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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第二章 輝ける君のために
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第22話 剣術の極致

 数えること5つ。ゆっくりと息を吸って、指先に力を込めて、腰、肩、肘、手首、指と力を移していく。


 スッと指先の力を抜くと、放たれた銀色のナイフが真っ直ぐに飛んでいく。


 放した瞬間にそれが命中する像が見える。喉元に吸い込まれるようにそれが命中する像が見える。


 命中したそれは、喉に半分以上食い込んだところで止まる。それが刺さってしばらくたってから、衝撃と息苦しさをその者は感じて。その原因を探らんと自らの喉元に手をあてて、初めて自分にナイフが刺さっているのだと気がつく。


 そこからは、それぞれの反応を見せる。


 ナイフを強引に抜いて血を止めんと喉を抑える者。抜かずにその上からのど元を抑える者。発狂して暴れる者。泡を吹いて倒れる者。ただ、立ち尽くす者。


 それらの反応を見せた後は、必ず息絶える。大概が苦しみと憎しみの混ざった表情をして、息絶える。


 だがその男は少し違った。自らの喉元に刺さったナイフを抜いて、滝のように流れる血の海の中でその男は真正面に立つ漆黒の眼をした暗殺者を見ていた。


 喉を抑えることもしない。苦しむ表情を見せることも無い。ただ男は、見ていた。自らを殺した目の前の男を見ていた。


 そして静かに、男は眼を瞑った。全てを受け入れていたかのように、全てを知っていたかのように、静かに、そうあるべきだと言わんばかりに静かに眼を瞑って、息絶えた。


 この男は、何を思っていたのだろうかと、漆黒の暗殺者は思う。初めて、死者に対して思いをはせる。


 答えが見つかるはずもなく、考える時間が有意になることもなく、後にジュナシアという名を貰うことになる無名の暗殺者は、少しの間無駄な時間を過ごした後、その場を後にした。


 漆黒の暗殺者が立ち去った後に残ったのは、王座にて座するファレナ国王。今では誰も王の心を知ることはない。


 ただ、王のこの姿があったからこそ、彼は、無名の暗殺者は逃げ遅れることになった。それはきっと、王の意図ではないしにしろ、きっと、最期の意地。暗殺者を自らの娘を守るための道具として縛りつけた意地。


 無名の暗殺者は、ジュナシア・アルスガンドは振り返ることはない。悩むことはない。後悔することはない。


 持ちうる全ての力を持って、人を守るために赤と青の双剣を握る。鋭く、美しいその漆黒の眼は、前以外見ることはない。


 その整った顔を前に向け、鍛え抜かれた身体を引き締め、彼はくるくると双剣を回す。


「黙って引け。死ぬぞ」


 一言、彼は目の前にいる者に声を掛けた。過去の彼からは考えられないような、相手を考えての発言。


 目の前の者は、細身の曲剣を鞘に納めたまま左手に下げ、左手の親指を滑らして少しだけ剣を抜いた後、カチッとまた剣を鞘に納めた。鍔と鞘がぶつかり、甲高い金属音が周囲に響く。


 そして無言で腰を落とす。対峙する者は独特の軽装で、防御よりも回避に重きを置いたその姿。


 後部で縛り上げられた長い黒髪、静かに、冷たく鋭い眼を向けて、彼女は剣を抜くことなく構えた。


 一切の魔力の放出を感じないその姿に、何とも言えない違和感を覚えながらもジュナシアも両手の双剣を二度回し、構えた。


「聖皇騎士首席、アラヤ剣術師、ネーナ・キシリギ」


 名乗る。堂々と自らの名を。


「死者に名などいらない。お前の名はいらない」


 ジュナシアは眉一つ動かさず、その言葉を聞き流す。お前の言葉に興味などないと、全身で答えてるように。


 ネーナは橋を一歩、右足で踏み込んだ。踏み込んだ際の大きな音が周囲に鳴り響くと同時に、彼女の身体は消え去る。


 驚く。ジュナシアは、自分が敵を見失ったことに驚く。動きを追うこともできない。目の前にいたはずのネーナはどこにもいない。


 肌に触れる空気の動き。それだけで、彼の経験と才能に裏打ちされた先読みの力が発動する。ジュナシアは考えるよりも速く、左右の双剣を交差させて後ろに飛びのいた。


 走る衝撃は双剣の中心に何かが叩き付けられたもの。ほぼ同時になるは金属音。


 ジュナシアの未来視まで到達した先読みの力は反射神経の先を超えていた。その力が、辛うじてネーナの剣を受け止めた。


 その瞬間にジュナシアは悟った。この相手は、本物だと。


 眼を見開く。全ての動きを眼に入れんと、ジュナシアは眼を見開いて鋭く眼球を動かして、周囲を見る。


 そしてジュナシアは何もない空間に向かって右手の赤い剣を振り下ろした。空中で突然止まるジュナシアの剣。気がつけば、ネーナは剣を抜いて赤い剣を受け止めていた。


 ネーナは表情を変えず、ジュナシアの剣をはじいて曲剣を鞘に納めながらさらに前に出た。密着するほどの距離まで、一気にネーナは飛び込む。


「死ね」


 呟くネーナの声は、そのままジュナシアの耳に届く。そしてジュナシアの目の前に広がったのは、無数の剣の映像。


 全て未来視の映像。


 もはや反応するという領域ですらなかった。ジュナシアは全身に魔力を走らせ、一気に肉体強化の段階を上げる。そして両手に力を込めて、全力でそれらを叩き落していった。


 一撃目は、右から来る剣。それをジュナシアは左手の青い剣を添えるようにしてずらす。


 二撃目は、真上から。軽く打ちあって、それをはじき返す。


 凄まじい速度で次々と襲い掛かるネーナの剣に、ジュナシアは防戦一方ながら次々と捌き払い、撃ち返していった。


 それはどんな剣劇よりも激しく、美しく。正しく剣の境地。片や双剣を曲芸のように回し、片や曲剣を一本の光の線に見えるほどの速さで振るう。


 当然のように、すさまじい音が周囲に鳴り響いていた。橋の先で見ていたファレナ王国の兵士たちも、そして戦いを終えたジュナシアの仲間たちもそれを固唾を飲んで見ていた。


 留まることを知らないネーナの連撃。一刀一刀、全て鞘に一度納めてから抜きながら振るその剣術。


 ゆっくりと、しかし確実に、ジュナシアは裁ききれなくなってきていた。


 ジュナシアは思う。自分が剣で押される相手など、父親ぐらいだったと。


 右手に持っていた赤い剣をその場に浮かぶように手放し、ジュナシアは大きく後ろへと跳び退いた。突き刺さった赤い剣にネーナの剣が叩き付けられ、一際大きな音が鳴り響く。


「魔道具……小癪」


 ネーナは小さく舌打ちをして、そうつぶやいた。彼女目の前に浮かんでいる赤い剣は、すでに持ち主が手放しているにも関わらず地面に落ちることはなかったから。


 空中にとどまる赤い剣。一瞬だが、彼女はそれに注意を引かれた。


 そして、ネーナは表情を変えることなく、その場に固まった。


 キョロキョロと眼だけを左右に動かして、彼女は大きく息を吸って、そして吐いた。


 ジュナシアは、一瞬ネーナが眼を離した瞬間にいなくなっていた。橋のどこを見回しても、彼の姿はない。


 ネーナは眼を瞑った。消えたのならば、見えないのならば、見る必要はないだろうとの判断からか。彼女は眼を瞑って、剣を鞘に入れたまま構えて、そのまま動かなくなった。


 まるで時が止まったかのように、彼女はピクリとも動かない。流していた魔力が切れたのか、浮かんでいた赤い剣がカランと床に落ちた。


 それ以外の音は何もない。兵士たちも、ジュナシアの仲間たちも、誰も音を出さない。


 完全なる無音。


 唐突に、ネーナの眼が開いた。そして彼女は構えを解いて、スッとその場に立つ。


 そして上を、彼女は静かに上を見る。


「手を、抜いている?」


「お互いな。どうする、やるか? 本気で」


「……アラヤ剣術の極致。見せよう」


 ネーナは再び構えた。地面に落ちていた赤い剣を、どこからか現れたジュナシアは拾い上げる。


 そしてジュナシアはその場で左右の剣を強く振った。剣は、その動きに合わせて形を変える。


 短めの寸を詰められていた剣は、長剣のように長さを得て。


「ネーナ、だったか? 聞け、今からいう言葉を、聞け」


「言え」


「俺は女を殺さない。だから、言っておく。どうなったとしても俺はお前を殺さない」


「……何を言ってる?」


「言葉通りだ」


 ネーナ・キシリギは、一切の魔術を使わない。魔法も使わない。魔力自体を使わない。


 その圧倒的速さも、その圧倒的剣技も、全て彼女自身の肉体から繰り出されるもの。


 片や、ジュナシアの身体は刻印の補助を受けて、常人の数倍の体力と筋力を得ている。


 魔力を使わないものにとってそれは、圧倒的な差であって、ついてくること自体が奇跡的で。


 ジュナシアは跳び込んだ。己にかかる全ての魔力を脚に込めて。その速度は、眼に光が届くよりも速く。


 まさに一瞬、ネーナは反応することなく、ジュナシアを自らの間合いに入れてしまう。流れるように繰り出されるはジュナシアの双剣。左右ほぼ同時。


 思わず、ネーナは鞘に入ったままの剣でそれを受け止めた。受け止めたまま、ネーナはジュナシアに背を向ける。


 そして抜刀。アラヤ剣術は居合術。剣を抜く時が最大の速度。


 身体を一回転させて、ネーナは剣を横へ振る。一回転してるにもかかわらず、ジュナシアが剣を引くよりも速くネーナの剣はジュナシアに襲い掛かった。


 真横から来る剣に辛うじて反応できたのか、ジュナシアはそれを身体を大きく反らして交わした。反らした体制のまま、右手の赤い剣を投げつける。


 剣は長剣から、短剣へと姿を変えてネーナに向かって飛んでいった。超近距離の飛刀。躱すことなどできない。


 しかしながら、それでも躱してしまう。身をひねって、剣を鞘に納めながらネーナは赤い短剣を躱した。


 そして二撃目、今度は真上から振り下ろすように。ネーナの剣は、鞘を飛び出してジュナシアに襲い掛かる。


 この身体能力と、反応の良さ。認めざるを得ない。ジュナシアは認めざるを得ない。


 この女は、自分よりも剣において上に立っている、と。


 だからこそ、躊躇なくできたのだろう。躊躇していれば、ややもすれば死んでいたかもしれない。


 投げたのは、赤い剣だけではない。投げたのは、黒い手袋。


 ネーナは剣を振りながら、自分の肌が、心が、一気に凍っていくのを感じた。自分が剣を振り下ろそうとしているその先にいる者は何なのか、彼女は頭で理解するよりも先に、肌で理解していた。


 彼女の視界に入ったのは、赤い眼。赤い布。黒い腕、黒い脚、黒い身体、黒い、顔。


 一瞬、まさに一瞬。一瞬だけ、姿を見せるそれは、人ならざるモノ。


 ネーナの曲剣を握りつぶし、左手に持った青い剣の柄でネーナ腹部を強く打ち込むそれは、一切の躊躇なく。腹部への衝撃は全身の衝撃となって、一瞬でネーナの意識を吹き飛ばした。


 項垂れるネーナを横目に空に浮かんだ手袋を受け止めるのは、ジュナシア・アルスガンドの刻印が輝く左手。


 大きくジュナシアは溜息をついた。そして自虐的に笑みを浮かべる。


「こいつ、まだ本気じゃなかったな……父と、イザリアに続いて三度目か。剣の負けは……」


 ファレナ王国の兵士たちは、皆声を失っていた。気がつけば、橋の上に立っている聖皇騎士は一人もおらず、立っているのは反逆者であるファレナ王女の一団だけになっていたから。


 ジュナシアは皆が待つところへと歩いていった。セレニアが小馬鹿にしたような表情で彼を見ている。その顔をみて、ジュナシアは少しムッとした表情を見せた。

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