第12話 運命の選択 前編
夜は人々が安らぐ時、満月の空、鉄格子から差し込む白い光は、ただ彼女を照らす。
ベッドに腰かけて、牢屋の中でセレニアは足を抱えその月を見ていた。最も、ベッドとしてはクッション性など皆無で、ただの石の台ではあるが。
その姿をチラチラと白い鎧姿の男が見ている。手の平を光る紋章の上に置いて。
「何を見ている? そんなに私に興味があるか?」
「いや……何と言うか君のような美しい人が、国を揺らす事件を起こしたとはどうも信じられなくてね。ねぇ君、何故こんなことをしたんだい? いつかは捕まると思わなかったのかい?」
「さぁな。お前ごときに理解できる答えなど、私は持っていないさ」
「ごとき……か。なかなか胆が座ってるね。僕はこれでも騎士の中では上位なんだぞ。騎士団長にも僕たち姉弟は評価されているんだ。それでも僕ごときというかい?」
「黙ってろ。せっかくの満月だ。お前のような奴の戯言で、汚していい夜じゃない」
「……つれないね」
星は輝き、空は明るさを増す。無表情で月を見るセレニア、その顔を見る聖光騎士ラーズは大きくため息をついて地面を見る。
夜の番は時間との闘い。ラーズはどちらかというと黙っているのが得意ではなかった。彼は何気なく、眼の前に並ぶ刃物の一つを手に取る。
「それにしても何という武器の数だ。あのぴっちりとした服のどこに、よくもまぁこれだけの武器を隠せたもんだ。隠ぺいに長けている? 便利な術式だな……」
ラーズの前には大量の武器が並んでいる。それは机に乗りきらないほどで、様々な形をした刃物と大量の矢が所狭しと並べられていた。
手に取った刃物を元の場所に戻し、ラーズは悪い笑顔でセレニアを見る。足、腰、胸、腕、視線をゆっくりと上げて、彼はぼそぼそと話し始めた。
「ああ、君は綺麗だな。惜しいなぁ。このまま罪人として裁かれるなんてなぁ」
その整った顔をひきつらせて、ラーズは笑っていた。それは醜悪な笑顔、騎士として名を馳せる男とは思えない笑顔。
「盗賊程度ならば、少しおしおきをして終わりでよかったんだが……なぁ君、本当はさ。一人じゃないんだろ? 仲間がいるはずだ。違うかい?」
「さぁな」
「まぁ、はぐらかすよね。僕はさ。姉さんと違って、少し残酷なんだ。バートナーの男は処刑人でもあるからね。僕は長男だから、処刑人としてそれはそれは人を殺してきたよ」
「拷問でもするか騎士様。言っておくが、私に触れたら、死ぬぞ?」
「おお、軽い脅しだね。君、どっちかというと、脅しは苦手だろ? 全然怖くないぞ?」
「……やれやれ」
セレニアはラーズと眼を合わせない。自分の優位さをもって子供っぽく挑発するラーズに対して、彼女は面倒さを感じていたのだ。
彼女のその態度はラーズに一つの感情を抱かせた。余裕をなくしたところが見たいという感情を。彼は彼女を縛っている鎖へと延びる紐を握り、手を2度、ぽんぽんと机に打ち付けた。
セレニアの表情が少し曇る。彼女の魔力がその紐に吸われる。それは、彼女に気怠さを感じさせる行為。
「最初は何となくけだるさを感じるだけさ。でも時間が経てば指一本動かせなくなる。そして、息をすることすら辛くなる。さぁどうする? 何か情報を話してくれればこれを止めてあげよう」
「……はぁ」
大きなため息、セレニアはベッドから足を降ろし、彼を正面に見る。そして彼の手の方へと、指を刺す。
「回路、吸収、貯めた魔力は陣から空。典型的な弱体の術式だ。それでは私の魔力全ては吸えない」
「おっと、中々知ってるじゃないか。まぁこれで君が魔術に精通していることがわかったな。一つ君を理解したぞ」
「……なぁお前」
「何だい?」
「大物ぶるのはやめろ。自分以上の器を見せると、いつか火傷するぞ」
「え?」
「お前、女を抱いたことは無いな? なぁそんなに私が魅力的か? 必死で平常心を保とうと、必死で優位に立とうと、無駄な言葉を並べているのだろうが、悲しいかな、目が泳いでるぞ」
「……何を馬鹿なことを」
「なぁお坊ちゃん、私を屈服させたいのだろう? 私を跪かせて、嬲って、私に自分を賛美して欲しいのだろう? さすがだと、言って欲しいのだろう?」
「な……そ、そんなことは……」
ラーズは言葉が出なかった。ある意味で、セレニアの言う言葉は正しかったからだ。
セレニアは悔しがるラーズの顔をみて、ベッドに横になる。繋がれてる鎖を器用に伸ばして。
「一つ、教えてやろう騎士様」
「何を、だ?」
「人を脅すならまずは相手をみることだ。何が通用し、何が通用しないか。それをまずは理解しろ。効果的な尋問とは相手を理解することから始まる。想い人のことを考え、想い人を喜ばせ事を考えるように、相手を苦しませることを考えるんだ」
「……ちっ、知った風な口を」
「ああ、だが褒めてやろう。私に手を出さなかったのは正解だったな。少しでも触れていたら、触れようとしたら、もう殺されていたぞ。ふふふ、まぁ、よく我慢したよ」
「はっ!?」
ラーズはセレニアの視線を見ていた。彼女は寝ながらも、いつの間にか自分の向こうを見ていたのだ。
彼はセレニアの眼が何かをみていることに気付くと勢いよく飛び退き、一瞬で剣を抜いて振り返った。
そして、そこには、口元を隠しただ鋭い眼で彼を見る漆黒の男が立っていた。
両手に短い剣、ラーズは戦慄した。そう、彼はずっといたのだ。いつでも自分を殺せたのだ。
「だ、誰だ!?」
上ずったその声で、ラーズはその男に問いかける。
双剣を逆手に持ち替えることで、彼はその問いかけに答える。話す気はないと、彼は言ってるのだ。
「この女の仲間か!? まさか、こんな簡単に侵入を……ロンゴアド兵団は何をしてるんだ!」
「ふふふ……はははは!」
セレニアは笑う、腹を抱えて、その声は牢屋に響き渡る。
「そうだ! やはり、やはりお前は私を迎えに来る! お前は、お前だけは、私を見捨てない! ははははは! ああ、何て、何て愛おしいんだ。ああ、もう、身体がうずいて仕方がない……ああ、何て、何て、何て愛おしいんだぁ!」
セレニアは自らの喜びの言葉を、顔を赤くして叫んでいた。ベッドに寝転がって、身体を丸めて、彼女は笑う。
ラーズは動揺していた。何度殺す機会があったのだろうかと、彼は自分で自分に問いかける。剣を握る彼の額は汗が浮かんでいた。
「くそ、戦闘用の術に切り替えないと……だが牢屋の封印が……剣しか使えないのか今の僕は……!」
迫る。逆手にもった双剣が。漆黒の男が。
牢屋前は狭く、逃げ場などない。
「セレニア」
その声に、セレニアはベッドから飛び起き、鉄格子に近づいて彼をみた。その顔には恍惚の表情を浮かべて、セレニアは彼を見ていた。
「早く出ろ」
一言、漆黒の男はセレニアにそう言葉を投げた。セレニアは鉄格子を押し開けて、最初から鍵などかかっていなかったかのように自然と牢屋からでてきた。彼女を繋いでいた鎖もいつの間にか消えていた。
その様子に一番驚いたのはラーズ。自分が封印していた牢が軽々と開いたのだ。あまりの驚きに彼は固まってしまった。
「な、ななななな!? 何だお前たちは!? 僕の、僕の術式だぞ! 何でこんなに簡単に破られるんだ!?」
「術式だからだ。私たちに術は通用しない。ふふふ……まぁ、迎えが来るまで助かったよ。最高につまらないエスコート、感謝するよ騎士様」
「こ、こいつ……だがこれで僕は戦闘に術式を使える。聖光騎士の力をみせてやるぞ……」
「ふふふ……今の私は気分がいい。なぁ、私がこいつ殺すぞ。いいだろ? なぁ」
「セレニア」
「うん? お前がやりたいか? ふふふ」
「こんな雑魚とやるだけ時間の無駄だ。それよりもファレナのところへ行くぞ」
「……何? お前、あの女を迎えにいく、のか?」
「連れていかれると殺される」
「それも運命だろう? 何か問題でもあるか?」
「そうだ。それも運命だ。だが、それはあいつが選んだ運命じゃない」
「何が言いたい?」
「俺は俺だけでいい。なぁ、セレニア」
「まだ、そんなことを言うのか」
「セレニア」
「やめろ」
「セレニア」
「…………往復分は無い。行くしかできないぞ」
「わかってる。いざとなれば俺の刻印を使う。ありがとう」
セレニアは複雑な顔をして、左手の手袋を外した。ラーズは剣を構えたままそれを見ていた。
セレニアの左手には青い円の紋章。青の刻印。右手でジュナシアの手を取り、彼女は左手を胸の前に構える。
刻印から光が溢れる。青いその光は、彼らを覆い、一気に広がった。
ラーズはその光を浴びて、一瞬眼を閉じてしまった。眼を開いた時にはすでに目の前に誰もいない。セレニアと漆黒の男は忽然と消えていた。
周囲に散乱したセレニアが身に着けていた武器の数々も無くなっていた。月の光が差し込むその牢屋には、ラーズ一人を残して他は誰もいなくなっていた。
その光景にラーズは眼を見開いて、ただただ驚き、固まっていた。
「転移……でもない……今のは……そ、そうだ姉さんに、姫様に伝えないと……」
ラーズは剣を納めて走り出した。牢屋から上階へ続く道に向かって。
月の光はより一層輝きを増して、ロンゴアドの城を照らしていた。




