第27話 鮮血の屋敷 後編
小さなその身体は地下室の上下左右すさまじい速度で飛びまわる。
少女が蹴り飛ばした場所は、小さな足の形にへこむ。
暗闇の中で、ドンドンと壁を、床を、天井を、それぞれを蹴る低い音だけが響いている。
10にも満たない少女は人というよりも獣のようで。歯をむき出しにして飛び交うその姿をみて、人の子であると理解できる者が一体何人いるのか。
完全に魔力を封じられて、刻印の輝きも、その黒髪も失い。それでも表情を崩すことなくセレニアは飛び交う少女を見ていた。両手に短剣を握りながら。
右に、左に、少女の動きに合わせてセレニアの眼が動く。
「セレニア様が、勝てない? 何言ってるんですか師匠」
二人が対峙する傍で、倒れていたマディーネは器用に身体をくねらせてその上体を起こした。じりじりと座ったまま、マディーネはセレニアの方へと身体をずらしていく。
「あの子供ね。あれ、魂を使った不死じゃないわ。命のストックじゃないのよ。死んだら蓄えた魂を使って蘇る、そんな死霊使いのようなことしてるわけじゃないのよ」
「へぇー」
マディーネは縛られたまま手を開く。その開いた両手を、ハルネリアは光の紐で縛られた手を器用に絡めて押し上げる。そしてそのまま、マディーネは立ち上がった。
「さっき見てたでしょ。死んだと思ったらそのまま立っていた。再生の過程が無い。死を否定する過程が無い。つまり、あれは死んでないのよ」
「っと……でも確かにあの子供の首、セレニア様が落としましたよ。私は見てましたよ」
「首を落とされて死なない人間はいないってよく言うけど。人って首切っても少しの間は生きてるのよ。ほんとに少しの間だけど。首を落として、魂が抜き出るには時間差があることからわかる通り、ね」
立ち上がったマディーネは、その光の紐で縛られた両手を左右に揺らした。ハルネリアはそれを手で自分の首元へと誘導する。
そしてマディーネはハルネリアの首元から、ゆっくりとローブの中に手を入れていった。
「あっ……うっ……命の強化……死ににくいということに、不死の術式がある……っ。普通の人は首を落として少し置いておけば死ぬ。でも彼女の場合は、首を落として死ななければ、も、元の通りに戻るの、よ……っ」
「どういうことですか?」
「つまり……つまり、一気に殺さないと死なないってことよ……もっと言えば、死ぬという状態まで一瞬で殺さないと死なないってことよ」
「細切れにしろと?」
「たぶん細切れでも死なないと思う……っ。ちょ、ちょっとそれちが……もう早く取り出してマディーネ、もっと左よ左。先は駄目だっ……ってっ……」
「師匠なんで上つけてないんですか、さっきからなんか手にあたって……えーっと……あっこれかな? あったありました」
マディーネは膝を伸ばして、中腰になっていた状態から立ち上がった。そして両腕をハルネリアの胸元から引き抜く。マディーネの指先には、小さな紙がつまみあげられている。
「ふあ……ふぅ、セレニアさんはね。というよりもアルスガンドの一族は何というか火力が無いのよ。まぁ彼は別だけど。人を効率的に殺すための技術を磨き続けてきた彼らは、どれだけ簡単に死なせるかってことだけを追求してきた。だから過剰なまでの火力は無いのよ」
「へぇ……やっぱりよく知ってますね師匠」
「まぁね。ショーンドさん。あなたが一番手動かせれるでしょ。マディーネが持ってる紙取って、広げて私の前に置いてくれる?」
「あ、ああ? いいけどさ……しっかし冷静だなぁあんたら……あの娘っ子を片足縛られながら躱し続けてる青髪の女も大概だが、俺はおたくらの冷静さがなんか怖ぇぜ」
ショーンドは腰を浮かして、マディーネの手から折りたたまれた小さな紙を受け取る。そして丁寧にそれを広げていき、手のひらほどの大きさになったところでハルネリアの正面に置いた。
その紙には何重にも重ねられた魔法の陣が書かれていた。
「まっ切り札はちゃーんと持っとくものね。来たれ我が僕。我が声を聞け。我が呼びかけに答えよ。呼ぼう、其の名は、テスタメント・サラスト」
ハルネリアの声に、彼女の正面に置かれた陣は反応する。
手のひらほどの紙から何重にも重なって、円計の陣が上へと飛び出す。
赤、青、黄色、様々な色を放って、その陣は重なり、人の形を成す。そして、一際強く、それは光を放った。
「うおっ」
ショーンドが驚きの声を上げる。光の中から出てきたのは、ハルネリアと同じ色のローブに身を包んだ女。女の形をした、機械人形。
オートマタ、人形師テスタメント・サラスト。ヴェルーナ女王国の山奥で生きる機械人形たちの管理と整備をしていたテスタメントは今、ハルネリアの召還に応じて彼女たちの目の前へと姿を現した。
「座標、判断できません。地下ですね魔法師様」
「ええ、いきなりで悪いんだけどテスタメント、私のこの手の紐、何とか解除してくれない? あなた確か封印師でもあったでしょ」
「はい、術式を拝見させていただきます」
テスタメントはしゃがみ込み、ハルネリアの両手の紐に手をあてる。そしてテスタメントはまじまじと紐をそのガラス玉の眼で見た。
「召還かよびっくりした……ハルネリアさんよ。魔力封印されてるのにどうやって魔法使ったんだよ」
「こういう時のために魔力を封じ込めて詠唱だけで使えるようにしてあるのよ。魔法師は魔力封印されたら終わりだから、皆大なり小なりこういうことしてるわよ。ショーンドさんしてないの?」
「あー……確かに俺の先生も言ってたなぁ……」
「あきれた」
ハルネリアのその言葉に、ショーンドはばつが悪そうな顔を見せた。魔法師としては上位の埋葬者ではあるが、ショーンドは20そこそこの若輩で、どちらかというとまだ未熟者の域から抜け出してはいなかった。
「術式、解明しました。これは魂の紐です。魔法師様の魔力放出にかかる回路、肉体と魂の間をマヒさせる術式です」
無機質なテスタメントの声は、淡々とハルネリアにかけられた光の紐に関して説明をした。
「そう……解除方法は?」
「一つは術者の魔力の元を断つこと。二つは、魔法師様自身が死ぬことです。それ以外の方法、例えば、私の術式をぶつけて解除する。できなくはないですが、今後まともに魔力が扱えなくなる恐れがあります。または魂と肉体が分断され衰弱死する恐れもあります。絶対ではありませんが確率は高めです」
「根っこに絡みついてるから、か……あーまずい、まずいわ。つまり、あの子供殺さないと外せないってことじゃない。あれを一撃で吹き飛ばせる魔法はこの状態では使えないわ。マディーネはどう?」
「あのどーんってやつ並みのってことですよね。あんなの私できるわけじゃないですか」
「よねぇ。ショーンドさんは?」
「さすがに魔力無しでは魔法は使えないぞ」
「よねぇぇぇ……あーまずい。セレニアさんが躱しながらすぱすぱ斬ってるけど、さすがに肉体強化無しだと彼女も疲れが見えて来てるわ。あーまずい……テスタメントは戦闘向きじゃないし……うーん……」
光の紐が走る両腕をブラブラと揺らして、ハルネリアは一人困り切ったような顔をしている。
皆が顔を上げる。広い地下室の奥。そこには両足両手をついて、四本足の獣のような動きで飛び掛かる少女を、最低限の動きで躱すセレニアの姿があった。
ひらりひらりと躱して、流れるように短剣で少女の身体を斬り裂くセレニアの周りは、赤い血で一杯になっていて。それでも少女は、その獣と化した子供は死に絶えることなく。
魔力が封じられ、それでも圧倒しているセレニアだが、じわりじわりと、じわりじわりと、少女の攻撃を躱しきれなくなってきていた。
そしてついに、少女の指は、爪は、セレニアの身に触れる。触れた瞬間にセレニアは身を捻り、服だけを斬らせてそれを躱す。
このままではいつか捕まると、ハルネリア含めたそこにいる全員が、理解した。
セレニアの服の一部が裂け、動きと共にそれは大きな切れ目となって、そしてセレニアの胸元が露わになる。そこから覗く白い肌と、金色の首飾り。
「そうだ……テスタメント、オートマタの700番代、大人の女のタイプで。ある?」
「1体あります。組みあがってない物をいれれば、2体」
「動作確認まで終わってるやつ?」
「はい、一通りは。ただ魂がありません。素体の状態です。人工筋肉と皮膚の調整も終わっておりません」
「魂はある。とっておきのが。調整は今ここでする。テスタメント、呼んで」
「はい」
真っ白の肌を持つ、機械人形であるテスタメントは地面を二回、靴の踵で打ち鳴らした。すると、彼女の眼の前に赤い陣が現れた。
三度目、強くテスタメントは踵を打ち鳴らした。一気にその陣は光の柱を作り、一瞬のうちにモノを呼び寄せる。人形師としてのオートマタであるテスタメントが呼ぶ物は、オートマタ以外の何物でもなく。
そこに現れたのは、一切の汚れも穢れもない、黒い髪を持つ女の人形。
それは召喚されるや否や、力無く膝から崩れ落ちた。正しく人形。肌も、肉感も、人と違いは無いが、その動きが、それの纏う空気が、それを人形だと知らしめる。
「おおっ!? 何だこの全裸の女! すっげぇ、つやっつやじゃん!」
「下品なこと言わないでショーンドさん。テスタメント、急いで魂を移す術式を」
「はい、魂はどちらですか」
「今、貰う」
ハルネリアは前を向き、遠く、片隅で戦うセレニアの方を向き、そして大きな声で、呼びかけた。
「セレニアさん!」
余裕が無いのか、セレニアは一瞬だけハルネリアを見て。すぐに目の前に飛び掛かってくる少女の方を見なおした。
「こっち見ないでいい! セレニアさん! 今から言うことを聞きなさい!」
攻撃を躱しながらも、セレニアの意識がハルネリアに少しだけ向いているのをハルネリアは感じた。
そして、赤き髪の魔法師は、言葉を、告げた。
「セレニアさん。あなたのお姉さん、生き返らせてあげる。だから彼女の魂私によこしなさい」




