第20話 想いを無くした人形
彼は、いつも通りに人を殺して村に戻った。家に帰るまでの道中で子供たちが駆け寄ってきて、彼に一輪の花を渡していく。青、白、黄色、様々な色の花が渡されていく。その中に、赤色は無い。
誰が始めたか、それは一族の習慣。花は任務達成の祝と、帰還の祝、そして、殺した者への手向けのために渡される。
ほとんどの者はその花はすぐに燃やす。行って帰ってくるたびに増えていくのだ。いちいち貰った物をためていてはあっという間に家が花で埋まってしまう。
だが彼は、燃やしはしなかった。家に花壇を作って、彼はその花を一輪ずつそこに植え育てていく。
一度摘まれた花ではあるが、一つ一つを魔力で補助してやればそれは育つ。その技術はかなりの難易度だが、それでも彼はそれを覚え、育てた。
村人は皆、彼の父でさえ、それは非効率で、意味のないことだと言っていたが、それでも彼は花を育てるのをやめなかった。
何故そんなことを始めたのだろう。最初に勿体ないと思ったその心はどこから来たのだろう。
彼自身それに気づくことは無かった。あの日、花が焼け落ちてもそれでも気づくことは無かった。
今はもうない花の広がるあの光景が、彼に忘れかけていた感情を思い出させる。
「手を抜いたな?」
思い出に浸りかけていた彼の心をその声が一気に現実に引き戻す。セレニアのその声に、彼は言葉を返すことができなかった。
その態度に、いつも以上にセレニアは冷たい眼を見せる。
「死人となり刻印も消えた。死霊使いに再生されただけの外面だけの身体、あれはイザリアではない。わかってるにもかかわらずそれでも手を抜いた。未練か? お前が捨てたようなものだろう。違うのか?」
言葉も無い。彼はただ黙っていた。セレニアが責める言葉がただ胸に刺さる。
「ちっ……反省しろ。お前はお前だけで生きてるわけじゃない。その甘さは自分を殺すと何度も師父に言われただろう」
「すまない」
「無駄足をくらって少し苛立っていたところにこれだ。簡単に魂を捕らえられるとはなイザリアめ。もっと深く埋めとくべきだった。いろいろと最低の気分だよこの陰険女が」
激しい剣幕で、セレニアは双剣をくるくると回すイザリアの方へ歩き出した。
彼は、ジュナシアは顔を上げ奥で両腕を組むシャールロットを睨む。
「お仲間と相談は終わったかい? それじゃイザリア、早く二人を殺して、リーザ嬢が張っている壁を消してくれよ。あれ魔法だからさ。僕だと解除に時間がかかるんだ」
「はい」
「それじゃ任せる」
そう言い残し、シャールロットは光の壁を張った。その壁の向こうで、シャールロットは笑みを浮かべる。
彼は、ジュナシアは普段では絶対に見せない怒りの表情で左手の手袋に手をかける。手袋の中指をつまんで、ゆっくりとそれを外そうと力を込めた。
「何をするつもりだ。まさか刻印を使うつもりか? こんなところで?」
声、セレニアの声。その声に彼は手を止めた。
「だが、さすがに数万の魂を使った術式だ。真正面からでは」
「……数万だと。どこまでも反吐が出る。なら少しでも時間がかからないようにするか。私がイザリアの形をした肉人形を叩き壊す。あとは好きなだけ暴れろ」
「頼むセレニア」
「ああ、お前は震える女騎士たちでも守ってろ。腐ってもイザリアだ。魔道具での防御壁とはいえ、安全だとは限らない」
ジュナシアは頷いた。そして大きく跳び、双剣を構えて壁を広げるリーザとファレナの前に立つ。
セレニアは眼を瞑った。呼吸を一つ、二つ、大きく吸って吐く。そして眼を開く。
周囲には魂の光が満ち、対峙するは漆黒の女が二人、セレニアとイザリア。
無言で二人は構える。セレニアは腰を落とし、両手に短いナイフを持って。イザリアは双剣をくるくると回して。
「救われないなお前も」
小さい呟き、誰にも聞こえない程の小さい呟き。セレニアの口から漏れた言葉は憐れみの言葉。
イザリアは微笑みを消して、双剣を逆手に持ち極端な前傾姿勢を取る。前以外に進む気はないというその構えに、セレニアは懐かしさすら覚える。
突風。最初に流れたのは風、次に音、次に光。イザリアの身体が消えた。地面を蹴る大きな音と共に。
セレニアはナイフを正面に投げつつ後退する。地面を蹴り飛ばして。
ナイフが空で何かにぶつかって、その勢いを落とした。ナイフが落ちるよりも早く、黒い影はセレニアの目の前に現れる。
逆手。右手。あまりの速さに時間の概念を飛ばし、一瞬がスローモーションのように錯覚するその空間で振り下ろされるそれは、真っ直ぐにセレニアの首に向かっていた。
セレニアは右の剣を左の裏拳で打つことで軌道を変える。セレニアの頭の上を剣が通っていく。
間髪入れずに左。右の剣の残像がまだ残っているその上から、左の剣がセレニアに襲い掛かった。
そして右手、セレニアは右手でイザリアの左手親指を打つ。左の剣は止まる。
その隙をセレニアは正確に突く。腰を落とし踏み込んで、両手を重ね突き出し、両の掌をイザリアの腹部に食い込ませる。重く、重く、衝撃が残るように。
イザリアは突っ込んで来た時の速度のまま、真後ろに吹っ飛んだ。
「ちっ!」
大きな舌打ち。気が付けば、無数のナイフ。セレニアどころか周辺まとめて串刺しにせんとナイフが襲い掛かってきていた。
セレニアは飛びのきながらどこからか取り出したナイフを投げることでそれを捌く。地面にカラカラと、ナイフの破片が降り注いだ。
「この技術、イザリアそのまま……か」
吹っ飛んでいたイザリアは、いつの間にか何事もなかったかのように立っていた。微笑みながら彼女は自らのスカートをたくし上げる。
覗く白い太もも、そして、スカートの裾から落ちる無数のナイフ。
セレニアは急いで腰から一つの石を取り出した。そしてそれを投げ、手を一回鳴らす。
石は砕け、破片は周辺に舞い、煌びやかなガラスの破片となってセレニアの周りにそれは舞った。
「リーザ」
「は、はい!?」
「決して壁に流す魔力を弱めるな。死ぬぞ」
「え、ええ!?」
リーザに注意して、ジュナシアは双剣をすさまじい速さで回し始めた。これからイザリアが何をするか、彼はよく知っているのだ。
「ふっ……!」
イザリアは強く息を吐くと、地面を右足で強く踏み抜いた。落ちていた無数のナイフが空に浮かぶ。
気のせいだろうか、イザリアは口角を上げて笑っていた。浮かぶナイフを眼にも止まらぬ速さで投げつけながら。
次々に、次々に、イザリアはナイフを投げる。それはまさに雨。横殴りのナイフの雨。
光が反射してもはや一閃にしか見えない。ナイフの雨は、セレニアたちに束になって襲い掛かった。
そのナイフの雨がまず到達したのは、セレニア。ガラス状の壁を削り取らんとナイフはぶつかり続ける。
多すぎる。速すぎる。その雨は、止まることをしらず。
「ひぃぃぃ!」
リーザ悲鳴と共に、彼女の創る壁にもまた、そのナイフはぶつかり続けた。壁の前でジュナシアは眼にも止まらぬ速度でナイフを双剣で叩き落している。
「セレニア使え!」
ジュナシアが叫ぶ。セレニアは振り返ることなく、左手の手袋を外し真後ろに投げた。
「卑怯とはいうなよ。無くしたお前が悪い」
セレニアは左手の甲を相手に見せる。そこには青く輝く円形の刻印があった。
刻印は光り、一瞬世界が青く染まる。そしてセレニアは消えた。
イザリアはそれをみて、ナイフを投げる手を止めた。そのまま身体を回して、彼女はその場から飛びのく。
右、左、イザリアの眼が目まぐるしく動く。何かを探すように、目だけが高速で動く。
「後ろだ」
声と同時に至る衝撃、イザリアの背骨の中心に食い込む足、彼女はくの字になって地面に突き刺さった。
セレニアはイザリアを蹴り飛ばした後、大量のナイフを投げる。イザリアがやったように、ナイフの雨を彼女に降らす。
蹴り飛ばしたダメージが大きかったのはイザリアは動くことなく、そのナイフは全て背中に突き刺さった。数本貫通したものもある。
終わったかと、セレニアは一瞬思った。だがイザリアは高速で立ち上がると反転し、セレニアに向かって跳びかかった。全身に穴をあけて、どす黒い血をまき散らしながら。
「ちっ! やはり人形か! 首を飛ばさねば終わらないのか!?」
セレニアはそのイザリアの姿に思わず言葉を荒げた。
剣を右手に握り、迫りくるイザリア。だがダメージは大きいのか、イザリアの左腕は力無くブラブラと揺れていた。まるで操り人形の糸がきれたかのように。
イザリアは剣を振る。セレニアは左の踵でイザリアの剣の腹を踏んで、その軌道を変える。そのまま一回転、セレニアは空で背面に一回転した。そして流れるように、勢いのままに膝を付きだす。
膝はイザリアの顎を捕らえる。飛び上がった勢いを綺麗に返されて、イザリアは円を描いて空に飛んだ。
そして、セレニアは背面にもう一回転する。勢いをつけて。
――私だけを見て欲しいから。
「ちっ、今思い出すんじゃない……とどめが」
そしてセレニアは、迷うことなく刃を取り出して。
「刺しにくいだろうが……」
突き刺し、ひねる。空中で器用に足でイザリアの身体をからめとり、一気にイザリアの首を刈り取った。
飛ぶ頭、崩れる身体。目を見開いた顔が、空にイザリアの頭が飛ぶ。
彼女は、誰よりも彼を愛していた。アルスガンドの後継者である、彼を愛していた。
愛は行き過ぎて、彼の周囲にいる女性を殺害するまでになって。それどころか彼の周りにいた男の友人すらも殺すようになって。
「だから言っただろ。あいつ自身を見ろと。だから姉さんはあいつの想いに気付かなかったんだよ……報われないな姉さんは……」
悲し気な顔をして、セレニアは落ちるイザリアの形をした人形を見る。
その人形は、何の感情も無く、表情を変えることもなく地面へと落ちていった。




