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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第一章 美しく醜悪な世界で
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第28話 純白の彼方

 白い夢を見る。忘れることのできない人の夢を見る。


 声が聞こえる。いや、聞こえたことを思い出している。その白い夢の中で。その人は語り掛ける。


「情けないな。逃げだすなんて」


 厳しくて、優しい声。川辺の傍で、その人は小さく微笑む。


「そんなに嫌か? 全く、あの人に見つかったらまた怒られるぞ」


 その黒くて、長い髪を風に揺らして、その人は諭すように、あやすように、彼を抱きしめて静かに語り掛ける。


 何が嫌だったのだろうか。彼は自分に問いかけるが、思い出すことはできない。


「ああ……優しい子。一族としては嘆くべきなんだろうが、私は愛おしく思うよ。誇りに思うよ。なぁ、私の大切な子。忘れないでくれ。例えどんなに汚れても、忘れないでくれ」


 暖かく、包まれるその手は、今は記憶の中だけにあるもの。白い夢、彼が最も大切にした母親と過ごした時の夢。


 黒くて白いその夢は、消えて、消えて、儚く散って。そして思い出せない。何を忘れないでいてくれと言われたのかを思い出せない。


 目を開ける。冷たさ。あまりの冷たさ。頬を伝うその冷たさに、彼は起こされる。


 周辺は正しく銀世界。雪、雪、雪、見渡す限りの雪。


 そして遠くに見える。巨大な塔。


 頭を振って、ぼんやりとした意識を戻す。肌を刺す痛みのような寒さ。その寒さが、ここがどこかを思い出させる。


 ハーボルト山脈が頂上、世界最高峰の山の頂点。希薄な空気、感じたことのない寒さ。


 周囲を見回す。誰もいない。そこには彼一人。ジュナシアは何が起こったのかと頭を回転させる。


「……はぐれたか」


 即興にも程があるゲートだった。それ故に、運ばれた場所をしっかりと特定することはできずに、つまり、彼らはバラバラに飛ばされたのだ。


 この寒さ故に使い魔を飛ばしてもほとんど意味がないと思った彼は、歩き出した。一歩一歩、雪原に足跡が残る。


 思えば、思い返せば、彼は村から一歩外へ出ると常に一人だった。


 仲間もいない。いても合同で動くことは無い。


 慣れきった孤独の世界。彼は、ただ真っ直ぐに歩いていった。目的はただの一つ、眼前の塔を、世界を壊す兵器を破壊すること。


 アルスガンドの一族は一対一の技術に長ける。しかしながら、このような巨大な建造物を破壊する術は持っていない。


 広大な破壊魔術や、魔法など彼らには不要だからだ。だからこそ、本来であればそれを成すことができるハルネリアたちを待たなければならない。


 だが彼は進んだ。迷うことなく。


 寒さで指が開かない。強引に、無理やり手を動かして、彼は双剣を抜く。


 誰かいると感じた瞬間に彼は走っていた。雪で足がとられることなど全く関係なく、彼は走る。一歩ごとに加速していって。みるみるうちに大きくなっていく人影に向かって彼は走る。


 跳んだ。ジュナシアは跳んだ。双剣を掲げて、一撃でそれを殺すために彼は跳んだ。


 跳びながらその人影の顔が目に入る。その瞬間に、彼は双剣を返し、斬りかかることなく雪を飛び散らせてその人影の目の前に着地する。


「んあ!?」


 情けない声と、それが発せられた口から飛ぶ唾が彼にかかる。瞬きすることなくその唾を顔に受け、ジュナシアは双剣を仕舞った。


 しばしの沈黙、その後、堰をきったかのように言葉がなだれ込んで来た。


「ジュナシアさん! ああよかったです! リーザさんとははぐれるしものすごく寒いし、なんか息苦しいしでもういろいろ不安で! あ、といっても実はちょっと遊んでましたけど。雪ってすごいですね。氷像とか初めて作りましたよ。結構うまいですよねふふふー、ってそんなことは置いといてですね! とにかくぅー」


「落ち着けファレナ」


「はい! でですね」


「……落ち着け」


 結局、雪に囲まれていたファレナが落ち着くまでにしばらくかかった。ジュナシアは飽きれながらも、小さな石を彼女に渡す。それは暖を取るために持ってきた魔道具。火の魔道具を弱くしたもの。


 ファレナはそれを受けとり、おもむろに自分の右頬にあてた。その暖かさに彼女の頬が緩む。つられて、彼もまたほんの少しだけ微笑んだ。


「うーん、しっかし寒いところですね。息がもう、なんかちょっと苦しいんですよね。ちょっとはしゃいじゃいましたかね」


「そういえば肉体強化の魔道具を持っていたか。その程度ですんでいるのをハルネリアに感謝するんだな」


「はい、感謝します!」


「いくぞ」


 二人は肩を並べて雪原を進む。足跡が四つ、等間隔に並ぶ。


 白い息を吐いて、あまりの寒さに身体を震わせながらも、それでもファレナは目を輝かせて周りを見まわしていた。究極の雪原であるこの光景は、あまりにも物珍しくて、過酷ながらも美しい光景に彼女はただ目を輝かせている。


 その姿を見て、ジュナシアは不思議な感覚を覚えていた。彼女の見ている光景は、世界は、きっと慈雨分のそれとは違うのだと、彼は思う。


 そんなに美しい世界なら、自分も見てみたいと少しだけ彼は思う。


 ――それは許されない。


 そして彼らは大きな門の前に立つ。そこは巨大な塔に至る門。


 足跡は彼らがつけたものだけ、ジュナシアとファレナ以外はまだ誰もここへたどり着いていないのだ。


 門は巨大で、人の力ではそのまま開けることはできない。壊すことはできるが、何かもっと単純な方法で入れるはず。


 そう思った彼は、周りを見回す。門の端を見る。鎖、テンションのかかった鎖が門から伸びている。魔端部は雪の下。


 その雪に伸びる鎖の傍まで歩いて、彼は手を鎖に掲げた。手が少しだけ光る。


「……罠も、鍵もない。入ってこい、ということか」


 雪を掘るとそこには鎖を巻き取る仕掛けが埋まっていた。完全に凍ってはいたが、構わず彼はその仕掛けの取っ手を握り、大きく回す。


 バキバキと氷が割れる音が鳴り響き、ゆっくりと鎖は巻き取られていった。その鎖が巻き取られ、引っ張られることで、巨大な門は上へ上へとせりあがっていく。


 人が一人潜り抜けられるほど開いたところで、彼は鎖から手を離した。鎖にナイフを一本突き立て、それを楔のように使って、鎖を凍った装置に固定する。


 これでふいに門が閉じることは無い。ジュナシアはファレナを見てうなずくと、そのまま塔の中へと入っていった。


 ファレナも続く。塔は、高い高い塔は、彼らを拒むことなく、そのまま迎え入れた。


 足を踏み入れる。塔の中は寒さは無い。真っ赤な絨毯、そして階段、階段、階段。上、下、右、左、階段、階段、階段。


「あ、え? え?」


 ファレナが眼をぱちぱちとさせて声を上げる。困惑する声。ジュナシアもまた、眼を見開いて周囲をキョロキョロと見回していた。


「し、下あるのって、おかしくないです? っていうか、右の階段って、螺旋、階段っていうんですよね? っていうよりも、私、あの、もともと眼が見えなかったんで自信ないんですけど、大きさが……」


 ファレナの言う通り、塔の中は広大で、あまりにも広大で。如何に巨大な建造物であるとは言えども、地平の彼方まで続く階段と通路はあまりにもおかしくて。


 ジュナシアはハッとした顔をする。そして振り返る。そこはもう、階段。振り返った先も階段。下へ続く階段。


「あれ!? 門消えましたよ!?」


「……これほどの術式。まずい、解明どころか、中心すらわからない」


「どうなってるんですジュナシアさん」


「やられた。魔術協会にここまでの術者がいるとは」


「何が起こってるんです?」


「術式が追えないが、これは間違いなく空間を歪める術式。ファレナはぐれるな。中心を探す。術者がいれば早いが……」


「は、はい。いやでも説明……」


「あとでセレニアにでも聞いてくれ。どうせ、同じようにはまる。あいつはああ見えて意外とやらかす時はやらかす」


「はぁ……それじゃあ、離れないようにくっついていきます……」


 塔の迷宮。果てまで続くその迷宮を、彼らは進む。迷宮を攻略するために。


 大きな迷宮は、彼らを飲み込む。離さないという意識を持って、彼らを飲み込む。そして導く暗い暗い奥底へと。

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