第21話 触れてはいけない魔物
地は全てを飲み込み風化させる。沈むどす黒い水、塵と化す肉。
その光景を、どこか寂し気な顔でセレニアは見ていた。浮かぶ光の玉を胸に抱きながら。
「人のことを言えたものかな」
セレニアはどこからか細いチェーンのついた無色透明の綺麗な石を取りだした。それを光の玉に近づける。
みるみるうちに光の玉はその石に吸い込まれていく。石は光を吸い、色を付ける。黄金の色を。
「他人に使われるぐらいなら私が使ってやる。悪く思うなよイザリア」
その黄金の石をセレニアは首に掛ける。黄金の石を持つネックレス。俯きその石をギュッと握り、そして顔を上げた時にはセレニアの顔はいつも通りの表情となっていた。
セレニアは光の壁を睨む。その向こう側では、シャールロットが怒りの形相で地団駄を踏んでいた。
「僕の傑作が! そんな馬鹿な! 埋葬者も殺せるとっておきだぞ! くそっ!」
子供のようにシャールロットは悔しがる。それはもはや救いようが無く。
「セレニア」
ジュナシアから手渡された手袋を左手にはめながら、セレニアはシャールロットの姿を見て大きくため息を吐く。
「あれは何というんだろうな。うん、そうだな、単純に言うか。目障りだ」
「そうだな」
「数万だろうが数百万だろうが、命のストックを選んだ馬鹿の結末は常に同じだ。死なないと思い込んでるやつほど、最期は見苦しい。さぁやってこい。力にのまれるなよ」
「わかってる。セレニアこれを」
「ああ」
セレニアは彼から手袋を受け取る。左手の手袋。ジュナシアの左手の甲は、円状の刻印が赤くに輝いている。
彼の表情は、強い怒りで満ちていた。それに呼応するかのように、刻印はより強く光を放つ。
「きぃぃぃ馬鹿どもが! 確かに! 確かにな! 肉体強化の術式や武具の使い方! 正直世界でも類をみないよ君たちは! だがな、僕は魔術師だ! 真っ向からやると思ってるのか!?」
叫ぶ、強固な魔術壁の向こうでシャールロットは叫ぶ。よっぽど苛立っているのか、その端整な顔は見る影もなく、そこには醜悪な顔で叫び散らす男がいるだけだった。
シャールロットは手を広げる。周囲に浮かんだ大量の光のうちいくつかが地面に落ちる。
地面が盛り上がる。何かが這い出てくる。
「イザリアもそうだった! いかに強くとも、数万の雑兵にかかればいつかは敗れる! 体力と言うモノがあるんだ人には! ふはははは!」
それは、見るに堪えない世界。
這い出てきたものは人の形をした土と肉でできたなにか。一つ二つ、廃村をあっという間にそのなにかは埋め尽くした。
鼻を突く臭い。肉人形のできそこない。墓場をひっくり返したような世界が目の前に広がっていく。
「これは、無いな」
思わずセレニアは口元を押え呟く。魔道具でできた壁の向こうにいるリーザは青ざめた顔を、そしてファレナは何か感心したような顔をしていた。
「むっふはは! うん、まぁちょっと醜いが、材料がさ。無いんだよ。人の形を維持できるのはどうしても数日が限度さ。イザリアだって何度も修復した。だがなぁ……数がいればいいっていうんなら、これほど手軽なのはないだろ?」
蠢く肉人形の中心で、シャールロットは笑う。正しくそれは死霊使い。人の尊厳を全て無視したその行為は、正しく邪悪。
「ファレナ、聞こえるか?」
静かに、ジュナシアはぼそりと言葉を放った。澄んだ小さなその声は、不思議なことにファレナの耳に届く。
「はい、何でしょう」
普通に会話をするように、ファレナは応える。
「こんなやつが騎士として名を馳せる。こんなことを簡単にできるやつがこの世界にはたくさんいる」
「はい」
「どんな綺麗ごとを並べても、弱ければ人は、こんなものに殺される。なすすべなく」
「はい」
「どんなに力を持っていたとしても、人はより強い力によってなすすべなく死ぬ。俺が殺したお前の父親のように。誰かに殺された俺の父親のように」
「はい」
「こんな世界が、本当に美しいのか? お前のみる世界は本当に美しいのか?」
「はい、間違いなく美しいと思います。尊いと思います」
「迷いなしか。ファレナ、君はそれでいい。俺とは違うところが壊れてる君だが、俺はそれでいいと思う。連れてきたのは、この醜悪な世界を見せたかったからだ」
「はい、面白い経験させていただきました」
「ふっ……」
ジュナシアは微笑みながら、左手を掲げる。円の刻印から放たれる光は空に写り、それは真っ赤な色となって周囲を覆う。
「セレニア、万が一は頼む」
「自分で何とかしろ。私は少し疲れてるんだ」
「言うと思った」
いつになく、彼は上機嫌だった。セレニアも微笑みを返して、その場から消える。巻き添えをくわないように。
エリュシオンに存在するそれは、世界の壁を超えるモノ。無限の魔力と、全てを超越する存在。
一端であるとはいえそれは紛れもなく、エリュシオンにあったもの。
赤い光が広がる。まるで血の雨のようにそれは降り注いで、彼の姿を変える。
骨のなる音が響く。ゴキゴキと。ジュナシアの身体はゆっくりと形を変え、大きくなっていった。
刻印は人の理を超えた力を発揮するが、彼のはさらに特別。その力は肉体の檻を破り、力そのものへと姿を変えさせる。
彼の肉体は、普段の彼と比べて二回り以上大きくなり、全身は漆黒で包まれる。赤い光は首に巻き付き、首輪のように真っ赤な布となる。
眼が光る、深紅に光る。
きっと、それは存在してはいけないものなのだろう。故に、その姿は『エリュシオンの魔物』。アルスガンドの一族が守り続けてきた世界の果てから来たモノ。決して世界に知られてはいけないモノ。
それを見た魔術師であるシャールロットは、笑っていたその顔は一瞬で凍りつき、それを理解しようと必死で頭を回転させていた。
「なん、だ。これ。イザリアの記憶にもなかったぞ。い、いや、隠したのか? それとも、記憶できないほどの、何かがあるのか? いや、待て、だから魔術協会の長は……いやそんなことはどうでもいい、この魔力の放出は何だ……何ができる?」
ゆっくりと、エリュシオンの魔物は首を動かす。その深紅に光る眼は、その眼線は、真っ直ぐにシャールロットを見ていた。
「試すか、人形ども。あれを」
シャールロットが肉人形を操作しようと魔力を飛ばそうとする、その時、全ての醜悪な肉と土の人形はその形をとどめないほどに爆散した。
ジュナシアは、エリュシオンの魔物は全く動いていない。ただ、自然に、同時に、全ての人形はどす黒い血を飛び散らせながら四散した。
「は?」
その光景にシャールロットは理解が追い付かなかった。理解できるのは自分の作った人形が全て壊れたということだけ。
誰も追いつかない。
「な、え? ちょっとまて、耐久力はそれなりに、あるんだぞ。イザリアと同じだぞ。そんなことは、まぁ、もっといるんだけどね?」
そう言って、作り笑いを浮かべて、シャールロットは腕を広げた。
地面がさらに盛り上がる。土の下から、それはまた現れる。
そして地面から出た瞬間に肉人形は粉々に爆散する。でる先から、片っ端から。
誰も見ることはできない。
「術式、解除? 違う、これは、もっと物理的な……」
エリュシオンの魔物はゆっくりと、シャールロットに近づく。一歩一歩、確実に踏みしめて。
「術式が失敗したのか? いや僕に限って……障壁と同時だからか? いや……」
きっと、それを理解することはない。
刻印を使って姿を変えているジュナシア自身にもはっきりとそれを理解しているわけではない。
「待て、まさか、単純に」
数万の魂を込めて作ったシャールロットの障壁がまるでガラスのように砕け散る。ゆっくりと歩くエリュシオンの魔物に歩く以外の動きは見えない。
「僕が気づかない程の速度、なのか?」
その動きは、通常の数千倍の速度。誰も捕らえることはできない。
エリュシオンからきたそれは、全てを超越した存在であるエリュシオンの一部。故にその速さも、時間という概念を簡単に超える。
「誰も、ついて、来れない。誰も、見ることは、ない」
それは低い声だった。普段の彼とは違う。低い声だった。地の底から響くような低い声だった。
「は、はは、まぁ、壁がどうした。僕の喰らった魂は100万を超える。何度殺されても、死ぬことは無い。ははは、それだけの力だ。魔力が持つわけないだろ……」
初めて、そのエリュシオンの魔物は構えた。腰を落としたのだ。
これから走り出そうという風に、腰を落とした。
「グゥオオオオオオオオ!」
低いうなり声、叫び。その動きなど見えない。気が付けばその漆黒の腕はシャールロットの胴体に突き刺さっていた。そこにあったモノを吹き飛ばして。
「は、あっ!? ちょ、ちょっとまっ」
まるで柔らかい果実を叩き壊すかのように、軽々とシャールロットの頭は爆ぜた。その身体の位置から辛うじて左の裏拳で頭を弾き飛ばしたのだと推測できる。
「お、ご、再生、するって」
口だけを再生させ、シャールロットは言葉を繋げる。その一言を話し終えないうちに、シャールロットの身体は木端微塵に砕け散った。
「無駄、無駄、何度、でも」
砕かれても、光が集まって肉を創り、シャールロットは再生する。
その大きな身体の漆黒の魔物は、圧倒的腕力で人の身体を軽々と砕く。慈悲などなく、まるで小さな虫に全力で拳を振うかのように、圧倒的なその力でシャールロットが再生するたびに殺し続ける。
エリュシオンは、魔を超えた先にある。
故に、その力は、魔術や魔法、魔導、刻印、全てを超えた先にある。
故に――
「馬鹿かあの死霊使いは。身体に、魂に触れられた時点で終わってるんだ。まさかこの期に及んで自らの再生で持久戦をするとはな。やれやれ、死霊使いとしては下の下だったか」
セレニアは両腕を組んで、つまらなそうな顔でそう言った。
そして、それは立っていた。エリュシオンの怪物と化したジュナシアはただ立っていた。彼の目の前では再生するたびに砕け散るシャールロットの姿がある。
故に、全てを超えた先にあるからこそ、それは命や魂というものすらも超えた先にある。最初の一撃でシャールロットは自らの魂を、命を砕かれていることに、気づいていない。
それはただ再生するだけの肉塊。そうしなければならないから、そうするだけの肉塊。
もはや砕け、再生するということを義務付けられただけの肉塊。
それにもう意識などは無かった。再生するたびに、砕け散る。それの繰り返し。
そうなってしまっては誰も手を出す必要すらなく、ジュナシアは真っ赤な光と共に元の姿に戻っていた。その額には汗が浮かんでいた。
「人形を出し続ければ、お前の言う通り魔力切れも狙えた。シャールロット。いや、シャールロットだったものよ。そのまま死んで生き返り続けるがいいさ。そのうちお前が喰った魂を全て消化して、消えるだろうさ」
彼はその破壊を再生を繰り返す肉塊に背を向けた。暗い顔をして。
「やはり頭に血が上ると加減できない……情報を聞きそびれた」
後悔を胸に、彼はセレニアたちの元へと急いだ。気が付けば、廃村に漂っていた光の玉は全て消え、そこには漆黒の夜が広がっていた。




