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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第一章 美しく醜悪な世界で
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第32話 夢幻の世界

 ――その血に、何故か懐かしさを感じた。


 白き鎧を身に纏って、ファレナ王国が王女であるファレナは漆黒の男を携えて螺旋階段を上る。息切れすら忘れるほど、必死に走る。


 そして上った先で見るその景色の中心で、呆然と立ち尽くす赤髪の魔法師ハルネリアの胸に深々と短剣を突き刺す男がいる。


 刺して、抜く。それだけでハルネリアの胸からは噴水のように赤い血が飛び出る。倒れることなく、ハルネリアはただ立ち尽くし、そして血を流す。


 赤い絨毯が敷き詰められた床に彼女の血が降り注ぐ。血は絨毯に吸い込まれて、黒い溜まりとなる。


「うん? おや、来たな姫様」


 血で染まった短剣を投げ捨てて、その男はニヤリと笑う。清涼感すらただようその美しい顔から出る笑顔は、男の後ろで血を流し続ける女の姿からはかけ離れていて。


 ファレナはその顔に、強い嫌悪感を感じた。彼女の隣にいたジュナシアもまた、同じように嫌悪感を感じた。


「遅かったねぇ。いや、早かったかなむしろ。ご覧の通り、意気揚々と挑んで来た魔法機関埋葬者が六位ハルネリアは今、死んだ。いやぁ、手ごわかったねぇ」


 男は、レイドールは笑う。そのサディステックな笑みを浮かべて、実に楽しそうに笑う。


 レイドールはハルネリアの腰を持ち、彼女の胸をさする。あっという間にその手は彼女の血で染まっていく。


 男は血の付いた手を口に運んで、血を舐めとって、悦に浸る。その姿に、ファレナは吐き気を覚えた。


「クゥ……年増も悪くない。悪くないね。さぁ、次は君の番だファレナ姫。なぁに、彼女と同じように、痛みすら理解できずに殺してあげよう」


 レイドールは笑う。何とも楽しそうに。それは酷く幼稚で子供っぽい笑い。


「ファレナ下がってろ」


 一言、この光景に、レイドールの笑いに、身体を凍らせていたファレナはこの一言で身体の自由を取り戻す。見上げる先には漆黒の瞳を持つ男、ジュナシア・アルスガンド。彼はいつも通り、冷静で静かな言葉を彼女にかけた。


 ファレナは言われた通りに一歩下がる。それをかばうかのように、ジュナシアは一歩踏み出した。


「この女には指一本触れさせない。魔術師よ。貴様はここで殺す」


 双剣を抜く。ジュナシアの両手で輝く二本の剣は、赤き部屋の模様を映し出して、同じように赤く輝く。


「言うねぇ。ハルネリアだぞ。世界でも指折りの魔法師の一人だ。それを簡単に屠った私に、そこまで躊躇なく言ってくれるとは。逆に気持ちがいい」


「黙れ。貴様如きに本来ならばハルネリアは負けないはずだ。あいつの魔法はもはや人智を超えている」


「その通り!」


 レイドールは嬉しそうに、ジュナシアを指さして声をあげる。よく見ていると言いたげなその顔を、ジュナシアは静かに見る。


「ハルネリア嬢は強い。正直、まともにやれば私など足元にも及ばんだろう。幾多の属性と、幾多の法、それらすべてを修めた女が、弱いはずがない!」


 歩く、高らかに笑って、レイドールは歩いて、立っているハルネリアの赤い髪に手をかけて、その首かうなじに手を添える。


「光の矢、魔法障壁、肉弾戦すらできる。六位とは言え、埋葬者の中でも戦闘力だけならば一位二位を争うだろう! くくく、だがな!」


 強引に、無造作に、レイドールはハルネリアの首筋から伝って、胸元へと腕を入れた。穴が開いた彼女のローブはレイドールの手の動きに沿って裂けていく。


「この女! トラウマがある! 狂い、壊れた心がある! ずっとこの女は過去を隠したがっている! 向き合いたくないと思っている!」


 そしてついには、大きくローブは裂かれ彼女の上半身が露わになった。左胸には赤く流れる血の滝が、そして腹部には古い傷なのだろうか、縦に一本、長い線が走っていた。


「知ってたか? この女、子を産んでいる。いや、違うな、産んでいるではない。産む直前になって取り出されている。生まれる前の子を取り出される、それは母になろうと懸命になっていた女にとってどれほどの苦しみだろうか? わかるかねアルスガンド? わかるかねファレナ姫?」


 ふるふると、ファレナは首を横に振る。ジュナシアは返事すらしない。


「埋葬者は憎まれる。魔術師に、その家族に憎まれる。故に幸せを奪われた。くくく、それだけさらけ出せれば、あとは捕らえるのは簡単さ……!」


「夢喰い、か」


「そう! そうだアルスガンド! 私の魔術は人の夢を捉え、魂を拘束する! 一度はまれば、もはやどうにもできん! さらにこの部屋! この部屋はその私の魔術を増幅するためのあらゆる術式が周囲に込められている! はははは!」


 ジュナシアは言われて、周囲を見た。うっすらと光る陣が、よく見ると至る所にある。きっとこれが、男の術式なのだろう。


「我が魔術に落ちたものは、ゆっくりと現実と夢が入れ替わる。くくく、ハルネリア、これは今、死しても今、夢の中にいる。私を滅多打ちにでもしてるのかな? それとも光の矢で串刺しに? くくく、さぞやいい夢をみてるだろう」


 ジュナシアは悦に浸るレイドールを無視して、ナイフを周囲にばらまく。一本一本、確実に部屋にある陣へと突き刺さっていく。


 刺さった先から光は消えた。アルスガンドの一族に伝わる技の一つ、術式を断つ技。躊躇なく彼はその部屋を無力化した。


「心配するな。もうこの部屋の術式は使えない。私の目的はハルネリアただ一人だったんだ。だから姫様が呼んだときは、内心嬉しかったよ。くくく」


「……ハルネリア、さん」


 ファレナは申し訳なさを感じる。レイドールの言葉を聞いた彼女は、上半身をあらわにして虚ろな眼で胸元から血を流し続けるハルネリアに対して、ただ申し訳なさを感じていた。


「これでもうファレナ王国が対国兵器、ケラウノスを壊せる者はいなくなった。雪原の中戦っているリーザとラーズ、ゲートから弾けだされて山の中腹から必死で走っているアルスガンドの女と埋葬者の一人、そしてファレナ姫と君、アルスガンド」


 レイドールは両手を広げる。その手はうっすらと輝いている。


「塔を破壊するという行為ができる者はこの中にはいない。くくく、ハルネリアのあの式以外ではこの塔は崩せないのだよ。ならば、我らの勝ちさ。もはや誰も私たちを止めることはできない」


「塔を破壊しなくとも、魔力源を破壊する。まだ終わってはいない」


「終わってるんだよ。魔力源? それこそ破壊は不可能だ。あれはね、人の手では破壊できない。氷の下に埋まっていた、世界最高の魔力純度を誇るあれはね」


「もういい、お前は殺す……ハルネリアはお節介で、煩わしい女だった。だが、それでも真っ直ぐだった。真っ直ぐに、人のために。父が愛したその心……報いを。貴様に報いを」


「いいね。でも忘れてないか? 確かに部屋はもう使えなくなった。だがね、私の領域は君に触れたんだよ。くくく、さぁて、夢の世界に、いつ堕ちるかな? 母殺しの怪物様」


「やってみろ」


「余裕ぶるなよお坊ちゃん。世の中の広さ、体験して逝きな」


 レイドールは両手を交差する。手の光は小さな光の剣となって彼の手を覆う。


 ジュナシアは双剣を構える。その眼は漆黒。もはや人としての温かみなど感じさせることは無いほどの、機械的な眼。


 静けさが場を支配する。聞こえるのは心音、そして風の音。


 音が消えていく。風の音が消える。心音が消える。二人の集中は、その場の音という音を消し去っていく。


「……う」


 その静かな空間に、小さなうめき声が響いた。はっとした顔をジュナシアは見せる。


「ハル……」


 うめき声の主の名を呼ぼうとしたジュナシアに、瞬き程の一瞬の間に、レイドールが突っ込んで来た。右手を魔力の剣に変えて。


 魔術師とは思えない俊敏さ。レイドールの一撃は、ジュナシアの眼前を通り抜けていく。彼の漆黒の髪を数本斬り裂いて、レイドールは回った。


 足を軸にして半回転、遠心力を利用して魔力の剣を叩きこもうとレイドールは回った。回ったままで、かれはその魔力の剣を振る。


 今度は見えた。油断なく、レイドールの剣が到達する前に、彼の剣が来る予定の場所にジュナシアの右手の剣が添えられる。それに遅れて到達するレイドールの魔力の剣。


 弾ける。魔力の剣は鋼の剣にぶつかって低い音を立てて砕ける。


 アルスガンドの剣術は、磨き上げられた観察眼と気配察知による未来視を軸に持つ剣技。撃ちあいに勝てる者はおらず、どんな達人でもその剣術からは逃れられない。


 まして剣を修めてるわけではない魔術師如きが防げる剣技ではない。


 レイドールの魔力の剣を叩き壊して、ジュナシアは剣を振る。二度、三度、その剣筋は、レイドールが再び魔力の剣を構えるよりも速く、しかも正確に彼の身体に襲い掛かる。


 もはや受け止めることなどできないと察知したレイドールは大きく、大きく身体を反らした。ジュナシアの剣を躱すために。


 だが、躱せない。当たり前である。アルスガンドの剣術は、対峙する者の先の動きに合わせるもの。故に、身体を反らしたレイドールがそのままなます切りにされるとしても、それは当然である。


 右、レイドールの腹を斬る。突いて左、レイドールの肩を突きさす。続いて右、レイドールの左足の剣を斬り裂く。


 容赦はなかった。一振りごとにレイドールは切り刻まれていく。


 最期に一刀、レイドールの心臓を突き刺し、ジュナシアは大きく距離をとった。


 あっけなく細切れ一歩手前の状態になって倒れるレイドール。それを横目に、ジュナシアは叫んだ。


「ハルネリア! ハルネリア生きてるな!? ファレナ来い! ハルネリアを治せ!」


「は、はい! 本当に生きて!?」


「生きてる! 心臓に大穴が空いてるが生きてる! ハルネリア!」


 ジュナシアは普段の彼からは想像もできない大声で、ハルネリアの名を呼ぶ。そして駆け寄る彼女の身体へ。


 ファレナもまた、大急ぎでハルネリアの元へと走った。


 ジュナシアは右手の手袋を外して、ハルネリアに触れる。暖かさを感じる。血の流れを感じる。


「蘇生の式を纏っていたのか? ファレナ、霊薬と治癒の魔道具だ。急げ」


「はい!」


 ファレナが渡す霊薬の瓶の口をジュナシアはへし折って、その瓶の中身をハルネリアの胸元にかける。血が洗い流され、大きな傷が露わになる。


「ファレナ、抑えながら魔力を流せ、ハルネリアめ、あらかじめ魂のストックを。死霊使いまがいのことを……!」


「わかりました!」


 ハルネリアの身体を寝かせて、ファレナはその手をハルネリアの胸に当てて反対の手で石を握る。ぼやっとした光がハルネリアの身体を覆う。


 ジュナシアは強く、息を吐いた。安心したのか、それとも、後ろで平然と立っているレイドールに対して面倒さを感じたのか。


「はまったら死ぬって言ったよなぁと。死んだのは私だけど。さぁて、どうする? ハルネリア嬢は致命傷のままだ。治したとしても数日は眼を覚まさない。さぁ逃げるか? それとも任務を遂行するかい? くくく」


「貴様手ごたえが無いと思っていたが」


「ためしで死ぬところだったよ。いやぁアルスガンド、やっぱり強いねぇ」


「ちっ」


 舌打ちをしながら、ジュナシアは立ち上がる。その双剣をくるくると回しながら。


「ああ、しかしはまらないな。君はハルネリアほど隙が無い。母殺し、後悔してないわけじゃないんだろう? 何故だ、何故、揺れない? アルスガンドは皆そうなのか?」


「黙れ。過去は過去だ。後悔したところで、あの日は帰っては来ない」


「立派だね。でも違う。そんな上っ面だけなら、私の術式は容赦なく飲み込む。ハルネリアのように」


「黙れ」


「…………面白い、面白いんじゃないか。アルスガンド、もしかしたら、正解だったんじゃないか?」


 子供のような無邪気さは身をひそめ、その顔は暗く、深く、何かを考え込んでレイドールは二歩後ろに下がる。


 ジュナシアは双剣を回すのを止めて、剣を逆手に持つ。


「出会う運命……うん、うん……試してみようか……力、エリュシオン……」


 もう二歩、レイドールは下がる。そしてそのまま彼は消えてしまった。ジュナシアの視界から消えてしまった。


 はっとして、彼は頭を左右に振る。少し夢に、あの男の術に引っ張られていると感じたのだ。


「……ちっ、まぁいい。ファレナ、ハルネリアはどうだ」


「はい、何かほとんど何もしてないんですけど、どんどん治っていきます」


「そうか。なら、俺はあいつを追う。ハルネリアが目覚めたらつれてくるんだ」


「はい」


 彼は双剣を腰にしまって、一人で歩き出した。目指す先は、扉。


 扉を開くと、その先は塔の屋上まで続く階段。彼はその階段に足をかけて塔を登る。屋上階へ行くために。


 静かな階段。一歩一歩、静かな階段を踏みしめ、進む。その先に行くために、その先に到達するために。


 その先の運命に、出会うために。

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