否や、私を引き取りに来ました。私を餌に、師父様に取り入ろうと。最低の所業です。最低で、今にも殺してしまいそうです。今にも、今すぐにでも私は、あの男を殺したいです」
「……うん」
「でもあの男を殺せば、セレニアさんの母様が悲しみます」
「……それは」
「だから、殺しません。だから、一緒に住みます。だから、あの男の言いなりになります」
「イザリアは、それでいいの?」
「いいです。若様と婚約できたのですから、私はそれさえあれば他の全てを捨てることができます。ただ、できればセレニアさん、私を姉と呼んではくれませんか? 家族なのですから」
「それは、また、今度でいいかな」
「あら、残念」
大好きだった。セレニアはその人が大好きだった。
何でもできる人、誰にでも勝つ人、そして誰よりも我慢する人。
だからこそ、あそこで死んだままでいて欲しかった。もう、眠っていてほしかった。
――だから、渡さない。
セレニアは、胸につけた金色に輝く首飾りを、イザリアの魂を渡さなかった。鮮血に濡れる屋敷の地下室で、イザリアの魂を渡せと叫ぶハルネリアに、セレニアは無視することで応えた。
「セレニアさん! 早くその魂を! 死ぬわよ!」
ハルネリアが縛られた両腕を前につきだして叫ぶ。首飾りを投げて渡せと、彼女は身体で訴えている。
セレニアの目の前には四肢を獣のように突き立てる少女。少女の後ろ脚は、すでに人のそれではなく、関節も歪み、完全に四足の獣と化している。
「ふぅぅぅはぁぁぁぁ……おなか、すいてきた、たべさせて、たべさせて、たべさせて」
少女の声唸るような声が響く。深く、そして低く。正しく少女は獣となっていた。
セレニアは体重をつま先に乗せて、より機敏に動けるように軽く膝を曲げた。
「セレニアさん! あなた、死んでもいいの!?」
ハルネリアの声を、セレニアは聞き流す。イザリアをまた人形に入れるのかと、セレニアは怒りを感じて。
「あがああああああ!」
大きな声だった。ハルネリアの声に気を取られていたせいか、セレニアはその声に少しだけ身体を強張らせてしまった。
それが動きの鈍さを呼んだのか。
「うっ」
血が、周囲に飛び散った。セレニアの血が、すさまじい早さで突進してきた少女を躱しきれずに、セレニアは大きく腹部を斬り裂かれ、そこから赤い血をまき散らした。
狂気の笑みを浮かべて、少女はセレニアに振り向く。動きを止めたセレニアに、振り向く。
――才能が無い。セレニアお前には剣の才能が無い。がっかりだ。全く。本当に姉妹なのか?
唐突に、懐かしい声がセレニアの頭に響いた。その声は、師母の声、ジュナシア・アルスガンドの母親の声。
――だが、ま、その気配の消し方は見事だ。ふふ、私と同じだ。同じタイプだ。ふふふ、面白いなぁセレニアは。私と同じ、単純に暗殺者向きのタイプは珍しい。さぁてでは今日はこの技を教えよう。
師母の声は、優しく、そして強く。
無意識だった。セレニアは獣のような少女に睨まれながら、無意識に足をゆっくりと前に後ろに動かしていた。
振り子のようなその動きは、ゆっくりと加速して、周囲の景色を巻き込んでゆっくりとゆっくりと陽炎のように。
フッと笑うと、セレニアはそこから姿を消した。
「う……ど、こ?」
完全に消えた。獣の少女はキョロキョロと周りを見回す。
「どこいった……どこぉおおおお!」
そして甲高い叫び声。少女から見えるセレニアは完全に空に消え去ったのだ。
だが、周りから見ている者は、ハルネリアは、そしてマディーネとショーンドはその光景の異様さに気づく。
セレニアは、消えてなどいない。ただ普通にそこをまるで散歩するかのように、ただ普通に歩いているだけ。少女の周りを歩いているだけ。
「あれ、エリンフィアさんの……」
そしてセレニアは長めの短剣を取り出して、ゆっくりと丁寧に少女の両手に突き刺した。そのまま剣は少女の腕を貫いたまま、床へと突き刺さる。
杭を打ち付けられたかのように、少女は床へと剣で固定された。
「あ、ががががあああ! く、く!」
セレニアは何事もなかったかのように少女に背を向けて、ハルネリアの元へと歩く。そして真っ青に染まりきった髪を揺らして、無言で彼女はハルネリアの前に立った。
「セレニアさん、いい? 確かにあなたの圧勝よ。勝負ならばこれで終わってる。でもね、負けるわ。殺せないのだから、このままだと負ける。それでもいいの?」
ハルネリアの言葉にセレニアは答えない。疲れ切ってるのか、肩を揺らしながらセレニアはただ無言だった。
「あなたが死んだら、誰が一番悲しむかを考えなさい。あなたは、あなたの大好きな人を悲しませるの? あなたのお姉さんは、そんなことを許すの?」
その言葉を聞いて、セレニアは暗い顔を見せる。
「その魂、渡しなさい。悪いようにはしない。必ず、あなたの大好きなお姉さんのままで、会せてあげる。そして必ずあなたを生きて帰らせてあげる。もしね、それ失敗したら、私も死んであげるから」
もはや抵抗する気も無く。セレニアは静かにその首元から黄金の首飾りを外すと、ハルネリアに渡した。
生き返ってはいけない。でも、だけども、もし、もしまた会えるのならば――
セレニアのその想いが、感情が、道理を、考えを、消し飛ばした。
「テスタメント、700番素体に魂を入れるわ。個体名はイザリア……イザリア・アルスガンド。同期始めるわ。入れて」
「はい」
テスタメントが黄金の首飾りを横たわるオートマタの素体の胸へと押し付ける。その一糸纏わぬ姿のそれは、ビクンと跳ねた。
「魂入りました。魔力回路、繋がります。素晴らしい魂ですね」
「意地でも生きてやるって感じね。急ぎましょうあの子供が剣を抜いて動こうとしてる。順番に行くわ。眼、繋いで」
「網膜、眼球、瞼、問題ありません。視力得ます」
すっと眼を開ける女の形をした機械人形。青く透き通ったガラス玉のような瞳が小さく左右に動く。
「耳、繋いで」
「三半規管、蝸牛、その他部位問題ありません。聴力得ます」
「時間が……口は後回しよ。身体行くわ。全身の神経伝達はどう?」
「問題ありません」
「関節稼働させるわ。多少強引に。テスタメント」
「はい」
テスタメントが機械人形の右腕を持つ、そして関節に沿って、コキコキと折り曲げていく。
指、手首、次々に可動を確かめるようにテスタメントは関節を動かしていく。
そして左腕、右足、左足、抱え込んで腰、背骨、まるで身体を動かす補助をしているかのように、手スタメントは次々とオートマタの固まった関節を動かしていった。
「最後に触覚を繋げるわ。これである程度は戦えるはず。っと、さすがに全裸で動くとショーンドさんが動けなくなっちゃうから、私の予備の服を着せましょう。テスタメント、服を召喚して着せて」
「はい」
「いやさすがに今は元気になれねぇって……」
テスタメントが地面を二度手で叩いた。すると何もなかったはずの地面に一着のローブが現れる。
慣れた手つきでテスタメントはそれをオートマタに着せていった。
「さぁてと、それじゃ、立ってみてイザリアさん。あなたの第二の人生最初の仕事は、妹であるセレニアさんを助けることよ。といってもセレニアさん、イザリアさん感覚戻るまでへなちょこだからちょっと守ってあげて」
ゆらりと動いて、右足を地面につけて身体を起こすイザリアは、まるでさも、こうなることを待っていたと言わんばかりに、何の躊躇もなく立ち上がって。
「はぁ……ふぅ……イザリア、酷い姿だ全く……」
手足の動きを確かめるようにぴょんぴょんとその場で飛ぶイザリアは、その言葉を聞いてあの時と同じように、優しく微笑みを浮かべた。




