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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第二章 輝ける君のために
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第20話 赤色魔法師

 広げる手。広がる光。光の台。


 浮かぶ光の台に腰を掛けて、赤き女王は一人憂鬱な顔を見せる。


 女王が前に立つのは老騎士。顔に深く刻まれた皺は、彼の歩んで来た年月の長さを伝える。


 老騎士が握るのは柱のような大剣。成人男性の身長の二倍はあろうかという大剣。それを軽々と肩に担いで、老人は女王を見ている。


 その視線は届くことはなく、女王はただ憂鬱に溜息をついた。


「あの馬鹿娘め……何でわらわが雑兵の相手をせねばならんのだ……のぉ、主、そうは思わん、か?」


「と、私に言われ申してもなぁ……こちらも仕事故なぁ……退くわけには……しかしうーむ」


 女王は、赤色女王ファルネシア・ヴェルーナ・アポクリファは全くもって戦う気はなかった。目の前にいる者を倒せと言われはしたが、彼女は女王、誰かに従うことはない。


 その姿に、老騎士はどうしたらよいか判断できず、鼻頭を左手で掻いている。騎士としての誇りからか、それともその生きて来た年月からか、老騎士は、聖皇騎士サーガスは、戦う気を見せない女王に剣を向けることはしなかった。


「のぉ主、わらわに関しては何ぞ命令されておらんか? 何故剣を向けぬ? 臆した、か?」


「いやそういうわけではござらんがなぁ……一応騎士団長殿からは、ヴェルーナ女王も刃向かうようなら斬れとは言われておりますが、あくまでも我らが目的は姫様であってなぁ……できれば女子を斬るなどしたくないですしなぁ……」


「刃向かうようなら、であるか。随分と余裕である、な」


「いやぁ……ははは。上の者が考えること故、失礼だとは思いますがな」


「全くであるな。はぁ……どうするか、な」


 女王は指先から小さな羽のついた光を出して、クルクルと身体の周りを飛ばせる。光の羽が舞うたびに、小さな光の粉が女王に降りかかる。


 輝く長き赤髪を風に揺らして、女王はまた一つ、溜息をついた。そして静かに彼女は右手を伸ばし、足元を指さした。


「まずは座れ。わらわの前ぞ。跪くがいい」


「それは……さすがにできませんわな。私はファレナ王国の騎士。他国に跪くことはできますまい」


「年寄りは頭が固くて、な」


「わはは、申し訳ない。こればかりは面目もあるのでな。女王陛下も人のことは言えますまい? 確か私とそこまで歳は違わないはずでしょう?」


「年寄りに年寄り扱いされるとは、反応が難しいもの、よ……わかった。そのままでよい」


 女王は出した手を引いて、足を組み替えた。浮かぶ光の台は女王の足の動きに合わせて少しだけ上下する。


 そして手の平を上へと向ける。女王の周りを待っていた光の羽はその手に止まって、一瞬強く光ったあとそのまま消え去っていった。


「主、名を名乗れ」


 女王は遠くを見ながら、老騎士に名を訪ねる。


「聖皇騎士サーガス・ベルディと申します女王陛下」


 巨大な大剣を担いだまま、サーガスは深く頭を下げる。

 

 橋の上は静かで、二人の場所だけは玉座の間になったかのような空気が流れた。サーガスは頭を上げ、無言で剣を肩から降ろす。


 橋に叩き付けられる巨大な大剣。アズガルズの大陸にかけられた魔の力に守られた橋は傷一つつかない。


「人の生は有限ぞ。わらわは力によって長き生を得はしたが、それでも有限ぞ。主はもはや年老いておる。生の終わりも近かろうが、このように剣を振る。何故、だ? 何を思う老騎士サーガスよ? 何故、平穏に身をおかぬ?」


「我が家は平民の家でした。貴族たちを羨み、常に城での生活に憧れたものです」


「階級、下らぬと一蹴するのは容易い。だが、その場にある者にとっては、命よりも大切な物」


「はい、私は強く憧れました。平民が貴族と同じ身分になるためには、兵となりて武勲を上げるしかありません。故に、私は武勲を上げてまいりました。世界中の紛争地に派遣される際には誰よりも早く志願し、誰よりも早く武勲を上げてまいりました」


「ファレナ王国は武力の国、頼られることは多かろう、な」


「そして私は、この地位につきました。私を軽んじていた貴族たちも、皆この胸に輝く階級章をみて手のひらを返しました。貴族の女子に何人も言い寄られたものです。私の、最高の時でした」


「そして家を持ち、歳をとる、か」


「はい、その後ベルディ家へと婿養子となり、今では曾孫までいます。私は、憧れ続けていたところへと至ったのです」


「それは、何よりである、な」


「はい」


「それを守るため、か? 守るために、自らを死地に置き続けるか?」


「はい」


「主が欲しかった煌びやかな生活、主が欲しかった安住、主が欲しかった生、その剣、わらわに向けるならば捨てることになるぞ。よいのか?」


「構いません。私は、死するときまで憧れの中で死したいと思っております。私は常に戦場に。私は両親の死に顔をみることができませんでした。私は妻の死に目に会えませんでした。故に、私は常に戦場に。死した家族のために、我が息子たちの未来のために、私は私でなければならない」


「すでに死人か、主」


「はい」


「先の者のために、生を賭けて自らの道を進み続ける、か。なかなかに男前ではないか。気に入った、ぞ」


「世界で最も麗しき女王陛下にそのように言っていただけるとは、感無量です」


「その覚悟、みせよ。わらわにみせてみよサーガス・ベルディ」


「……はい、参りまする。女王陛下」


「うむ、苦しゅうない」


 サーガスは剣を握った。その巨大な大剣は、天を衝くかのように高々と掲げられる。


 力を込める。サーガスの手に力が込められる。大剣に光が走る。


 女王は、ファルネシアは動かない。光の台に腰かけたまま、彼女はサーガスを無表情でただ見ていた。


「覚悟!」


 サーガスの声が響き渡る。彼の身体は、老人とは思えないほどの速度で、巨大な大剣を持っているとは思えないほどの速度で、前へと弾きだされた。


 巨大な鉄の塊が一足飛びに女王へと襲い掛かる。


 最初についたのは右足。サーガスの右足。ほんの一瞬遅れて振り下ろされる大剣。


 それはためらいなく、ファルネシアの頭上へと振り下ろされた。


 ――女王は動かない。


 無抵抗の者に剣を降ろす。それは、戦士にとって、こと礼儀を重んじる騎士にとっては、心が抵抗する行為。


 それを振り切って全力で剣を降ろせる。そのこと自体が、ファルネシアにサーガスの心の強さを伝わらせた。


 ファルネシアは強い心を持つ者を愛している。故に、振り下ろされる剣に最大限の敬意を持って応える。


 ガンと何かにぶつかって、その巨大な大剣は動きを止めた。両腕に血管を浮かび上がらせて、サーガスは力を込めるが大剣はそこから動かない。


 引くこともできない。押し込むこともできない。サーガスは剣にさらに強く魔力を込め押し切ろうとしたが、それでも動くことはない。


「わらわが宝玉の魔法、見せるは勇者のみ、ぞ。帰らば家族に自慢するがいい」


 サーガスは見た。小さな小さな光が、自分が放っている魔術の光以外の小さな光が大剣の先に止まっているのを。


 それは、女王が手遊びとして出していた光の羽。小さな小さな光の羽。指先ほどしかない小さな光の羽。


 その小さな羽が、大剣を挟み、抑え込んでいる。


「な、なんと!? 岩を砕く我が剣を!?」


 思わずサーガスは声を出した。振り下ろせば地面ごと全てを砕く自分の剣が、小さな小さなものに止められているのだから。


「ではなサーガスよ。また会いたくなれば来るがいい。まぁ歳故な、閨には案内はできんが。話し相手ぐらいにはなってやろう、な」


 ファルネシアは手を広げ、前へと突き出した。彼女の腕に輝くは宝石がちりばめられたブレスレット。


 宝石の一つ一つが輝いて、七色の光を放つ。


「これが……世界最高の魔法師が放つ魔法……長生きはするもんだな……」


 あまりの美しき輝きに、サーガスは眼を奪われ感嘆の声を上げた。


 そして放たれる七色の光。それは束となって集まり、かたまり、巨大な光の柱となってサーガスを大剣ごと吹っ飛ばした。


 彼方まで、遠く空の彼方まで。一瞬でサーガスの姿は遥か彼方へと消えていった。


 ブレスレットを袖に隠して、ファルネシアは立ち上がる。彼女が腰かけていた光の台は立ち上がると同時に消えてなくなる。


 自らの太ももについた埃を二度ポンポンと払って、ファルネシアは三度、溜息をついた。


「よい暇つぶしにはなった、か。だがあの馬鹿娘め。親を駒扱いとは。どこで育て方を間違えた、か……」


 ファルネシアはさらに溜息をついた。遠く、サーガスが飛んでいった空をみながら。

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