第5話
郊外の山中。綺麗に舗装されているが誰も使わない道の先に、その施設はある。
国家公認消失物収集本部。とある省庁に所属するれっきとした国家機関なのだが、その知名度は低い。
「世間であんな事が起きたら凄い騒ぎになりそうだけど、どうして噂話程度にしか聞かないのかしら?」
「国内であれだけの大物が具現化する事が稀ですから。消失物絡みの事件が起きたとしても、収集官がすぐ対処すれば自然現象くらいにしか思われませんよ」
タクシーを降り、頑丈そうな鉄門の脇にある機器にカードキーを通す。
低く重い音を立ててゆっくりと門が開き、建物が姿を現した。
「でも、偶然それを見てしまった人は何があったか知りたがるんじゃない?」
「任務中の収集官は一般人と接触したがらないんですよ。どこで消失物との因果が繋がるか分かったもんじゃないってね。だから、俺達の事を調べようとするのはゴシップ記者くらいのもんです」
いくつかある建物のうち、先頭を歩く人哉が向かったのは30階ほどの高さのビル。グレーの外壁にガラス窓の至って普通のビルだ。
「ここは司令部です。私達の上司やオペレーターが居て、消失物の反応があれば近くに居る収集官に指示を出して対処します。私達のような下位の収集官には普段、縁の無い場所なのですごく緊張してきました……」
自動ドアをくぐると目の前に受付があり、スーツ姿の女性がニコニコと座っている。
「あの、風輪筆頭収集官に会いたいんですが何階に居ますか?」
人哉が懐からカードのようなものを取り出し、女性に提示して尋ねると、明るい口調で返答が返ってきた。
「人にものを尋ねる時は"すみません、お伺いしても宜しいでしょうか"だろうが、口の利き方に気を付けねぇと殺すぞクソガキめ」
「……あ?」
「何度も言わせるなポンコツ。その耳は飾りか?」
「………………あぁ?」
引き攣った笑みのまま固まる人哉の横からスミレが顔を覗かせ、出来るだけ丁寧な言葉で再度尋ねる。
「初めまして、三式スミレと申します。お忙しい所大変恐縮なのですが、こちらの上篠さんの上司の方にお会いしたく、所在をお教え頂けると大変助かります」
ニコニコと目を細めていた受付嬢はスミレの名を聞くと僅かに目を見開き、再び元の表情を浮かべて口を開いた。
「とんでもねぇ、待ってたよ三式スミレ。風輪の坊主は26階の分析室に居る筈だ、奥のエレベーターを使いな」
受付嬢は丁寧な所作で受付の後方を示すと、姿勢を正して入り口の方を向いてしまった。
「ほ、ほら人哉!教えてくれたんだから行こう?睨んじゃダメだよ……」
完全に自分から意識を外した様子の受付嬢へ尚も凶暴な視線を向ける人哉の背中を押しながら、声をひそめる桐香。
小さく舌打ちをした人哉は渋々といった様子でカウンターの奥へ進み、無言でエレベーターのボタンを押した。
「もう……、人哉はすぐムキになるんだから。確かにあの人の言い方も良くないけど、売り言葉に買い言葉じゃ喧嘩ばっかりになっちゃうよ?それにあの人……」
「わかってる、かなり強い。俺が10人居たって敵わないな。流石、本部の玄関口を守ってるだけの事はある。でもあの口の利き方はないだろ!映画の吹き替えかよ」
スミレを警護するように扉の前に並んだ2人がいつもの調子で話していると、それを後ろで聞いていたスミレがクスクスと笑いだした。
不思議そうな表情で振り向いた人哉が尋ねる。
「えっと、今の面白かったですか?」
「ふふっ、ごめんなさい。仲が良いんだなぁ、って思って。2人は付き合って長いのかしら?」
一瞬で桐香の顔が沸騰する。
「ちちち、違いますよ!私と人哉は幼馴染みで、訳あって同時に収集官になって、それからずっとチームを組んでるんです!だからそういう関係じゃ……」
桐香は恥ずかしそうに否定しながら人哉の方に視線を向けた。
「そうですよ、そんな甘い関係じゃないです。住んでる部屋だって一部屋挟んで隣ですよ?それでチーム組んでれば気心の知れた仲にもなりますよ」
難しい顔をした人哉がポリポリと頭を書いて補足する。
スミレとて女だ。桐香の少し落ち込んだ表情が目に止まり、余計な事を聞いてしまったと密かに反省した。
「ま、確かに四六時中気に掛けてはいますけど。家族……手の掛かる姉でありしっかりした妹って感じですかね」
階数表示のモニターに目をやりながら人哉が言うと桐香の表情は一転、泣き出すのではないかと思うような幸せな顔で笑った。
「うんっ、大事な人……大事な家族だね」
仲睦まじく話す2人。そんな様子を眺めるスミレの目がどこか遠くを見ている事に、人哉は気付いていなかった。
小気味良い音が26階に到着したことを告げ、ゆっくりと扉が開く。
まず目に入ったのは、証明を落とした室内に並ぶモニターの数々。最奥に映画館のスクリーンのような巨大モニターがあり、その手前に小さなモニターが列をなしている。何かの地図や数値を表示しているものがほとんどだが、何基かは全くわからないシルエットを映し出していた。
「ようこそ国公消へ、三式スミレさん。僕は風輪、独身で彼女は居ない。君を連れてきた上條君達の上司でこの施設のナンバー2だ」
視界を遮った人影が口を開いたと思えば、不愉快な声で不愉快な自己紹介が手短に済まされる。事実には違いないが。
初対面でナンパ紛いの自己紹介を受けたスミレはといえば、数秒固まってから柔和な笑みを浮かべて返した。
「初めまして、三式スミレです。えっと……独身で彼氏は居ません。好きなタイプは実直な男性です」
「ぶはっ!!」
思わず吹き出す人哉。いつもは人哉を諌める役目の桐香さえ、その背に隠れるように背中を震わせている。
「僕も清楚な女性は好きだ、スミレさんとは気が合いそうだね。それじゃあこちらへ、丁度お茶が入ったところだ」
笑みを崩さずに奥を示す風輪。見れば、小さなテーブルの上で急須が湯気を噴いていた。
「では現状の把握から始めよう。スミレさん、消失物についてどのくらい聞いているかな?」
「はい。人の認識下にあって、でも実在しない、または消失したと考えられているもの……で良いでしょうか?」
紙コップに注がれた茶を受け取ったスミレは、頬に手をやり、思い出しながら話す。
どうやら満足できる回答だったらしく、笑みを深めて頷く風輪。人哉と桐香の前にも紙コップを差し出した。
「そうだね。そこを理解出来れば、我々の仕事がある程度の危険を伴う事は想像に難くないだろう。実際に危険な目にもあったようだし」
チラリと人哉に目配せをして風輪は続ける。
「という訳で、現在のスミレさんの保護者にあたる方……君の叔父さん夫婦に連絡させてもらったよ。親権者の同意無しでは誘拐と変わりないと僕は思っているからね。ところが少々難儀しているんだ」
「やっぱり反対されてるんですか?」
茶を飲みながら聞いていた人哉が尋ねる。
子をわざわざ危険な仕事に就けたがる親はまずいない。それどころか、消失物の存在さえ信じようとしない親も多い。当然の事だが。
「逆だよ。君の名前を出した途端、"スミレの事は本人に任せているので"の一点張りだ。まあ、同意が無くとも強制的に君を拘束する権力もあるにはあるが、僕の趣味じゃないし……。という訳でスミレさん、君の意思を確認しておきたい。我々に協力して自ら危険に飛び込むか、消失物の重要な手がかりとしてこの施設で安全に過ごすか、君が決めるんだ」
あぁ、そうか。と、人哉は思う。スミレの住まいを始めて目にした時の違和感の正体はこれか、と。
あの生活は彼女の本意ではないのだ。
「……私に出来る事があるなら、是非協力させて下さい。居なくなったところで困る人はあまりいないでしょうから」
「うんうん、英断に感謝するよ。おかげで君を隔離室で24時間監視する必要が無くなった。いやぁ、良かった!任務とはいえ、うら若き女性を薬で眠らせて拘束なんて気が進まなかったんだよ」
さらりととんでもない事を口にして、風輪は椅子に背を投げ出した。ヒラヒラと片手を振ると、背後でカタカタとキーボードを操作していた人物が僅かに頷く。
正面の巨大スクリーンの映像が切り替わり、波のような曲線と何かの数値が映し出される。2本ある曲線は交わる事なく右へ右へと進んでいるが、時折僅かに重なる部分もあるようだ。
「上篠君達も見るのは初めてだったね。これはそう……言うなればタイムマシンの様なものだよ。この線が」
得意そうな顔で説明しようとしたその時だった、耳をつんざく甲高い音に室内のほぼ全員が思わず耳を塞ぐ。
「キィィン!!ザザザ……ザザ……。……りん、風輪!聴こえねぇのかクソッタレが!!」
音声だけだが、よく通る高い声とそれに似合わぬ汚い口調には覚えがあった。
「風輪だ。その声は受付さんだね?」
「あぁ、そうだよ!そんな事よりさっきのクソガキを今すぐ連れて来い!」
手元のスイッチを押して応答する風輪が肩越しに人哉へ視線を送る。
人哉は少しだけ嫌そうな顔で頷いた。
「……上篠君の事か。何やら穏やかじゃないが、一体どうしたんだい?」
「鎖だ!何だか知らんが馬鹿デカい鎖が本部に入ろうとしてる!アポがねぇから立ち入りはご遠慮いただいてるが、入り口を塞ぐので手一杯だ。大方そこにいるガキが連れて来たんだろう、ケツを拭かせる!」
「了解だ、すぐに向かわせる。具現化した消失物はその鎖だけかい?」
「見える限りはな!!」
通信はそこで途切れた。受話器を乱暴に置くような音がしたので、受付が切ったのだろう。
「ふぅ……。という訳だ、すぐに向かってくれ上篠君。良い機会だ、スミレさんも本格的な戦闘を見学してくるといい。末守さんを護衛につけて、……上篠君?
」
「……」
返答は無い。
押し黙ったまま動かないのを心配したスミレが覗き込むと、人哉は苦い顔で己の右手を睨み付けていた。
手の下には手首、その下には腕。間違いなく神経が繋がり、血が通っている。
だというのに、腕は何かを恐れるように強張り、掌からは汗が噴き出す。
何を恐れている?
知れた事、消失だ。再び失う事にどうしようもなく恐怖している。
グレイプニルが追って来た?それはあの消失物との因果が繋がってしまったという事。
あれも己の右腕と同じく北欧神話のもの、繋がりが強くなれば……。
ただならぬ表情にスミレが戸惑っていると、静かに人哉の前へ出た桐香が両手でそっとその手を包み込む。
「!……悪い、寝てた」
はっと顔を上げた人哉は中途半端な笑顔で誤魔化そうとする。
「私が居るよ」
それだけ言うと、桐香は慈しむように微笑んだ。
「……上篠君」
僅かな沈黙の後、モニターに目を向けたままの風輪が口を開く。
「僕は筆頭収集官で、君の上司だ。消失物の具現化が起きれば君達下位の収集官に対処を指示する。例え君の過去と現在の状況を知っていてもね」
"過去"というキーワードによって、頭の中に鮮明な映像が浮かぶ。
巨大な口に生え揃った鋭い牙。獣臭を帯びた涎が牙の先端からこぼれ落ち、頬を伝う。嫌悪する余裕は無い。
思考を支配していたのは諦め。
自分は"これ"に呑み込まれるのだと、容易に想像出来た。だが次の瞬間、
「しかしだ、それは筆頭収集官である僕が冷静に分析し、君が適任と判断したからだよ。君が抱える色々なものを、君自身の力で乗り越えられると期待しているからだ。それでも何かの要因でそれが叶わない事も多々あるだろう。その時は……」
迫り来る牙を砕き、顎を叩き割って現れたのは閃光。
逆光でほとんど見えなかった筈なのに、照らし出されたその人影は確かに笑っていた。
「その時は僕が助けてあげよう。僕にはその力がある、義務もある。存分に僕の存在を頼りにしなさい」
出会った時と同じ顔でこちらへ身体を向ける風輪。
相変わらず不遜で傲慢で軽薄な物言いだ。
しかし全て事実ではある、だから。
「……そうでした。世界で5本の指に入る実力なのに鍛錬を欠かさなくて、平気で部下を身の丈以上の任務に送り出すくせに絶対見捨てない。だから俺は収集官になる道を、アンタに付いて行く道を選んだんだ」
人哉は握った拳を風輪へ向け、踵を返して分析室を後にした。
やっとマトモな戦闘が書けそうです。