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ナッシングガール  作者: siou
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後編

【第三章】

 リビングに入ると、オレンジの爽やかな香りと小麦の芳ばしい香りが漂ってきた。

「ハルキ様、おはようございます」

 わたしは牛乳を手にしたハルキ様に挨拶をして、匂いのもとへと視線を向ける。

 ダイニングテーブルにはキツネ色に焼かれたトーストとマーマレード、それから小さな器に水洗いしただけの真っ赤なミニトマトが幾つか盛りつけられて置かれていた。

「ああ、おはよう。ようやく起きてきたか」

 そう言ってハルキ様はグラスに牛乳を注いでいく。

「キクノも、おはよー」

「おはよ」

 天井をすり抜けてきたキクノにも挨拶しながら、わたしはテーブルに着いて隣の席を引く。

「ありがと」

 キクノはお礼を言って引いた席に座るまねをした。そして、向かいの席にハルキ様が座ると、私たちは「いただきます」と言って朝食を食べ始める。

 トーストにバターを塗り、その上にマーマレードをたっぷり乗せる。

「はむっ」

 サクッとした歯触りとともにマーマレードの甘さとバターの塩分がほどよく合わさり、トースト自体の甘味とともに芳醇な香りが胸一杯に広がる。それを冷たい牛乳で喉の奥へと流し込む。

「くうっ、おいしい!」

 わたしは一口、二口とトーストにかじりついては牛乳を飲み干していく。

「おい」

 ハルキ様に声をかけられ、わたしは飲んでいた牛乳のグラスをテーブルに置いた。

「なんですか?」

「今日は、ちょっと俺につき合え」

 その言葉に思わず鳥肌が立って、わたしはテーブルの上に身を乗り出して答えた。

「もちろんです! わたしは、どこにだってついて行きますからっ!」

「近い近い。少し離れろ」

 そう言って、ハルキ様はわたしの口にミニトマトを一つ押し込んだ。椅子に座り直しながらミニトマトをかむと、皮が弾けて甘いジュースが口の中に広がる。

 ハルキ様は、そんなわたしを難しい顔でじっと見つめていた。その視線がわたしの口元から下へと降りていく。

「ハルキ様?」

 わたしの声にハルキ様は視線を慌てて上げると、携帯電話を取り出して電話をかけ始めた。

 暫くすると相手が出たのか、横を向いて話し始める。

「もしもし。ハルキだけどチエリか? 朝早くに悪いな」

 名前からすると相手は女のようだった。下の名前で呼ぶなんて気になる。でも、話はすぐに終わったようで、内容を聞き取る間もなく彼は電話をしまうと食事を再開した。

 そして、ハルキ様が電話をしてから数分後、玄関のチャイムが鳴った。

「ハルキさん。来ましたわよ」

「え? 早っ⁉」

 聞こえてきた女の声に驚くわたしを横目に、ハルキ様はグラスに残った牛乳を飲み干すと玄関へと出て行く。

「来てくれてありがとう。助かるよ」

 ハルキ様の安心したような優しい声が聞こえた。

「何を言っていますの。ほかならぬハルキさんのお力になれるのでしたら、いつでもわたくしは駆けつけますわ」

 女の楽しげな声に、わたしは居ても立ってもいられず席を立ってダイニングの扉から玄関の様子を窺う。

 そこには、いかにもお嬢様という雰囲気をまとった線の細い女が立っていた。フリルのついた白いワンピースから伸びた手足は色白で、白桜色の腰まで伸びる長い髪が玄関から入る光を浴びて輝いている。ただ、少し大きめの麦わら帽子で隠された胸は、可愛らしいくらいに控えめだった。

「ウゥゥゥゥゥゥゥ!」

 じっと見ているこちらに気づいたのか、彼女がこちらを見ながらおずおずとハルキ様に尋ねる。

「あのー、ハルキさん? あちらで唸っている彼女は?」

 ハルキ様は後ろを見てわたしに気がつくと、困ったような表情で彼女に説明する。

「ああ、彼女は遠い親戚の子なんだ。ちょっと両親が仕事の都合で海外に行くことになってね。うちで夏休みの間だけ預かることになったんだ」

「えええっ!」

「なんでおまえが驚く⁉」

 驚くわたしに、ハルキ様が笑みを引きつらせながら言ってくる。

「だって、わたしはハルキ様のかの……」

「わあああ!」

 いきなり大声を出したハルキ様に思わず息を呑むと、その後ろから冷たい視線とともに別の声が聞こえてくる。

「へえ、そうなんですの」

 わたしより少しだけ高い背を見せつけるように、彼女は絶壁のように胸を反らしながら見下ろしてきた。そして、そのままの姿勢で口元に笑みを浮かべながら話しかけてくる。

「初めまして、わたくしはチエリと申します。あなたのお名前は?」

「ヒガンです」

 必要最小限の言葉を返して、わたしはダイニングから廊下へ出ると、彼女の視線を真正面から迎え撃った。

「それで……」

 そう言ってチエリさんの視線が、わたしの体を値踏みするように上下に動く。

 顔を少し赤らめながら、チエリさんはわたしから視線を外すとハルキ様に聞いた。

「彼女はなんで家の中で、あんな……、水着姿なのですか?」

 ハルキ様は、どこかほっとしたように一息つくと彼女に向かって話し始める。

「そのことでチエリの力を貸してもらおうと、今日はわざわざ来てもらったんだよ」

「この子のことで……」

 横目でわたしを見ながら彼女はつまらなそうに呟いた。

「こいつ、これしか持ってなくてさ。女物の服は俺にはわからないし、それでチエリにこいつの服を見繕ってもらおうと思ってさ」

 ハルキ様の言葉に、チエリさんは「そう」とだけ答えると、疲れたように大きなため息をついた。

 そんな彼女の隙を突いて、わたしはハルキ様の腕に抱きついた。

「ハルキ兄様ぁーーー♡」

「兄様ぁ⁉」

 そして彼の恥ずかしがる顔を見ながら、チエリさんにも聞こえるように言ってやる。

「わたしは、このままでも全然平気だよ。だってこれ、ハルキ兄様がわたしのために選んでくれたものだもん♡」

「ハ、ハルキさん⁉」

 面白いように驚くチエリさんに、わたしはハルキ様の体に抱きついて見せつけながらさらに言う。

「ねぇ、兄様ぁ♡ あんな女は放っておいて、もっとわたしと遊びましょうよぉ♡」

「な⁉ ちょっと、あなた! ハルキさんから離れなさいよ!」

 甲高い声とともに近づく重い足音に振り向けば、目の前には迫り来る麦わら帽子の影があった。

       ◆

「とりあえず洋服から見繕いましょうか」

 車から降りると、目の前にそびえる駅ビルよりも堂々とした態度でチエリさんはそう言った。

 後ろを振り返れば黒塗りの高級車の横で、いかにも執事といった感じの白髪の老人がにこやかな笑みを浮かべている。

「ねえねえ、ハルキ、あの執事の方のお名前はなんて言うのかしら?」

 隣というかハルキ様の上から、キクノが少し興奮気味に言ってくる。

「は? 執事の方? お名前? かしら?」

「いいから教えなさいよー」

 老人に熱い視線を向けたままのキクノに、ハルキ様はため息交じりに答える。

「ワタラギさんだよ」

「ワタラギ様って言うんだ。お名前も渋いわぁ」

「キクノは、本当におじいちゃんが好きよね」

 そう言うわたしにキクノは人差し指を立てて、わかってないというふうに話し始めた。

「違うわよ。あたいが好きなのは老執事! 完璧な心配りと落ち着いた品のある佇まい、そして何よりも儚ささえも感じさせるその優しさ。ああもう、ス・テ・キ!」

 うっとりするキクノにわたしとハルキ様は苦笑を浮かべた。

「あなたたち、誰と話をしていますの?」

「誰って……」

 尋ねるチエリさんにハルキ様は空中を指さす。その先を見つめて、彼女は首をかしげた。

 ハルキ様が、説明を求めて顔をわたしに向けてくる。

「この人にはキクノは見えませんよ?」

「え?」

「キクノ?」

 驚くハルキ様の横で、怪訝そうにチエリさんがキクノの名を口にする。

 ハルキ様はわたしの耳元に口を寄せると小声で聞いてきた。

「じゃあ、なんで俺には見えるんだ?」

「なんでって、わたしとハルキ兄様が繋がってるからに決まってるじゃないですか♡」

 熱くなる頬を押さえながら、わたしは小声ではなくチエリさんを見てはっきりと答えた。

「繋が……ハルキさん⁉」

 絶句するチエリさんを無視して、わたしはハルキ様との話を続ける。

「それに、誰にでも見えてたら大騒ぎになっちゃいますよ?」

「アー、ソウカ。ソレモソウダヨナー」

 ハルキ様は急に疲れたような表情になってうなだれると、

「チエリ、あとは任せた」

 そう言ってチエリさんの肩を軽く叩いた。

 叩かれた肩を暫く見つめてから、チエリさんは腰に手を当てると少し赤い顔で高飛車に言った。

「な、なんだかよくわかりませんけど、任されたからには、きちんとしたものを選んで差し上げますわ」

 そして、わたしの服装を見ると一転して彼女は少し不機嫌そうな顔をした。

 デニムのパンツに白いワイシャツ、それに緩く締めた黒ネクタイ。そんな自分の格好を改めて見ながら、わたしはぽつりとつぶやく。

「わたしは、これでいいのに……」

 それは、すべてハルキ様から借りたものだった。ハルキ様の匂いに包まれて、もうそれだけで幸せな気持ちになれる。

「ねえ、ハルキ兄様もそう思うでしょ?」

 ハルキ様の腕に抱きつきながら、わたしは彼に同意を求めた。

「いや、おまえと服を共有する気はないから」

「えー」

 冷たく言う彼にがっかりしていると、急に誰かの手がわたしをつかんで引っ張り出す。

「当たり前です。男性から服を借りるなど、うらや……、うら若き乙女のすることではありません!」

「ちょっと、そんなに強く引っ張らないでよー」

 ハルキ様との距離がどんどん離れていく。

 ハルキ様は執事さんに軽く会釈をすると、その上でぼーっとしているキクノを呼びつけ、彼女とともに小走りにやって来た。そして、わたしとチエリさんの後ろに来ると、

「あのさ、買い物はチエリに任せるけど、その前に昼飯にしないか?」

「さんせーい」

 わたしはチエリさんに引きずられながら、ハルキ様の提案に喜んで賛成する。

「あなたは、これから服を選ぶというのに……」

 チエリさんは額を押さえて、深いため息をついた。

「結構、疲れると思うぞ。精神的に」

「……そうかもしれませんわね。それで、どこにしますの?」

 チエリさんは大きく息をつきながらも同意すると、わたしから手を離してハルキ様に尋ねる。

「あそこ、あそこがいい!」

 わたしはハルキ様の腕を強く抱きしめながら、緑・白・赤の三色で彩られた鮮やかなお店を指さして言った。

「じゃあ、あそこにするか」

 そう言って歩き出すハルキ様についていこうとして、わたしは背筋に冷たいものを感じて立ち止まった。恐る恐る振り返ると、そこには逆さになった幽霊が、短い白髪を垂らしながらジト目でわたしを見ていた。

「ヒガン。相手はダウンの人間なんだから、からかうのもほどほどにしときなよ?」

「わ、わかってるわよ」

 半ば呆れた様子で言ってくるキクノに平静を装いながら答えると、わたしはハルキ様の後を追って、パスタ専門店と看板に書かれたお店に入っていった。

       ◆

 お店に入ると、楽しそうな会話の声とオリーブの香りが食欲をかき立てる。

 二人同士で向かい合う四人席に、ハルキ様とわたしは並んで席に着いた。そして、あとからやって来たチエリさんは向かいの席について、隣に麦わら帽子とハンドバックを置く。キクノはと言えば、その上であぐらをかいてコンソールをいじっていた。

 店員さんがメニューとお水を持ってくると、ハルキ様はメニューをテーブルの上に広げて言った。

「何にするかな?」

「そうですわね」

 ハルキ様とチエリさんがお水を飲みながらメニューを見ている中、わたしはグラスに口をつけながらハルキ様を横目で見ていた。

「わたくしは夏野菜のパスタにしますわ」

 さっさと注文を決めるチエリさんの声が聞こえるけど、わたしはハルキ様の首筋に浮いた汗が気になって、抱きつきたい衝動を必死に抑えていた。

「おいしそう」

「ん? 食べたいものが決まったか?」

 思わず漏れた声にハルキ様が訊いてくる。

 いきなり彼に振り向かれて、わたしは慌てて目をそらすとメニューの中で一番大きな写真を指さした。

「えっと、これ!」

「え? 山男のカルボナーラか? これ、かなり量があるぞ」

 写真をよく見れば、それは山盛りのスパゲッティーに溶岩のような濃厚ソースが絡まり、岩石を思わせるゴロゴロとした厚切りのパンチェッタ(塩漬けの豚肉)に火山灰を思わせる粗挽きの黒胡椒のかかった、なんとも豪快な料理だった。

 どうしよう。こんなに一人で食べきれないし、でも「ハルキ兄様の汗がおいしそうだった」なんて言えないし……。

 軽く三、四人前はありそうな料理の見た目に、わたしは困ってハルキ様の顔をじっと見つめた。

「なんだ、そんなに食べたいのか? じゃあ、俺と分けるか……」

「ハルキさん⁉ それなら、わたくしもお手伝いしますわ!」

 テーブルを叩くような勢いで前のめりにチエリさんが言ってくる。そんな彼女に少し驚きながらも、ハルキ様は頼もしい笑顔を浮かべて言った。

「いや、チエリは夏野菜のパスタだろ? これくらいなら俺だけで大丈夫だよ」

「そう、ですか……」

 そう言ってチエリさんは浮かせた腰を静かに下ろした。

「ドリンクは、俺はアイスレモンティーにするけど、チエリとヒガンはどうする?」

「同じもので!」

 チエリさんが間髪を容れずに言ってくる。

「わたしも!」

 それに負けじと、わたしも手を上げて答えた。

「お、おう……」

 チエリさんとわたしの視線がぶつかる横で、ハルキ様は横目でこちらを気にしながらも手を上げて店員さんを呼んだ。そして注文を終えると、相変わらずコンソールをいじるキクノに向かって独り言のようにつぶやいた。

「幽霊は気楽そうだな」

「仕事中なんだ。あたいに話しかけないで」

「はいはい。そうですか」

 キクノのそっけない言葉に、ハルキ様はつまらなそうに返事をするとポケットからピルケースを取り出した。そして、中身を口の中に放り込むと音をたてて噛み砕く。微かにソーダのような香りがして、わたしはハルキ様に尋ねた。

「ハルキ兄様? 前にも食べてましたけど、それは何ですか?」

「ラムネ菓子だよ」

「ハルキさんは、本当にその駄菓子がお好きですわよね」

「脳の疲労回復にはブドウ糖が一番だからな」

 いかにも旧知の仲という雰囲気に、わたしは彼と手にしたケースを交互に見つめた。

「おまえも食べるか?」

「はい! いただきます!」

 詰め寄る私にハルキ様はケースから一粒取り出すと、それを手のひらに載せて「ほら」と差し出してくる。わたしはそれをじっと見詰めると、彼を上目遣いで見ながら言った。

「あーん♡」

「ちょっと、ヒガンさん⁉」

 抗議の声を上げるチエリさんを無視して、わたしは口を開けたまま目で催促する。すると、ハルキ様はチエリさんの視線に少し躊躇したものの、ラムネをつまんでわたしの口に入れてくれた。

 口の中で爽やかな香りと優しい甘さが広がっていく。

 幸せに緩みそうになる頬を押さえながら、わたしは恨めしそうな視線を送るチエリさんに笑顔を向けた。彼女は何か言いたそうにしていたけど、そこに三人分のアイスレモンティーがやって来て、彼女は半目でわたしを睨みながらもストローに口を付けてレモンティーを一口飲んだ。そして、自分の隣にちらりと視線を移すと、意味ありげに含み笑いを浮かべて、そこにある麦わら帽子を撫で始めた。

 チエリさんの笑みを不思議に思っていると、今度は夏野菜のパスタがやって来た。そして、最後に大きめの皿に盛られたカルボナーラがテーブルの上に置かれる。

 湯気の上がるおいしそうなカルボナーラを、ハルキ様はわたしのために手際よく取り皿に分けてくれた。

「こんなもんでいいか?」

「はい。ありがとうございます」

 わたしは食事に集中することにして、仲良く並んでいる大小のカルボナーラを見た。ハルキ様とおそろいの食事なんて、記念写真にでも撮っておきたいくらいだ。そう思っていると、

「買い物があるのだから、さっさと食べてしまいましょ」

 チエリさんが少し不機嫌そうな声で言ってきた。

「そうだな。おいしい内にいただこう」

 食べ始めるハルキ様を見て、わたしもフォークでスパゲティを巻いていく。

 カルボナーラは絶品だった。ソースは濃厚だけれどパンチェッタの塩加減と甘味が絶妙で、黒胡椒の辛さが味を引き締めて黄身とスパゲティの風味を引き立てていた。

「これは旨いな」

 そう言うハルキ様に目を向けると、頬に汗とは違うものが着いていた。

「あ、ハルキ兄様、ほっぺにソースがついてますよ」

 わたしは美味しそうな白いソースに引き寄せられて、ハルキ様の頬に唇を寄せていく。

「ん? どこ……」

 そして、そう言いながら振り向いたハルキ様の唇がわたしに触れた。

「!!!!!」

「なななな⁉…………はうぅぅ」

 ハルキ様は目を見開き、横からはチエリさんの声と倒れるような音が聞こえた。でも、わたしは気にせずハルキ様の感触を味わう。

「ちょっと、ヒガン! やめなよ! ここはやばいって!」

 キクノの声に周囲を見回すと、何人かがこちらを見て驚いていた。そして目の前の席では、のぼせたように顔を真っ赤にしてチエリさんが気を失っていた。

       ◆

「まったく、信じられませんわ!」

 肩を怒らせながらチエリさんは前を歩いて行く。そんな彼女に腕を引きずられて、わたしはハルキ様から引き離されていた。キクノもコンソールを睨みながら、わたしとハルキ様の間を邪魔するように浮いている。

「ハルキ兄様ぁ」

 わたしの呼びかけにも、ハルキ様はそっぽを向いて答えてくれない。

「まずは、身なりからその破廉恥な態度を矯正して差し上げますわ」

 そう言ってチエリさんはアパレルショップへ入っていく。

 店内は色とりどりのパステルカラーで統一されていて、まるでシャボン玉の中にいるような感じだった。

 でも、そんなメルヘンな雰囲気は、今のわたしをなぜか不安にさせる。

「とりあえず、こんな所かしら」

 チエリさんの声に目を向けると、彼女は何着かの服を手にとってわたしの体に当ててくる。彼女が選んだ服は、フリルのワンピースやシフォンブラウスとプリーツスカートの組み合わせといった清楚なものばかりだった。どれも可愛らしいけれど、布が揺れるたびに耳の奥でノイズがざわめき、わたしは服から離れて彼女に言った。

「そんな海月みたいな服は嫌」

 冷たくあしらうわたしに、チエリさんは眉を片方だけつり上げて不機嫌そうに言ってくる。

「海月って。失礼ですわね。わたくしのセンスを馬鹿にしますの?」

「別にバカにはしてないけど……」

 胸にわだかまる気持ち悪さに、わたしは服から目をそらした。

「それでは、あなたはどれがいいと言いますの?」

「そうね」

 わたしは目の前のお店に背を向けて、向かいにあったアウトドア系のお店に入っていった。そして、目についた小さめのTシャツとホットパンツを体に当ててハルキ様に見せながら尋ねる。

「どうですか? ハルキ兄様」

 ハルキ様は、わたしをじっと見て顎に指を当てながら考えてくれる。でも、それを横からチエリさんが邪魔をした。

「ハルキさん! あんな奥ゆかしさの欠片もない格好は駄目です!」

「え? あ、ああ。そうだな」

 チエリさんに耳元で大声で言われて、ハルキ様が彼女のほうを向いて思わず頷く。

「えー、こっちのほうがハルキ兄様を近くに感じられるのにー」

「そ・れ・が、駄目なんです!」

 わたしとチエリさんの視線の間で、ハルキ様がほうけたように上を向く。でも、そこには低い天井とコンソールを乱打するキクノの姿しかなかった。

「悪い、ヒガン。頼むから今はチエリの選んだ服を着てくれ」

 困ったような表情で、ハルキ様が手を合わせながら少し疲れた様子でわたしに言ってくる。

「ハルキ兄様が、そう言うのなら」

 肩を落としながらも同意するわたしに、ハルキ様は少し安心したように笑みを浮かべてくれた。ただ、その隣でチエリさんは腰に手を当てて、得意げに無い胸を張っていた。

       ◆

「次は、ここですわね」

 チエリさんはそう言って、下着姿のマネキンが立ち並ぶランジェリーショップの前で立ち止まった。

「じゃあ、俺はここで待ってるから」

 そう言って近くの休憩スペースに向かおうとするハルキ様を、わたしはアパレルショップの紙袋を持った彼の腕ごとつかんで引き留めた。

「どこに行くんですか?」

「いや、だって……」

 わたしの問い掛けに、ハルキ様はチエリさんの方へ視線を向ける。

「そうですわね。男性の方にはご遠慮いただいたほうが……」

 チエリさんは、ハルキ様から目をそらして言った。その顔は気のせいか少し赤い。

 そんな二人に、わたしは腰に手を当てて言い聞かせる。

「何を言ってるんですか! ハルキ兄様にちゃんと確認してもらわないと意味が無いじゃないですか!」

「え? なんで? チエリでいいだろ?」

「選ぶのは百歩譲ってチエリさんでいいとして、もしハルキ兄様の好みじゃなかったら、安心して見せられないじゃないですか!」

「見せる⁉」

 大きな声で驚いたハルキ様へ、周囲を歩いていた人たちの視線が集まる。

「ああ、もう。取り敢えず中に入りますわよ」

「え? おい、ちょっと……」

 視線に耐えかねて、チエリさんがハルキ様の手を引いてお店の中へと入っていく。わたしはお店の中を見回しながら、そんな二人のあとをゆっくりとついていった。

 チエリさんはお店の奥にある試着コーナーまでハルキ様を連れて来ると、ため息をついて彼に言った。

「ハルキさんは、ここで大人しく待っていてください。さあ、ヒガンさん。行きますわよ」

 そう言って彼女は、わたしの腕をつかんで引っ張ろうとする。でも、わたしは動かなかった。

「わたしは、ここでハルキ兄様と待ってます」

 わたしの言葉に、チエリさんが苛立たしげな表情で睨み返してくる。それを真っ向から受け止めて、わたしは話を続けた。

「ハルキ兄様がいいって言ってくれれば、わたしはあなたが選んだものでも全然構わないし、それに……」

「それに?」

 聞く耳を持たないような口調で彼女は聞き返す。

「ここにハルキ兄様一人を置いていったら、可哀想だと思います」

 お店の奥にある試着室の前で緊張気味に立ち尽くすハルキ様を見上げながら、わたしは彼女に言った。

 ハルキ様の様子を窺うチエリさんの前で、わたしはハルキ様に尋ねる。

「ハルキ兄様は、わたしもチエリさんと一緒に行ったほうがいいと思いますか?」

「え? いやぁ、チエリはしっかりしてるし、別に二人で行かなくても大丈夫なんじゃ、ない、かな?」

 そう言って懐から取り出したラムネをぎこちない手つきで口に入れるハルキ様を見て、チエリさんはため息をついた。そして、「わかりましたわ」と言って一人で下着を選びに歩いて行く。

 チエリさんが十分に離れたところで、わたしは緊張した面持ちで立ち尽くすハルキ様に話しかけた。

「あの、ハルキ兄様?」

「ん? なんだ?」

 周囲を少し気にしながら聞き返してくるハルキ様に、わたしは後ろ手から下着を取り出して見せながら言う。

「実はさっき、来る途中で選んできちゃいました。今、着替えますからちょっと待っててくださいね♡」

 驚いた顔で固まるハルキ様を置いて、わたしは試着室に入ると、カーテンを締め切る前に振り返って彼に尋ねた。

「よかったら、着替えも見ます?」

「!!!」

「しーーーーーですよ?」

 大きな口を開けて何か言おうとするハルキ様に、わたしはすかさず人差し指を口に当てて静かにしてもらうと、

「冗談です♡」

 そう言ってウィンクしながらカーテンを閉めた。

       ◆

 試着室の中で、わたしはデニムパンツを脱いで黒ネクタイをほどき、ワイシャツのボタンを外していく。ボタンを外し終わると、開いたワイシャツの隙間から体温とともにハルキ様の匂いが試着室に広がる。

「ハルキ様……」

 吐息のように名前をつぶやいて、わたしはワイシャツごと体を抱きしめた。ハルキ様に包まれているようで鼓動が高鳴る。

「ど、どうかしたか?」

「はい⁉」

 思わずかけられた声に返事が裏返って自分でびっくりした。

「え? もしかして呼んでない?」

 ハルキ様の少し高い声が、カーテンの向こうから聞こえてくる。

 近づく気配にカーテンの下を見れば、隙間から彼の足が見えた。

「あ、はい。えっと……、ご、ごめんなさい!」

 飛び出そうになる心臓を押さえて、わたしはなんて言っていいかわからず、とりあえず謝った。

「え? いや、呼んでないならいいんだ。こっちこそ驚かせたみたいで悪かったな」

 そう言ってハルキ様の気配が離れていこうとする。「あ、待ってください」

 わたしはとっさに声をかけて彼を呼び止めると、服の下に来ていた水着のようなボディスーツを泡に変えて消し、自分で選んだショーツに足を通していく。そして、ブラの肩紐をかけたところでカーテン越しに声をかけた。

「あの、ハルキ兄様?」

「な、なんだ?」

「ホックを、留めてくれませんか?」

 そう言って、わたしは試着室のカーテンを開いた。

「え⁉ ホックって……。これ前、え⁉」

「早くしてください♡」

「いや、だけど……」

 無防備な胸の谷間に困惑するハルキ様を無視して、わたしはフロントホックのブラを揺らしながら胸を突き出すようにして催促する。すると、目の前にあるハルキ様の喉が大きく動いて、指がゆっくりと胸に引き寄せられるように動き出した。

 ハルキ様は無言で顔をそらしながら、それでもホックの位置を確認するためにチラチラとわたしの胸に視線を送る。

「ちゃんと、見ていいんですよ?」

 一瞬、強い視線がわたしの胸を貫いて声が出そうになる。でも、すぐに目をそらしたハルキ様が可愛らしくて、わたしは微笑みながらハルキ様の手をとって左右のホックを手渡した。

「はい。これを、しっかり留めてくださいね♡」

 ハルキ様は相変わらず顔を背けたまま、血走るような視線だけを胸の谷間に向けてくる。ホックを持った指先は震え、でも、しばらくすると意を決したように彼は大きく喉を鳴らして指先に力を込め始めた。ホックは徐々に近づいていき、一度すれ違ってからカチッという軽い音ともに互いの相手を見つけて噛み合った。

「ありがとうございます♡」

 ハルキ様の成果をしっかり見せようと、わたしは胸を張ってお礼を言う。

「……ヒガン……」

 ハルキ様は、どこか虚ろな瞳でわたしを見つめて言った。そのまま彼の体が倒れるように近づいてくる。

「あん♡」

 一歩を下がってハルキ様を試着室の中に迎え入れながら、わたしは彼を抱きとめた。耳元で聞こえる荒い息遣いにわたしの意識は縛りつけられ、身動きできない状態で彼は言う。

「もうダメだ。我慢できない」

 全身を駆け抜ける鳥肌のような快感をこらえて、わたしは優しくハルキ様に答えた。

「ハルキ兄様。わたしの体はあなたのものですから、自由にしていいんですよ?」

 腕を回して求めてくる彼に身を委ねながら、わたしも抱きしめ返そうとして腕を持ち上げていく。でも、それはあと一歩というところで止まった。

「な・に・を・し・て・い・ま・す・の⁉」

 ハルキ様の肩越しに見えるのは、黒いオーラを身にまとったチエリさんの姿だった。

「さっさと離れなさいッ!」

 強引にハルキ様をわたしから引きはがしたチエリさんは、わたしの格好を見て顔を真っ赤にしながら言ってくる。

「そんな、スケスケの下着でハルキさんを誘惑して……」

「もう、せっかくハルキ兄様が求めてくれたのに……」

 肩を落として言うわたしに、チエリさんは持ってきた下着を投げつけて言った。

「ふて腐れてないで、さっさとわたくしが選んだ下着に着替えなさい!」

 わたしは渋々カーテンを閉めると、仕方なくチエリさんの持ってきた色気のない可愛い下着に着替えることにした。

「ふう、ようやくたまってた仕事が片付いたわ」

 その声に天井付近を見上げれば、キクノが首を回しながら肩を叩いていた。そして、カーテンの下からは、

「ハッ、俺は一体、何を……」

 そうつぶやくハルキ様の声が聞こえてきた。

       ◆

 闇の中に青い光が浮かび上がる。

 光に照らされた黒いワークテーブルの上には白い乳鉢があり、その中では乳棒が円を描くように動いて白い粉をすりつぶしていた。

「何をやってるのよ?」

「キクノか」

 手を止めることなく、ハルキはそれだけを言って作業を続ける。キュッキュッという鳴き砂のような音と磁器の硬い音が時折室内に響いた。

「だから、何やってるのか訊いてるんだけど?」

 キクノの問いに、ハルキは手の動きを止めるとテーブル上から顔をそらして大きくため息をつく。そして、テーブルの引き出しから十センチ四方の薄い紙を取り出しながら答えた。

「ラムネをつくってるだけだが?」

「手動式の打錠機まで使って?」

「よくわかったな」

 感心したような声音で言いながら、ハルキはテーブルに置いてあった小さな油圧ポンプに繋がれた、万力を複雑にしたような装置を手前に引き寄せる。

「あたいは薬学部の学生だったこともあってね」

「それは、人生経験豊富なことで」

 ハルキはすりつぶした粉を薬さじで薬包紙の上に載せ、それを装置中央にある金型のくぼみへと流し入れていく。そして、油圧ポンプのハンドルを上下に動かして加圧を始めた。

「で、結局それは何なのよ?」

「だからラムネだよ。毒入りだけど」

 ハンドルを動かしながらハルキは答える。

「毒⁉ まさかヒガンを殺す気?」

「まさか。他人の生き死になんて知ったこっちゃない」

 驚くキクノにハルキは呆れたように言って、薄く自嘲の笑みを浮かべながらさらに続けた。

「これは、俺用だよ」

「俺用って……。じゃあ、自分のエロさに絶望して自殺する気なの⁉」

 キクノの言葉に、ハルキは鬱陶しそうに目を向けた。すると、そこには翡翠色の四角いコンソールの光に下から照らされた、白髪黄眼の女幽霊の姿があった。

「うおっ⁉ て、おまえなぁ、さっきからうるさいぞ。これは護身用だ。勘違いするな。すぐに使うわけじゃない」

「護身用?」

 顔を近づけて訊いてくるキクノから顔をそらして、ハルキは自分の手が止まっていたことに気づくとポンプについている圧力メーターを見た。そして圧力が足りないことを確認すると、ハンドルを再び動かしながら話し始める。

「俺は他人に人生を左右されるのが嫌なんだ。だから、死ぬときも自分の意思で死ぬことに決めてる。事件や事故で死ぬ気はない」

「だからって、そこまでしなくたっていいじゃない」

「いや、俺はあの両親の子供だからな。そこまでしないと安心できない」

「それって、どういうこと?」

 俯いて深刻そうに言うハルキにキクノは尋ねた。

「あの二人はついてないんだよ」

「不幸体質とか?」

「不幸とは違うな。まあ、既に俺が生まれる頃には億単位の借金は抱えていたし、しょっちゅう道路に飛び出した犬や猫を助けたりして交通事故に遭ってて、小学二年のときなんかは、学校から帰ってきたらリビングで二人が身ぐるみはがされてロープで縛られてて驚いたりはしたが」

「よく、それで今まで生活できたわね」

 呆れるキクノに苦笑を浮かべながら、ハルキは話を続ける。

「あの二人は、ひたすらポジティブだからな。そのせいか、運にはとことん恵まれないが縁には恵まれててな。すっかり常連になった病院の人とか助けた犬猫の飼い主とか、とにかく助けてくれる人が大勢いるのさ」

「ある意味ついてるけど、酷く疲れる話ね」

 苦笑を浮かべるキクノに、ハルキも「そうだろ?」という顔をする。

「海洋調査を始めたのも格安海外旅行の途中で船が海賊に襲われて、そこを海洋調査船に助けられたのがきっかけだったとか言ってたからな。まあ、よくも悪くも人に振り回される二人なのさ。でも、俺はそんな人生はごめんだ」

「だからって、死ぬときだけ自分の意思で決めたって……」

 キクノの言葉に、ハルキは圧力メーターを再び確認すると、ハンドルから手を離して答えた。

「当然、生き方だって自分で決めるさ。だから既に親名義だけど資産運用で年間数十億は儲けるようにしてるし、今もこうして一人暮らしを実践してるんだ」

「それはすごいわね。親のこと、恨んだりしてないの?」

 キクノの問いに、ハルキは手にした薬瓶のラベルを見ながら答える。

「前にも言ったろ? 二人には感謝してるって。運命とそれを生きる人間は別だ。運命という酷い道でも二人は楽しんでる。だから、俺も運命でどんなに酷いことが起きたとしても、それを嘆いたり、ましてや恨むことなんてするつもりはないね」

 不敵な笑みを浮かべながらハルキは自殺の準備を進めていく。それをキクノは感心するように、ただ何も言わずに見下ろしていた。

       ◆

「カブト様」

 腕に寄り添う柔らかな温もりが、薄い布越しに伝わってくる。

 血のように流れ落ちる絹のような髪を撫でながら、僕はそれに応えて彼女の名を呼んだ。

「ヒガン」

 顔を上げる彼女の首には同じく赤いチョーカーが巻かれている。僕はそれに指を触れて、そのまま彼女の喉をなで上げる。薄く開かれた彼女の口から漏れる息を逃がさないように、僕は顔を近づけて、その可愛らしい果実にかぶりついた。

 十分に互いを味わって、僕らは唇を離すと見つめ合った。

 ヒガンの紅い瞳が僕を映している。

 彼女が僕を殺してから、どれだけの時が流れたのだろう。そんなことを考えても意味は無いというのに、僕は鎖の環を数えるように彼女の髪を手のひらから滑らせていく。

「舞を見せてくれるかい?」

 僕の言葉にヒガンは「はい」とだけ小さく応えて立ち上がる。そして、クリフォトの影から出ると、彼女は光の下で鎮魂の舞を始めた。花びらのような白い布と雨のような紅い紐が柔らかに揺れては、その隙間から彼女の肢体を覗かせる。

 緑の丘に咲いた彼女の無邪気な笑顔に、僕は胸を締め付けられつつも笑顔を返した。

 本当にきれいだよ。痛いほどに。

 心から伸びた鎖が軋んで音をたて、その先に繋ぎ止めたヒガンから僕は目が離せない。彼女のすべてを僕は受け入れなければいけない。それは僕が望んだこと。僕が彼女に押しつけた身勝手な呪いなのだから。

 永い眠りを思わせる重たい枷のような意識から逃れようと、僕はヒガンを求めて手を伸ばす。でも、届かない僕の手に彼女は手を振り返すだけで、光を全身に浴びて楽しそうに舞い続ける。見えない鎖を体中に巻き付けながら、自分を傷つけるそれを自ら求めるように。

「僕は……」

 奪うことしかできないのかと、互いを縛る鎖を握りしめる。でも、僕にできるのはそこまでで、断ち切れない想いに僕は苦笑を浮かべるしかなかった。

       ◆

 僕は手を引かれて通りを走っていた。

 ヒガンの服が風に揺れて、彼女の足が地面の上でリズムよく跳ねていく。

「どこに行くんだい?」

 僕の問い掛けに彼女は走りながら振り向いて、その拍子に足をもつれさせて転びそうになる。

「おっと!」

 とっさに腕を引き寄せて、僕はヒガンを抱きかかえる。近づく彼女の顔が目を見開いて、そして桜色に染まった顔に笑みが浮かぶ。

「!」

 思わず強く抱きしめた僕に、ヒガンは一瞬だけ体をこわばらせ、それでも離さない僕に身を委ねてくれる。伝わってくる彼女の鼓動が僕を安心させる。

 いつまでもこうしていたい。

 そう思うほどに、僕と彼女の間にある微かな隙間がもどかしかった。

「カブト様」

 ため息のような呼びかけに、僕は慌てて腕の力を抜いた。すぐに謝ろうと開きかけた口を、ヒガンが人差し指で優しく押さえる。

「ありがとうございます」

 耳元で囁くように言って、彼女は再び手を引いて笑顔とともに歩き出した。

 僕を誘うように左右に揺れる紅い髪を追って、僕は彼女の後ろを行く。

「ここです」

 しばらく行くと、彼女はお好み焼き屋の前で楽しそうに振り返って言った。

 店内を見ると鉄板の上でソースが跳ねる音とともに、香ばしくてほのかに甘い匂いが漂ってくる。

「おいしそうだね」

「おいしそうじゃなくて、おいしいんですから。期待しててくださいね」

 得意そうに胸を張るヒガンの頭を僕は撫でて、「ああ」と期待を込めて言葉を返す。

 顔なじみなのか、ヒガンは店主に声をかけると奥の席へと入っていく。畳敷きの席に向かい合って座ると、ヒガンはメニューを取ろうとする僕の手に触れてきた。

「もう注文はしてありますから、ここはわたしにまかせてください」

 そう言って店主に目配せをすると、まずはヘミングウェイ・カクテルと小さなグラスに入ったビールが運ばれてきた。

「僕を酔わせて、どうしようっていうんだい?」

 僕へカクテルを勧める彼女は何も言わず、無邪気な笑顔とともに自分はビールのグラスを手にして向けてくる。僕は苦笑を浮かべながらもカクテルを手に取ると、お互いにグラスを傾けて喉を潤した。

「はい、お待ち。爆発スタミナ焼き、大盛りね」

 テーブルの上に店主がタネの入った大きめのボールを置いて言う。そして彼は、僕を見ると力強く親指を立てて「頑張れよ」という言葉を残して去っていった。

「……随分と、山芋が多いんだね」

 僕は、なぜか急に出てきた冷や汗を拭いながら感想を口にした。でも、ヒガンは嬉しそうに頬を染めて、どこか遠くを見ながらほとんど真っ白なタネをかき混ぜていた。

       ◆

「おやすみ。ヒガン」

 あんなに食べたからか、それともお酒のせいか、ベッドに横になった途端にヒガンは可愛らしい寝息をたて始めた。その傍らで、僕は少し苦しくなったお腹を気にしつつ静かにため息をついた。

 彼女はこんなにも穏やかな顔をしているのに、僕の心はざわついて落ち着かない。

 いや、べつに興奮しているわけではないけれど。多分……。

 僕は深呼吸して心を落ち着けると、再び彼女の寝顔を見つめる。

 これで、次に彼女が僕を目にするのは数日後になるだろう。そして、それは徐々に長くなって、彼女が世界と完全に溶け合うまで続く。

 僕らは死なない。けれど、そう何度自分に言い聞かせても拭いきれない可能性が脳裏をよぎる。

 悠久の終わり。存在の消滅。カイホウシンドローム。

 必要のないはずの睡眠が、彼女を僕から遠ざけていく。

 なんとかしないと。

 そう思っても、ためらいが僕をあざ笑うかのようにちらついて落ち着かない。

 中途半端なことでは意味がないんだ。騙してでも、彼女の心に深い傷を刻まなければいけない。僕と彼女の関係を壊すほどに。契約を上書きするほどに。

 これは自分が招いたこと。だから、また君を利用してしまうけれど、先延ばしにしてきた決着を今こそ果たさないと。

 そう僕は、彼女の鮮やかな紅い髪に触れながら改めて決意する。

 でも最後に一言だけ、

「……ヒガン、ごめんね」

 彼女に届かない言葉を免罪符にして、僕は部屋をあとにした。

       ◆

「別荘?」

 ハルキ様が怪訝そうな視線を向けながら、前に座るチエリさんに聞き返す。

「そうですわ。せっかくの夏休みですし、プライベートビーチで海水浴でもいかがかと思いまして」

 リビングのソファーでハルキ様の隣に座りながら、わたしはまぶたを閉じて思い浮かべる。

「ハルキ兄様と海水浴……」

 青い空の下に広がる白い砂浜。そこで楽しそうに追いかけっこをするハルキ様とわたしの様子が、まぶたの裏に鮮明に映し出される。

「素敵です! でも、わたし水着が……」

 ちらりとハルキ様を見れば、

「海水浴に興味はない」

 彼はそっぽを向いてそうつぶやいた。

「ひと夏の思い出はどうするんですか⁉」

「そうですわ!」

 二人の声に、ハルキ様は体を引いて距離をとると、

「なんだよ、急に二人して。思い出なんて、どこででもつくれるだろ? それに……」

「それに、なんですの?」

 チエリさんの問い掛けにハルキ様は少し目をさ迷わせると、目を閉じて腕を組みながら堂々と言った。

「俺は泳げん」

「「ええーーーー!」」

 わたしとチエリさんの声が揃って部屋に響く。それをハルキ様は少し顔を歪めながら黙って聞いていた。

「そういうわけだから……」

「では、ハルキさんは夏休み中、ずっとヒガンさんと二人きりでいたいと?」

 ハルキ様の言葉を遮ってチエリさんが問い掛ける。

「二人?」

 そう言ってハルキ様は上に視線を向ける。そこには空中で背泳ぎをするキクノの姿があった。

「??? どうかしましたの?」

 チエリさんもつられてハルキ様の視線を追うが、当然チエリさんには何も見えず首をかしげた。

「いや、なんでも。そうだな、それは……」

 何やら考えながら困った顔をするハルキ様に、わたしは眉をへの字に曲げて抗議の視線を向けた。

「嫌なんですか?」

「嫌というか……」

「嫌、なんですか?」

 詰め寄るわたしに、ハルキ様は目をそらしながら独り言のように答える。

「嫌ということはないが……」

「よかったぁ!」

 わたしはハルキ様に抱きついて喜んだ。

「また、あなたは! 離れなさい! まったく暑苦しい」

 そう言って、チエリさんはわざわざ立ち上がって引き離しにくる。そして見下ろしながら、わたしの手を引いて言った。

「さっさと用意しますわよ?」

「え、今からか?」

 そう聞き返したのは、ソファーで胸を撫で下ろしていたハルキ様だった。それにチエリさんはため息をつきつつも、どこか楽しげに答える。

「女性は準備に時間がかかるものなんです。明日の朝には車で迎えに来ますから、ハルキさんもそのつもりでいてください。ああ、水着はこちらで用意しますし、それ以外も大抵のものはこちらで用意できますから、どうしても必要なものだけで構いませんよ」

「じゃあ、わたしはこれでいい」

 チエリさんの言葉に、わたしは彼女の手を振り解いてハルキ様の腕を抱きしめた。

「ちょっと、ヒガンさん⁉」

 再びわたしを捕まえようとしたチエリさんから逃げるように、わたしはハルキ様の腕を引いて彼の部屋へと走り出す。後ろからはチエリさんの声が聞こえ、わたしの横では水着姿のキクノが平泳ぎをしていた。

「楽しみましょうね?」

 賑やかな雰囲気に、わたしは階段を上りながらハルキ様のほうを向いて言う。

「そう、だな」

 ぎこちなく言うハルキ様にわたしは笑顔を返して、彼の温かな手を握り直すと彼の部屋のドアを開けた。また一つ大切な思い出ができることに、わたしの胸は夏の日差しのように高鳴っていた。

       ◆

「こんな夜中になんなんだよ。明日は早いんだから寝かせてくれるか?」

 ベッドの上であぐらをかきながら、黒いナイトウェアに身を包んだハルキ様が顔をしかめて見下ろしてくる。わたしは少し大きめのピンクのナイトウェアを着て、カーペットの上から疑うような眼差しを向けて言った。

「あの、一つ訊いておきたいんですけど、その、チエリさんとは、どういう関係なんですか?」

「はあ?」

 驚くような呆れるような声を上げるハルキ様に、わたしはベッドに上がって正座をすると、詰め寄ってもう一度聞いた。

「だから、その……、ハルキ様とチエリさんの関係です。知り合ったきっかけとか、どれくらい、つき合っているのか、とか……」

「つき合ってるって……。チエリは、ただの友達だし、知り合ったのも高校に入ってからだぞ」

「本当に?」

「こんなことで、なんで嘘つくんだよ」

 面倒臭そうに言ってハルキ様は目をそらす。

「だってハルキ様、チエリさんとすごく仲が良さそうだから……」

「そうか? まあ、チエリはいい奴だし、資産運用でチエリのところの関連会社には結構世話になってるからな。仲が悪いってことはないが……」

「じゃあ、チエリさんが彼女、とかは……」

「ないない!」

 手を振って全力で否定するハルキ様に、わたしは胸を撫で下ろす。

「よかったぁ」

「何がよかったんだよ?」

「だって、もしそうだったら彼女としてのわたしの立場が……」

 その言葉にほっとしていると、ハルキ様はわたしを見下ろしながら半眼でこう言った。

「いや、彼女じゃないし。その前に、おまえ幽霊だし……」

「え?」

 彼女じゃない。彼女じゃない。彼女じゃない。彼女じゃない。

 音楽が音飛びするように同じ言葉が繰り返され、動悸とともにわたしの世界が回り出す。そして、何かが切れたように急に目の前が暗くなった。

「おい! どうした⁉ 大丈夫か⁉」

 倒れ込むわたしを抱きとめながら、ハルキ様が心配そうに声をかけてくる。それに答えられないわたしは、ただ彼の胸の温かさを感じることしかできなかった。

「ハルキ。急な話で悪いけど、今日はヒガンと一緒に寝てあげてくれない?」

「おい、こんなときに……」

 ハルキ様の言葉がそこで止まる。そして、キクノが静かに話し始めた。

「彼女の体は、この現世にとって本来は存在しないもの、つまり異物なの。人間の体と同じで、現世にも異物を排除するための機構があって、ヒガンの体は常にその機構からの攻撃にさらされてる」

 体中が熱くなって肌がピリピリと痺れ始める。

「それを抑制するためには、現世生まれの体に備わった抗体を摂取する必要があるの」

「もしかして、俺の体にやたらと触れてくるのは……」

 ハルキ様の視線を首筋に感じる。

「まあ、触れなくてもある程度は取り込めるんだけど、さすがにそれも限界みたいね」

「ほかに、方法はないのか?」

「接触摂取が一番効率がいいのよ。まあ、やらなくてもヒガンの肉体が失われるだけだから無理にとは言わないけど」

 キクノの言葉にハルキ様は何も言ってくれない。

 彼女は言わなかったけど、一度肉体が失われれば、わたしの完全な情報がダウンシステムに登録されて、二度とわたしは自分の力で実体化できなくなる。そうなれば彼の中のわたしも消されて、ハルキ様とわたしは……。

 そこまで考えて、わたしは溢れだした不安に呑み込まれた。

「嫌……。嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌……」

 思うように力の入らない腕で彼の体にしがみつきながら、わたしはもっと距離を縮めようと、その胸に顔をうずめる。

「お願い。このまま……、もう、どこにも、行か、ない、で」

 薄れていく意識の中で、頭を撫でられた感触だけがくすぐったくて、わたしは少し安心する。そしてハルキ様は、ため息をついて言った。

「ああ。わかったよ」

 それは諦めを含んだ言葉だったけれど優しくて、わたしを包み込むように背中へと回される彼の腕は、酷く心地好かった。


【第四章】

「どうして?」

 ヒガンの悲しそうな声が問い掛ける。

 僕は無言で顔をそらし、乾いた地面を見ていた。

「ねえ、何か言ってよ。どうして、急にそんな冷たいことを言うの?」

「いいから、さっさと行けよ」

 僕は感情を殺して、低い声でヒガンの問いかけを無視して言った。

 舗装されていない通りの左右には店舗が並び、人やバイク、自転車が次々と通り過ぎていく。

 彼女は何も言わず、視線に入る紅い髪が不安げに揺れるのを見ながら、僕は背を向けることもできずに立ち尽くしていた。

 早く行ってくれ。

 僕は心の中で願い、拳を握りしめる。

 ヒガンを一人で冬の海に行かせるというのは我ながら酷なことだと思うが、さらに魚を捕ってくるように言ったのは言い過ぎだったろうか。いや、そんなことはない。やり過ぎなくらいがヒガンのためなんだ。

 そう自分に言い聞かせて、僕は彼女がいなくなるのをじっと待った。

「うん。わかったけど……」

 ようやく行く気になったかと、彼女の返事に僕は微かに視線を上げる。そして、

「迎えに来てくれるよね?」

 潤んだ瞳で尋ねる彼女に思わず指先が動いて、僕は慌ててズボンのポケットに手を突っ込んだ。

「気が向いたらな。大物でも釣れれば見に行くかも」

「……うん。頑張ってみるね」

 顔を背けて精一杯突き放すように言った僕に、ヒガンは小さな声でそう言って、何度も振り返りながら離れていく。

 元気なく垂れ下がるツインテールが人波の中に消えていくのを横目で見ながら、僕は溢れ出る気持ちを無視しようとゆっくり目を閉じた。

「何やってんのさ?」

 暗闇の中、後ろから聞き覚えのある少し乱暴な女の声が耳に届く。

 張っていた虚勢から空気が抜けるように、僕は肩を落として声の主へゆっくりと振り向いた。そこには、ヒガンとは対照的に落ち着いた白髪が、猫のような好奇心に溢れた黄色い瞳を向けて僕を見ていた。

 なんで、こういうときに限って、こいつは……。

 予期せぬ親友の登場に、こらえていた気持ちがこぼれそうになる。

「おいおい、いきなり捨てられた子犬のような顔して、どうしたのさ? そうだな、取り敢えず、あそこに入って落ち着こうか」

 そう言ってキクノが指さしたのは、マーメイドという名のキクノが馴染みにしている喫茶店だった。

       ◆

 僕はキクノに手を引かれて、幻想的なステンドグラスのはめられた木枠の扉を横目に店内へと入っていく。ステンドグラスには、夜空の下で月に祈る人魚の姿が描かれていた。

 カウンターの奥でグラスを磨いていたマスターが、僕らに気づいて微笑みながら軽く頭を下げる。僕はお辞儀を返しながら、キクノに連れられて奥の少し薄暗い席に座った。そして、注文を取りに来たマスターに僕はミントコーヒーを、彼女はブラックコーヒーを注文した。

「相変わらずハーブが好きだね」

「落ち着くんですよ」

 落ち込みながら力なく僕は答える。

「いつもヒガンに振り回されてて落ち着かないってか?」

 からかうように言うキクノの言葉は、今の僕にとっては呪いのように体を縛りつけるだけだった。

「まったく、一体どうしたんだよ」

 心配してくるキクノに、僕は助けを求めるように口を開いて、

「ヒガンが……」

 それ以上は言葉が続かなかった。

 黙り込む僕の言葉を引き継ぐように、キクノが聞いてくる。

「そういえば、ヒガンはどこに行ったんだ?」

「冬の海です」

「冬の海? 夏の海じゃなくて? あんなところに何しに……」

「ちょっと、魚を捕りに……」

「あそこは飛び降りのメッカだろ? それに、あそこにいる魚って言ったら人食い巨大魚ばかりじゃないか」

 僕は「ええ」と答えて、きれいに磨かれたテーブルの上に視線を落とした。そこに映る自分の顔が余りに情けなくて、思わず苦笑が漏れる。

「本当に、どうしたんだ?」

「実は……」

 手は痺れたように震え、弱々しく声がこぼれ落ちる。

「ん?」

 短く聞き返す彼女に、僕は絞り出すように、その言葉を口にした。

「カイホウシンドロームなんです」

 拳を握りしめながら嗚咽混じりに出た僕の言葉は、キクノの息を一瞬止めた。

「誰が……」

「ヒガンが、です」

 ぼやけた視界の先で落ちた涙はテーブルの上に広がって、何もかもが歪んでいく。もしかしたら、これが本来の世界なのかもしれない。今まで目をそらしていた僕とヒガンの世界が、きしんだ音を響かせたような気がした。

「なんで……、あんなに楽しそうだったじゃないか……」

「だから、かもしれません。楽しい時間ばかりでしたから。本当に……」

「でも、ヒガンはあんたを喜ばそうと、それこそなんでも、ときにはあんたを困らせるくらい一生懸命にやってたじゃないか。無気力な様子は少しも……、それなのになんで……」

 現実を否定しようとするキクノの言葉から焦りが漂い、それは僕に虚無感を突きつけた。

「そう、ですよね」

 僕はヒガンとの生活を思い出す。

 あらゆる絶叫アトラクションを連続して体験した絶叫弾丸ツアーに、味覚の限界を探る味覚爆発フルコース。そして、捕まった瞬間にいろんな意味でヤラレるヤンデレストーカーサバイバル24。どれも、一度体験したら忘れられないデートの数々だ。

「本当にいろいろありました。それに、どれもヒガンは僕を喜ばせようと一生懸命で、本当に楽しそうでした。だから、どれも大変だったけど僕も嬉しかった。でも、いつしかそれも彼女にとっては、ただの日常になっていたんです」

「だったら、今度はあんたが……」

 そこまで言って、キクノはため息をついた。

 視線を上げれば、彼女は力なく背もたれに寄り掛かって天井を見上げていた。前髪が瞳を隠して表情はよくわからない。

「それでさっきのか……」

「はい」

 冷ややかな声とともに白髪の隙間から覗くキクノの視線が痛かった。

「僕のせい、ですから」

「そうだよ。ヒガンにはあんたしかいないっていうのに、まったく、あんたはッ!」

 そう言ってキクノは拳でテーブルを叩き、僕は体をびくつかせて少し体を引いた。そして、静まり返った店内でカウンターからの鋭い視線に気づいて目を向ければ、そこには眉を片方だけつり上げたマスターの顔があった。キクノもそれに気がついて、前のめりになって浮いた腰を椅子に落ち着けながら、ため息とともに続きを口にする。

「本当にバカだよ。あんたたちは……」

 肩を竦めて小さくなった僕を見下ろして言うキクノの言葉を、僕は、ただ聞いていることしかできなかった。

 そんな僕らのもとへマスターの足音が近づいてくる。ミントとコーヒーの爽やかで落ち着いた香りが、心にしみて少し痛かった。

       ◆

「正気か⁉ そんなトリガーを設定すれば、最悪戻って来れない場合だって……」

 暗闇の中で心配そうに言うキクノに、僕は青い光に照らされた彼女の顔を真っ直ぐに見て言う。

「大丈夫です」

「いや、でも……」

 僕らはダウンを管理する死創機関の境界管制室、その裏にある細い路地のような機械室に忍び込んでいた。キクノはそこにある機器からラインを伸ばし、自分のコンソールに繋げている。人気のない闇の中で光るのは、明滅する機器の動作表示灯とコンソールの青い光、そして僕が手にする頼りないマグライトの細い光だけだった。

 そんな中、僕の提案に渋るキクノを試すように、僕は口の端をつり上げてわざといじわるに問い掛ける。

「境界技術部主任ともあろう方が、まさかできないんですか?」

「それで挑発してるつもり? まったく似合ってないよ?」

 あっけなく冷たくあしらわれて、僕は苦笑を浮かべつつも話を続けた。諦める気はないけど、キクノの協力がなければ計画を始めることさえ難しくなってしまう。

「無理ですか?」

「無茶と言うべきだね。来るかどうかもわからない上に、来たとしても彼女がそれを望む可能性が低すぎる」

「じゃあ、トリガーの設定自体は可能なんですね?」

 頼もしい親友に、思わず笑みがこぼれそうになる。

「あんたは、本当にこういうときは容赦ないね」

 そう言って、キクノは否定することなく諦めたようにため息をついた。そんな彼女に僕も笑顔を隠さず肯定の言葉を返す。

「ええ、僕、実はドSですから」

「知ってるよ。言われたこっちが恥ずかしくなるじゃないか」

 俯いてコンソールを操作しながら、キクノが呆れたように言う。でも、なぜか最後のほうは少し口籠もるように小さな声になっていた。そんな彼女が可愛らしくて、僕は思わず調子に乗ってしまう。

「そうでした。キクノはドエ……」

「あたいは、いたってノーマルだ!」

 足を思い切り踏まれながら、それでも僕はなんとか悲鳴を上げずにこらえて、涙目になりながらも口を開いた。

「まあ、それに……」

「集中したいから、もう黙っててくれないか?」

 キクノに言われて自分でもおしゃべりだなと思いながら、その原因に気づいて僕はため息を大きく吐き出す。そして、周囲で黙々と動き続けるダウンの箱を眺めて息を吸うと、僕はキクノというより自分に言い聞かせるように、はっきりと自分の想いを口にした。

「僕はヒガンを信じてますから」

 コンソールの上で踊るように動いていたキクノの指が止まる。そして、彼女は僕を見てつまらなそうに言った。

「ほら、準備ができたよ」

「さすがキクノ。仕事が早い」

 目の前に開いたゲートを見て僕は親友を褒めると、さっそく死のある世界へと一歩を踏み出した。

「本当にいいんだね?」

「はい。もう決めたことですから」

 背後から投げかけられた質問に、僕は振り向くことなく迷わず答える。

 ゲートをくぐり、そこで僕は彼女に感謝の言葉を残すことにした。きっと向こうでも迷惑をかけてしまうだろうし、向こうで僕は何も知らないから。だから、悔いのないように……。

「キクノ、ありがとう」

「バカか。礼は帰ってきてから聞かせてもらうよ。しっかり二人からね」

 つれないキクノの言葉を最後に、僕の意識は落ちていった。

       ◆

 玄関を出れば、早朝の涼しい空気とハルキ様の腕の温かさが心地好くて、わたしは静かな時間に耳を澄ませるように目を閉じた。わたしとハルキ様の鼓動が同期して、穏やかな時を刻んでいる。少し前のめりにも聞こえる心のリズムは楽しげで、わたしはもっとよく聞こうと彼の体に寄り掛かった。

「ヒガンさん! 朝から何をしていますの⁉」

 鴉のような声に目を向ければ、黒塗りのリムジンの前でチエリさんが仁王立ちで指をわたしに突きつけている。そして、その隣ではワタラギさんが落ち着いた雰囲気で会釈をしていた。

 わたしはワタラギさんに会釈を返し、真横を魚雷のように老執事へ突き進もうとするキクノの足首を、髪のように伸ばした幽体でつかんで固定した。

「あたいの朝一老執事がぁ……」

「朝からうるさい」

 必死に手を伸ばすキクノを叱ると、わたしは再びハルキ様の温もりを味わおうと目を閉じかけて、

「なんですって⁉」

 チエリさんの怒鳴り声に不機嫌になった。でも、わたしの気持ちを無視して、彼女は力強い足音とともに近づいてくる。そして、わたしの手を乱暴につかむとリムジンへ引っ張っていく。

「痛いって。なにするのよ?」

「文句など許しませんわ。さっさと行きますわよ!」

 後ろを見れば大きなあくびをしたハルキ様が、目をこすりながら歩いてくる。

「ハルキさん。そのくまどうなさったの?」

 わたしの手を引きながらハルキの顔を見て、チエリさんが足を止めて尋ねた。

「ん? なんかまったく眠れなくてな」

「遠足前の小学生みたいですわね」

 少し楽しげに言うチエリさんに、わたしは昨夜のことを思い出して頬が緩みそうになる。それを隠すように俯いて、わたしは上目遣いでハルキ様に謝った。

「昨日はごめんなさい♡」

「どういうことですの?」

 一転して厳しい目つきになったチエリさんが、わたしとハルキ様を交互に見て訊いてくる。わたしは無言でそっぽを向き、彼は額を抑えて面倒臭そうに言った。

「ああ、もう余計なことを言うな。俺は眠すぎて限界だから、着いたら起こしてくれ」

 ハルキ様はふらふらと力なくリムジンへと近づくと、ワタラギさんによって優雅に開けられた後部座席のドアをくぐる。そして、倒れるようにリムジンへと吸い込まれていった。

 慌ててわたしも後部座席へ乗り込むと、そこは十人は余裕で座れるような広い空間があって、その端に彼は寝転んでいた。わたしは横たわるハルキ様の隣に座ると、彼の頭を自分の膝の上に載せる。

「ちょっとヒガンさん⁉」

 乗り込みながら声を上げるチエリさんに、わたしは「静かに」と右手の人差し指を自分の唇に当てた。膝の上に視線をやれば、そこには静かな寝息をたてるハルキ様の寝顔があった。

 チエリさんは気持ちよさそうに眠るハルキ様を見てため息をつくと、彼の頭を撫でるわたしを睨みながら彼を挟むような形で座席に着く。そして、ふてくされたように顔を背けると運転席へと指示を出した。

「ワタラギ、出してちょうだい」

「はい。お嬢様」

 ワタラギさんが頷いてそう言うと、車はハルキ様に気を遣ってか音もなくゆっくりと動き始める。そして窓の外では、わたしの幽体に繋がれたキクノが風船のように揺れながら、その後をついてきていた。

       ◆

「ハルキ兄様、着きましたよ」

 彼の肩を揺らしながら、わたしはその耳元に声をかける。

「ん? もう着いたのか?」

 重たそうなまぶたを開けながら、ハルキ様が起きようとしてわたしの太ももに手を触れた。

「ん? これは……」

 しばらくわたしの太ももの上をさわさわとハルキ様の手が動き、わたしは触れられていることが嬉しくて笑みを浮かべた。するとハルキ様は動きを止めて、頬を赤くしながらはっきりと目を見開いてわたしを見る。

「うわわわっ!」

「あ、ハルキ兄様、危ないっ!」

 急に飛び起きて立ち上がろうとする彼に注意するけど、

「ぐえッ!」

 彼は九十度に曲がった首を押さえてしゃがみ込んだ。

「何をやっていますの⁉」

「……いや、なんでも、ない」

 音に驚いて先にリムジンを降りていたチエリさんが車内をのぞいてきて、それにハルキ様は首と頭を押さえながら答えると、しゃがんだまま変な体勢で外へと出て行く。わたしも続いて車を降りると、そこには潮騒をBGMに絵画のような風景が広がっていた。

「わあー、きれい」

 まず目に入ったのは、小高い丘の上にある大きな二階建ての屋敷だった。屋敷はロッジ風で、そこへ続く道や周囲には整然と松林が広がっている。どちらも見るからに立派で、とても手入れが行き届いているようだった。そして、夕焼けに染まる屋敷の反対側へと目をやれば、そこには琥珀をちりばめたような海と、夕日のクリームをそこへ流したような金色の道が伸びていた。

「わたくしのプライベートビーチなのですから、美しくて当然ですわ。ねえ、ハルキさんも、そう思うでしょ?」

「ああ、きれいだな」

 首を押さえながら、ハルキ様が素直に感想を口にする。

 海とは対照的に、砂浜から松林にかけては静かな闇が広がり、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。そんな美しい風景を三人でしばらく眺めていると、遠くから忘れていた声が飛んでくる。

「ワタラギ様ぁ!」

 キクノの声にわたしは自分から伸びた幽体を思いっきり引っ張った。

「そんぬわぁあああ!」

 夕日へ叫んで飛んでいくキクノを見送ると、わたしは周囲を見回してワタラギさんを探した。するとリムジンのそばで立っていた老執事は、キクノの飛んでいった方向を静かに見つめている。

「あの、ワタラギさん?」

 わたしの視線に気づくと、ワタラギさんはすぐにチエリさんのほうを向いて彼女に話しかけた。

「あの、お嬢様、私めは夕食の準備がございますので、少し失礼させていただきます」

「ええ。わかりましたわ」

 急に話しかけられたチエリさんは、少し驚いた様子でワタラギさんに返事をする。そして、ワタラギさんはリムジンで来た道を引き返して行った。

「少し冷えてきたし、俺たちもそろそろ屋敷に行かないか?」

 リムジンの音が消えて波の音が戻ってくると、横にいたハルキ様が私たちを見て言った。

「そうですね」

「そうですわね」

 チエリさんとともにハルキ様に答えながら、わたしは何か少し引っかかるものを感じていた。でもハルキ様の足音が聞こえて、わたしはすぐにそちらへと頭を切り換える。気がつけばチエリさんも彼を追って歩き出していた。そして、わたしたちは三人で屋敷へと続く砂の道を進んでいく。

 後ろのことなどお構いなしに、自分のペースでさっさと前を歩いていくハルキ様を追おうとすると、そんなわたしの腕を、横から華奢な手がつかんで引き留めた。

「ヒガンさん。昨日、ハルキさんと何かありましたの?」

「昨日?」

 離れていくハルキ様を気にしながら、それでもチエリさんの真剣な眼差しにわたしは顔をそらせなかった。焦る気持ちが口を動かし、勝手に言葉となって出ていく。

「昨日は、ハルキ兄様と一晩中一緒でした」

「ひ、一晩中⁉」

 驚くチエリさんを振り解いて、わたしはハルキ様の後を追う。走って飛び散る砂の音にハルキ様が振り向いて、わたしは彼の腕にしがみついた。

「お、おい」

「もう、わたしを置いて、どこに行くんですか?」

 戸惑うハルキ様に、わたしは彼の温もりを確かめながら少し頬を膨らませて言う。

「どこって……」

「ハ、ハルキさん⁉ あなたという方は……」

 そして、追いかけてきたチエリさんが声を荒げて力強く砂地を踏みしめながら、ハルキ様をビシッと指さして言った。

「男性はオオカミだと聞いたことがありますが、ほ、本当だったのですね!」

「は?」

 首をかしげるハルキ様に、チエリさんはさらに一歩を踏み出して真っ赤な顔で言う。

「ヒガンさんと、い、いち、一夜をともにするなんて⁉」

「そ、それは……、チエリに関係ないだろ?」

「まあ! 認めますのね! 関係ないことではありませんわ!」

「な、なんでだよ?」

「そ、それは……」

 ハルキ様とわたしを交互に見て、チエリさんは視線を泳がせると口籠もる。でも、すぐにハルキ様を真っ直ぐに見つめ直すと答えを彼にぶつけた。

「わたくしの別荘では、だ、男女同室が禁止だからです!」

「いや、俺は最初から一人で寝るつもりだが……」

「えー、わたしはハルキ兄様とがいいです」

 わたしはそう言うと、彼女に見せつけるように自分の胸をハルキ様の腕に押しつける。

 でも、チエリさんは真っ赤な顔で少し頭をふらつかせながら、わたしとハルキ様の話などお構いなしに一つの提案を口にした。

「し、仕方ありませんね。そ、それでは、さ、三人一緒で寝ることにしましょう」

「おい! なんでそうなる。それに男女同室は禁止なんだろ?」

「ヒ、ヒガンさんを餓えたオオカミから守るためですわ。か、彼女を守りつつオオカミも監視できて、い、一石二鳥。なんて素晴らしい考えなのかしら」

 そう言って、壊れたおもちゃのように笑うチエリさんにハルキ様が疑問を投げかける。

「自分で言うのもなんだが、それって一石二鳥と言うより一狼二兎じゃないか?」

 するとチエリさんは自分の体を守るように抱きしめて一歩を下がると、ハルキ様を上目遣いで睨みながら言った。

「わ、わたくしも襲うつもりですの⁉ それは、あの、(嬉しいというか、願ったり叶ったりというか)……」

 後半は声が小さすぎて余り聞こえなかったけど、体をもじもじとさせる彼女を見れば大体内容は想像できる。そんな彼女を見て思わずクスリと笑ったわたしに気づいて、チエリさんは慌てて強引に話を戻した。

「と、とにかく! わたくしの別荘では、わ、わたくしがルールですわ。文句は一切受け付けませんから!」

 そんな彼女に、ハルキ様はため息とともにお手上げのポーズで答える。

「別に文句じゃなかったんだが……。もう、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

 そう言って、ハルキ様は再び丘の上の屋敷へと歩き出す。そして、わたしも彼の腕にぶら下がりながら歩き出した。ちらりとチエリさんの様子を窺えば、彼女は胸を押さえて吐息をついていたけど、その胸に当てられた手はガッツポーズのようにぎゅっと強く握られていた。

 視線を丘の上に戻すと、屋敷にはいつの間にか温かな明かりがついていて、潮の匂いに混じってデミグラスソースとお肉の焼けるおいしそうな匂いが流れてきていた。

       ◆

「ヒガンさん、起きていますか?」

「なんですか?」

 吹き抜けの天井を見上げながら、わたしはチエリさんに答える。大きく開いた天窓からは幾つもの星が瞬き、見えない月も二階の窓から深海を照らすサーチライトのように明かりだけを一階へと伸ばして、その存在を主張していた。

「ヒガンさんはハルキさんのこと、どう思っていますの?」

 わたしは仰向けのまま、静かな寝息をたてるハルキ様の横顔を見た。わたしとチエリさんは彼を挟んで、川の字のように一階のリビングで寝ている。小さな川を照らす月明かりに太陽のような熱はなく、静まり返った周囲の闇と相まって、少し冷たい雰囲気が隣の温もりを意識させた。

 わたしは、視線の先にある彼にかつての面影を重ねながら答える。

「好き、です」

 自然とこぼれ落ちた言葉に、わたしの心が揺れて波紋が広がる。

「一体、こんなオオカミのどこがいいのかしら?」

 ハルキ様の体の向こうから、チエリさんのすねるような呆れる声が聞こえる。わたしは震える心を抑えるように胸に手を当てて、彼女の疑問に答えた。

「優しいじゃないですか」

「そんなこと当たり前ですわ。ハルキさんは騎士ナイトですから」

「騎士?」

 わたしの疑問にチエリさんは、自分のことを自慢するように話し始める。

「そうですわ。ハルキさんは優しいだけではなく強い方です。自分で立って生きる術を既に身に付けている。わたくしがお手伝いしなくても、十分にお父様と対等に渡り合える方ですもの」

 最後はどこか寂しそうで、それはイグノアに置き去りにされたわたしと同じような気がした。

「ほかにはありませんの? もっと、自分にだけというような……」

 じれったさを我慢するように、彼女は再び訊いてくる。

 わたしは、向こうの世界に想いを馳せながら口を開いた。

「ハルキ兄様は、こんなわたしを受け入れてくれますから」

「そうかしら。わたくしには嫌がっているように見えますけど?」

 ハルキ様の態度を思い浮かべて、自分でも苦笑が漏れる。

「そうですね。でも、好きなんです」

 胸一杯に膨らむ想いが苦しくて、わたしは心に巻き付いた鎖のようだと思った。

「……契約、ですから」

「何かおっしゃいました?」

 わたしの小さな呟きにチエリさんは聞き返す。でも、わたしはカブト様との秘密を再び胸にしまい込んで別の言葉を返した。

「あの、チエリさんも好きなんですよね? ハルキ兄様のこと」

「はあ! いきなり、あなた何を言っていますの⁉」

「しーっ」

 予想以上の反応に、わたしは思わず上半身を起こしてチエリさんに注意する。

 目を見開いてこっちを見る彼女とわたしは、視線を合わせると、ゆっくりと同時に下へと目を向けた。そこには、変わらずに穏やかなテンポで繰り返される寝息と好きな人の寝顔があって、わたしとチエリさんは一緒に胸を撫で下ろした。

 するとそのとき、ハルキ様が寝返りを打ってチエリさんのほうを向いた。

「……チエリ、ありがとう……」

 突然聞こえたハルキ様の言葉に、わたしたちの息が止まる。でも、彼は毛布を抱き寄せると再び寝息をたて始め、そのことに安堵の息を漏らしながら、わたしはチエリさんに目を向けた。彼女の顔は桜のようにほんのりと染まり、その視線はハルキ様に向けられている。でも、わたしの視線に気づくと、

「こ、こんな独りオオカミ、好きになるわけありませんわ」

 そう言って背を向け、毛布を頭から被ってしまった。

「さっさと寝ますわよ」

 毛布から聞こえるくぐもった声に「そうですね」と答えて、わたしも毛布にくるまった。目の前にはハルキ様の大きな背中がある。でも今のわたしには、なぜか触れることができなかった。

       ◆

「ふーん。カブトが行方不明ねぇ」

 あたいはオープンカフェでブラックのコーヒーを飲みながら、ヒガンの話を普段のように聞いていた。目の前にいる彼女は、クリームソーダのグラスに手をつけることなく俯いている。

 グラスの中では、緑のソーダ水の中を幾つもの泡が昇って、あるものは水面に浮かんだ雪玉のようなアイスにぶつかり、あるものはそのまま水面へと上がっていく。でも、結局はどれも弾けて消えていくだけだった。

 あたいも、いつかは消えてしまうのかな。

 死の恐怖を何度味わっても、無数の人生を体験しても、結局最後はやってきて、すべてを無意味なものにしてしまうのだろうか。

 そんなことを考えていると、小さく息を吸う音が聞こえて、あたいはヒガンのほうへと視線を戻した。

「キクノは最近、カブト様を見なかった?」

「あたいは……」

 そこまで言って少し考える。予定どおりのことだし答えも用意してあるから問題はないのに、喉がつかえたように言葉が出なかった。

 嘘は苦手なんだよね。

 心の中で苦笑して、でも覚悟を決めると、あたいは普段どおりの口調で用意していた台詞を口にする。

「そういえば見てないね」

「……そう」

 肩を落として落胆するヒガンに、あたいは話を続ける。

「ただ、仕事中に小耳に挟んだんだけど、カブトの奴、落ちたみたいだよ?」

 その瞬間、ヒガンは目を見開いて驚きの表情を浮かべたまま固まった。そうなることはわかっていたけど、やっぱり目の前で実際に見るときついものがある。

「それ……、ほんと?」

 微かに唇を振るわせながら、ヒガンがつぶやくように訊いてくる。彼女の雰囲気に呑まれないように、あたいは努めて平静に話を続けた。

「ああ。珍しくループ設定を使う奴が現れたって、部内でちょっとした噂になっててね」

 ヒガンは無言で俯くと、目の前にあったグラスを両手でつかんだ。アイスは溶け始めていて、きれいだったソーダの緑がゆっくりと白く濁っていく。

「……愛想、尽かされちゃったのかな?」

 その冷たい声は、まるでグラスごとソーダを凍らせそうなほどに思えた。

「なんでそうなるんだよ。そんなわけないでしょ?」

「キクノに何がわかるのよ!」

 目尻に涙を浮かべてテーブルを叩きながら、ヒガンが立ち上がって背を向けた。

 彼女の叫びが胸に突き刺さって、痛みと震えがあたいの心を揺さぶる。

 本当に、こういうのは苦手だ。

 背中を嫌な汗が流れて喉が渇き、あたいはすっかり冷めたコーヒーを一気に飲み干した。

 酸味と苦味、そして僅かに残った芳ばしい香りが、少しは気分を落ち着かせてくれる。

「何かあったの?」

 背を向けたまま無言で佇むヒガンに、あたいは答えのわかりきった質問をした。彼女を一人で行かせるわけにはいかない。

「…………」

 ヒガンは振り向いて、今にも泣き崩れそうな顔で睨みつけながら、それでも無言であたいを見下ろした。あたいも、そんな彼女を真っ直ぐに見上げる。

 彼女の小さな唇は痛いほどに噛み締められていて、見ているだけで胸がキュッと締め付けられた。

 そんな彼女の唇が動いて言った。

「行く」

「どこに?」

「ダウンに」

 つばぜり合いのようなやりとりのあと、あたいは一呼吸を置いて、話の流れを意識しながら先を続けた。

「普通に落ちたら、記憶を封印されて自分さえも見失うんだよ。そんな状態でどうやってカブトを連れ戻すのさ? それに、そんなことしたら最悪、あのときみたいに……」

 みるみるうちにヒガンの唇が真っ青になっていく。彼女は自分の体を抱きしめて、俯き震えながら吐き出すように言った。

「じゃあ、どうすればいいっていうの?」

 ポロポロとこぼれ落ちる涙に、あたいは心の内で謝りながらも胸を張って言った。

「こういうときは友達を頼るもんさ。大丈夫、あたいに任せときな!」

 見上げるヒガンに向かって、あたいは自分の胸を力強く叩いてみせる。

 自分のできることをやるしかないんだ。結果がどんなに辛くても、それが未来に続くのなら意味のあることなんだから。

       ◆

「それで、どうするの?」

 薄暗い階段を降りながら尋ねてくるヒガンに、あたいは何も答えず前を行く。

 ここは自分の家にある隠し通路。イグノアとダウンの境界システムを預かる技術部の主任としては、予期せぬトラブルに対応するため、いろいろと日々研究しなければいけないことがある。そのための施設がこの先にあった。そう、決して趣味や遊びではない。研究のための施設だ。だから、大丈夫。他人に見せて恥ずかしいことなどなにもない。

 そう自分に言い聞かせてドアの前で立ち止まると、あたいは後ろのヒガンに念を押しておこうと振り向いた。

「ヒガン、ここから先はいろいろと守秘義務があるから、置いてある物に勝手に触れたりしないでね。それから、ここで見聞きしたことは他言無用でお願い。もし破ったら……」

「破ったら?」

 意外と気楽な声で聞き返してくる彼女に、あたいはその顔をのぞき込むようにして声を低くして言った。

「取り敢えず、あんたの記憶を消すから」

「ひ……」

「ひ?」

 口をへの字にして見下ろしてくるヒガンの瞳が潤んでいる。

 あ、言い過ぎた?

 そう思った直後、予想どおりの反応がやって来た。

「酷い! 鬼畜! 外道! ドM! うわぁああぁあああん!」

「ああ、うそうそっ! 冗談だから! そんなことしないから! て、ドMは関係ないでしょ⁉」

 目の前で滝のように涙を流すヒガンの肩をつかんで、あたいは少し混乱しつつも慌ててなだめすかした。

「ほんと? カブト様のこと、忘れたりしない?」

 涙を両手で拭いながら見下ろしてくるヒガンに、あたいは肩を落として大きなため息をつく。

「ほんとに、あんたはこんなときでもカブトかい。安心しな、そんなことはしないよ。でも守秘義務があるのも本当だから、外で余計なことは言わないこと。それが守れないと協力はできない。わかった?」

「うん。わかった」

 はなをすすりながらも落ち着き始めた彼女にほっとしながら、あたいはカブトの顔を思い浮かべていた。

 あいつ、戻ってきたら絶対にこの付けは払わせるから覚悟しときなさいよ。

「キクノ、どうしたの?」

「ううん、なんでも」

 決意の拳を握りしめたあたいをのぞき込むヒガンにそう言って、あたいは目の前の扉に手をかけた。

「じゃあ、いくよ」

 頷くヒガンの前で、重い扉がゆっくりと開いていく。

「ようこそ。あたいの研究室へ」

       ◆

 床を這う幾つものコードを軽くよけながら、あたいは部屋の奥にあるメインコンソールへと向かった。

「キクノ。これ、どこ歩けばいいのよー」

「少しくらい踏んでも大丈夫だから気にせず入ってきて」

 入り口のほうから聞こえてくるヒガンの声に、あたいは椅子に腰掛けてメインコンソールのパワーを入れながら答える。そして、コンソールが起動するとバックゲートの準備に取り掛かった。

 後ろからは「わわっ」とか「きゃっ」とか聞こえてきて、無事にここまで辿り着けるのか少し心配になる。

「あ、コードは踏んでもいいけど転ばないように気をつけ……」

 気になって注意をしつつ振り向いてみれば、そこには太いコードの上に、今にもかかとから足を着こうとするヒガンの姿があった。

「きゃっ!」

 止めるまもなく、コードは転がりヒガンの片足は見事に宙へと振り上げられる。そして、バランスをとろうとした彼女の手が、よりにもよって室内環境コンソールの上を撫でた。

 まずい!

 そう思ったときには室内が暗くなり、人影がぼんやりと浮かび上がる。それは次第に輪郭を持ってタキシード姿の老執事の姿になった。同時に部屋にあった機材やコードは姿を消し、代わりに部屋中が白い大理石で覆われる。そして、壁に空いた大きな開口部から外を見れば、そこには温かな日差しと手入れの行き届いた庭園が広がっていた。

「いったーい」

 鏡のような床にお尻を打ちつけたヒガンが顔をしかめていると、その眼前に薄手の白い手袋をはめた手が優雅に差し出される。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

「え? な、何?」

 周囲の変わりように驚きながらも、ヒガンは思わずその白い手に自分の手を重ねた。すると、老執事はその手を優しく握り、軽い動きでヒガンを立ち上がらせる。

「あ、ありがとうございます」

 お礼を言うヒガンに、老執事は嬉しそうに温かい瞳で微笑みかける。それを見て、やっぱり老執事最高!と思いつつ、あたいはふと我に返った。

「もう、勝手に触れないでって言ったでしょ!」

 あたいは急いでコンソールまでダッシュすると、室内環境を休憩モードから研究モードに戻す。

「余り、ご無理はなさらないでくださいね」

 老執事はそう言って、あたいとヒガンに純真無垢な少年のような瞳を向けてくる。そして、慈愛溢れる笑みとともに彼は深く頭を下げながら消えていった。

「あのぉ、キクノさん?」

 ヒガンが嫌らしい笑みをこちらに向けるより早く、あたいはとっさに彼女の視線を避けて背を向ける。

 バレた。あたいの秘密の花園が。今まで秘密にしてたのに……。

 顔から火が出そうで言い訳する言葉も見つからず、おぼつかない足取りでコードに何度か躓きながらも、あたいはなんとか席に戻ると気を取り直して言った。

「さ、さっさと始めるよ!」

 コンソールのディスプレイを見ながら言うと、後ろでクスッと小さな笑い声が聞こえて耳まで熱くなる。

「だらだらしないッ!」

「はーい」

 楽しそうな返事がいまいましいけど、あたいは無視してさっさと準備を進めることにした。

 隣に来たヒガンに椅子を用意して勧めると、彼女は満面の笑みを向けてくる。それにあたいは半眼で睨み返す。それでも平然と笑みを浮かべたままの彼女に嘆息して、あたいはコンソールを操作しながら説明も兼ねて話を始める。

「まずはカブトの居場所を絞り込みますか」

「カブト様の場所がわかるの?」

 一転して真面目な口調で訊いてくるヒガンに内心で苦笑を浮かべながら、あたいも普段の調子で話を続ける。

「うーん。さすがに現在地までは無理かな。ダイブ履歴から年代と空間くらいはわかるけど」

「それでもすごいよ。あとは、わたしの愛の力にまかせて!」

「あんたはバカか」

 軽くヒガンの額を叩いて、あたいは大げさにため息をついた。

「痛いよー」

 額に手を当てて膨れる彼女の前に、あたいは人差し指を立てながら、ゆっくりと言い聞かせる。

「あのね、もうカブトが落ちてから大分時間が経ってるんだよ? あたいの腕を持ってしても特定できる空間っていうのは、そうだな、少なくても町数個分までだし、既に何回かループしてる可能性だってある。そうなればループした回数に比例して年代や空間にも誤差が生じるから、その愛の力とやらがどんなにすごくても、それだけでカブトを見つけるってのは、無数に発生するソーダの泡から二重の泡を消える前に見つけるようなもんなの」

「ふーん。そうなんだ」

 よくわかっていないヒガンに、「あんたのは愛じゃなくて恋だよ」と心の中でつぶやいて、あたいは話を続ける。

「それに想力は使えるけど、ダウンには防衛機構があるからね」

「防衛機構?」

「そう。ダウンが自身の世界を守るための機能だよ。アウラウネの歌声とかって呼ぶ輩もいるけど。異常な想力を感知するとそいつが働いて、力と使用者をダウンから排除しようとするんだ」

「排除って、もしかして殺されるとか?」

「幽体は殺せないよ」

「そうだよね。じゃあ、どうなるの?」

 ヒガンの質問に、あたいは意味ありげな笑みを浮かべて答える。

「昇天させるのさ」

「……昇・天?」

「前に試しでつくった防衛機構のイミテーションがあるから体験させてあげるよ」

 そう言って、あたいは笑いをこらえながらコンソールを操作した。するとヒガンの周りに透明なシールドが現れた。

「え、何⁉」

 慌てる彼女に構わず、あたいは防衛機構の想力排除シークエンスを実行する。

「いってらっしゃーい」

「なになに? ひゃう!」

 直後、ヒガンが可愛らしい声を上げて椅子から少し飛び跳ねた。

「な、なに⁉ 何したの⁉」

 驚く彼女を目の前で観察しながら、あたいはシークエンスの排除強度を上げていく。

「ひっ、や、やぁ、なにこれ。あん♡ ちょっと? ひゃう! いやぁん♡ やめ、ひぁうっ!」

 椅子の上で体を抱えて小さく飛び跳ねていたヒガンは、徐々に体をのけぞらせ、さらには腰を跳ねさせて悶え始める。

「だめ。これ、イク♡ イッちゃう、からぁ♡ やめ、ひゃう♡ おねが、ひィッ!」

 これくらいにしておいてあげるか。

 あたいはシークエンスを終了すると、荒い息をついてぐったりとするヒガンを見下ろした。すっかり力の抜けた上半身とは対照的に、彼女の腰は時折ビクッビクッと別の生き物のように痙攣している。

 なんか、自分のときよりエロいな。

 少し顔が熱くなるのを自覚しながら、あたいはヒガンの様子を見つつ努めて平静に説明を続けた。

「そんな感じで、想力は派手に使えない。それに、これ以外にもダウンを監視している対策室の連中に見つかってもいけないし、そうなると結構地道に、下手したら何百年も探すことになるかもしれないけど、それでも行く?」

「と、当然です」

 微かに痙攣の残る体で荒い息をつきながらも、彼女は真っ直ぐな視線で言ってくる。

 ほんと、想う力はすごいね。

 あたいは絞り込んだダウンの時空間座標にバックゲートを接続すると、呼吸の落ち着き始めたヒガンを見て立ち上がった。

「いい? 落ちたら、まずはカブトを探す。次に、ループを止めるためのデッドトリガーを調べる。そこから先はトリガーの内容によるから、出たとこ勝負で行きましょ」

「うん。わかった」

 ヒガンを椅子から立たせて、あたいは膝の震える彼女を支えた。そして、設定の完了したコンソールを閉じると、彼女とともにゲートへと向かう。

「え? キクノ? どこ行くの?」

「どこって、ダウンに決まってるでしょ?」

「もしかして、今から?」

 当たり前のことを聞くヒガンに、あたいは大きく落胆のため息をついた。

「さっき説明したでしょ? ループするほど誤差が大きくなるって。説明も済んだし設定も終わったんだから、さっさと行かないと」

「いや、わたし、今、体がうまく動かないんだけど……」

「そんなの大丈夫よ。向こうに着くまでには直るから。それとも、まさか心の準備ができてないとか言うんじゃないでしょうね?」

「そう、じゃないけど……」

 そうこう言っている内に、あたいたちはバックゲートの前にやってくる。

「じゃあ問題なし。レッツ・ゴー・ダウン!」

「そんなぁああああぁああぁあああぁ!」

 そして、あたいとヒガンはバックゲートからカブトの待つ世界へと落ちていった。

       ◆

 その日、わたしは眩しい日差しに呼ばれるようにして目を覚ました。少し湿り気のあるひんやりとした空気が首元を流れ過ぎていく。

 目の前にはハルキ様の横顔があって、静かな寝息をたてている。でも、その向こうにもう一人の気配はなかった。

 隣の彼を起こさないように静かに体を起こして見てみれば、彼女がいた場所には、日差しを反射するきれいな床があるだけ。

 遠くからは朝食の準備をしているのか、包丁などの調理器具が奏でる朝の音が聞こえ、そして微かな潮風に乗って、玄関のほうからは桜を思わせる彼女の残り香が、わたしを誘うように流れてきていた。

 早朝の散歩か。気持ちよさそうね。

 そして、わたしはゆっくり伸びをすると、取り敢えずシャワーを浴びることにした。

       ◆

「うーん。気持ちいー」

 服を着替えて外に出ると、少し高くなった日差しが温かく出迎えてくれる。

 半袖のTシャツは少し大きめで、裾から入る風が気持ちいい。それにデニムのショートパンツも、ぴったりフィットしてるのに動きやすくて思わず走り出したくなる。ただ、わたしは足を締め付けるような黒のオーバーニーを見て、その気持ちをぐっとこらえた。

 ほんとは生足のほうがいいんだけど。

 今から会いに行く相手を思い浮かべて、わたしは短く息を吐いて気持ちを切り替える。

 ここは、年長者の余裕を見せることにしましょ。

 海岸へと続く道を歩きながら海のほうへと視線を向ければ、海岸線の上に昇った太陽が海をきらきらと輝かせ、水平線はどこまでも続いて世界の広さを感じさせる。

 ここも一つの世界なんだよね。

 いろんな人が生きて、そして、死んでいく。

 その人生がどんなものであっても、イグノアへと戻ってしまえば、それはただの経験になってしまう。そして、それが静かな終わりから逃れるためであっても、誰かを殺すのは、やっぱりわたしには耐えられない。

 どうすればいいの?

 彼の顔を思い浮かべて屋敷のほうへと視線を向ける。でも、わたしの耳に届いたのは波のさざめきと海鳥の鳴き声だけだった。

 海岸に着くと、潮風に揺らめく白いワンピースが目に留まる。彼女は少し大きめの麦わら帽子を目深にかぶって、波打ち際をのんびりと歩いていた。

 落ち着いた波の音を聞きながら、わたしは彼女に声をかける。

「チエリさん、おはよ」

 わたしの声に彼女は振り向いて、柔らかな笑みを浮かべる。いたずらな風が少し強めに吹いてワンピースが彼女の体を優しく抱きしめ、そのきれいなシルエットを浮かび上がらせた。

 麦わら帽子とワンピースの裾を手で押さえる彼女に近づいて、わたしは話しかける。

「気持ちのいい風ですね」

「ええ、そうですわね。でも、少し冷たいかも」

 そう言う彼女は、どこか寂しそうに水平線の向こうを見ていた。

「あの、ちょっと訊いてもいいですか?」

「なんですの?」

 彼女は少し困ったような微妙な笑みを浮かべて、わたしを見た。でも、わたしは気にせず質問を口にする。

「チエリさんは、ハルキ兄様といつ頃からのお付き合いなんですか?」

「ハ、ハルキさんとのお付き合い⁉」

 少し裏返りかけた声をとっさに抑えた彼女に、わたしはのぞき込むようにして念のために言った。

「恋人の意味じゃないですよ?」

「わ、わかっていますわ!」

 慌てて否定して彼女はわたしから視線をそらすと、一つ咳払いをして話し始めた。

「そうですわね。ハルキさんと初めて出会ったのは中学校に通い始めの頃、資産家の方々を招いたお父様のパーティでのことでしたわ」

 水平線よりもどこか遠くを見つめる彼女の口調は、徐々に穏やかなものになっていく。

「パーティーに来る大人と言えば、誰もが分厚い仮面のような愛想笑いを浮かべていて、正直なところ、わたくしは少し不気味に感じていましたの。でも、その日はそんな人たちに混じって、よれよれのスーツを着た無精ひげの男性がいて、そのいかにも人のよさそうな方は、お父様のような凜々しさはありませんでしたけれど、どこかお父様と同じような大きくて温かい感じがしましたの。そして、その横にいたのがハルキさん」

 一息ついて、波音をBGMに彼女は話を続ける。

「ハルキさんは、出会ったときから他人を寄せ付けない雰囲気をまとっていましたわ。でも、それは他人を毛嫌いしているからではなくて、ご自分の立ち位置やテリトリーを持っているからだと、見ていて気づきましたの。だって、当時からハルキさんは投資の天才として有名でしたけれど、「君」とか「坊や」とか自分のことを名前で呼ばないような方は一切無視していましたから」

 楽しげに微笑む彼女の横顔を見ながら、わたしは嬉しさと寂しさがない交ぜになった感情を抑えるように、両手を握りしめて胸に当てた。

「それが、わたくしには素敵に見えましたの。だって、わたくしはいつも誰かに支えられてばかり……」

 彼女のつくため息でさえも、今のわたしにはうらやましい。

「ですから、彼と同じ高校に入学して、彼がわたくしのことを覚えていなかったときはショックでしたわ。でも、ハルキさんのようになりたいという憧れが、いつの間にか彼と一緒にいたいという恋心に変わっていることに気づいたのも、丁度そのとき。正直、自分でも少し驚きましたけどね」

 それは、わたしに対する明確な宣戦布告だった。でも、彼女の声は潮騒に消えることなくはっきりとわたしの耳に届いて、甘く切ない気持ちにさせる。

「結局、これって一目惚れになるのかしら?」

 はにかみながら、彼女は小首をかしげて訊いてくる。

 白桜色の髪と肌が朝日にきらめいて、チエリさんは眩しいほどにきれいだった。

       ◆

「はーるーきーにーさーまー」

 ベランダで大きなあくびをしていた彼に、わたしは海岸から屋敷までの道を歩きながら手を振って呼びかけた。

「ようやく起きてきましたのね」

 こっちに気づいたハルキ様は軽く手を上げ、わたしとチエリさんは互いの顔を見て笑い合う。

 そんなわたしたちを見て、ハルキ様は少し首をかしげていた。

       ◆

「食事が済んだら早速ビーチで泳ぎますわよ。ヒガンさん」

「はい。夏を満喫しましょうね」

 サラダを口に運ぶチエリさんに、わたしはオレンジジュースをワタラギさんに注いでもらいながら笑顔で答える。

「おまえら、さっき帰ってきたばかりなのに随分と元気だな」

 ハルキ様の言葉に、わたしとチエリさんの動きが止まる。

「何を言っていますの? わたくしたち海水浴に来たんですのよ?」

「そうですよ、ハルキ兄様。散歩と海水浴は違うんですよ?」

 わたしたちの反論に、ハルキ様は「ああ、そうですか」と興味なさそうに言って、カットされたメロンにフォークを刺して口へと放り込んだ。

「それで、チエリさん、水着はどんなのがあるんですか?」

「そうですわね。一通り揃ってはいますけど、ヒガンさんにはわたくしが、とっておきのものを選んで差し上げますわ」

「じゃあ、わたしもチエリさんの水着を選んであげますね」

「ふふふ、それは楽しみね」

 ふわふわのフレンチトーストをナイフとフォークで上品に切り分けながら、チエリさんは不敵な笑みをわたしに向けて言う。わたしも、フルーツとクリームをふんだんにちりばめたパンケーキにナイフを入れながら、力強い笑みを返した。

 窓から差し込む日も強くなってきて、わたしは心が浮き立つのを感じながら口に広がる甘酸っぱい幸せを噛み締める。

「なあ、おまえら、何かあったのか?」

 飲んでいた牛乳のグラスを置いてハルキ様が訊いてくる。わたしとチエリさんは目だけを合わせると、それぞれの食事を進めながら言った。

「なんにもありませんわよ?」

「そうそう。なーんにも」

 わたしとチエリさんを見て怪訝な表情を浮かべながらも、ハルキ様はそれ以上何も言わず、手にしたベーコンエッグトーストにかじりつく。

「ワタラギ、ハルキさんの水着とバーベキューの用意は任せますわ」

「はい」

 空いた食器を片付けながら、ワタラギさんが穏やかな声でチエリさんに答える。それを聞いたハルキ様が、口の周りを拭きながら彼女に尋ねた。

「やっぱ、俺も行かなきゃダメか?」

「当たり前ですわ!」

「絶対です!」

「……だよな。わかったよ」

 当然のごとく速攻で却下されて、ハルキ様はうなだれながら小さく両手を挙げる。すると、上空から懐かしい声が聞こえてきた。

「あたいもビーチでワタラギ様とバーベキューするんだ~」

 上を見れば、いつの間に戻ってきたのか、キクノが吹き抜けになった二階部分をわかめのようにゆらゆらと漂っていた。

       ◆

「ん? ちょっときついかも」

 砂浜に突き刺さったビーチパラソルの下で、わたしはビーチチェアに座ってモノトーン柄のチューブトップを手で直していた。

「ですから、ワンピースのほうをお勧めしましたのに」

 隣のビーチチェアで横になりながら、少し大きめのサングラスを下にずらしてチエリさんが言ってくる。彼女はフリルの付いた可愛らしい白いAラインのワンピース水着を着ていた。

「チエリさんこそ、わたしが選んだ白いビキニだったら、きっとハルキ兄様を一瞬で悩殺でしたよ?」

「の、悩殺って、わたくしの優雅な魅力があれば、それで十分ですわ!」

 そう言って彼女は、隣のテーブルに置いてあった大きな麦わら帽子で顔を隠した。

「あ、そう言えば、チエリさん?」

「何よ?」

 麦わら帽子越しに少し不機嫌な声が返ってくる。

「その帽子、いつもかぶってますけど、お気に入りなんですか?」

 わたしの言葉に、帽子を握る手にキュッと力が籠もった。

「あの、チエリさん?」

 黙る彼女の名前を呼ぶと、麦わら帽子から小さな声が聞こえてくる。

「ハルキさんからの……」

「ハルキ兄様?」

 聞き返すと、今度は大きく息を吸う音が聞こえてくる。そして、

「ハルキさんからの誕生日プレゼントですのっ!」

 帽子から赤い顔を覗かせて一気に言うと、亀のようにチエリさんは顔を再び隠してしまった。

 何これ、かわいい。

 思わず頬に手を当ててそう思っていると、後ろから足音が聞こえてきた。

「呼んだか?」

 その声に振り向けば、そこにはクーラーボックスを抱えたハルキ様と、バーベキュー用のコンロと木炭の入った箱を軽々と両肩に抱えたワタラギさんの姿があった。

「では、私めはコンロの用意をして残りの食材も持ってまいりますので、ハルキ様、それはここで結構でございますから、あとはお嬢様たちと海水浴をお楽しみください」

 そう言ってワタラギさんは、少し離れた場所にコンロを持っていく。

「ハルキ兄様! ハルキ兄様!」

 わたしは駆け寄って、クーラーボックスを持つ彼の筋肉質な腕に抱きついた。

「ちょっ、なんだよ、危ないだろ!」

 慌てる彼を無視して、わたしはチエリさんの麦わら帽子を指さして確認する。

「あれって、ハルキ兄様がプレゼントしたんですか?」

「え? ああ、そうだが……」

 少し頬を染めて顔をそらすハルキ様と麦わら帽子で顔を隠したチエリさんを見て、わたしの胸が甘酸っぱく締め付けられる。そんな少し窮屈な胸を思いっきり押しつけるようにして、わたしは彼の腕を抱きしめ直した。

「おい、だからひっつくなって! 危ないだろ⁉」

 ハルキ様、素敵です♡

 想いを体で十分に伝えると、わたしはハルキ様から離れて笑顔を向けた。すると、ハルキ様は少し慌てた様子で顔をそらすと、近くにクーラーボックスを置きながら視線を向けずに言ってくる。

「なんだよ。おまえも、その、何か欲しいのか?」

 その言葉に、わたしの胸がさらに一杯になる。そして、体は吸い寄せられるように再びハルキ様の下へと近づいていった。

「ハルキ兄様……」

 わたしは苦しい胸を両腕で押さえながら、上目遣いで彼の名前を呼ぶ。

 振り向いた彼の視線は、わたしの顔を見て、そして後ずさりながらも強調された二つの膨らみへと向けらる。

「おい、ちょっと待て! それ以上近づかなくていいから……」

 そう言いながらもハルキ様の視線は、わたしの胸に刺さったまま肌をくすぐる。

「ハルキ兄様、わたし、欲しいものがあります!」

「な、なんだ?」

 及び腰で訊いてくるハルキ様に続きを言おうとしたそのとき、足の甲を何かわさわさと無数の毛が這い回るような感触が襲った。

「・・・・」

「ヒガン?」

 嫌な予感が見てはいけないと激しく警告している。でも、わたしはビーチサンダルを履いた自分の足を見下ろした。

「い……」

 そこには無数の細い足を蠢かせて、太い触覚でわたしの肌をなでる大きなダンゴムシのような虫がいた。

「いやぁああああぁあああぁああぁああああぁああああ!」

 わたしは悲鳴を上げると足を蹴り上げてハルキ様に抱きついた。

「うおっ! どうした⁉」

「な、なんですの⁉」

 驚く二人の声に、わたしはハルキ様にしがみつきながら叫んだ。

「虫! おっきな虫が!」

「え⁉ 虫⁉ ど、どこですの⁉」

 慌てるチエリさんの声がしたかと思うと、「きゃっ」という短い悲鳴とともに何か大きな箱が倒れるような音がする。

 音のほうに目を向けると、そこには大きく口を開けたクーラーボックスの横で尻餅をついている彼女の姿があった。そして彼女の上では、何やらぬめぬめとした大きな固まりが蠢いている。

「いたたたた。もう、何ですの?」

 事態を飲み込めていないチエリさんのお腹の上で、その固まり――軟体動物八腕類上目マダコ科に属する世界最大のタコは、自らの触手を彼女の胸や足のほうへとウネウネと這わしながら伸ばしていた。

「なんだか、お腹が冷た……」

 そこまで言ってチエリさんの動きが止まる。彼女とタコの目が合って、タコは挨拶をするかのように触手をウニョウニョと動かした。

「ひぃいっ! ハ、ハルキさん⁉ これ、なんとか……て、ちょっと⁉ どこを触って。ひゃっ!」

「ハルキ兄様! チエリさんを助けないと!」

 わたしは急いでチエリさんに駆け寄ろうとする。でも、それをハルキ様が強く抱きしめて拒んだ。

「ダメだ! ヒガン!」

「ハルキ兄様⁉ 今は、そんな……。離れたくないのはわかりますけど、でも……」

「いや、なんだ、おまえの、その、水着が……」

 言われて、わたしは自分の体を見る。そこにはハルキ様の体とわたしの間で潰れた自分の胸と、その下で紐のように丸まった水着の姿があった。

「きゃあっ!」

 わたしはしゃがみ込んで、慌ててチューブトップを元の位置へと持ち上げる。すると、地面から恨めしげな声が聞こえてきた。

「エロコメ展開とは、まったく、のんきなものね」

 声のほうに目を向ければ、レジャーシートの上に置かれたスイカの横で、生首状態のキクノがつまらなそうな瞳をこちらに向けていた。


【最終章】

「まったく、あなたという人は……。羞恥心というものがないのですか?」

「違いますよ。浴衣のときに下着を着けないのは男性のロマンなんです!」

 おしとやかに横を歩くチエリさんに、わたしは拳を握りしめながら力強く言った。

 少し蒸し暑い空気は海へと向かう風に流され、虫の音は徐々に波の音へと変わっていく。空では細い三日月がわたしたちを見下ろし、夜をうっすらと照らしていた。

「ハルキ兄様ー」

 わたしは花火の準備をしている彼を見つけて名前を呼んだ。Tシャツにハーフパンツという格好で、彼はろうそくに火を付け終わるとこちらを振り向く。

「ようやく来たか」

 何気なく言ったハルキ様の第一声に、横からため息が聞こえた。

「ようやく来たか、ではありませんわ。女性がわざわざ普段着から浴衣に着替えてきたのですから、ほかに言うことがあるでしょう?」

「そうですよ。ハルキ兄様」

 二人に言い寄られて彼は困ったような表情を浮かべる。そんな彼を見て、わたしとチエリさんは顔を見合わせて苦笑を浮かべた。

 わたしたちは彼が全身を見やすいように一歩を下がると、二人揃って両腕を広げながら浴衣を見せて感想を求める。

「で、どうですか?」

「どうですの?」

 少しくすぐったい彼の視線に耐えながら、わたしたちはハルキ様の言葉を待った。二人の視線が彼に集まって、彼は少し視線を外しながら口を開く。

「ああ、そうだな、二人とも似合ってるよ」

 それはぶっきらぼうな口調だったけど、わたしの胸を一杯にするには十分だった。

「ありがとうございます♡ ハルキ兄様♡」

「おい! 暑いから抱きつくな!」

 飛びつこうとするわたしの肩をつかんで、ハルキ様はわたしを引き離そうとしながら後ろに声を飛ばす。

「チエリ! こいつをなんとかしてくれ!」

 でも、何も反応はない。気になって振り向くと、そこには頬に手を当ててもじもじとする彼女の姿があった。わたしはハルキ様から離れると、彼女の手をとって言った。

「さあ、花火を楽しみましょ」

「え? ええ、そうね」

 少しほうけたままの彼女の手を引いて、わたしは砂浜に置かれたベンチに腰掛ける。隣にチエリさんを座らせると、面倒臭そうにそっぽを向いてハルキ様が何かを差し出してきた。

「ほら」

 差し出された台紙には数種類の花火が並んでいて、その中からわたしはススキ花火を、チエリさんは線香花火を一つずつとる。そして、わたしとチエリさんは空き缶の中に立てられたロウソクから手持ち花火に火を着けた。先端の紙が燃えて炎となり、次に光の粒がシャワーのように吹き出して、海底を照らす明かりのように暗い砂浜に光の空間を生み出す。

 一方でハルキ様は、わたしたちから少し離れると、自分はライターから直接手にしたススキ花火に火を着けて楽しみ始めた。

「あの、ヒガンさん?」

 ハルキ様を見ていたわたしに、チエリさんが線香花火を見つめたまま話しかけてきた。

「なんですか?」

 わたしも自分の花火に視線を戻して聞き返す。それは無数に降り注ぐ小さな流れ星のようで、今なら何でも願いが叶うような気がした。

「わたくし、あなたともっとお話がしたいですわ。その、ハルキさんのこととか……」

 わたしは黙って彼女の声に耳を傾ける。

「も、もちろん、それだけじゃありませんけど。だから、夏休みが終わっても……」

 そのとき、お腹に響くような大きな音とともに夜空が明るくなった。「あっ」というチエリさんの声に横を見れば、線香花火が砂浜に落ちてゆっくりと光を失い。わたしの花火も勢いを失って消えていく。

 わたしたちは水の入ったバケツに燃え尽きた花火を入れると、打ち上げ花火へ視線を移した。

「きれいですね」

「そう、ですわね」

 チエリさんの声は少し寂しげだったけど、わたしは聞こえない振りをして次々と咲いては消えていく大輪の花を静かに見上げていた。

 ごめんなさい。

 嬉しさの影から覗く恐怖に気づいて、わたしの心にそんな言葉が浮かび上がる。でも、その恐怖は漠然とていて、広がる不安にわたしは自然とハルキ様のほうへ目を向けた。

「⁉」

 そこには、わたしを見つめる彼の視線があって、絡まる視線に自分の鼓動が早くなる。彼は、胸を押さえるわたしから慌てて視線をそらすと、ラムネのケースを取り出し、いつものように中身を口へと放り込んで噛み砕いた。

「あ、ハルキ兄様、わたしも……」

 腕を伸ばして立ち上がろうとしたわたし横を、桜色の風が追い抜くようにして過ぎていく。

「ハルキさんだけずるいですわ」

 チエリさんはそう言って、彼の手からケースを素早く取っていく。

「おい! バカ、返せっ!」

 慌てる彼を無視して逃げるように浴衣を翻しながら、彼女はケースを月明かりにかざしてふたを開けようとする。でも思うように開かなくて、彼女はケースを頭上で叩きだした。そして、やっと開いたケースからラムネが一粒落ちていく。それは月明かりを反射して真珠のように輝き、そのまま艶めかしく開いたチエリさんの口へと消えていく。

「それは、まずいッ!」

 切羽詰まった彼の声が、闇夜を切り裂いてわたしの耳を震わせた。

 ラムネの消えたチエリさんの口を見つめる彼の顔は、一切の血の気を失って幽霊のようだった。

 彼の豹変振りにわたしの体は悪寒で鳥肌が立ち、不安だけが急速に膨らんでいく。

「クソッ!」

 ハルキ様の吐き捨てる声と砂の飛び散る音が同時に聞こえ、次の瞬間には女性のくぐもった声が聞こえた。

「ん⁉ んんん!」

 声のほうに焦点を合わせると、そこにはチエリさんの唇を強引に奪うハルキ様の姿があった。ハルキ様は彼女を逃がさないように強く抱きしめたまま、貪るようにチエリさんの口を蹂躙していく。突然のことに逃げようとしていたチエリさんの体からは次第に力が抜けていき、見開かれていた瞳も次第に細くなって、目尻に涙を浮かべたまま彼を見つめるだけになる。

「ハルキ兄様?」

 荒い鼻息さえも聞こえてきそうな乱暴なキスをする彼と、それに身も心も溶けていくような彼女の姿に酷い疎外感を覚えながら、それでもわたしの体は動かない。

 彼の唇が彼女から離れ、その間を唾液が一筋の糸のように伸びていく。でも、それは彼の一言で断ち切られた。

「チエリ! 飲み込めッ!」

 怒声のようなその言葉にわたしの体は怯え、肩をつかまれたチエリさんはビクッと体を震わせると頷くように喉を鳴らした。

「よし、それでいい」

 乱れた息のまま、安堵を含んだ声でハルキ様が言う。しかし、花火に照らされた彼の額には大粒の汗が吹き出し、ふらつく体は次第に左右に大きく揺れていく。そして彼は、崩れる積み木のように砂浜へと倒れ込んだ。

「ハルキ様⁉」

 彼のもとへ駆け寄り、わたしはその体に触れようとする。その瞬間、

「ぐっ! がぁああぁあああ!」

 喉をかきむしりながらハルキ様が砂の上に倒れてもがき出した。

 なに? これはなんなの?

 状況を理解できず、わたしは彼を見下ろしながら呆然と立ちすくむ。すると、また何かが倒れるような音が聞こえ、そちらに視線を向ければ、今度はチエリさんが倒れていた。

「これは予想外の事態かもしれないわね」

 突然後ろから聞こえた声に振り返れば、キクノが闇夜に浮かびながら難しい顔をしていた。

       ◆

「何か知ってるの⁉」

 詰め寄るわたしにキクノは慌てた様子もなく言ってくる。

「毒だよ」

「毒⁉ なんでそんなもの⁉」

「ハルキが護身用に持ってたんだ。それを、あのお嬢様が間違って食べちゃったみたいだね。それをハルキが回収して、でも彼はそれを呑んでしまった」

 ハルキ様に目を向ければ、彼は四肢を痙攣させながら目を見開き、焦点の定まっていない瞳は空をただ見上げていた。

 かすれるような彼の呼吸が、わたしの胸を締め付ける。

「お嬢様の様子からすると、彼女はハルキから解毒剤を飲ませてもらったみたいだね」

 少し離れた位置に倒れているチエリさんを見ると、少し顔をしかめてはいるものの息遣いは穏やかで、確かに彼女は大丈夫そうだった。

 なんとかしないと。

「ハルキ様! 聞こえますか? 解毒剤はもう無いんですか?」

 彼の耳元で叫んで様子を見るけど、視線は変わらず空に向けられたままで、彼は何も応えてくれない。

 わたしは彼のハーフパンツのポケットに手を入れると、中身を全部取り出していった。でも、中には解毒剤のようなものはなくて、わたしは砂の上に落ちていたピルケースを見つけると、それの中身を彼の体の上にぶちまけた。バラバラと白い粒が幾つも散らばり、その中にも解毒剤らしきものは見当たらない。

「なんか、見た感じ助からなさそうだし、放っておいてもいいんじゃない?」

「なんで、そんなこと言うのよ!」

 キクノの普段と変わらない言い方に苛立ちが爆発して、わたしは砂浜を殴りつけて叫んだ。

「このままじゃ、彼が死んじゃうのよ⁉」

「どうせ死んだってループするんだしさ。そりゃ、また探すのは面倒だけど、時間なんてあたいらには幾らでもあるんだから、無駄なことしなくても……」

「違うッ! そうじゃないのよ!」

「じゃあ何? ハルキが助かる方法でもあるの?」

 相変わらず淡々と言ってくるキクノを睨みつけ、わたしは乱れかけた息を無視して言葉を吐き出す。

「そんなのわからないよ! でも、ここで彼を死なせてしまったら、彼の死を背負うのはチエリさんなのよ⁉」

「だからなんだって言うのさ。それこそイグノアに戻れば経験の一つになるだけだろ?」

「そうでも、好きな人を自分の手で殺した経験なんて……」

 頭が痛い、重い。記憶が、経験が、わたしの中で何かを断ち切ろうと暴れ回ってるみたいだ。

「とにかく、わたしはハルキ様を助けるのッ!」

 自分の中の獣を黙らせるように叫んで、わたしは彼を抱きしめた。痙攣し続ける彼の体は冷たく、限りなく細い息が耳元で彼の存在の儚さを伝えてくる。

「ヒガン、もう手遅れだって……」

 キクノに構ってはいられない。

 お願い! 死なないで!

 想いという力を信じて、わたしは彼の中にいる自分を通して呼びかけた。

 抱きしめるほどに彼の体は冷たくて、自分の息の温もりを、汗ばむ体とその奥にある高鳴る鼓動を伝えようと、わたしは強く抱きしめ続ける。

 しばらくすると彼の体は微かに温かくなったように感じた。でも、まだ足りない。もっと、もっと、もっともっともっともっと……。

「無駄だよ、ヒガン。ダウンには防衛機構があるって言っただろ、ヒトの体だって例外じゃない。むしろ想力の源である幽体を閉じ込めてるんだから、体内のほうが排除しようとする力は強……」

「うるさいッ! そんなの知らないッ!」

 わかってる。今だって現状維持がやっとで、それもきっと時間の問題。でも、そうじゃないの。わたしが止めたいのは彼の死だけど、そうじゃない。

「だめだよ! 死んじゃだめッ! あんな、忘れたいと思うような、思ってしまう死なんて……。意味さえも殺してしまう死なんて、悲しすぎるから……」

 諦めの縁で叫ぶわたしに、キクノが優しく話しかける。

「死なんて、ただの区切りだよ。それ以上の意味なんて、幻想と同じで元からありはしないんだよ」

 それでも、わたしは彼を抱きしめ続けた。

 戻りかけていた彼の体温は再び失われ始めている。それなのに世界の陵辱が始まったわたしの体は燃えるように熱く、頭の中はぼんやりとして、なんとか意識を保とうと頑張っても目の前で星の光を消していく黒い雲のように、快感は容赦なくわたしの意識を塗りつぶしていく。

「く、うぅ、あ、はぁ、あぁあ♡ はぁ、ひッ、ひゃっ♡ くぅ、や、やぁ♡ いや、やめて、やん♡ はぁ、あぁん♡ やだ。いや。いやいや、い、やぁああああああああああああ!」

 肌が粟立つような快感が全身を波のように駆け抜け、脳は痺れて彼を求めて子宮が激しくうずき出す。甘美な死の歌声が耳の奥で激しく鼓動を打ち鳴らし、自然と溢れる涙は恐怖と歓喜をない交ぜにして、わたしは彼を抱きしめたまま獣のように叫んだ。

 そんな中、微かに残った理性が、彼の命の奥底へと手を伸ばして想いを届けようとする。

 カブト様、お願い! 戻ってきて!

 でも、その想いを掻き消すように雷鳴は轟き、雨雲が月を隠して幾つかの街灯だけが砂浜を冷たく照らす。そして、何もかもを洗い流すように激しい雨が降り始めた。

 熱いくらいの体とは対照的に、急速に心が冷えていく。彼の体から温もりはすっかり消え落ち、息遣いも聞こえず、その瞳は開いたまま闇をその内にただ映していた。

       ◆

 そこは深海のように暗く静かだった。

 わたしの思考はゆっくりと、重く沈むように落ちていく。ただ、意識だけは鮮明で、どこか懐かしい心地よさに導かれて、音もなく降る雪のようだった。

 周囲に意識を向ければ、闇の中に泡のような淡い光が幾つも浮かんでいる。その中の一つが、音もなくわたしのそばを通過する。

《ヒガンに、もう一度……してもらうんだ》

 それは彼の声だった。でも、その意味がわからない。

 また、別の泡が通り過ぎていく。

《まあ、そのときは……人を呪わば……て言うからね》

 苦笑交じりの声が、彼の困った顔を思い出させる。でもそれは、わたしに向けられた言葉ではないように思えた。

 なぜだか少し息苦しい。

《彼女を救えない……を僕は許せないから》

 救う? 彼は何を言っているのだろう。

 まるでノイズのように意識が軋む。うまく息ができない。

《自分でも卑怯だとは……けど》

 悲しげな声が、わたしの意識を締め付ける。

《……を信じることしか……ないから》

 優しい声が、わたしの意識をかき乱す。

《いいかい?》

 いいわけがない。

 意識が痛みを伴って、錆び付いた歯車のように苦しい。

《君の手で僕を》

 静かな声が色を失っていく。

 苦しい。聞きたくない。もう続きはいらない。

《僕を殺して》

 首を締め付けられるような苦しさに、意識を手放しそうになる。

 もうやめて。

《君が》

 なんで……。

《僕を》

 どうして……。

《殺せ》

 嫌だよ!

 もう意識が続かない。わたしは、もうここにはいられない。

 わたしの意識が急速に浮上する。

       ◆

「ヒガン! ヒガンってば!」

 マグマのようにうずく子宮と耳の中を叩くような鼓動の向こうから、わたしを呼ぶ声が聞こえる。その声を意識すると次に雨の音が聞こえ、続いて背中を打ちつける滝のような感覚がやってくる。そして、わたしはゆっくりと目を覚ました。

「キ・ク・ノ?」

「ヒガン⁉」

 まだ体が燃えるように熱くて頭がぼーっとする。キクノの声も陽炎のように揺らめいて、上半身の下に広がる心地好い感触に、まどろみは強くなる。

「……ン……」

 激しい雨音の間を縫って、何か息遣いのような音が聞こえる。

「ヒ、ガン……」

 それは、わたしの名前だった。

 こぼれ落ちるようなその儚い音の連なりを追って、わたしは肉塊のように重い自分の体を持ち上げていく。

 見下ろす先にはずぶ濡れの彼の体があって、その胸は微かに上下していた。わたしは期待と恐怖で軋む首を動かして、なんとか彼の顔へと視線を向ける。

「カ、ブト……さ、ま?」

 わたしの弱い声は、雨音に掻き消されて自分の耳にさえ届かなかった。でも、わたしの視線の先で彼は動く。視線をわたしへと向けて、彼は弱々しくぎこちない笑みを確かに浮かべた。そして、彼の唇が動く。

(終わりにしよう)

 それは決定的な引き金となって、わたしの中で何かが崩れていく。

 どうして? なんで?

 なんで、わたしは泣いてるの?

 自分の頬を伝わる雨とは違う温もりに、わたしは戸惑い、それでも抑えきれずに雨に全身をさらしながら無防備にありったけの感情を吐き出した。

「ああ、あああ、うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 心を縛っていた大切なものが震えて砕け、消えていく。

 嫌だ。嫌なのに。それは彼との約束なのに。

 それでも喉から、体の奥から感情は産声のように天へと駆け抜け、それも次第に消えていく。そして、何も無くなったわたしの体を激しい雨が打ちつける。

 目の前でゆっくりと上体を起こした彼が、わたしの頭を優しく撫でる。わたしは、その懐かしい感触に震え、その胸に顔をうずめて強く抱きしめた。

 そして、わたしはふらつく彼を支え、彼はわたしの肩に手を置いて一緒に立ち上がる。

 重たい雨に打たれながら、わたしたちはそれぞれの足で立つと向かい合った。

「じゃあ、始めようか」

 辛そうに苦笑いを浮かべながら言う彼に、わたしはただ頷いて想いを形にする。それは契約を断ち切る力、彼との確かな繋がりを消し去る絶望の意思。

 手の中にあったのは、あのナイフだった。

「何を、しているの?」

 咎めるような声に振り向けば、濡れた桜の花びらのような髪をまとったチエリさんが、こっちを見ている。

 わたしは手にした刃を見て、怯えるように震える彼女へ視線を戻すと、「ごめんなさい」と唇を動かした。

 彼女の瞳は助けを求めるように彼を見て、何も言わない彼からゆっくりわたしへと向けられる。そこにあるのは怒りと悲しみ、そして……。

 ごめんなさい。

「やめてよッ!」

 わたしの気持ちを否定するように彼女が叫ぶ。わたしは刃を見つめることしかできず、それでも彼女の嗚咽がわたしを追い詰める。

「いいんだ、チエリ」

 彼女の声に応えたのは彼だった。彼は白い息を荒く吐き出しながら、彼女を真っ直ぐに見つめる。そして、わたしに向けたような、でもどこか遠くを見るような柔らかな笑みを浮かべる。

「何がいいの⁉ 訳がわかりませんわ!」

 突き放すように彼女は叫び、彼は大きく息を吸って何かを思い出すように話を続けた。

「俺は……、いや、僕は待っていたんだ」

 かすれる息遣いに目を向ければ、彼はチエリさんではなく空を見つめていた。雨は容赦なく彼の顔に降り注ぎ、その頬を幾重にも濡らしていく。

「そう。僕を殺していいのはヒガンだけ」

 それは、わたしにしか聞こえないような小さな呟きで、でも、だからこそわたしには大切な言葉だった。

 彼は再び大きく息を吸うと、はっきりと今度は彼女へ向かって最後の言葉を告げる。

「ごめん。君とはここでお別れだ。でも、きっとまた会えるから。じゃあ、またね」

 そう言って彼は、彼女からわたしへと顔を向けた。恐る恐る視線だけで彼女を見れば、驚いたその表情は彼を見つめたまま歪み、雨音に混じって悲しい叫びが耳を打つ。でも、彼はそんな音など無いかのように決して振り向くことはなかった。

「さあ、葬送は終わりだ。新しい契約を始めよう」

 彼は、見上げるわたしを優しく見つめてそう言うと、刃ごとわたしを抱きしめた。

 彼の口から咳き込むような短い息が吐き出され、わたしの手がゆっくりと温かくなっていく。

《デッドトリガー及びデッドフラグを確認。ループを終了し、シャットダウンを開始します》

 わたしを通して彼の終わりが聞こえる。

 彼を貫いた刃からは光の蔓が伸び、それは彼とわたしを包み込むと、赤と青、二色のアサガオを咲かせていく。それは混じり合うことはなく、でも離れることもなく寄り添って、闇の中で大きな光の樹を形づくっていった。それは大きく広がり、雨の代わりに淡い光を降らせ始める。

 わたしは、白く塗りつぶされていく意識の片隅で幾筋もの光を見ながら、まるで光る大きな海月のようだと思った。


【エピローグ】

「ただいまっと」

 カブト様の懐かしい声に目を開けると、そこは見たことのない部屋だった。壁も床も真っ黒で、それ以外は何も無い。

「おかえり。カブト」

 後ろから聞こえた声に振り向くと、そこには白いスーツ姿の男が立っていた。

「ああ、カオル、ただいま。まだ、全員じゃないみたいだね」

 見回して言うカブト様に、カオルと呼ばれた人は目の前に展開したコンソールを見たまま、つまらなそうに言う。

「帰還ゲートはこっちに設定してあるから、その内戻ってきますよ」

 少し長めの前髪から覗く細い瞳を、彼はちらりとわたしに向ける。そこでわたしは思い出した。

「ああっ! エロ神!」

「誰がエロ神ですか⁉ 私は死神です!」

 彼は、拳を握りしめて抗議の声を上げた。その肩に手を置きながら、カブト様が不機嫌な顔をする彼の紹介を始める。

「彼はカオルって言って、僕の後輩でね。死創機関の境界対策室長なんだ。今回は彼にも協力してもらったんだ」

「まったく、先輩は人使いが荒くて困ります。今回は私に執事役までさせて……」

 文句を言いながら彼は再びコンソールへと向かう。すると別の声が聞こえてきた。

「今の話ってマジ?」

 その聞き慣れた声に目を向けると、そこには驚きの表情を浮かべるキクノがいた。

「執事って、あんたが……」

 指をさす彼女に、カオルさんは口の端をつり上げて少し楽しげに言う。

「ええ、見ていましたよ。見事に夕日へ飛んでいきましたよね。キクノ主任?」

「そんな……、あんたが、あの老執事⁉」

「はい。お嬢様」

 愕然とするキクノの前で慇懃なお辞儀をしながら、彼は悪魔のような笑みを浮かべた。

「そんなぁああああああ!」

 キクノはその場に崩れ落ちると、そのまま動かなくなった。

「で、ヒガンの症状は?」

 そんなキクノを無視して告げられた自分の名前に、わたしはカブト様へと視線を戻す。彼はわたしの視線に気づいて微笑むと、カオルさんの近くへと歩いて言った。そして、真剣な眼差しでコンソールを見つめるカブト様に、カオルさんは少し面倒臭そうな感じで答え始めた。

「現状のデータを見た限りでは大丈夫でしょう。まあ、あれだけの荒療治をしたんですから効果がなくては困るのですが……。それから、あとで専門医にも必ず診てもらってくださいよ?」

「ああ、わかった」

 それだけ言うと、カブト様はわたしのほうへと来る。そして大きく両腕を広げると、そのままわたしを抱きしめた。

「カブト様⁉」

 驚くわたしの耳元で彼は「よかった」と何度も囁いて、強く優しくわたしの体の感触を確かめてくる。

 戸惑うわたしを、復活したキクノとカオルさんが温かい眼差しで見つめていた。

 状況の説明を求めるようにキクノに視線を向けると、彼女は困ったように苦笑を浮かべながら言う。

「あんた、カイホウシンドロームだったんだよ」

「え?」

 その言葉の意味を理解できずにいるわたしの肩を、カブト様の大きな手がしっかりとつかむ。そして、見上げるわたしの視線の先で、彼は目尻に涙を浮かべながらゆっくりと噛み締めるように頷く。

「カブト様……」

「それも、もうおしまいだ」

 少し震える声でそう言って、彼はわたしの唇を人差し指で優しく押さえた。

 すべての疑問がソーダの泡のように弾けて消えていく。

 揺れる視界にわたしは俯いて涙を拭うと、深呼吸をして息を整えた。そして、彼を見つめて、とびきりの笑顔で言う。

「うん。カ・ブ・ト♡」

「まったく、見てらんないよ」

 キクノの声が後ろからわたしを冷やかす。でも、そんな彼女にも今の幸せを分けてあげたくて、わたしは飛び跳ねるように振り返った。すると、目の前にカブトと同じブルーブラックのきれいな長髪が現れて、開口一番、カブトに向かって文句を言った。

「兄様、ひどいですよ。あんな別れ方なんて……」

 それはフェル先輩だった。彼女はカブトを睨んで頬を膨らませる。

「いや、たまたまいたからさ」

「もう……」

 いたずらを叱られた子供のような彼の顔に、フェル先輩はため息をついて「今回は特別ですよ」と言った。そして、今度はわたしのほうを向いて口を開く。

「あのさ、ヒガン……」

「……なんですか?」

 久しぶりに見る彼女の瞳はどこか怯えるようで、わたしも、思わずよそよそしくなってしまった自分の口調に困って下を向く。視線の先では、先輩の艶やかな髪が微かに揺れていた。

「あのときは、その……」

 先輩の声に、わたしは思い切って顔を上げる。お互いの視線がぶつかって、揺れる彼女の瞳をわたしは真っ直ぐに受け止めた。

「ごめんね」

 先輩の優しい言葉が、しみるように心を温かくしていく。

「あの、先輩、気にしないでください。あのことがあったから今があって、わたしは今、幸せですから。だから、むしろ先輩には感謝しているんです」

 そう笑顔で答えて、わたしはみんなにも自分の気持ちを笑顔で伝えていく。

「まったく、これでやっと、あたいたちの苦労も報われるってもんだよ」

 キクノの言葉にカオルさんは大きく何度も頷くと、一際大きくため息をついて肩を竦める。そして、わたしとカブトを見て心底疲れたように言った。

「本当に、あなたたちには困ったものです」

 彼の呆れた顔に、でも、わたしとカブトは笑顔で応える。それを見て彼は少しぎこちない笑みを浮かべ、周囲もつられるように笑顔になっていく。

 わたしは思う。これが泡のように消えてしまう笑顔だとしても、些細なことで傷つき壊れてしまうものだとしても、それを積み重ねて続いた今が不幸でないと思えるのなら、それは無駄ではなく、自分にとって必ず意味のあることなのだと。

 きっとこれから、わたしは何度も彼を傷つけ、そして何度も彼に傷つけられていく。でも、お互いに傷つけ合った先に、それでもわたしは彼といたいと思うから、不幸でないと今思えるから。こんな傷つけることを許し合う関係が、生まれては消えてしまう泡のような関係が、今のわたしには酷く刺激的で、体の奥から温かくなるほどに嬉しかった。

                             了

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