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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第二章 輝ける君のために
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第19話 全てを止める光

 橋は斜めに、光は真っ直ぐと。


 一方は小さな短剣を少し浮かして、受けて、浮かして、受けて。


 一方はよくしなる槍を橋に押し付けて、その槍のしなりを確認して。


 二人は互いに自らの武器を手に踊らせる。戦うその瞬間まで。


 黒くて長い髪を風に揺らして、たった二人だけになってしまった刻印師の内の一人が、アルスガンドの一族の一人が、青き刻印を持つセレニアが強く目の前の男を睨みつける。


 男は、その視線を躱して。口角を上げて小さく笑う。楽しみにしている。目の前の者が、自分にどれほど競れるのかを楽しみにしている。


 中年のその男は、間が抜けたような顔をしつつも、眼だけは鋭く輝いていた。


「よぉ、それじゃいいかい?」


「構うな」


「応」


 短く言葉を交わす。視線を交わす。身を揺らす。


 男は、聖皇騎士第3席オルディン・サーヴェンスは、槍を両手で握り深く身を沈めた。地面に腰かけるか如く、身を沈めた。


 セレニアはそれを見て、つま先に体重を乗せる。どこからから取り出した小さな刃物を両手に握って。


 音が鳴る。遠くで響く剣劇の音。


 遠くで他の者たちが戦っている。その音。


 もう二人には届かない。


「ヂャッ!」


 オルディンは短く声を上げる。その声と同時に、彼の身体は爆ぜた。


 爆風、衝撃、一気にその場に広がる。


 セレニアは眼を見開いた。男は地面を蹴っただけ、それで起こる衝撃は爆風のようで。衝撃と音がセレニアに襲い掛かる。


 見る。目を見開いて、見る。真っ直ぐ見る。そして斜めに滑る。身をかわす。


 セレニアがいたところに、光が走った。何かが通った。


 彼女は振り返る。そして見ることなく、右手を軸に前転する。


 また光る。セレニアがいた場所を、光が走る。


 セレニアは身をよじりながら、短剣を投げた。三本、投げた方向には誰もいない。

 

 そしてまた三本、身を立てなおしながらセレニアは先ほどとは反対側に短剣を投げる。当然のように、誰もいない。


 右へ左へ、見開きながらキョロキョロとセレニアは眼を動かす。そして躱す。一歩下がって、今度は小さな動きで躱す。


 躱す。そして投げる。短剣を投げる。


 当然のように、投げた先には誰もいない。


「……全く」


 セレニアは口の中でそう呟いた。そして彼女は徐に足を止めた。


 大きくため息をつく。


「遊んでるのか? 穂先を何故私に向けない?」


「へぇ!」


 爆風と爆音、そして土煙。


 感嘆の声を上げたオルディンは、その煙の中から姿を現した。槍を肩に担いで、実に楽しそうな笑顔を見せて。


「見えるのか俺の槍捌き? マジかよどんな眼だ」


「ちっ……ふざけるな貴様。やる気あるのか?」


「ねぇよ」


 言ってのけた。平然と言ってのけた。オルディンは、言ってのけた。


 セレニアがムッとした顔を見せる。その顔を見て、オルディンは笑い声をあげた。


「わっはっは! いい顔するねぇ! 冗談、冗談だって! こんなかわいらしい娘が相手してくれてるんだ。ちょっと嬉しくてな。無駄に長引かせちまった。悪い! このとーり!」


「ちっ……」


「おっかねぇ顔するねぇ。いやぁ……いいね。悪くない。少し試したんだ。悪かったよ」


「ふざけるなよ貴様。私は、気が長い方じゃないぞ」


「へーへーすまねぇなっと。まぁ、俺も歳だからさ結構な。疲れるのは嫌なのよ。でも、ちょっとは楽しめそうだな。次は、もっと速いぞ?」


「そうか」


「俺の術式は脚。強化ではないぞ。脚そのもの。魔力を脚にする。単純だろ? でもな、はえぇぞ。ではいくぞ。次は、俺の槍でお前の身体を貫くぜ。どうにかしてみろや」


「全く……」


 オルディンの笑みは消え、真剣な眼差しを向ける。セレニアは溜息をつき、構える。両手を広げて。両腕を突き出して。真正面を向いて。脚を肩幅に広げて。


 両手は素手。武器は持たず、ただ彼女は真っ直ぐに両手を上げて構えていた。


「……いいね」


 その姿を見てオルディンは呟いた。セレニアの雰囲気が、何かを狙っているという雰囲気が、彼の中の何かを打ち付ける。


 腰を落とした。先ほどよりももっと深く。オルディンは地面と平行になるように足を広げて。地面をしっかりと脚で捉える。


 ――セレニアさん、いいですか。


 唐突に思い出されたのは、セレニアの幼少の頃の思い出。黒き髪の少女が、セレニアと同じ構えをして伝えるその姿。


「ヂェリャ!」


 オルディンは声を上げた。それと同時に、彼の姿は爆風と共に消え去る。


 羽虫の羽の音をそのまま大きく高くしたような甲高い音が響く。


 ――私や若様のように未来視ができるほどの読みができるのならば簡単ですが、セレニアさんにはそこまでの眼はありません。ですので


 セレニアは眼を見開く。風、爆音、爆風、土、光、線、槍、腕。


 身体に叩き込まれる感覚を、真正面から受け止めて。


 ――反応してください。全身で。触れて、撃つ。速さを超えて反応してください。自分の神経自体を強化してください。できますよね。私の妹なんですから。


 触れる。両手の下、腹部ど真ん中。何かが触れる。


 右手をひねるように下へ、払うように外へと動かして、そのまま肘を曲げて、左手を添えて。少し右、少し上。


 右足半歩、強く踏み込んで。


「ぶっ!?」


 唐突に、眼の前を真後ろに飛んでいく男の姿が現れた。セレニアは肘打ちを放った姿のままで固まっていた。


 飛んでいった男は、オルディンは橋の手すりにしこたま身体を撃ちつける。口内を切ったのか、血を口元から吹き出しながら。


「お、おお……あ、ぐお……真正面から、切って落としますか……やるじゃん……」


「まだ、遊ぶか?」


「いってぇ……小娘と侮ってたかな……!」


 頭を左右に振りながら、よろよろと立ち上がるオルディンに対して、セレニアは腕を広げる。


 セレニアの両手の指には短刀が八本、指の間に挟まっていた。


「私は戦いの最中に言葉を交わす趣味はない。だがな、一つだけ聞きたいことがある。答えろ年寄り騎士」


「あんだよ小娘……」


「何故お前はそんなに自分に自信があるんだ?」


「あん?」


「本当に私がお前よりも弱いと、思ってるのか? うん?」


「何が言いたいんだよ……?」


「私が、本当に、お前よりも遅いと、思ってるのか?」


「はっ?」


 青の円。


 光るセレニアの左手。


 青い刻印。


 光は周囲を包んで、全ての魔を超えて、人の域を超えて。


「あ――」


 オルディンは辛うじて声帯を震わせることができた。あまりの衝撃に、彼は一瞬考えるのを忘れてしまった。


 消える。オルディンの目の前にいたモノが消える。黒髪、黒く身体のラインを出していた服、輝いていた刃物、目の前にいた女の姿。


 全て消え去った。と同時に感じたのは自分の首元から伝わってくる冷たさ。


 一瞬すらも超えた一瞬。時を刻む瞬間をも超えた速さ。


「これで一度死んだな。聖皇騎士様」


 戦慄した。オルディンは頭の先からつま先まで、何かが走り抜けたような感覚に襲われる。どこかつかみどころのない、ある意味余裕に染まっていた彼は今初めて余裕を忘れた。


「ヂッ!」


 オルディンは駆けだした。目にも止まらない速度で。実際、外の者から見れば音以外で彼の存在を確認する術はないだろう。


 常人には。


 唐突に橋の床にオルディンは叩き付けられた。遅れて伝わるのは後頭部への痛み。


 床の上を跳ねて、オルディンは見る。膝蹴りを放った体制で浮かぶセレニアの姿を。


「な、んだっ……!?」


「もしお前の頭に刺さったのが剣なら、二度目の死だったな」


 地面にうつ伏せに倒れこみ、オルディンは一瞬意識が飛びそうになる。だが彼はそれを意地で抑え込んで、その強靭な脚で地面を蹴り起き上がった。


「速い……なんてもんじゃ、ねぇ……!」


 槍を握る。それを振ろうと彼は腕に力を入れた。だが、その力が槍に伝わるよりも速く、彼の腕には足が突き刺さっていた。


 身体の中に響く、何かが折れる音、右腕が、折れる音。


 聖皇騎士、騎士の中でも最高位であるオルディン・サーヴェンス。


 彼は幼子の時に剣を握ってから、誰よりも強く、誰よりも上に立とうと必死で剣を修行した。


 彼が得意だったのは脚。元々強靭な脚を持っていた。それを魔術でさらに強化する。もはや誰もついてこれない。最速の騎士の誕生である。


 彼は強かった。そして彼は賢かった。そのため、彼は順調に出世していった。騎士団小隊長補佐、対魔騎士である聖光騎士、そして最高位聖皇騎士。美しい妻も得た。自慢できる息子も得た。彼は今、騎士として絶頂だった。


 その彼が、20歳にもならない小娘に圧倒されている。


 槍を構える右腕はおられ、左手一本では槍をまともに振うことなどできない。オルディンは次々とセレニアの打撃を受けていく。


 セレニアの突きはオルディンの腹部に刺さり、蹴りは彼の脇腹を粉砕する。次々におられていく自分の骨に、その痛みに、ついにオルディンは意識を失った。


 最後のトドメと、セレニアはオルディンを蹴り飛ばす。彼の身体は橋の手すりを易々と超えて、そのまま海へと落ちていった。


 蹴り足をゆっくりと戻しながら、セレニアは息を吐く。左手の甲を抑えて、青き光を納まらせて、彼女はその場に立っている。


「卑怯とは言うなよイザリア。お前ほど加速できないあいつが悪い」


 ぼそりと言葉を口にして、セレニアは遅れて流れる自らの汗を手で拭った。うっすらと、彼女の髪は青く染まっていた。


「殺しておくべきだったか? まぁ、いい……ちっ、戦いながら刻印はさすがに、疲れるな……相手が打たれ弱くてよかったよ……時が止まってる間は攻撃が通らないのはなんとかならないのか全く……」


 セレニアはオルディンが落ちた海面を見て、もう一度息を強く吐くと、その場に背を向けた。


 遠くから聞こえる剣を叩き付け合う音。セレニアはその音がなっている方向を少し疲れた目で見ていた。

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