第37話 誰も知らない明日への歩みを
遠い場所。誰もいないはずの場所。
遥か遠きその場所は、手招きして彼を待っている。そこにいる何かは、彼に対して言った。
「これで終わらせると思ったか?」
その声は酷く聞き覚えがあるようであり、初めて聞いたようでもあり。
「あんなできそこないと心中する、そんなこと、許されると思ってるのか?」
その声は、その男の声は
「罪は償え。報いを、報いを受けろ。消えることだけが償いではない。わかってるだろう俺」
自分の声。
少し開いたその門を、自らの手で閉じて振り返る。待っている。そこには、醜悪な世界が待っている。
彼は歩き出した。その世界へ向かって。何も失っていない。奇跡的に、何も失っていないのだ。
戻って来た。その時に、彼は笑顔を向けられる。きっと、人は、これがあれば生きていけるんだろう。
「お前ふざけるなよ。戻れるなら戻れると言っておけ! 恥ずかしくないのかあそこまでして、恥ずかしくないのか。なぁっ!」
身体に乗るセレニアの重さは、暖かさは、彼に、ジュナシアに生きてることを実感させる。
不思議な感覚だった。消えると思っていた。このまま消えると。魂を消し飛ばして、自分の身体を完全に魔物に変えればもう二度と戻れないと。
だがいとも簡単に戻ってこれた。何かに引き戻されたような感覚はあったが、それでもいとも簡単に。
「セレニア、悪かったな」
「謝るぐらいなら最初から言うな! くっそ……」
「思っていたよりもずっと、刻印は、エリュシオンの魔物は人に近かったようだ。まだ、奥がある気がする。まだ奥が」
ジュナシアは振り返った。そこには大きな大きな穴が開いていた。塔も、朱い魔物も、何もない。
世界最高峰の山は、漆黒のエリュシオンの一撃でその一部が消し飛ばされていた。その威力は、国を一つ消すどころじゃないだろう。
「決めたよセレニア」
「うん……?」
「いつかこれを使いこなして、俺は皆を守れる力を得る」
「……好きにしろ。どこまでもついていってやるさ。お前が愛する私が、ついていってやるさ。なぁ」
「ああ……うん、いや……そうだな」
見上げる空は蒼く染まり、高く太陽は輝く。誰もが届かないそれは、眩しく輝いている。
「ハルネリアさん」
遠くで彼らを見ていたギャラルドは、そっと隣に立つハルネリアに耳打ちをした。その眼は彼らから、ジュナシアから一つも反らすことはなく。
「どうやら満身創痍の様子。彼、今のうちに処分した方がいいのではないですか? あれはどんな魔術師よりも危険ですよ。彼がそんな気が無くとも、利用される恐れもある」
「そう」
「ハルネリアさん、やりましょう」
「はぁぁぁもう……真面目な人はすぐそっちにいくわね……」
「ハルネリアさん?」
「昔ね。同じようなこと考えた馬鹿みたいに真面目な魔法師がいたわ。仲間集って、彼の父親が治める村を襲おうとした人が、どうなったと思う?」
「え? いや、わかりません」
「たった一人を残して全滅させられたわ。十数人埋葬者いて、相手はたった一人。今なら勝てると思ってるんでしょう? あの状態でも彼らには身を守る術がある。やめときなさい。長生きしたいでしょ」
「……にわかには信じられませんね」
「それに、あの髪色。赤毛は魔法師の始祖の血。高潔な血統なのよ。だから大丈夫よ」
「ハルネリアさんと同族だから大丈夫だとでもいうんですか? 全く、ちょっと赤髪の人見つけたら毎回毎回……今時血統など……」
「冗談よ。でもあの人は生まれつき黒髪だったし、エリンフィアさん、赤髪だったのね……友達でも知らないことってあるのねぇ。さって、と」
ハルネリアは本を広げる。ボロボロになったその本を。数ページめくって、小さくため息をついて、そしてその本を投げ捨てた。
「あーあ、飛行もできないわ。歩くしかないかぁ……ギャラルドさんゲート、開けれる?」
「無理ですね。僕の輪の魔法は戦闘用しかないですし。大体持ち込み過ぎなんですよハルネリアさんは。魔法なんて一つや二つ極めればそれでいいでしょうに」
「魔法師にあるまじきこと言うわねあなた。あー行きはいいけど、帰りは面倒だわぁ。ってなぁんか忘れてるような……」
「あのー……」
細々とした声、ハルネリアは振り返る。見えるのは赤い頭。少し視線を下げると、綺麗な鎧を着た赤毛の騎士がいた。
その騎士は、申し訳なさそうな顔をしてそこに立っている。
「リーザさんあなた山頂来てたの?」
「は、はい。あの姫様知りません? 途中ではぐれちゃって」
「ファレナ姫なら、セレニアさんの後ろでオロオロしてるけど」
「あ、本当だ。姫さまぁーご無事でぇー!」
リーザはファレナを見つけると元気に走り寄っていった。一切の疲れを感じていないかのように。
リーザの姿に気が付いたのかファレナはパッと顔を輝かせて彼女の元へと駆け寄る。リーザもまた、顔を輝かせて駆け寄っていく。
「姫様!」
「リーザさん。無事だったんですね。何してたんです?」
「騎士団の騎士と魔術師倒してたんです。守備隊っていうんですかね。やるだけやって塔に入ろうとしたらいきなり塔消し飛ぶし。もう何が何やらで」
「そうなんです? へぇー危なかったですね」
「ラーズも……弟もいたんでちょっとお仕置きしときましたけど。いやぁーよくご無事で。あれだけの警備です。姫様も大変でしたでしょ?」
「う、うん? 警備って、全然誰もいなかったですけど」
「またまたぁ。あんなにいたのに。しっかし魔道具っていいですね。攻撃の術式数発喰らっても無傷ですもの。いやーよかった。兵器もう壊したんですか?」
「ええ、まぁ……あのリーザさん」
「はい?」
「リーザさんって、もしかして強いんです?」
「え? そりゃ騎士団高位の聖光騎士ですから。頭に元がつきますけどね。自慢じゃないですけど、それなりに鍛錬は積んでましたし」
「へぇ」
「はぁーそれじゃ帰るだけですね。転移陣繋いでおきましたんで早く帰りましょう。念のためロンゴアドの城下町に繋いでおきましたんですぐ帰れますよ」
「それ本当ですか?」
「ええ、まぁ、だって帰り歩きって、一応敵国なんですよ。危ないじゃないですか」
「す、すごいです! ハルネリアさん! ジュナシアさん! 転移陣あるんですって! すぐ帰れますよ!」
大きな声でファレナは叫んだ。その声に、ある者は嬉しそうな顔をみせて、ある者は驚きの顔を見せて、思い思いの顔を見せて皆彼女の元へと駆け寄る。
ビクッとするのはリーザ。いきなり集まってきたのだ。小心者の彼女は、オロオロと周りを見まわす。
「ちょ、な、何皆さん? ええ!?」
「リーザさん本当に転移陣あるの!?」
「は、はい、ありますよハルネリアさん。ロンゴアドの城下町までのやつが……」
「この距離どうやってつなげたの!? 起点がないこんな山奥で、私でも数か月はかかるわよこの距離」
「えーっと、起点は……私家系的に血が濃いんで、弟の術式乗っ取れるんですよね……それで、弟ここ来てたからですね」
「へぇ、あなた、面白いわ……赤髪だし……」
リーザを舐めるように見回して、ハルネリアは笑みを浮かべる。その顔は、逸材を見つけたと言わんばかりで。
ハルネリアを押しのけて、うっすら黒みを取り戻した青髪を持つセレニアがリーザに問いかける。
「後にしろ。それよりも女騎士、ゲートはどこだ。早くこいつを休めたいんだ」
「えっと、あっちよあっち。あっちにあるから……っていうかねいい加減名前で呼んでよ……」
そしてリーザの先導の元に、全員歩き出す。歩みはバラバラに。全員ザクザクと雪を踏みしめて。
歩きながら、唐突にハルネリアは両手をパチンと音を立てて合わせた。彼女は振り返り、ファレナの顔を見る。
「忘れてたけど、ファレナ姫様。一つ聞いておくことがあったわ」
「はいなんでしょう?」
「これからロンゴアド国は滅ぶことになるだろうけど、あなたどうする? 希望するなら、魔法機関でかくまうけど」
「えっ」
ファレナは立ち止まる。急に立ち止まったせいか、真後ろにいたセレニアはファレナにぶつかって、不機嫌な顔を見せた。
セレニアが文句を言う前に、ファレナは声を震わせて叫んだ。
「ほ、滅びるって、どういうことです!? 国破壊の兵器壊したんですよ!?」
その叫びに、歩いていた全員が足を止めた。驚いた顔を見せるのはハルネリア。しばらく止まったあと、彼女はゆっくりと話し始めた。
「気づいてなかったの? 兵団の兵力、今回の作戦で半分以上が無くなったのよ。対してファレナ王国が失ったのは少数の魔術師と騎士だけ。局所的には勝利かもしれないけど、もう防衛なんてできやしないわ。きっとファレナ王国は報復に出るし、もうどうしようもないわよ」
「そんな! 魔法機関はロンゴアド国についてくれてるんですよね!?」
「魔法機関は国事には不介入よ。不憫には思うけどね。市民は全力で避難させるし、旅人の安全も確保する。でもそれで終わりよ。それ以上は自国でやらなきゃ」
「そんな……それじゃ、こんな勝利なんて……」
「私たちは人の種を守ることが存在意義だからね。まぁ、個人的には守ってあげたいけどね。だから今回の作戦で貸した魔道具はそのまま忘れていってあげる」
「それじゃ、私がしたことって無意味……」
「んー……まぁ市民が焼かれることはなくなったわよ。それは誇っていいことよ。あとは、時勢ってやつよ」
「…………そんな」
勝利の喜びなどもはや消え去って、ファレナは深く沈む。目の前で彼女に事実を告げたハルネリアは、少し同情した顔を見せたが、それでもハルネリアは冷静で、すぐに元の澄ました顔に戻った。
足が止まる。心配になったのか、戦闘を歩いていたリーザがファレナの方へと走って戻ってきていた。隣に立って、無言で彼女の肩を持つ。
リーザはハルネリアに眼で訴える。今それを言わなくてもいいではないかと、眼で訴える。
「何よ。私悪者? もう……それが現実よ。本みたいに、一つの勝利で終わらないのよこの世界は」
ハルネリアは淡々と言葉を並べる。だがファレナにはそれは通じていないようだった。大きくため息をついて、ハルネリアは振り返ってファレナに背を向けた。冷静に努めていたが、居たたまれなさを感じてはいたのだ。
少しの沈黙。そして
「ハルネリアさん!」
大きな声。
「な、何?」
「ハルネリアさんってお子さんいたんですね!」
「えっ!?」
凄まじい速さだった。ハルネリアの首は一気に驚きの顔を見せて振り返る。ファレナの方を見て、いつもの彼女からは考えられない程の驚きの顔で。
一歩、二歩、よろよろと歩いて、ハルネリアはファレナの肩に両手をのせた。
「ど、どどど、どういうこと? 私、子供なんていないんだけど、いないわ、いない。うん!」
「あの魔術師が言ってました! ハルネリアさん子供作ったけど、魔術師にお腹切られて奪われたって!」
「なぁっち、ちがっ!? こ、声が大きい!」
「ハルネリアさん」
「ちょ、ちょっと待って。あっちで話しましょうか。いや違う。今話すことじゃないでしょ? ね?」
「助けてください。私、ロンゴアド国、滅んでほしくないです。命を懸けて人々を救った国、滅んでほしくないです」
「ええ、ちょっと、いや、あの……も、もしかして……」
「ハルネリアさん、助けてくれないなら、言いふらします。魔法機関が埋葬者であるハルネリア・シュッツレイは、自分の子供を奪われた過去があるって言いふらします。国中に、世界中に」
「脅してる……つもり?」
「あなたは世界中どこでも、行けば同情されるようになります。皆あなたの過去を知るようになります」
「できるわけ、ないでしょ。そんなこと」
「してみせます。必ず、必ずしてみせます。現にここにいる人たち、最初は私と、ジュナシアさんしかそれ知りませんでしたけど、これで皆知るようになりました」
「……な」
「もう一度言います。助けてください。魔法機関が無理なら、あなた一人でもいいです。それでも変わるはずです」
「う、くっ……この娘……」
「ハルネリアさん」
「くぅ……数日中に……あなたたちの元に私の弟子を寄越すわ……だから……このことは……」
「ハルネリアさんは?」
「私は彼女を通して……私、高位だから監視がきついのよ……勘弁してよもう」
「……まぁいいです。それじゃ、忘れないでくださいねハルネリアさん」
「もう最低よっ……」
「ところでその子供の父親って誰なんです?」
「ああああ! やめなさいもう! 子供みたいな顔して私の心どんだけ抉るのよもう! もうボロボロよいろいろとぉ!」
赤い髪を振り乱して、ハルネリアは歩き出す。とにかくこの場を離れようと歩き出す。
遠くに行ってしまいそうになった彼女を見て、慌ててリーザが駆け寄りその歩く先を伝える。その様子を、やってやったという風にファレナはやり遂げた顔で見ていた。
そして微笑む。彼女の真後ろにいたセレニアと、ジュナシアに向かって。
「まだまだ大変みたいです。助けてくださいね。お二人とも」
無言で苦笑するように、二人はそれに応えた。
歩き出す。その道の後ろは、抉れた地面。そこにヒラヒラ雪が舞い始めてきた。
歩む先はまだまだ雪が積もっていて。一歩一歩が疲れた足には堪えたが、それでも彼は、ジュナシアは歩いていた。前を行くファレナを追って。
ふと彼は振り返る。一瞬だがそこに、笑顔を向ける二人の男女がいた気がした。それが何なのかを理解するよりも前に、彼は前を向いて歩く。
――やりたいようにやればいいさ。
その声は、優しく、ただ優しく彼に投げかけられていた。
第一章 美しく醜悪な世界で 完




