第3話 最初の晩餐
「王子、本当にお一人で大丈夫ですか?」
「ああ大丈夫だ。明日はここから出立する。あそこは転移陣がない。遠い旅になるぞ。日が昇る頃に迎えに来てくれ」
「はいわかっております。ではお気をつけて」
車輪が回る。土を踏み、石を踏み、周り続ける。
大きな馬車が三人の男女を村の一角に降ろして去っていく。村人たちの視線を集めながら。
馬車が立ち去るのを確認した後、ランフィードは襟のボタンを外し、首周りに指を刺しこんで襟を広げた。そして一つ、二つ、大きく息を吐く。
「立場がある、というのはよくわるけど、さすがに友人の家に行くときぐらいは楽になりたいものだね。君もそう思うだろジュナシア」
「そうだな」
「ふぅ……ところで礼が遅れました。マディーネ様、ボルクスの義手、よく持って来てくれました。門前で待たせるなど失礼をいたしました」
「いえ、すぐに殿下が参りましたから」
「ボルクスに軽い説明だけで来てしまいましたが、あれで十分に使えますか?」
「大丈夫だと思います。ボルクス様は世界有数の魔剣士。すぐに慣れることでしょう」
「だといいですけど。ボルクスああ見えて、不器用ですからね。今頃大騒ぎしてるんじゃないかなぁ」
「ランフィード、マディーネ、話は家に帰ってからだ。お前たちは目立つ」
「おっと悪いねジュナシア。でも君も大概だよ。真っ黒だものな。ははは」
「ええ、言えてますね。ふふふ」
赤らむ空に輝く黄金色の髪と、銀色の髪。ランフィードとマディーネは、前を行くジュナシアに真っ直ぐついていった。
三人は目立つ。村人たちは皆、すれ違い様に三人を眼で追う。ランフィードが自国の王子であることに気付く者もいる。黄色い声を上げる女性もいる。
だが村人たちは皆、彼らを見る以上のことはしなかった。たぶん、それは邪魔をしては悪いということを察したから。
それほどに、ランフィードは喜びの顔を見せていた。彼を包んでいた緊張は、計り知れないものに違いない。それを察したジュナシアは、少しでも気晴らしをさせようと彼を連れてきたのだ。
嘗てのジュナシアからは考えられない、人の内心を察して動く。そのことは彼自身の内面の変化も表していて――
たどり着く。小さな川を挟んで、建つ家。近づくだけで料理の匂いが漂ってくる。ジュナシアは、ノックすることなく扉を開けて家に入った。
後ろからついてきていたランフィードはこのまま入っていいのか少し悩み、結局家の外で立ち止まった。それを横目に、ジュナシアは玄関脇にある調理場を覗く。
調理場に立つのは渋い顔をしたリーザ。味見だろうか、指を舐めて首を傾げている。
「リーザ」
「え、ってあっつ! あっつい! あつっあああ!」
唐突に名を呼ばれて、リーザは鍋に手を突っ込んで飛び跳ねる。飛び散る赤いスープは、次々にリーザにかかり――
落ち着くまでしばらくの時間が経った。リーザは涙目になりながら恨めしそうにジュナシアを見る。
表情を変えることなく、ジュナシアは問いかける。
「ファレナとセレニアはどこだ」
「あんた戻ってたのね……あーもう、作り直さないと……」
「リーザ、ファレナとセレニアはどこだ」
「気配感じなさいよ暗殺者でしょ? はぁ……姫様たちは湯浴みに行ってるわよ。もうすぐ戻るんじゃないの?」
「身体を洗いに行ってるのか。ロンゴアド国の王子を連れてきたんだが、少し待たすか」
「え!? あっつ! ああっつ!」
「お前は落ち着け。作り直しついでだ。量を増やしておけ」
「ちょっと待っ! ああもう!」
リーザが一人、調理場で右往左往する姿を見てジュナシアは軽く微笑む。そして彼は、家の入口から顔を出して、ランフィードたちを招き入れた。
外で待っていたランフィードたちは家に入る。少し緊張をしているのか、ランフィードたちはキョロキョロと周りを見ていた。
「珍しいものでもないだろう」
「いや、ジュナシア、これは珍しいものだよ。僕はあまりこういうところに来たことがなくてね。君は見飽きてるかもしれないけど。僕のような人間にとっては……っと、すまない、ちょっと嫌味だったな」
「そうか」
「マディーネ様もそうですか? 僕のようにこのような家はあまり? 物珍しそうに見回していますが」
「あ、ええ、まぁ、そうなんですよ。あの、ジュナシア様、誰かおられないのですか?」
「リーザは食事を作ってる。ファレナとセレニアは湯浴みだ」
「湯浴み!? えっ湯場があるんですかこの村!? どこにあるんですか!?」
「林の道を奥に行ったところにあるが……何を必死になるんだ」
「あ、い、いや! あーそうですか、なるほど、わかりました。なるほど、どーりで水浴びもしないなと……ちっ調べが足りなかったですね私……」
「ん……?」
「ジュナシア、わかってないな君は。マディーネ様は女性だぞ。いい湯場があるのならそりゃ興味あるさ。魔法師様とは言え同じ人間さ」
「……そうか」
他愛のない話は続く。殆どがランフィードの話で、ジュナシアはそれに相槌を打つだけだったが、不思議なことに何とも言えない居心地の良さを彼らは感じていた。
時間を忘れて彼らは話す。マディーネはいつの間にかいなくなっていたが、彼らは特に気にはしなかった。
暫く経った後、彼らがいる部屋の入口にリーザがひょこっと顔を出した。その顔は完全にひきつっていて。
「うっわ、本当に王子様いる……」
「うん? ああ、バートナー殿、お久しぶりです」
「は、はいお久しぶりです王子殿下……こんな汚い家にわざわざ本当に申し訳ございません……」
「汚い? いや、綺麗ですよ。整頓されてますし」
「ああその、真っ直ぐ返されるとまた……あの、お食事、運んでも大丈夫ですか?」
「おっと、それは失礼。ファレナ姫様たちはお戻りで?」
「はい、すぐ降りてくると思います。ねぇジュナシアさん、ちょっと運ぶの手伝ってよ。たまには手伝いもいいでしょ」
「わかった」
それから、リーザとジュナシアは手際よく料理が乗った皿を運び込んでいった。その量はまさに山盛り。最初は興味深く見ていたランフィードだったが、いつの間にかその顔は苦笑いとなっていった。
机に乗らないほどの料理が部屋のありとあらゆる台に乗せられる。端の皿は小突けば落ちそうになっていたが、リーザは構わず料理を並べていった。
全てを並べ終わった後、リーザは家の奥へと消える。そしてセレニアとファレナを連れて部屋に戻ってきた。彼女たちは席についているランフィードに挨拶を交わした後、そのまま席に座った。
席につく6人。いつの間にかマディーネも戻ってきている。ファレナが皆の顔を見回して、両手をパチンと合わせ大きな声で食事の開始を宣言する。
「さて! それじゃ皆さん今夜も無事お食事をとれることを感謝しましょう! いただきます!」
手を下すと同時に、思い思いに皆食器を鳴らし、料理を口に含んでいく。
焼いた肉、スープ、山盛りの野菜、パン、これでもかというほどの量がそれぞれ部屋の至る所の台に乗せられている。
無言でジュナシアとセレニアはそれらを口に運んでいく。彼らの食べるペースは常人のそれではなく、次々と料理を口に運んでは噛み、そして飲み込んでいく。
その様子をみても、ランフィード以外は慣れているのか何も言わない。ランフィードだけが、あっけにとられてじっと二人を見ていた。
不思議そうな顔をしながら固まっているランフィードに、ファレナは話しかけた。
「王子様、食べないのです?」
「あ、いや、いただきます。ははは……そういえばジュナシアの食事、僕見たことなかったね……」
ランフィードはたじろぎながらも、料理を口に運ぶ。一口、そして一噛み。
「……これは、なかなか美味。バートナー殿がこれを全て?」
「ええまぁ」
「へぇ、凄いですね。剣だけではなく料理もできるとは」
「え? いや、そんな大した事じゃ」
「いやいや、リーザさんは凄いと思います。何だかんだで何だかんだできますもの」
「ええ? 本当に大したことないですって。もう姫様は口がうまいんだからぁ……ささ、王子殿下にマディーネさんも、どんどん食べないとこの黒い二人に全部取られちゃいますよ。この人たち残すことしないんだから」
「そうですね。では、ペースを上げます」
次々と料理を口に運び飲み込んでいくジュナシアとセレニアに感化されたのか、ランフィードも料理をどんどん口に運んでいった。
気が付けば、夢中になって料理を食べている彼がいた。その姿を見て、誰がこの国の王子であると理解できるだろうか。
食べる、食べる、食べる。
「ふぅ……ごちそうさまでしたリーザさん」
「はい、では片づけますね姫様」
「私も手伝います」
時が経つ。気が付けば、窓からは月明かり。部屋一面に並べられた料理は全て無くなり、セレニアが満足そうに椅子に足を抱え上げた時、小さな晩餐会は終わりを告げた。
リーザが立ち上がって皿を運んでいく。ファレナもまた、それを手伝い皿を運んでいく。
料理で埋まっていた部屋には四人、ジュナシアとセレニア、そしてランフィードと、腹部を押え何かを気にするマディーネ。
「うん……何というか、いいねジュナシア。呼んでくれてありがとう、何だか、すっきりしたよ」
「そうか」
「明日からはもう止まれないんだな。ロンゴアドが滅ぶか否か。僕にかかってる……メリナ姫様……こんなことなら……ロンゴアド……」
「ランフィード」
「……何だい?」
「俺の、知り合いの、いや……母の言葉だが」
「うん……」
「逃げたいということを、大切にしろと言われたことがある」
「……どういう意味だい?」
「わからん。未だに」
「本当にどういうことだい。ははは」
「セレニアはわかるか?」
「さぁな、私には師母は遠すぎてわからんよ」
「だな」
そして無言、時が止まる――
「え、え、っと、それを、僕に何で、言ったんだい?」
「わからん。母さんは哲学的なところがあったからな。案外何も考えていなかったのかもしれない」
「う、うん」
「思い出した。もう一つ、案外、逃げた先の道が正解な時もある、と」
「……逃げる」
「そして最後、どちらが本当に逃げる道だろうな、と」
「……道」
「愛してるんだろう。メリナ姫様とやらを」
「ああ間違いなく」
「一つだけ言っておくぞ。自滅は選ぶな。泣かしたくはないだろう想い人を。お前は俺のようにはなるな」
「……ありがとう。君は優しいんだな。不思議だ。君には暖かさを感じる」
「ランフィード、一つ言っておくぞ」
「何だい?」
「俺にその趣味は無い」
「その趣味……?」
「いや、忘れてくれ。セレニア」
「何だ?」
「ランフィードに奥の部屋を案内してやってくれ」
「私がか? 女騎士にやらせればどうだ?」
「リーザはまだ食器を洗っているだろう。頼む」
「全く……しょうがないな。想い人だからな私は……それぐらいはしてやるか。想い人を泣かせるやつにも甲斐甲斐しく尽くすからな私は。ふふん」
「まぁ……ランフィード、セレニアについていけ。寝室にまで案内してくれる」
「はい、ありがとうございますセレニア殿」
「ああ、ついてこい」
セレニアに案内されて、ランフィードはジュナシアとマディーネに一礼して、部屋を後にした。
ギシギシと床を軋ませて歩く音が家に響き、そして離れていった。
「マディーネ」
「はい、何でしょうジュナシア様」
「明日の遠征、ついてこい。あるんだろう魔法機関が隠してる本部へのゲート、使わしてもらう」
「確かに、あれならばすぐにヴェルーナ女王国です。ですが師匠……いえ、ハルネリア様は私は魔法機関本部には近づくなとおっしゃっていました。ですから」
「変装させてでも連れていく」
「何故? 私などいなくても大丈夫でしょう?」
「今日の会議を聞いていて一つ分かったことがある」
「何ですか?」
「ロンゴアド国王は土壇場で裏切る。間違いなく」
「え!?」
「だから距離を無くしたい。今回もすぐに戻れるようゲートの起点に触れれる者を連れていく。あと魔法師がよく使う遠距離でも使える使い魔が欲しい。いいかマディーネ」
「……はい、そういうことなら」
月は陰る。夜は更けていく。ジュナシアは窓から空を見上げて、その漆黒の眼に月を写す。
輝きは決意。ジュナシアの心にはファレナを守るという決意が、月明かりにも負けない程強く輝いていた。




