第31話 領域の魔術師
書は知識の泉。知識は人生の充実。他愛のない内容から、生き方を変える内容まで、それは多岐にわたる。
魔法師であるハルネリアが使うそれは、そんな優しい物ではない。ハルネリアが生きるその月日の全てをかけて作り上げた魔法書である。1ページ1ページに全て魔法が込められている。それが大量に空に浮かんでいる。
ハルネリアは書を左手にとって、パタンとそれを開く。酷く冷静で、冷たい眼をして、パラパラと左手だけでその本のページをめくっていく。
退治するは魔術協会最高幹部の一人レイドール。余裕があるのか、その美しい顔に笑みを浮かべ彼はそれを見ている。
音が響く、ページがパラパラと高速で捲られる音が。
「ハルネリア・シュッツレイ。君確か僕の兄とそう歳は変わらないはずだろ? でもその姿、未だ20代のそれだ。元々魔法は極めるのに時間がかかるものだ。エリュシオンを目指す魔法師は老化を止めて数百年生きて目指すと言うが、君もそうなのかい?」
挑発なのか、それともただの世間話か。レイドールはまるで友人に話しかけるようにハルネリアに問いかけた。当然のように彼女は返事などしない。
ハルネリアが開いた本のページが輝く。と同時に、周囲に浮かんだ本も独りでに一斉に開き、輝くページを前にして、彼女の周りに整列する。
「刹那的な生き方ができないのが魔法師だ。だからこそ、ここ一番では魔術師には勝てない。くくく、相手をしてやろう。ロートルはロートルらしく、伝承の中に消えていけ」
魔術師は、魔法師は、その自らの魔力を形に変えて競い合う。それは命を奪うための争いでも同じ。
「来たれ来たれ、光の雨。来たれ来たれ、破壊の矢。沈む先には、黒き彼方」
最初に動くは己の魔法を展開しきったハルネリア。その詠唱と共に書の一つ一つは、光の陣をそのページに描き、一斉に光の矢を放つ。
それは形容すれば光の雨のよう。ただの一発でも当たれば人は砕ける。その雨がレイドールに向かって降り注ぐ。
レイドールは微笑みを絶やさず、俊敏な動きで螺旋階段を駆け上がる。矢が彼のいた場所を次々と貫いていく。
「超えよ。光はそれ即ち力、原始の力。超えよ。超えよ。光よ超えよ」
本を1ページめくる。ハルネリアは詠唱を続ける。言葉はその本に記された魔法を呼び起こすための物。本は活字であり、情報。故に彼女の魔法は、言葉が必要。
燃え上がる。光の矢が刺さった部分から燃え上がる。赤い絨毯を一瞬で消し炭にして、それはすさまじい速さでレイドールを追う。
「ほっほーぅ、凄いね! いや凄い! これは火じゃないんだ、火じゃない! これは概念だ。燃えるという概念だ。だから見た目ほど熱がない! でも触れればまさに消し炭!」
気のせいか、レイドールは喜んでいるようだった。子供のように、その美しい顔を笑顔で一杯にしてはしゃぎながら階段を昇っていく。
階段には終わりがある。上階へと登りきれば、そこは階段ではない。レイドールは上階へと消えていった。
「意外と身が軽い……面倒ね」
ハルネリアは階段に足をかける。レイドールを追わんと、同じように駆け上ろうとした。
何となく、彼女は後ろを振り返る。数段下の階段の上に、短剣を持つファレナがいる。ファレナはとても美しいものを見るかのように眼を輝かせて、ハルネリアの方を見ていた。
「見惚れるのはいいけど、早く彼呼びなさい。あの子、待ってるんでしょ?」
「あ、はい、すみません!」
ファレナは地面に短剣を突き立てた。短剣を中心にまたもや赤い輪が現れる。
それをみて、ハルネリアは少しだけ頭を冷やした。ほとんど戦えない、力のない娘がここまで来ているのだ。その違和感。それに対して彼女は少しだけおかしさを感じて微笑んだ。
だがそれもここまで、上階に逃げた男は危険な男。確実に殺さねばならない。しかも、この塔を破壊するための魔力を残したうえで。
ハルネリアは少し考え込んだ後、小さくため息をついた。その面倒さに、気が滅入りそうになったのだ。
――遠く、声が聞こえる。
「わかってるわよ。るっさいわね」
ハルネリアは駆けだした。大量の本を空に浮かべて、階段を一気に駆け上る。
数刻前に、ファレナが息を切らして登っていたその階段は、ハルネリアにとっては何の苦でもなく、息一つ切らさずに駆け抜ける。
パラパラとページをめくる。あるページでその手を止める。
「風は動く。世界に恵みを与えるために」
さらに彼女は加速する。すさまじい速さで階段を昇っていく。
そして――――上階。
そこは、正しく彼の世界。
「お疲れさま。ようこそ、ブックマスターハルネリア」
階段を登り切った先は真っ赤な広場。奥に同じように螺旋階段が見える。他は何もない。柱すらない。そして中央に立つはレイドール。
「ここは私の場所だ。誘い出したわけじゃないが。よく来てくれた。それじゃ存分に相手をしてやろうじゃないか」
言いながら、レイドールの右腕が落ちる。無造作に、ポロリと。
「私の術式、知ってるかな?」
落ちた右手は、地面に埋まって消える。そして生える。落ちた腕があった場所から右腕が生える。
「領域の支配。ここは、私によって支配される領域、だから」
レイドールは消える。いたはずの場所から消える。
「いるようで、いない」
声がハルネリアの後ろから聞こえる。ハルネリアはゆっくりと振り返ると、そこには逆さになって宙に浮くレイドールがいた。
「いないようで、いる」
再び消える。今度はすぐにその場に現れて、正位置でハルネリアの後ろに立つ。
「これは現実? いや、幻。いや違う、現実。ううん? 違うな、幻かな?」
ハルネリアは階段から離れ広間の中心へと歩く。後ろをぴったりと、鼻息がかかるかのような距離でぴったりと着いてくるレイドールの頭。
「どれが現実か幻かわからないだろう。魔術師的ではないが、十二分に準備させてもらった。この部屋では私の術式は完全に発揮できる」
まるで全面四方八方に鏡を貼ったかのように、レイドールの姿は上に下に何重にも重なった。本物、偽物、現実、幻、もはやそれを判断するというレベルではなく。
「さぁ始めようか。魔術師の戦いだよ。はまれば死。さぁハルネリア。死んでもらうよ」
大量のレイドールは腕を掲げる。手は輝き、どす黒い光の玉を手の前に出現させる。
「はぁ、もう……」
ハルネリアは面倒そうに、溜息をつく。そして持っていた本のページを十枚ほど、一気に引きちぎった。
「一つ、いいこと教えてあげるわレイドール」
そのページを空に向かって投げると、ページは等間隔にハルネリアの周りをまわる。空に浮かぶ書は縦に、ページは横に。
「私、そういうの慣れてるの」
「はっ?」
走る。ハルネリアは走り出した。そしてページを踏み台にして跳ぶ。トントンと。
狙うはただ一点、上、真上にいるレイドールの像。
「せぇのっ!」
腰を捻り、跳んだ勢いのまま、ハルネリアは拳を突き出す。真っ直ぐにその拳はレイドールの像に突っ込んでいく。
ゴリっと、手に伝わるものがあった。ハルネリアはそのまま腰を捻り、拳を振り抜く。
「ぐぼはっ!?」
鏡が割れるように、レイドールの像は割れ、その中から飛び出てくるのは本物のレイドール。頬に叩き込まれた拳は、そのまま真っ直ぐに彼を討ち貫いていた。
「なっ、なっ!?」
「甘いわ。そんな目くらまし、探知できない私だと思って?」
「思ったよりも武闘派だったか! ちぃ!」
「そのまま死んでしまいなさい!」
ハルネリアは本をすさまじい早さで広げる。彼女の周りに飛んでいた本も同じように、ページを開いてレイドールの方を向く。
「まずい!」
彼が、それの危険性に気付いた時にはすでに本から光の矢が飛び出ていた。無数に。
一本一本が必殺。その矢が一気にレイドールに襲い掛かる。そしてその全ては、レイドールに無数の穴を開けた。
「うごぉおお……」
うめき声を上げながら、レイドールは地面に落ちる。あっけなく、その男は全身に穴を開けて落ちる。どさっと音を立てて。
ハルネリアも着地する。手に持った本をパタンと閉じると、周囲に浮かんでいた本は全て畳まれ、そして消えていった。
「あっけないものね。魔術協会の最高幹部が……」
「ハルネリア?」
「うん? 来たのねアルスガンドの次期後継者さん。遅かったじゃない」
「ハルネリア!」
「聞こえてる聞こえてる。大声あげないで。っていうか、どこよ?」
「ハルネリア! ファレナ、ハルネリアを助けろ!」
「はい!」
「どうしたのよ。ちょっと、え? たすけるって? ちょっとまって、どこ、どこにいるの? あれ、いや、ちょっと待って」
気付いた時にはもう手遅れ。
「私、どこにいるの?」
気付いた時には、ハルネリアは自分の腕が、足が、そして身体が、全く動かなかった。
倒れている。倒れているのだ。自分の腹から流れる暖かなモノに包まれて。
――気が付けば、手遅れ。
「はまったら死ぬって言ったよなぁと。まぁまだ生きてるけど。さぁて、どうする? ハルネリア嬢は致命傷だ。逃げるか? それとも任務を遂行するかい? くくく、ねぇ暗殺者さん。姫様」
「……ちっ」




