第3話
スミレの部屋は外装に負けず劣らずの内装で、ここを住処としているのにはやはり倹約以外の理由がありそうだと、人哉は感じた。
「お待たせ」と、エプロン姿のスミレが盆に乗った緑茶を持って来た。
「国家公認消失物収集官……、そういえば聞いた事があるような気がするわね」
茶を配りながらスミレが言う。上着一枚分薄着になった胸元から僅かに覗く谷間を眺める人哉は、このぐらいのサイズが一番好みだと考えていた。
「存在を隠している訳でもなければ、さらけ出している訳でもないですから。普通に生活していく分には、知名度はそんなもんですよ。……っと、本題に入りましょう。三式さん、北欧神話には詳しいですか?」
「?」を浮かべるスミレ。やはり一から説明する必要がありそうだ。
「え〜っと。……!!」
口を開きかけた人哉だったが、ハッと辺りを見回すと、突然スミレに飛びかかる。
短い悲鳴を上げたスミレが人哉の肩越しに目にしたのは、鎖だった。
いや、正確には鎖らしきものだ。アパートの周囲には工業用のクレーン車などが多く、スミレもよく見かけるのだが、そのクレーンのような大きさの鎖が壁もろとも窓を破って侵入しているのだ。
「おいおい、荒っぽいな……。桐香!それ、ぶった斬れるか?」
見れば、先ほどまで鞄しか持っていなかったはずの桐香の手には大きな薙刀が握られている。切っ先は鎖を斬りつけようと火花を散らしていた。
「……無理かな。何回かやってみたんだけど、全然手応えが無い」
それを聞いた人哉は、うんざりした様子で舌打ちをして、スミレへ顔を向ける。悲鳴を上げて取り乱すかとも思っていたが、逆に状況が理解できずに放心している顔で鎖を見つめていた。少々荒療治ではあるが、実際に目で見た方が理解も早いだろう。桐香に鎖から離れるよう指示を出した。
「三式さん、少年誌のようなタイミングで良い見本が飛び込んできたのでこいつで説明します。ちょっとうるさいかも知れませんけど聞いてください、あんまり余裕は無いので」
沈黙を保っていた鎖がひとりでに持ち上がった。
「俺達収集官が集めてるもの、それは消失物です。かつて実在して失われたもの、多くの人間の認識下にだけ在って、実在はしないもの。例えばこの鎖は……」
天井に到達した鎖が動きを止めた。と思った次の瞬間、スミレを抱いたままの人哉に向かって落下してくる。なかば転がるようにしてそれを躱し、未だ言葉を発しないスミレに説明を続ける。
「北欧神話に登場する鎖で、名はグレイプニル。細かい説明は置いといて、とりあえずはデカくて硬い鎖だと思ってください」
再びグレイプニルが持ち上がり、二人を狙う。人哉はスミレを庇うように立つと、すっと右の拳を固めた。桐香と同じく武器を取り出すかと思われたが、腰を落とし、ストレートの構えをとるのみだ。
「でもって、消失物ってのは大概がこんな傍迷惑な形で現れるんです。……と、いうわけでっ!」
そして、床を砕きながら横這いに迫る鎖に向かって、あろうことか右ストレートを叩き込んだではないか。
人哉の拳が砕け、身体が千切れる様子が脳内によぎり、スミレは思わず目を覆う。
が、激突音の後にあったのは拳を振り抜いた人哉の姿と、透けて消えていくグレイプニルだった。
「で、一度具現化した消失物は、こうして更に強い力をぶつけてやれば勝手に消えます。以上、説明終わり。ここまでで質問はありますか?」
パンチングマシーンをやらせてみたいと思うスミレだったが、さすがに不謹慎なので大人しく首を横に振った。
首を振って気付いたのだが、部屋の中は滅茶苦茶だった。砕けた壁やガラスの破片が散乱し、毎日雑巾を掛けていた床は無残な姿を晒している。
しかし、その姿こそ先程までの出来事が夢ではない事を物語っていた。
「あ、やっぱり質問。この部屋、直るかな?」
閉口する人哉だった。