第1話 明日のために
――その日、世界は光りに満ちた。
輝く大地、輝く空、輝く海。ありとあらゆるものが輝いた。その輝きをもたらした物は、人の生。
億を超える人の生。兆を超える人の命。世界は今、人々の光で包まれた。
その中心で白百合を片手に、月を見上げるは純白の少女。その顔は愛に満ちていた。
少女は何を求めたのだろうか。その生の果てに、何を得たのだろうか。
誰よりも光を求めた少女は今、微笑みの中で月を見上げる。月へ昇る純白の翼を見上げる。
果てに至れし白き少女の生。果てを超えし純白の翼。
せめて最後ぐらいは、白百合の中で穏やかに。
――最終章 白百合の中で空を仰げば
抑圧。
人々は苦しんでいた。
世界のどこでも、人々は苦しんでいた。
ある者は浮いたあばら骨を抱えて、地を這い、ある者は口を開けて雨水を飲む。
歩くこともままならず、手を伸ばして助けを請うても、その手を取る者はいない。
人々は苦しんでいた。大地は富み、繫栄していたロンゴアド国でさえ、それは同じことだった。
ロンゴアド国王城、王の間にて、王は膝を着き、一人の騎士に頭を下げる。騎士は書類を片手に、王の肩を叩きながら冷たく言い放った。
「おやおや、今月の分、足りてないようですが如何なされました国王陛下」
騎士の男は困ったと言わんばかりに眉間にしわを寄せ、膝をついて頭を垂れる王の背をぽんぽんと叩いた。それは一国の王に対して騎士がとる態度ではなかった。
「これでは兵が飢えてしまいます。そろそろ増税してみては?」
「馬鹿な……!」
王は頭を上げて、騎士を見上げる。国王が、騎士を見上げている。
この異様な光景。周囲で膝を着いて頭を下げているロンゴアド国の重鎮たちの手が震えていた。あまりの屈辱に、手が震えていた。
騎士はファレナ王国騎士団の一兵卒。位すらない一兵卒。それが王を虚仮にしている、そのことが、あまりにも無礼で。
王は自分の無力感に、その無礼さに震えながらも、平静を装い、声を絞り出した。
「これ以上あげろと言うのか……!? 国民はもう、限界だぞ……!」
「何を。まだ生きてるでしょう大部分」
騎士は平然と言ってのけた。極めて事務的に。王はその騎士の姿に、奥歯が割れるほど歯を食いしばり、怒りに耐えたが、それでも王は平静に言葉を繋げた。
「し、しかし、出せといっても……国民に金などないぞ……畑を荒らす者が出ておるぐらいだ……!」
「食料を取り上げたらよろしい。兵は何よりも兵糧が大事ですからね。それでも何とかなります」
「馬鹿な……馬鹿な……!」
「おやおやいいのですよ。我が国に刃向かっても。死にたいならね」
「ぐ、ぐぐぐ……」
「抵抗してもいいのですよ別に。我らが女王陛下と交わした契約、破ればあなたはその場で死にますからね。まさかお忘れではあるまい?」
「ぐぅぅぅぅ!」
「はっはっは、なんとも、情けない。これが世界に名だたるロンゴアド兵団を束ねる国王か。なんともなんとも、情けない情けない。ふはははは!」
「国王陛下……」
地面に頭をこすりつけ、王は涙した。あまりの屈辱に。それを受け入れることしかできない自分の弱さに。
王は、人々は求めていた。
解放を求めていた。
解放してくれる者を求めていた。
世界が鎖に繋がれた今を、変えてくれる英雄を、人々は求めていた。
抑圧からの解放。それこそが自由。自由をもたらす純白の女神。
解放をもたらす者達。
万年に渡る魔の時代を終わらせる者達。
何者にも負けない真なる自由を求めてその者たちは進む。全ては明日のために。
――時は来た。
男たちは木や石、そして粘土、家を建てるための資材を運ぶ。彼らは笑いながら、時に怒鳴り合いながら、焼けてしまった町を修復してく。
女たちは土の上に種をまいて水をやっている。花の国ヴェルーナを彩る花々を育てているのだ。彼女たちは嬉しそうに、汗を流して花を育てる。
ヴェルーナ進攻からすでに一か月。町は嘗ての姿を取り戻しつつあった。犠牲になった人々のための碑も首都の真ん中に建てられ、国民たちは皆過去を受け入れようとしていた。
そして城より外れた草原の上で、上半身裸の男が赤い剣を振る。ゆっくりゆっくりと、力を込めて、右手一本でそれを振る。
相当の重量なのか、右腕が、右肩が、プルプルと震えている。一刀、二刀、ゆっくりゆっくりと彼は剣を振る。鍛え抜かれた肉体に、汗が流れる。
何度剣を振っただろうか。唐突に彼は剣を地面に突き刺した。そして大きく息を吐き、どこからか取り出した布で彼は汗を拭う。
「イザリア、服を」
「はい若様」
唐突に音もなく現れたイザリアの手に、厚手の黒い服があった。
彼はそれを手に取ると、慣れた手つきで袖を通した。黒い服は分厚いゴムのよう、着た傍から彼の肉体を締め付ける。
「少し遅れたか。皆は城に?」
「はい、セレニアさん以外は」
「まだ寝てるのか?」
「ハルネリア様に捕まって、例の勉強とやらを」
「それはしばらくかかるな。イザリアはいいのか?」
「私はすでに師母様にその手の作法は叩き込まれましたから」
「そうか」
イザリアは取り出す。大きな赤い布を、深紅のマントを。
彼はそれを手に取り、羽織った。深紅のマント。肩に輝く白銀の翼は、ヴェルーナ女王国の国章。
漆黒の服に深紅のマント。威風堂々、ジュナシア・アルスガンドは立つ。ヴェルーナ女王国にて立つ。
「いいですね。若様は上背がありますからお似合いですよ」
「派手すぎないか」
「いいえ、むしろ地味なほどです。若様は我々の力の象徴。世界を取る戦乙女の傍らに立つならば、それぐらいは必要でしょう。それに、ハルネリア様の御薦めですし」
「ハルネリア、か……いや、いい。今はいいさ。後のことなど、終わってから考えればいい。いくぞ」
「はい」
彼は赤と青の剣を腰に納めて、深紅のマントを翻して歩き出した。一歩離れてイザリアがそれに付いていく。
深紅のマントはヴェルーナ女王国の国宝。魔法師の始祖が羽織っていたマントを、修繕した物。王者の証。
「救いを。世界に救いを」
彼は呟く。自分に向かって一人静かに、王の証を身に纏った彼は呟く。そしてヴェルーナ女王国が次期国王、ジュナシア・ヴェルーナ・アポクリファは、深紅のマントをなびかせて歩く。
もはや報いは受けた。涙を流していない人など今この世界にいない。心を曇らしていない人など今この世界にいない。
だから立ち上がる。彼らは立ち上がる。世界を解放するために。
世界への宣告は、最後の動乱に。彼は向かう。人々を救うための最後の戦いの場へ。
――英雄は降臨せし




