第26話 ロンゴアド兵団決死行
人の命とはその時々によって価値が大きく変わる。誰もがそれはおかしいと思っているが、それを正そうとする者はいない。
何故なら、自らの命と他者の命に差があるということを皆心の奥で認めているから。自分が大事だからこそ、他人の命の価値を無くす。生きるための、最低限の防衛行為。
もしも、他人の命の方が大事だという者がいれば、それは聖人か、もしくは――
駆ける。ただ駆ける。12万の兵士は、騎馬は、その広大な平野を駆ける。
もはや戦線が伸びることすら意に返さず、立ち止まれば死ぬという恐怖心と、進まねば家族が殺されるという恐怖心と、勝利すれば平和が訪れるという希望、それらすべてを胸に抱いてロンゴアド兵団は駆ける。
その進軍速度はまさに風。途中、いくつかの役所を文字通り轢き潰し、彼らは進む。
「速い! 魔法、これほどか!」
馬に乗って駆けるロンゴアド兵団副団長ベルクスは思わず感嘆の声を上げた。魔道具によって向上した走るという能力。そしてその速度に追いつくために向上した動体視力。彼の身体が感じている世界は、まさに別世界。
遠く、前方に柵が見える。街道の横いっぱいに広がる柵、そこから突き出る槍の穂先。立ち止まらせようとする敵の陣形である。
ベルクスは、それに続く兵士たちはそれに対して一つのためらいも無く、ただ突き進む。全ては、平和な国を取り戻すために。
「止まるな! 急げ急げ! 時間をかければ城が焼かれるかもしれんぞ! 人々は避難しているとはいえ我らが家だ! 焼かれてもよいのか!」
ベルクスは知っていた。号令などしなくても自分の軍は怯むことはないと。だが言わずにはいられなかった。彼自身もまた、心の底に恐怖心があるのだから。
駆ける、その柵に向かって。ベルクスは長い長い突撃槍を構える。正面からその柵を、槍兵を叩き潰すために。
その時、彼を追い抜くものがあった。光の矢、大量の光の矢。
光の矢は一斉に彼の正面に降り注ぐ。光の矢は爆発を伴って、火砲を撃ち込んだかのように爆炎を上げる。
気づけば、柵に覆われていた街道は道を開け、その周辺には真っ赤に染まった兵士たちが転がっていた。
ベルクスは振り返る。大量の本を周囲に飛ばし、光の輪を浮かべたハルネリアがそこにいた。彼女は低空を滑空するかのように光の矢を放ちながら飛んでいる。
「あれは疲れんからいいのぉ! 魔法、わしも覚えておけばよかったわい!」
ロンゴアド兵団たちは駆ける。正面の障害を全て排除しながら。
当然のように、敵の攻撃も奥に進むにつれて激しくなっていく。ある村の横を通り過ぎた時、その村から雨あられのように火の塊が兵団に襲い掛かった。
横っ腹を突かれ、兵団の兵士たちは吹き飛ばされる。数度は耐えれる退魔の鎧と言えども、さすがに雨のように降らされては耐えきることはできない。
「セレニア」
「一人でいけるな?」
「大丈夫だ。先頭は任せる」
その光景を見た口元を漆黒の布で覆っていたジュナシアが方向を変えた。どの兵士よりも速く、彼は村へと単身飛び込んでいく。
村には村人は無く、巨大な魔術陣を中心に魔術師たちが数十人魔術を唱えていた。それを護衛する騎士風の者たちが数名、鎧に着られている兵士が数十名。
彼は、迷うことなくそれらの前に姿を現した。突然現れた黒い衣装の男に、そこにいた全員が驚き、動きを止める。
両腕を広げる。どこに仕舞っていたのか、腕の動きに合わせて大量のナイフが地面に落ちる。そしてジュナシアの両手には剣。
彼は強く地面を踏みつけた。その衝撃に合わせて、地面に落ちていた大量のナイフが空へと浮かぶ。
周囲にいた兵士たちは、騎士たちは、魔術師たちはようやくそれが敵だと判断できたのか。一斉に動き出した。彼を殺すために。
ジュナシアは小さく息を吐く、そして双剣で浮かんだナイフの柄を叩く。目にも止まらない速度で。
繰り返す、数は100以上。もはや線にしか見えない彼の双剣は、一振りごとにナイフの雨を放つ。
止まらない。止められない。一本一本が必殺の威力を持っている。それは、ファレナ王国が誇る騎士団と、魔術師たちを一気に貫いていった。
躊躇は無い。後悔も無い。ただ機械的にまとめて敵を殺す。その為の技。
気が付けば、村で生きている者は彼一人になっていた。返り血すら浴びることなく。弔いの声をかけることすらなく。彼はその場を後にする。
そしてあっという間に彼は兵団の進軍に追いついた。如何に魔道具で身体能力を上げてるとは言え、誰も彼の、彼らの足に追いつく者などいない。
走る。駆ける、進む。その進みの中で、街道が別れていたら、真っ直ぐに近道を。進軍先が森だとしたら、迷わず森の中を。
勿論、道には、進む先には当たり前のように罠があり、当たり前のようにそれで兵士たちは何人も死んでいく。だがそれでも彼らは止まることは無い。
先頭で目についた罠を解除し続けるセレニアであっても、さすがに全ては解除しきれない。彼女の後ろで爆散する兵士たちを見て、セレニアは舌打ちをする。
「練習も無くいきなりこの速度だ。ところどころ雑さが出てる。ハルネリアめ、これじゃ麓につくまでに半分残ればいい方だぞ。さすがは師父を唸らせた魔女、か」
セレニアは呟く。彼女の言う通り、兵士たちはもうすでに四分の一は死んでいた。負傷者を入れると三割近く。
こうなることはきっと、誰もが知っていたのだろう。それを覚悟してこの決死の進軍についてきた兵士たち。彼らの目的はただ一つ、自国の、家族を、他人を助ける。
人のために命を投げ出す覚悟ができている者は強い。死すら超えた先に、彼らはいるのだから。
「ロンゴアド兵団って、こんなに強いのね……すっごいなぁもう。姫様、大丈夫ですか?」
「はい」
倒れ、死んでいく兵士たちの中心で、リーザが馬を右に左に、巧みに操って進む。その騎乗技術はファレナ騎士団において随一だった彼女の技は、いかんなく発揮されていた。
リーザの背にへばりつく白い鎧をきたファレナはその動きに合わせて上下する。ファレナはこのような場にあって、不謹慎かもしれないが、笑っていた。その顔は、笑顔だった。
「リーザさんって、いろいろできますよね。凄いと思います」
「ええ? いや、まぁ、何だかんだで騎士ですからね私。そこはほら、当たり前ですよ当たり前」
「いえ、凄いと思います。私、何もできませんもの。今だって、実質連合軍の大将みたいにされてるのに、何にもできてませんもの」
「それは……うーん、あ、そうだ。姫様これ、これもっててください」
「はい? これは?」
「旗です旗。ロンゴアド兵団の副団長さんがくれました。たぶんロンゴアドの旗なんじゃないですか?」
「へぇ、あ、もしかして、大将の証みたいなものでしょうか」
「かもしませんね。もうすぐ森から出て草原にですんで、広げてください。どーんと指揮あげちゃいましょう!」
「はい!」
そして森を抜ける。ファレナは、言われた通りに旗の紐をほどき、それを高々と掲げた。
旗が広がる。その大きな旗を広げた衝撃で、馬が一瞬速度を緩める。
「あれ、これ、リーザさん何か見覚えある旗ですよ? 私のドレスに書いてたやつじゃないです?」
「なっこれって!?」
その旗に描かれているのは大きな鳥が剣に止まっている紋章。それは、ファレナ王国の王位を持つ直属の王族であると証明する紋章。
それ即ち、我こそは正統後継者であると宣言する紋章である。
「な、ななな、なんて仰々しいものを! 姫様仕舞って仕舞って! こんなんファレナ騎士団に喧嘩売ってるようなもんです! 狙えって言ってるようなもんです!」
「いいえ、いいじゃないですか。喧嘩売っちゃいましょうよ」
「そんなぁ……ベルクス殿なんでこんなことをぉ……」
大きな旗を翻して、リーザたちの乗った馬は走る。それを見たロンゴアドの兵士たちは、少し驚いたような顔をしつつも、大いに盛り上がった。
この戦争の大儀は偽物のファレナ王国に対する鉄槌。それをわからせるために、あえてベルクスはそれをもたせたのだ。
兵士たちは駆ける。多数の犠牲を出しながら。突き進む兵士たちの目の前に、大きな大きな白い山が見えてきた。




