第4話 華の女王国
世界で最も美しい国はどこにあるのかと問いかけると、どこであってもこう答えが返ってくる。
それは大陸の中央に、大きな湖の傍に、世界で最も多くの華が咲き誇るその国こそが、世界で最も美しい国。その名はヴェルーナ女王国、と。
全ての美しさがそこにはある。人々は笑う。人々は喜ぶ。人々は謳う。
そこは華の国。華の女王国。魔法機関の本部を置くその国は、一兵の兵すら持たない。だが世界屈指の戦闘力を持つ国でもある。何故なら、国民はほぼ全ての者が魔法を修めているから。
最も美しく、最も気高く、最も平和な国。ヴェルーナ女王国こそ、楽園であると人は言う。
彼は、ジュナシアは、国を一望できる高台からヴェルーナ女王国を見ていた。彼の眼は見開かれて、文字通り唖然として、彼はただ立ち尽くしていた。
匂いがする。懐かしい、華の匂い。
国中至る所に色鮮やかな花々が咲き誇り、街は極彩色となっていた。
美しいと、ジュナシアは思った。見ているだけで心が洗われるようで、初めて来たはずの国なのに、長年過ごした故郷のような印象を受ける。
眼を離すことができない。ジュナシアのそんな姿に、レンフィードとマディーネは微笑みを浮かべていた。レンフィードたちはジュナシアに話しかけることはない。じっと、ただじっと彼が見飽きるのを待っていた。
どれほど経っただろうか、しばらくして、ジュナシアが口を開いた。
「こんな国がこの世にあっていいのか」
大げさにも聞こえる感想。レンフィードは似合わない彼の言葉に、クスリと笑う。笑われたのが少し気に障ったのか。ジュナシアは鼻から息を吐いて両腕を組んだ。
「ヴェルーナ女王国。大陸の中心にある国さ。といっても険しい山々に遮られて、東はロンゴアド、西はオルケーズからしか入れない。僕はここの国ほど美しい国は知らない。ジュナシアも気に入ったようだね」
「……ああ」
「ここは女系の王族が治めている。女王国っていうぐらいだからね。女系が主流なのさ。勿論、男の王もいたよ。その場合は政は妃がしたらしいけどね。ここは、魔法師の始祖が創った国で世界で唯一の非交戦国家なんだ」
「無抵抗国家、ということか」
「ちょっと違う。非交戦は無抵抗とは違うんだ。何というか、争わない国。争わせない国。ほらあそこにある大きな湖、あの湖の水は地下を通じてこの辺り全ての水源となっているらしい。だから本来ならばここは周辺国にとって喉から手が出る程欲しい土地なのさ。でも、一度もここは戦場になったことが無い」
「奇跡的だ」
「うん、それを可能にしてきたのがこの国の在り方さ。この国は、世界中の人々のために動く。正確には、人という種のために、かな。この国には魔法機関の本部があるんだ。魔法機関は冒険者ギルドを通して国や文化の区別なく、弱き民たちを救ってくれる」
「魔法機関は人を守護する者」
「そう、だからこの国は攻められない。だって、ここに攻め入ってごらんよ。世界中の冒険者や市民たちが敵に回る。自分たちを守ってくれる最後の砦が壊されるんだもんな。そんなもの、抑えきれるわけがないだろ。自国民を殺すなんて国としては自殺行為さ」
「危ういように見えてうまくできてる、か」
「うん、だからきっとファレナ王国への弾劾も協力はしてくれるはずなんだ。民を殺しすぎてるからねあの国は。でも……ここからは賢明な君ならわかるだろう?」
「世界の民たちが敵に回ったとしても、全く意に介さない国もある」
「そうだ。現ファレナ王国。君たちが止めてくれたが、あの国は何の躊躇もなく強大な兵器で国を消し飛ばす。ヴェルーナとは言え躊躇はしないだろう。大きな目的があるのか、それとも本当に怪物のような国になってしまったのかはわからないけどね」
「……マディーネ。魔法機関もランフィードと同じ考えか?」
「そうですね。ハルネリア様の言葉ですが、魔法機関は戦いもやむなしと思っているそうです。といっても基本的には国事には不介入。魔法機関はヴェルーナを守るということすらしません。あくまでも表向きは、ですがね」
「面倒な」
「本当に」
一頻彼らはその場で立ち尽くすと、丘の上から降りた。城下町に近づくにつれて、匂いが強くなっていく。
花々の匂い。少し生臭さの残るその匂いは、不思議と心を落ち着かせる。
彼らは進む。丘を歩き、草原を歩き、街に着く。
「すみませんジュナシア様、ランフィード様。私はこれより言葉を発しません。ご了承を」
マディーネはローブの襟を持ち上げ、すっぽりと頭を覆うフードを引っ張りだしてそれを深々と被った。長い銀髪は全て服の中に入れられ、はた目からは彼女の顔を見ることができなくなる。
彼女は魔法機関に黙って彼らに協力しているのだ。魔法機関本部があるこの街では、彼女は顔を出すことができない。
彼女の最後の言葉に、ランフィードは頷き答える。ジュナシアは眼でそれを見る。
ランフィードは城下町の入口に立ち、少し呼吸を整えた後、よしといった感じで息を吐いてジュナシアを見た。
「さて……ジュナシア。早速城に向かおう。女王陛下が待っている」
「早すぎないか。怪しまれる」
「うん? ああそうか、僕らはゲートで来たからね。まさか出口があんな高台とは思わなかったけど」
「向こうはまだ俺たちがついてないと思っているだろう。それでもいくか?」
「そうだね……いや、もう行こう。なぁに、少し走ったと言えばいいさ。一日でも早く済ましたいしね」
「そうか、なら何も言わんさ」
彼らは動き出した。城下町の遠くにそびえるとてつもなく大きな城に向かって。
行きかう人々が彼らを訝し気な眼で見る。ランフィードは白く煌びやかな鎧に、これまた煌びやかな装飾の剣を腰に差し、ジュナシアは彼とは対照的に頭の先からつま先まで真っ黒で。
さらに彼らの後ろからはフードをすっぽりと被ったロングローブの人がついてくる。
これが目立たないわけがない。自然と市民たちは彼らを避けるように動いていた。
人の波が彼らを避けていく。そのおかげか、ジュナシアたちはかなり高密度の人混みをスイスイと進んでいく。
ふと、少年とランフィードの眼が合う。ランフィードは屈託のない笑顔を少年に向け、少年はランフィードにぺこりと会釈をして去っていく。
きっとこいつはいい王になれるだろうと、ジュナシアはその様子を見ながら思う。彼自身気が付いていないが、嘗てと違ってジュナシアは人を見るようになっていた。
その心境の変化は良いことなのか、悪いことなのか。ただ避けていた人と言うモノに、彼は近づいていたのだ。
そして城につく。巨大な、巨大な城に。あまりにも巨大。城の大きさだけならファレナ王国の城よりも大きい。
門番の二人が踵を合わして、ジュナシア達に敬礼をする。それは城に来る人全員にする仕草。ヴェルーナ女王国は兵を持たない。門番もまた、ただの役人でしかない。故に彼らは武器を持っていない。
ランフィードは鞘ごと腰の剣を降ろし、右手に持ち替える。それは敵意が無いという仕草。門番たちに頭を下げ、そして彼は門番たちに話しかけた。
「すみません仕事中に。私はロンゴアド国第一王子、ランフィード・セイ・ロンゴアド。女王陛下にお目通りを願いたいのですが、どこへ行けばいいですか?」
「それはそれは遠いところまでよくぞお出でになられました。謁見の約束はおありですか?」
「はい、といっても到着がいつになるかわかりませんでしたので、日付までは」
「なるほどわかりました。それではこのまま城内に入ると大広間がありますので……おっと、ヴェルーナの城は初めてですか? 初めてでしたらすぐに案内を呼びますが」
「いいえ、大丈夫です。何度か来たことがあります」
「そうですか、では、どうぞお入りください。ああ、申し訳ございませんが剣は封印の式を掛けさせていただきます。柄に陣が浮かびますが、触れても大丈夫ですので」
「はい、どうぞ」
門番の一人はどこからか小さな石を出してそれをランフィードの剣に当てた。ランフィードの剣の柄に輝く魔法陣が浮かぶ。
「はい、これで。そちらのローブの方は……武器は持ってないようですね。おっと、そちらの男性は剣を持ってますね。申し訳ございませんが封印させていただきます」
「ああ」
ジュナシアは門番に背を向ける。彼の腰には二本の剣。門番は手慣れた手つきでそれに封印の石を当てて、封印していった。
これで剣は抜けない。ランフィードは試しに剣を抜こうと力をいれてみたが、ピクリとも動かなかった。
「城から出て一日経てば解除されますので。ご不便でしょうがどうぞそのままで。ではお入りください」
「ありがとう」
城門を超えて、石畳の道。長く長く、その道は、巨大な城へと続いている。
ジュナシアたちは城に向かう。石畳の道を踏みしめて。
しばらく歩いたところで、ランフィードが微笑んだ。
「ジュナシア、君、剣二本だけじゃないよね。短剣や針なんかもいれたらさ、何本になるんだい?」
「80はあるな」
「ははは、こりゃ困った客だ。怒られないかなぁ」
「これでもだいぶ置いてきた方だ」
「その圧縮魔術の術式、今度教えてくれないかい? 便利そうだ」
「お前には無理だ。これは刻印の補助が無ければできない術式だ」
「そうかい? 世の中広いなぁ……っと魔法機関の本部があるこの国で魔術は禁句かな? ははは」
「気にしないだろう。誰も」
「ははは、だといいね」
城への道も、隅には花が植えられていて。
道は続く、巨大な城へ。彼らは花の匂いに包まれて、おだやかな気持ちで道を歩いた。
歩く先はヴェルーナの女王が住まう城。日は高く昇り、彼らは日差しを浴びながら、歩いていった。女王へ会うために。




