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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第一章 美しく醜悪な世界で
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第35話 朱き力は黒き光と共に

 誰も、それに手を出してはならない。


 意志すらないそれは、絶対的破壊者。それは触れるモノ全てを溶かし、そして消し去る。


 触れてはいけない。触れることはできない。


 それは、大きく大きく身体を反らして声を上げた。声というよりも、音。低い音。どんな楽器でも鳴らすことはできないであろう低い音。


 低い音は身体に響く。彼が持っている双剣の刀身が震える。


 横目に仲間たちを見る。本を広げ、高らかにその本に書かれている法を言葉にして発しているハルネリアに、自分の手袋を握りしめているファレナがいる。


 もしかしたらもう二度と、彼女たちと言葉を交わすことは無いのかもしれない。


 ジュナシア・アルスガンドは心の中で感謝していた。自分に名をつけてくれた人に。自分を産み落としてくれた人に。自分を愛してくれた人に。自分に力を与えてくれた人に。


 もはや思考はいらない。彼は走り出す。その朱色の魔物に向かって。走りながら、ナイフを取りだし、そして投げる。


 狙いは魔物の頭。獣の顔をしたその頭の中心。


 ナイフは高速で空を舞う。真っ直ぐに、一つのぶれも無くそれは朱い魔物の頭に向かっていく。


 そして溶け堕ちる。ぐにゃりとナイフが変形したかと思ったら、次の瞬間には蒸気を発して地面に落ちていた。


 近づけない。最初よりもさらに、やつの発する熱は強くなっている。


 走りながら、彼は大量の短剣を空に浮かべた。それは慣性に乗って、彼の周りについてくる。


 撃ちだす。双剣でそれを撃ちだす。叩き、真っ直ぐにそれらを飛ばす。高速で撃ちだされた刃物の雨は、長の一族にのみ伝授される技。次は溶け堕ちないよう、一本一本を魔力で強化して飛ばす。


 あたかも青い光が降り注ぐように。それらは朱い魔物に向かって飛んでいった。そして、刺さる。今度は刺さる。


 朱い魔物は動かないのだ。当たるのは必然。問題はここから。


「くっ……無駄か」


 刺さった短剣は、少しだけそこに刺さったままであったが、それでも少しだけだった。気が付けばそれもまた、蒸気を発しながら消えていくのだ。


 刺さった部分も傷ついてる様子は無い。不死身を体現するかのようなその魔物の姿は、それだけでもはやどうしようもないということを教えていた。


 走る。魔物の周りを走る。近づくことはそれ即ち敗北。彼はすさまじい速度で朱い魔物の周りを跳び回った。


 ――見ている。


 ついて来ている。後ろに回ったとしても、それは見ている。


 唐突に、ジュナシアは熱を感じた。圧倒的な熱。ジワリと温度が上がるような熱ではない。熱い、という感覚だけを強烈に与える熱。


「まさか!?」


 眼を見開いた。朱い魔物は動いていない。だが彼の直感が、未来視の域まで達したその直感が、彼の身体を動かす。


 足を止め、大きく彼はとびのいた。それとほぼ同時に、彼のいた場所の雪は消し飛び、朱い腕がそこに突き刺さる。


 みえたのは動いた後、その結果。朱い魔物はジュナシアが一瞬前にいた場所に拳を突き立てていた。圧倒的熱を発して。


 熱風だけで彼の服が焦げる。朱い魔物は、瞬きよりも速く動いたのだ。


 ――見ている。


 魔物は見ている。ジュナシアを見ている。意志すらなく、ただぼんやりとしていたその魔物は、今確実に彼を殺そうと動いたのだ。


 実際、魔物に意志などは無い。生まれ出てそれが育まれるよりも速く、氷の中に身を封じたのだ。意志などがあるはずがない。


 だがそれでも、ジュナシアを殺すために動く魔物がいる。その違和感。一番強く感じているのは対峙しているジュナシア・アルスガンドだった。


 魔物の眼から感情を読み取ることなどできない。だがそれは確実に、彼を見ている。


 ジュナシアは左手を突き出した。もはやこの状態では時間を稼ぐどころではないと、彼は感じていた。


 時間と言うモノを超越した者、エリュシオンの一端。速すぎるモノに対応するためには、自らもその域に至らなければならない。


 左手が赤く輝く。感じる。朱い魔物が期待しているのを感じる。感情が無いその魔物が、期待しているのを感じる。


 ――もしかしたら、それは、万年ぶりに自分と同じモノに会えて――


 変わる。ジュナシアの身体は赤い光に包まれて変わる。光の中で、肉体そのものが変わっていく。


 最初に光から出たのは足、漆黒の影を纏った足。次に腰と腕。


 ――期待している? それってつまり――


 赤い光を強引に払って、それは白き雪原の上に現れる。アルスガンドの一族が守ってきたその者の名は、『エリュシオンの魔物』。黒き魔物は、朱き魔物の前に現れる。


 完全に獣の形をしている朱い魔物に比べて、ジュナシアのその姿はまだ人の形をしている。二回り以上もの大きな身体を持つとはいえ、それはまだ人の形なのだ。


 赤く輝く眼と、赤く伸びる布を首に纏って、黒き魔物は朱き魔物に襲い掛かる。


「ウオオオオオオ!」


 その声は、低い声、黒い魔物の声は低い、低い声。人の声帯では出せない声。


 時間の概念を超えて初めてわかる。黒い魔物である、ジュナシアは初めて理解した。目の前にいる者の、熱の正体を。


 体温、体温なのだ。とてつもない代謝。肉体が発する熱で、自らの肉体を溶かすほどの体温。


 溶けた部分から再生している。あの赤い魔物の色は、その身体から発せられる蒸気は、血なのだ。血の色。彼の一番嫌いな色。


 それを見ていたファレナも、ハルネリアすらも、こうなってしまってはその動きを捉えることができない。外から見えるそれは、ただ暴風のように、朱色と黒色が混じっているようにしかみえない。


 逆に、彼らからは周りは止まっているようにしか見えない。踏んだ雪が舞うその結晶も、風に乗って舞う塵一つすらも、止まって見える。


 黒い魔物は拳を突き出した。全力で、常人ならば触れるだけで木端微塵になる威力。だがそれは、朱い魔物の胸板で止められる。


 焼ける、焼けるよりも速く、左右を入れ替えて拳を撃ち込む。二度三度、黒い魔物は朱い魔物を殴りつける。


「ヌアアアアア!」


 叫び声、叫び声だった。朱い魔物は叫び声を上げた。聞こえたのは目の前にいるジュナシアのみ。


 殴りつけられる。巨大な腕に。それを咄嗟に両手で防いだが、体格の違いからか、軽々とジュナシアは殴り飛ばされた。


 近接戦闘、肉弾戦の技術など、これには通用しない。


 空を蹴って、ジュナシアは再び襲い掛かる。足を突き出してその勢いのまま、朱い魔物に蹴りを繰り出す。


 蹴りは虚しく地面に突き刺さった。地面の土は一気に割れ、捲りあがる。大きなクレーターが生まれる。


 まるでコマ送りのように、ゆっくりゆっくりゆっくり土が舞い上がる。と同時に衝撃、黒い魔物は衝撃を受けて、真横にくの字になって吹っ飛んだ。


 受け身すらできない。超高速で盛り上がった雪に叩き付けられる。白い雪が舞う。


 動かない、身体が動かない。迫ってくるのは、右の拳を振りかぶる朱い魔物。


 ――ああ、これ、わかったかもしれない。


 拳は振り下ろされる。力強く、怒りのままに。


 避けることはできない。


 両腕を交差させ、辛うじて腹部への直撃を避けたが、もはや意味などない。朱く、巨大な拳は黒い魔物の両腕をへし折り、その身体に深々と突き刺した。


 こみあげる。血。黒い仮面に覆われた口から、赤い血が噴き出す。この状態でもちゃんと口があるんだなと、何故かこの時ジュナシアは思った。


 振りかぶる。顔を叩き潰そうと朱い魔物は拳を振りかぶる。もはや怒り狂った獣のように、それは拳を振りかぶる。


 大きなモーションだった。だから人である彼は避けることができた。それを先読みして、超高速の中、さらに高速で先読みをして。


 朱い魔物の股を潜るように、彼は身体を丸めて折れた腕で地面を押した。皮膚が一気に焼ける感覚があったが、それに構ってる場合ではない。


 そのまま腹筋と背筋だけで飛ぶ、股を潜って、そのまま頭を軸に飛ぶ。朱い魔物の肩に両足を掛けて、強くそれを踏み込む。


 一気に跳んだ。大きく距離を取って、黒い魔物は跳んだ。着地などできない。雪の中に身体を投げ出すようにして、彼は地面につく。


 ジュナシアが立ち上がった時には、すでに朱い魔物はこちらを見ていた。怒り狂った眼を向けて。


 ――わかった。今完全に。


「こいつは――俺に嫉妬してる」


 感情が無いはずのその眼は、感情をくれと訴えている。きっと許せないのだろう。意志が芽生えなかったはずの魔物は、きっと本能で、いや、その存在で、許せないと感じているのだろう。


 人の身でありながら、同じくエリュシオンの魔物と化した人。感情、意志、それらを持った魔物。その存在が、朱い魔物には許せない。エリュシオンには許せない。


「ぐっがっ……やはり、だ、めか……時間が……」


 その声はいつの間にか本来のジュナシアの声に戻っていた。折れて砕けた腕は気が付けば元に戻っていたが、その反動からか、彼の身体は黒い霧を発して元の人の形に戻ろうとしていた。


 朱い魔物が迫る。魔物の手は、ジュナシアを殴りつけた時に粉々になっていたが、それも一瞬で元に戻っていた。


「ぐ……くっ……」


 うめきながら、ジュナシアは跳んだ。強く後ろに跳んだ。その速さはもはや普段の速さ。跳んでる間に、彼の身体は完全に元に戻っていた。


 全身から吹き出す汗、そしてうっすら赤みを帯びる黒髪。


「わかっていたさ。あれとは違うんだ……俺の魔力は有限さ……なぁ母さん……」


 全身を襲う倦怠感。彼の髪は、もう完全に赤くなっていた。アルスガンドの一族はその刻印の力によって瞳と髪が黒くそまる。それが黒くなくなるということは、それ即ち刻印の力が弱まったということ。


 つまり、魔力切れ。


 腕に力が入らない。脚も、ジュナシアはその場に座り込んだ。もはや動けない。


「駄目か……ハルネリア。やってくれ。俺ごとやってくれ。こういう終わり方も、悪くないさ……」


 思い出す。記憶の中、思えば、彼が殺してきた人間は皆、苦悶の表情をしていた。


 真っ直ぐに、ジュナシアはしっかりと朱い魔物を見る。そして笑う。


「ジュナシアさん半歩でいいから下がってください!」


 聞こえる。透き通る声。ファレナの声。もはや反射だった。声のままに、彼は腰を少し浮かして、力の限り地面を手と足で押した。


 半歩どころか一歩半、彼は身体を後ろへと下げた。


 前からは朱い魔物。脚に力を込めて、踏み出そうとしている。


「駄目敵のが速いわ! 中心をずらすしかない! セレニアさん最後一回!」


 気が付けば、いや、たぶん彼女にとってはかなりの時間がたっていたのだろうが。


 肩で息をして、青く染まりかけた黒髪をなびかせて、セレニアがジュナシアの腰に手をかけていた。


 まともに担ぎ上げることすらできないのだろう。強引に、止まった時の世界でジュナシアはセレニアに引きずられる。


 止まった時は、引きずられている間に解除されて。青く髪の色を変えたセレニアが汗を溢れさせて彼に覆いかぶさっていた。


「偉い! ギャラルドさん詠唱!」


「わかってます! 天昇る遥か彼方への箱舟!」


「地堕ちる理想郷への道!」


「響き渡る咆哮!」


「地の獄への嘶き!」


 柱。巨大な光の柱が現れた。その巨大な柱は、空から落ちて、大地を、その場所そのものを地面に埋める。


 朱い魔物はその柱の中に飲まれる。それは巨大な超重量を与える柱。魔法機関埋葬者ハルネリアが誇る最高の破壊魔法。


 朱い魔物は腕を伸ばす。だが崩れる足場に、山にそのまま飲み込まれていく。その眼は、恨みったらしく、ジュナシアから眼を離さない。


 飲まれていく、大きな光の柱と共に。その嫉妬心と共に。そして大きな大きな柱が通った穴は、周囲の大地を巻き込んで埋まっていった。朱い魔物と共に。


 地面は柱に押しつぶされていく。土と、雪の濁流を伴ってそれは中央へと中央へと押し込まれていく。正しく天変地異。ハルネリアが放った魔法は、場合によってはファレナ王国がつかった兵器並みの威力を発揮する。如何に朱い魔物と言えども、その濁流には逆らうことなどできず――


 セレニアに乗られてながら、ジュナシアはそれを見ていた。魔物が埋まっていくその様子を。少し、腰を起こして、彼はセレニアを抱き起す。


「セレニア」


「途中からずっと時を止めてきた……もう無理だ動けない。お前もか……?」


「ああ……髪色が戻ってるな。セレニアは、青い方がいい」


「お前も赤くなってる……子供の頃以来だな」


 ――そんなことはどうでもいい。気づいているのか。


「……セレニア」


「何だ?」


「ここまでだ」


 抱き付くセレニアを解いて、よろよろとジュナシアは立ち上がる。


「最期にあえてよかった。ハルネリアと共に、山を降りてくれ」


 熱。感じる熱。溶ける雪。


「ファレナを助けてやってくれ。これからだ、これから、あいつは人を導いたことから逃れられなくなる。助けてやってくれ。あいつが創る世界はきっと、何よりも美しいから」


 盛り上がる土。


「この美しく醜悪な世界で、強く輝くはずだあいつは。セレニア、君のその慈愛に、俺は救われた。心から愛している。イザリアの魂と一緒に、ファレナを守ってやってくれ」


 セレニアは何も言い返せなかった。彼女は知っている。彼が何をしようとしてるのかを。


 そして土の中から出てくる。朱い腕。当然だ。潰れるわけがない。あの魔物が、この程度で潰れるわけがない。


 ジュナシアは前に出た。朱い腕の方へと歩き出す。ゆっくりとその左手を掲げて、魔力が切れたはずなのに、その左手の刻印は強く輝いている。


「さぁ真朱のエリュシオンよ。続きと行こう。なぁに、もう止めはしないさ。死ぬまでやればいいさ。どうせもう、止められない。止められないんだ」

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