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漆黒のエリュシオン  作者: カブヤン
第一章 美しく醜悪な世界で
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プロローグ 漆黒の瞳

 知っている。これが無意味だということを。


 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。こんなもの、楽しいわけがない。


 腕に絡む赤い水は、すぐに匂いを出す。鉄の匂い、染み込むのが嫌だから、俺は仕事のあとは服を捨てる。匂いが染み込むのが嫌だから、俺は仕事の後は何度も身体を洗う。


 生まれた時から暗殺者、俺は言われたままに人を殺す。それが存在意義だから。


 彼女を見た時、当然のように、俺は殺そうと思った。


 でも、彼女は眼が見えないと訴えた。空を掻く手が、あまりにも哀れで。


 だから、治してあげた。彼女の眼を。何故こんなことをしたんだろう。彼女に顔を見られた。彼女に手を見られた。彼女に触れられた。最悪だ。殺さないといけない。


 でも、殺さなかった。光を感じた彼女は、まるで子供のように笑っていたから。まるで子供のようにありがとうと言っていたから。その顔を見た時、俺は思ったんだ。




 ――ああ、俺は、本当は、人を救いたいのかもしれない。


 


 山岳に囲まれた山の中央に、国があった。隣国の交易の要であるその国は、実に豊かであった。


 その富と、栄光の中で、国は最高の繁栄と最高の軍事力を持っている。その国の名は建国の長の名を取って、ファレナ王国。人々は笑い、兵は凛とし、魔術師は奇妙な研究を行い、貴族は怠惰な日常を送っていた。


 それはいつもの日常。


 行きかう兵は駆け足で、皆が焦燥の顔をしていた。怒号が響き渡る場内において、彼らは右へ左へと走り続ける。


 開け広げられた扉の向こう、玉座には、赤い布が被さっていた。転がる杯は血で染まり、玉座の間は血で染まり。


 王妃は泣き叫ぶ、騎士団の長はその傍を離れない。兵たちは走り回る。


「そこのあなた、騒がしいですが何が起こっておりますか?」


 玉座の間から離れたある部屋で、白いドレスに身を包んだ女性が問いかけた。自分の部屋の隅にいる者に対して。金色の髪と、青い瞳を持つ彼女は不安そうに声を震わせた。


「えっと、いるのでしょう? あのすみません、初対面でしょうか? 私、眼が見えなくて。あの、いないのですか?」


 彼女の顔は不安で包まれていく。彼女の白い手は、空を掻く。何かを探すように、何かに触れるように。光は彼女の眼には届かないが、音は聞こえる。部屋の隅にいると思われる人は、静かに立っていた。静かに。


「すみません、あの……いないのですか。急に扉が開いて閉まったから、風ですか?」


 コンッと音が鳴った。静かな音、コンコンと、続き、それは彼女に近づいてくる。


 皮が擦れるような音がした。彼女の眼には届かないが、何かが息をひそめて近づいて来ていた。


 彼女の身体が、動きを止める。声が震える。


「あの、どちら様ですか?」


 何かが触れた、彼女の顔に、触れた瞬間に彼女はびくっと跳ね上がったが、動くことはできなかった。


 何かが光った。光の届かない彼女の眼の前で、何かが光った。光が届かないはずなのに、それを彼女は理解することができた。


 遅れて彼女に触れているものが手であるということを、彼女は理解した。


「は……!?」


 彼女は信じることができなかった。広がるその光景を。


 そう確かに、生まれつき眼が見えなかったはずの彼女の青い瞳に、光景が広がった。光が届いた。


 見えないはずの眼で、彼女は眼の前の男の顔を見た。


 黒い眼だった。黒い髪だった。黒い服だった。何もかも吸い込まれそうなその黒い瞳から、彼女は眼を離すことができなかった。


 若い男だった。彼女とほぼ同じ年齢の、成人すらしていない程の若い男だった。


 彼は彼女から手を離した。顔を切りとった赤いカーテンの切れ端で隠し、その冷たい眼を向けて、喋るなと眼で訴えて。


「光っ……私の目、光っ! 見える! 見える! これが形! これが私の手!」


 だが彼女は声を出した。我慢できなかった。自分が感じたことが無い光の刺激が、彼女の心を一気に高揚させた。


 彼女の顔は、満面の笑みを浮かべていた。きっと、笑顔と言うモノがどういうものか、彼女は見たことが無いはずだろう。だが彼女は笑っていた。人は、こんなにも美しく、笑えるのだろうか。


 強く、強く弾む心に、手が添えられる。強く、彼女の口を押えたその右手は。彼女の心と言葉を押し込んだ。


 スッと、男の眼が細くなる。彼の左手には、いつの間にか握られていた短剣。それは確かに、赤く濡れていた。


「んん!?」


 きっとそれが刃物だということを、血で濡れているということを、彼女は眼からは理解できないのだろう。ただ口を押えられて息ができなくなったことに、彼女は困惑した。


 彼女は見た。彼の左手を手の甲に走る丸い文様を。


 口を押える力が少しだけ弱くなった。彼女の目の前の黒い男は、何かを察したように、眼を横へと向けた。


「姫様賊です! 国王様と王妃様……おごっ!?」


 勢いよく開かれた扉の音に、口を押えられていた女性は気を取られた。ふと気づくと、扉に立っていた兵士の喉元には先ほど向けられた銀色の刃が突き刺さっていた。


 彼女の口を押えていた男は後ろを見ることなく、扉の兵士を屠った。彼女は、今見ている光景が、本当のことなのかすら理解できずに、ただ自分を抑える手の感触を感じていた。


 ゆっくりと倒れている兵士の後ろから、また兵士たちが走ってくる。慌てた顔をして。


 男はもう無意味だと感じたのだろうか、彼女の口から手を離した。


「はぁっ……あ、わ、私はファレナ、この国の、姫です。これが光なのですね。眼を治してくださってありがとうございます。あの、お名前を」


 男はどれほど驚いただろうか、自分に暴力を振った男に対して、兵士を殺した男に対して、あろうことかこの女は感謝の言葉を送ったのだ。


 男は思わず眉を少しだけ動かし、しかしながらすぐに元通りの冷たい眼に戻って、彼は走り出した。


 ガシャンと大きな音が鳴り響く、窓ガラスを突き破る音。男は、その突き破った窓から外へと飛び出した。


 風が流れ込んでくる。割れた窓から風が。彼女の黄金色の髪はそれに流され、舞った。


「広い。すごく広い。ああ……」


 彼女は呟いた。兵士たちが窓に駆け寄り、各々声を上げる様子を見ながら。今まで何も見えなかった彼女の目は、その光景を見ることができるようになった。


 この日、ファレナ王国の王と、王妃が殺された。その報は瞬く間に世界中に伝わり、全ての人が知るところとなった。


 そしてこの国は、これより地獄と化す。ある一人の男の手が発端の、大きな大きな事件は、やがて世界中を巻き込む戦乱となるのだった。

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