第10話 最後の安寧
日は高く、一時の平和は彼らを休めてくれる。
ロンゴアドの城下町の一角に設けられた大きな大きな野外病院に並ぶのは無数の兵士。諸王会議開催が決まったことで、休戦という一時の平和を得た兵士たちは、談笑しながら傷を治療している。
「おう、何だ何だお前は軽傷じゃねぇかよ。とっとと医者のとこ行って皆の分の包帯と消毒液もらってこいや」
「はい団長!」
その病院を回る一際大きな身体の男は、ロンゴアド兵団団長ボルクス。彼は片手に鞘に納まった長い剣をぶら下げて、右の義手をギシギシと言わせながら兵士たちの様子を見て回る。
兵士たちは一つも恐縮することなく、ボルクスに話しかける。彼は、笑顔でそれに応える。
一時とは言えファレナ王国との小競り合いが止まったのだ。それだけで、ボルクスはどこか嬉しさを感じていた。
「ランフィード王子殿下はやっぱりいいもん持ってるぜ。まぁちっと、優しすぎるのがって感じだがなぁ」
ボルクスは空を見上げる。そこは雲一つない大空。一時とは言え平和を取り戻したこの国を象徴するかのように、美しい空が広がっている。
顔を下げる。治療に並ぶ兵士たちをかき分けて、より大きな筋肉質の男が走ってきていた。
ロンゴアド兵団副団長ベルクス。彼は必至な形相をしてボルクスの元へと駆け寄ってくる。そして大きな声で叫んだ。
「大変だボルクス!」
「兄者? 何だそんな血相抱えてよぉ」
「ええいここでは話せん! こっちへこい!」
「んだぁ? 兄者らしくない」
「いいから来い!」
「へいへい」
しょうがないという顔をして、ボルクスはその無精髭を擦りながらベルクスについていく。ガシャンと義手が野外に並んでいるベッドにあたった。
「わりぃ」
一言、ボルクスはそうベッドに寝ている兵士に声を掛けてベルクスの元へと走る。
連れられて着いた場所は野外病院から外れた草原の上。必死な形相で、ベルクスはボルクスを見る。
「……んで、何だよ兄者。まさかファレナ王国が休戦規定を無視して攻めてきたのかい?」
「違う。かの国も連名で諸王会議開催を求めているのだ。さすがにそれはせん」
「だったらなんだ。俺ぁ義手にいまいち慣れなくてなぁ。ちょっと剣を振りてぇんだ」
「そうか、ならば丁度よかった」
「ああ?」
ベルクスは懐から一枚の紙を出す。それをベルクスは受け取り、紙を広げて中身を見た。
内容は、極短く、そして単純で。
「……なんだこれ? おい、兄者これ、何の冗談だ? 諸王会議決まったんだぞ。何やってるんだよおい」
「冗談でもなんでもないぞ」
「マジかよおい……」
「急がねばならん」
「わぁってるよ! 何でこんな……議会国へ向かうための馬が足りねぇだと!? そんなもん野生馬にそのまま乗せとけよ面倒くせぃ!」
「無理を言うな。牧場で四苦八苦しとるんだ兵士たちが」
「ぐ、ランフィード王子殿下はまだ戻っておられないからよ……時間はあるがよ……!」
「ははは、早く行け。お前が馬車馬のように働けばそれなりに乗れる馬の一頭や二頭すぐであろう?」
「畜生……兄者……俺隻腕なんだぞ……!」
「急げよボルクス。私の馬を使ってもいいぞ」
「言われるまでもねぇ! あーくそっ! 兄者わりぃ兵団見ててくれ! あとしばらく帰れねぇからうちのカミさんとチビ頼むわ!」
「うむ、任せよ」
馬にまたがり、走り去っていくボルクスの背を眼で追いながら、ベルクスは小さく微笑んだ。
一時的とはいえ争いの無い平和な世界を得た彼の胸はいかようか。ベルクスは思う。これを壊してはいけないと。
「その為の生贄があの娘か。ふぅ……この世は実に……」
そうつぶやきながら、ベルクスは歩く。談笑する兵士たちの元へと向かって。ベルクスの背に建つのは城。ロンゴアド国を治める国王が住まう城。
――数刻後。
ロンゴアド国の大会議場。いつもであれば文官たちの無意味な会議が続く場所。
今日は違った。そこにいるのはロンゴアド国の国王とファレナ王国王女であるファレナ、そしてファレナの護衛のリーザとセレニア。
たった三人だけ。三人だけが、その会議場にいた。
国王は傍にあったグラスに水を注ぎ、飲み干す。それをファレナは真剣な眼差しで見る。
「さて」
国王が声を上げる。ファレナは瞬きすることなく、王を見ていた。
「ファレナ王女陛下。諸王会議開催は決まった。どうだ? 落ち着いておるか?」
「……はい。何とか、落ち着いてます」
「これより三か月後の諸王会議、そこで主張することは二つ。一つはファレナ王国の数々の非礼に対する弾劾。そしてもう一つは、貴君が即位」
「はい」
「貴君は、女王となるのだ。かの国の女王と。そして、かの国を内部より平和にいたすのだ」
「はい、頑張ります」
「強い眼であるな。心配はいらんということか」
「……はい、任せてください国王陛下。私、頑張って、頑張って、私の国を、いい国にしてみませます」
「出立は一か月後、その後は安らぐことは当分ないであろう。今のうちに、十分平和を満喫せよ。我が国は全力で貴君が統治を助ける所存である」
「はい、ありがとうございます。では私たちはこれで」
「うむ」
ファレナは頭を下げて、大会議場を後にする。窓には夕日、終わる一日。
ファレナの後ろに歩くリーザとセレニアは、何も言わない。ただ静かに、彼女たちは城の廊下を歩いた。
唐突に足が止まる。ファレナの足が止まる。振り返る彼女の顔はただただ無表情で。
「これでいいんですよね。私、これでいいんですよね」
ただ一言彼女はそう問いかけた。問いかける相手は、リーザとセレニア。リーザは歯を食いしばり、複雑そうな顔をして俯き、セレニアは無表情でファレナを見つめ返す。
ファレナの問いかけに二人は答えない。答えようがない。
「……わかり、ませんものね。すみません、私、変なこと聞きました。忘れてください」
作り笑い。誰が見てもわかる、ファレナの作り笑い。リーザは居た堪れなくなって何かを言おうと口をパクパクと動かす。だが声が出ない。掛ける言葉が見つからない。
「私、お腹すきました。リーザさん、早く戻って、ご飯作ってください」
「は、はい……美味しいものを作ります」
「あと、セレニアさん。毎日の事なんですけど……今日もお願いします」
「わかってる。付き合ってやる」
交わした言葉はそれだけで、彼女たちは歩き出した。
城を出て、馬車に乗って、少し揺られて。
城下町の隣の村について、馬車を降りて、馬車を操る兵士に声を掛けて。
リーザは、ファレナに一言掛けると、そのまま彼女たちが住んでいる家に向かっていった。ファレナとセレニアは、村から森へと続く道に入る。
道を進む。森には誰の気配もしない。空を見上げれば、気が付けば周囲はすっかり夜になっていた。月は三日月。かかる雲が、月の光を弱める。
そして見える。白い湯気が立ち上る湯場。脱衣所でファレナとセレニアは服を脱いで、浴場へと入る。
二人とも何も言わずに、静かに湯を身体に浴びて、そして湯船につかる。二人肩を並べて。
二人とも髪は長く。そのままでは湯船に広がってしまう。故に、合わせたように二人とも同じように髪を束ね、紐で括っていた。
暖かな湯、寒さの残る空気。その二つに挟まれて、二人は心を落ち着かせる。
どちらから言い合わせたのか、この村で湯船に入る際は常に二人は一緒だった。セレニアにとっては護衛の役割があったし、ファレナにとっては一人では寂しさを感じてしまうから。お互い、理由があって共に入浴していた。
セレニアは足を伸ばし、ファレナは足を抱える。これも、いつも通り。
いつもと違うのは、ファレナがどこか、沈んだ顔をしているということ。
「セレニアさん。あの、セレニアさん」
「……なんだ」
ファレナの呼びかけに、セレニアはぶっきらぼうに答える。
ファレナが強く、足を抱えた。
「私……何だか、おかしいんです。セレニアさん」
「お前はいつもおかしいだろ?」
「否定は、しませんけど……でも最近は、もっともっとおかしいんです」
「……回りくどいな。言え。何がおかしいんだ」
「分かってるんです。本当に、本当にわかってるんです。ロンゴアド国王陛下の言うことは、正しいって。その為に動くべきだって。でも……」
「でも、なんだ?」
「何だか、嫌なんです。女王になることが嫌なのかなって、最初思いましたけど。それも、そうなんですけど、何か、もっと別の何かが嫌で……あの、何なんでしょう」
「知るか」
「ですよね……」
湯の中に口を沈めて、ファレナはブクブクと空気を吐く。何かを考えてるようで、何も考えていないようで。
その空気の重さに、セレニアは根負けしたのか。小さく息を吐いて空を見上げて、口を開いた。
「あいつが言っていた。お前は、美しい世界を創れると」
「……美しい世界? って何ですか?」
「知るか。私が聞きたい。だがな、私に対する、あいつのある意味、最期の言葉だ。あいつは私に、ジュナシア・アルスガンドは私に、お前を守れと言った。だから私は、守るよ。お前を守るよ」
「セレニアさん……ありがとう、ございます」
「ふん……いいか、お前は間違ってはいない。間違っては。お前は、な。よくやってると思うよ」
「……私、以外が、間違ってる?」
「さぁ、どうかな。私はあいつほど、優しくはないんだ。これ以上は教えられないな」
「…………はい」
ファレナはセレニアの顔を見て、彼女が穏やかな顔をして月を見上げていることに気が付いた。ファレナもそれを真似て、空を見る。
輝く三日月は、漆黒の雲がかかって。輝いているはずのそれは、何故か暗闇を飲み込んでるようで。
「セレニアさん、あの、一つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「憧れで好きってことと、恋してて好きってことは、違うんですよね。でも、だったら、恋って、何なんですか。セレニアさんは、ジュナシアさんに恋してるんですよね。あの人の、何が好きなんですか?」
「……唐突だな。誰が話すか。私の心は」
「セレニアさん。教えてください。私、私知りたいんです。お願いします教えてください」
「ちっ……私は……」
ファレナは真剣そのもので、セニレアの顔を覗き込んで目線を外さない。しばらくのあと、セレニアは根負けしたのか、ゆっくりと、淡々と話し始めた。
「……あれは、お前が思ってる以上に、皆が思ってる以上に、弱い人間だ。本当のあいつは、凄く曖昧で、凄く弱くて、儚くて」
「はい」
「私は気づかなかった。最初はそれに気づかなかった。だから、ただ憧れていたよ。あいつは、強かったんだ。何でもできた。誰でも守れた。優しかった。お前、気づいているか? 最初から今まで、戦いの、命の危機がある戦いの時に、お前の目の前には常にあいつの背がなかったか?」
「はい、あの人は、守ってくれてました」
「常にあいつは前にいる。常にだ。だから、それに追いつきたかった。並びたかった。だから必死に、必死に修行したよ……私は、弱かったからな昔は……」
「セレニアさんが弱かったら私なんてどうなるんですか」
「お前と比べるな」
「それで、何であの人が弱いんですか?」
「……あいつはな。人を殺したくないんだよ。本当は」
「えっ」
「でも、殺せるんだよ。人を。あいつは人を殺せるんだよ」
「……どういうことですか? 嫌々で、殺してるってことです?」
「嫌々殺してるのとは違う。あいつは、殺せるんだ。何の感情も無く、何の躊躇もなく、最も効果的で、最も効率的で、そんな風に人を殺せるし、殺してきた。でも、殺したくはないんだ」
「自分を……殺してる?」
「あいつは、本当は誰よりも生を愛して、誰よりも人を愛して、誰よりも、優しい人間だ。暗殺者としては最弱といってもいい人間だ。だから、私はそんなあいつの、壊れそうなあいつがたまらなく好きだ。歪んでるかもしれない。だがな……壊れそうだからこそ……強く……強いからこそ……弱く……」
「……セレニアさん」
「私は、あいつの全てが欲しいし、私の全てをあげたい。だから……姉さんのように与えるだけの愛では、耐えられない」
セレニアは立ち上がる。月の下で、その肢体を濡らして。ファレナの前に立つ。
「お前は、どうだ?」
「え、わ、私は」
「ファレナ。お前はもう見たはずだ。あいつの心をみたはずだ。ならば、答えろ。お前は、どうだ?」
「わ、私……私は……」
ファレナの脳裏に浮かんだのは、暗闇が張れるその一瞬。17年間目の前に広がり続けた闇を払う、その一瞬。
その一瞬の彼の顔は――何故か、どこか――
「……私、あの人がいるから、ここまで来たんだと思います。あの人のあの時の顔があったから、私は私でいられるんだと思います。だから」
――満足そう。
「輝けるあの人のために、私は美しい世界を創ってみせます。それが私の、好きってことです」
ただ、決意を胸に、そう告げるファレナに対して、セレニアは小さな笑顔を向けた。




