第5話 赤色女王
赤い髪は遥か遠くより続く、最も古き魔法師が血統の証。
その血は、万年を超えても尚世界に輝く。ヴェルーナ女王国の巨大な城の奥で。尚も輝く。
広がるその長い長い赤髪は玉座を包み、全身を覆う赤色のマントはより赤く、女王を飾り付ける。
玉座に腰かけ鋭く細い眼を向けて、彼女はそこに佇む。
顔自体は20代のそれだが、纏う空気はそれの比ではない。数十年、数百年は世界を見てきたであろうその眼は、深く、深く輝いている。
世界で最も美しいヴェルーナ女王国を統べる赤き猛き女王。ファルネシア・ヴェルーナ・アポクリファ。
その威光。輝ける女王は今、隣国の王子であるランフィードと、漆黒のエリュシオンであるジュナシアの前にいる。
あまりの赤さに、ジュナシアは少しだけ嫌悪感を抱いたが、それを顔に出すことはなかった。
「……じょ、女王陛下。お目通りありがとうございます。私はロンゴアド王国の第一王子であるランフィード・セイ・ロンゴアド。この者は護衛のジュナシア・アルスガンドです」
さすがのランフィードでも緊張している。世界で最も高名な女王が目の前にいるのだ。女王の前に二人は跪き頭を垂れる。マディーネは顔を隠したまま女王に直接会うのは恐れ多いということで、謁見の間の扉の外にいる。
謁見の間では、女王の他には誰もいないのだ。護衛すらいなかった。それでも女王は一つも警戒することなく、彼らを迎え入れた。
その余裕、正しく彼女は王だった。
「先だって、文は届いてるかと思いますが、この度はロンゴアドを代表し、お話を聞いていただきたくはせ参じました。女王陛下実は」
「ランフィード王子や」
ランフィードの言葉をさえぎって放たれた女王の言葉は、重く、空気を震わせるような言葉だった。
不思議なことに声自体は優し気な女性のそれだったが、空気感は違う。その威圧感と、カリスマ性を感じさせる空気感に、ランフィードは口を噤む。
「頭をあげよ。ヴェルーナとロンゴアド、そしてわらわと貴君は同格。このようにかしこまられる覚えはないが? それとも、わらわには顔を見られたくないというのか?」
「い、いえ……申し訳ございません」
はっとして、ランフィードは顔を上げた。自分もあげるべきか少し悩んだが、ジュナシアも同じように顔をあげることにした。
顔を上げてはっきりとわかる。女王の顔は、どこか憂いを感じていた。
「しかし、中々に早い到着である、な。足の速い馬でもこうはいかん。ランフィード王子、どうやってここまで参ったのか?」
「はっ、それは……走って……」
「まぁどうでもよいが、な。ふぅむ、貴君が文、確かにいただいてはいるのだがどうにも要領をえぬな。もし、よければ話、聞かせてたもれ。緊張せずともよいぞ。多少言葉砕けたとしても許す」
「はっ、ご配慮ありがとうございます。では……女王陛下、現在のファレナ王国の情勢、お聞きで?」
「嫌でも耳に入ってくる、な。王が死してからかなり派手にやっておるようだが」
「はい、それで先日、ここにいるジュナシア・アルスガンドの主であるファレナ王女と共に、ファレナ王国が殺戮兵器を破壊いたしました。このことは、お伝えに?」
「うむ、大儀であると言っておこうかの。だが、結果としてファレナ王国へ攻め入ったのは早まったなとも言っておこうかの」
「違います。我が国は決して攻め入ってはいません。最初にファレナ王国が破滅か、従属かを突き付けたのです。これは宣戦布告に違いありません」
「そう主張すると、ふむ、まぁ、わらわには関係ないがな。大体主張する場もわきまえずに行動しおって。さすがのわらわでも擁護はできぬ、な」
「いろいろと焦ったのは、わかります。私もファレナ王国に捕らえられておりまして……父は焦ったようです」
「その前に、軽率な行動で民を苦しめたことは、反省せぬか?」
「それは……なるほど、それで人払いをすでに……何でも御見通しということですね女王陛下」
「畏まるのもよいが、それだけで己を飾ろうとするところが、童よな。包み隠さず伝えるがいい。わらわに、その共に」
「……わかりました」
ランフィードは女王の言葉に、立ち上がった。ふっと微笑んで、ジュナシアも立ち上がる。
暫くの沈黙のあと、ランフィードは静かに話し始めた。
「私はロンゴアド兵団長と共に、王の命により弁明のためにかの国を訪れました。ファレナ王国がかの兵器を持ちだす前のことです」
「そこで何をみたか?」
「玉座に座るファレナ王国騎士団長オディ-ナ・ベルトー。そして彼に従う騎士たち。誰一人、騎士団長が玉座に座っていることに疑問を持っている者はいないようでした。玉座の間には鉄の匂いが立ち込めていたのを覚えています」
「完全に、彼奴の国になっとるのか?」
「はい」
「ほぅ……それで、貴君はかの国で何をした?」
「弁解をしました。当時はファレナ王女を攫い、匿っていることに対して咎められておりましたから。我が国はそれは知らぬことと説明いたしました。当時はファレナ王国がこのようになってることは知らず、何かの間違いだと思っていたのです。話せばわかると思っていたのです」
「それで、どうなったか」
「はい、結果としては、話を聞き流されそのまま城に軟禁されました。外へでようにも全ての門は閉められ、外出どころか城の一角から出ることもできませんでした」
「それはそれは、どれぐらいの間捕まっておったのだ?」
「そうですね……共をしてくれましたボルクスが私に対する待遇に怒り、オディーナに抗議をしたのです。その応えは剣で返されました。ボルクスは素手で何とかやつの猛攻を掻い潜り、私を連れて城の壁を破壊して逃げたのです。軟禁されてから一月ほど経っていました」
「剛の者がいたものだ、な」
「はい、彼はロンゴアド兵団最強の兵士。彼でなければ忽ち殺されていたでしょう。私もどうなっていたかわかりません」
「その後は魔法機関の助けを借りて無事帰国、だったか?」
「はい、マディーネ様が来られなければ、帰国すら困難だったでしょう。すでにロンゴアド国とファレナ王国は戦争状態でしたから」
「だいぶ苦労したようだ、な。メリナも心配していたぞ」
「すみません……メリナ姫様を悲しませるようなことを……」
「よい、今回は許す。わらわが娘、泣かせることは一度までは許す。が、二度目はない」
「……心に」
「死するときまで誓い続けよ。それが、ヴェルーナ・アポクリファの血を享けるということだ」
「はい」
力強くランフィードは頷く。女王は玉座に背を預け、遥か高き天井を見上げる。
赤色の髪が淡く輝く。それを成すのは女王の魔力。ヴェルーナは魔法師が創り上げた国。女王もまた、当然のように世界に名だたる魔法師なのだ。
「説教臭い、な。歳を取るとどうにも、な……ふぅ」
輝く髪を揺らし、女王は正面を向き、ぼそりと言葉を発した。
「さて、ランフィード王子殿下。貴君が要望、諸王会議開催に対する署名であったか。実はすでに用意しておる」
「それでは!」
「元々、な。我らが先導し行うつもりではあったのだ。ロンゴアドは盟友に他ならんからな。それにファレナ王国の強引さ、人を人とも思わぬ所業は目に余る。先だって滅ぼされたラ・ミュ・ラ国の人口は2000万。その悉くが殺された。悲しいことである、な」
「……はい、では我々と同じくファレナ王国弾劾への声を上げてくださるということでよろしいですか?」
「それでよい」
「ありがとうございます。これで二国、あと一国の協力があれば……戦争を終わらせられる。そしてファレナ王国も正常化を……」
「そのことだがな。ファレナ王国に対する非難、これは協力しよう。だがランフィード王子殿下、ファレナ王女即位、これは協力せぬ」
「……何故? それでは、戦争を終えれたとしてもかの国は王権が崩壊したままですが」
「貴君ら、本気でファレナ王女を添えるつもりか?」
「はっ当然です。いや、何をおっしゃって?」
「……ふむ、なるほど、な」
「ヴェルーナ女王陛下、何をお考えで? お教えください」
「これはわらわが口から言うことではない、な。いずれは貴君も王となる者であろう? なれば、気づくべきだ」
「……はい、わかりました。とにかく、開催まで行ければあとはそこで協力を仰ぎます」
「せいぜい頑張るがいい。酷なこと、よ」
「はい、女王陛下、改めまして、ありがとうございます。ロンゴアド一同代表して、礼を述べます」
深々とランフィードは頭を下げる。ジュナシアは横目に彼を見ていた。そして女王を見ていた。
――知っている。女王は知っている。気づいている。
女王はふと視線をジュナシアに向けて、彼を足の先から頭の先までまじまじとみる。まるで何かを確認するかのように。
そして女王は問いかける。彼に。
「して、そこな者、言葉を発することを許す。わらわが問いに答えよ」
「はい」
「主、アルスガンドの名を名乗っておるが。アルスガンドの、頭首が血族か?」
「はい、父が、頭首です。今は亡くなっておりますが」
「ほぅ、なるほど、なるほどな……あの男、死によったか。これで三度か……全く……」
「……三度?」
「いや、独り言である。流せ」
「はい」
「ご苦労だったなランフィード王子よ。あと一国の署名は貴君らは忘れよ」
「はっ? どういうことで?」
「すでに一国の署名はあるのだ。すでにな。あとは時だけだ」
「なんとすでに協力を得ておりましたか! すばらしい、どこの国ですか?」
「聞きたいか?」
「はい是非! 礼を述べに参らないと!」
「それは辞めた方がよいな。また軟禁される、ぞ」
「はっ……?」
「諸王会議開催を希望する三国目、いや、正確には一国目、その国の名は――」
一息、女王は溜息をついて玉座に深く座る。そして見上げながら放つ国名は――
「ファレナ王国」
ランフィードを凍らせた。




