09. 人形のこれから
前話のあらすじ:
加藤さん「け、計画通りです」
ケイ「真菜さん。顔赤いです」
9 ~ローズ視点~
転移者の少年と肩を並べてこちらに歩いてきたのは、穏やかな印象の青年だった。
色素の薄い茶色の髪はやわらかそうで、その下にある顔も柔和なものだ。
しかし、顔立ちの穏やかな印象とは裏腹に、その細身の体は鍛え上げられた戦士のものだった。
鋼のような肉体は、ひとえの着物に包まれている。
腰帯だけでとめた緩い衣装は、ディオスピロを訪れてからたまに見かけるものだ。
アケル北部の民族衣装、とシランさんから聞いている。
腰には反り返った片刃の剣。
首からは、なにかの生物を模したと思しい木製の飾りがいくつもぶら下がっていた。
「……?」
彼と目が合ったそのとき、なぜだかわたしは不思議な感覚に捕らわれた。
違和感というほど、強いものではない。
ただ、無視できるほどには弱くもない。
その不明瞭な引っ掛かりがなんなのか把握する前に、青年はこちらに向けていた目を隣の少年に移した。
「なあ、明虎。あれは、昨日話を聞いていた、きみのご同輩ではないのかい?」
「……知らねー」
昨日、宿屋で出会った転移者の少年は、元から不機嫌そうだった顔を更にしかめた。
青年が呆れたような顔になる。
「また、きみはすぐそうやって敵を作るような態度を取る……」
青年は、諭すような口調で言った。
その態度は、あくまでも穏やかなものだった。
「明虎だって、同輩たちの動向については気にしていたじゃないか。この機会を活かさないでどうするんだい」
どうやらあの転移者の少年はともかくとして、青年のほうはこちらに興味があるらしい。
微笑みを浮かべて、こちらに歩み寄ってきた。
敵意は感じられない。
悪い感じもしない。
どちらかといえば、好感を持てる物腰だ。
だけど、わたしは護衛役だ。
青年の態度はそれとして、警戒をしないわけにはいかない。
ご主人様に寄り添うのはそのままに、前掛けについた大きめなポケットに手を滑らせる。
指先に、斧の柄の感触。
ご主人様の傍に侍っている以上、わたしが無防備でいるはずがない。
魔法の道具袋と同じ原理で、空間拡張をしたポケットのなかに武器を携行してあったのだった。
「初めまして。わたしは、サディアスという者だ」
こちらの警戒に気付いたのかどうか、青年――サディアスは、ある程度の距離を取って足をとめた。
「そして、あっちで不機嫌そうな顔をしているのは、深津明虎。いやあ。この国で、明虎の同郷の方に会えるとは思わなかったよ」
「……なんの用だ」
ご主人様の返答は、慎重深いものだった。
転移者の少年――深津明虎のように、悪戯に不機嫌そうな態度は見せていないが、かといって、警戒していないわけではない。
突然、町中で見知らぬ相手から声をかけられた人間として、当たり前の反応とも言える。
対するサディアスの態度は、にこやかなものだった。
「大したことではないんだ。ただ、きみたちのような異郷の人間がこうして偶然出会えたことは、なにかの縁だと思ってね。ちょっと話をしてみないかい? ……ああ、安心してくれ。きみたちの事情は、まあ、ある程度は知っているつもりだ」
「ある程度?」
「きみたちが森に現れたこと。力を持っていること。これまででは考えられないくらいに、大勢いることは知っている」
言葉を伏せたが、サディアスが転移者について語っているのは明らかだった。
とはいえ、どこまで知っているのかはわからない。
あくまでご主人様は慎重に尋ねる。
「話をしたいっていうのは?」
「あけすけに言ってしまえば、明虎の同胞たちがどうしているのか知りたいんだよ」
「……情報収集をしたいってことか?」
「それだけではないけどね」
にこりとサディアスは笑った。
好感の持てる、爽やかな笑みだった。
「単純に話をしたいというのもある。さっきも言ったが、こんなところで会ったのも、なにかの縁だ。できれば友好的な関係が築ければいいなと思ったわけさ。幸い、きみたちは悪人には見えないしね」
嘘を言っているようには見えなかった。
ただ話をするくらいなら大丈夫そうではある。
しかし、決めるのはご主人様だ。
様子をうかがってみると、どうやらご主人様も迷っているようだった。
もともと、どうしてこの国に他の転移者がいるのか気にしていたご主人様だ。
このように友好的なかたちで接触の機会ができたのなら、それを突っぱねる強い理由はないのだろう。
「ちょっと話だけでもしてくれないか」
悪い感触ではないと感じたのか、サディアスは続けた。
「無論、込み入ったことは聞かない。差し支えないことだけでよいから教えてもらえないかと……」
「サディアス!」
しかし、そのときだった。
苛立った怒鳴り声が、通りに響いたのだ。
「……明虎」
話を中断させられたサディアスが、少し驚いた顔で同行者を振り返った。
「やめとけ、サディアス」
通りの人々の注目を集めながら、転移者の少年、深津明虎は不愉快そうに言った。
「関わるだけ無駄だ」
相当に気に入らないらしい。
吐き捨てるような口調だった。
その視線が、ご主人様に寄り添うわたしにちらりと向けられる。
「こいつも碌なやつじゃねーよ。アクセサリーみたいに女を連れてちゃらちゃらしてんのが、その証拠だ」
「……貴様」
わたしは、思わず手に触れていた斧の柄を握った。
「やめろ、ローズ」
そんなわたしをとめたのは、侮辱を受けた当のご主人様だった。
制止の言葉とともに、組んでいた腕を掴まれる。
「……心得ております」
わたしは短く答えると、斧の柄から手を離した。
殺気が出てしまったのは迂闊だったが、護衛役である以上、感情に任せて飛び出すつもりは元からなかった。
「……ふん」
深津明虎は、そんなわたしたちを見て、鼻を鳴らすと踵を返した。
腹は立ったが、ご主人様を危険に晒すわけにはいかない。
わたしはそのまま、彼がいなくなるのを大人しく見送ったのだった。
当事者の一方がいなくなったことで、雑踏がざわめきを取り戻す。
残された青年が、深い溜め息をついた。
「どうもすまないね。明虎が失礼をした」
「いや。別に気にしてない」
言葉通り、大して気分を害した様子もなく、ご主人様は言葉を返した。
なにも感じていないというわけではないのだろうが、淡白な反応だった。
ご主人様には、こういうところがある。
それは、ひょっとすると、この異世界での経験がご主人様にもたらした性質なのかもしれない。
「あいつは昨日、おれと別の連れが、夫婦だなんだと言われていたのを見ていたからな。それ自体は誤解なわけだが……今日は、別の女と出歩いているのに出喰わしたわけだ。印象が悪くても無理はない」
「本当にすまないね」
気にした様子がないのがむしろ罪悪感を刺激するのか、サディアスはますます申し訳なさそうな顔になった。
「明虎は他の転移者の態度に嫌気が差して飛び出してきたクチなんだ」
「そうなのか?」
「ああ。だけど、まさかあそこまで他の転移者を嫌っているとは思ってもみなかった。いまのは、わたしが軽率だったな……」
多分、サディアスは意識していないだろうが、新しい情報がひとつ出てきた。
あの転移者の少年は、チート持ちではあるものの、少なくとも現在は探索隊に所属しているわけではないらしい。
なるほど。だから、情報を欲しがっていたわけだ。
飯野優奈からは、エベヌス砦に着いた探索隊からは離脱者が出ていると聞いている。
彼もそうしたチート持ちのひとりなのかもしれない。
しかし、それを確認する時間はなかった。
「明虎をひとりにするわけにもいかないので、そろそろ行かせてもらうよ。あいつはいま、翻訳の魔石を持っていなくてね」
「わかった」
「……残念だよ。話をしたかったのは本当なんだ」
本当に残念そうに溜め息をつくサディアスに、ご主人様が少し不審そうな顔を向けた。
「……なんで、そうもおれたちと話をしたがるんだ?」
「うん? ああ、そうだね。ちょっと変かな?」
サディアスは、穏やかな顔立ちに微笑を浮かべた。
「なんだかきみたちのことは、他人のように思えなくてね」
「……」
「あはは。変なことを言ってしまって悪いね」
あくまでもサディアスは、最後まで好意的な態度でいた。
「縁があったら、また会おう」
***
サディアスのうしろ姿が雑踏のなかに消えたところで、わたしはようやく緊張を解くことができた。
ずいぶんと印象的なふたり連れだった。
態度の悪かった深津明虎の印象が強いのは当然として、サディアスにも少し気になる雰囲気があったように思う。
「……妙だな」
ご主人様がつぶやいたのを聞いて、わたしは彼の顔を覗き込んだ。
「ご主人様も、あのサディアスという人物が気になりますか?」
「ん?」
ご主人様は怪訝そうな顔をした。
「いや、おれが言っているのは、翻訳の魔石のことだ」
「翻訳の……ですか?」
思ったのと違う答えに、わたしは首を傾げた。
「ああ。さっき、あのサディアスって男は、いまは深津が翻訳の魔石を持っていないって言ってただろう? サディアスのほうが、翻訳の魔石を持っているような口ぶりだった。そこが、ちょっと引っ掛かってな」
「……別に、さほど不思議なことではないのではありませんか。我々とて、これまでは、シランさんとケイがひとつずつ魔石を持っていたではありませんか」
「あのふたりしか翻訳の魔石が使えなかったからな。だが、いまはこうしてローズが翻訳の魔石を持っているわけだろう?」
「ええ。ですが、それは、わたしが使い方を覚えたからです」
「そうだ」
ご主人様は頷いてみせた。
「ローズだけじゃなく、加藤さんもそろそろ使い方を覚えられそうだという話だった。おれたち転移者も、時間をかければ翻訳の魔石を使うことは可能なんだ。そして、あの深津という男も、使い方を知っているはずだ。なぜなら、昨日のあいつはひとりでいたんだから」
「……そういえば」
昨日は、既に宿を出ていたのか、それとも部屋にいたのか、サディアスは深津明虎と一緒にいなかった。
それなのに、深津明虎は宿屋の主人と会話を交わしていた。
翻訳の魔石を使える、ということだ。
「使うことができるのなら、翻訳の魔石は深津が持っていればいい、というわけですね。……よくお気付きになりましたね」
「おれ自身、町でひとりにならないように気を付けているからな。チリア砦で初めてそのあたりの事情を知ったときには、将来を思ってずいぶんと頭を抱えもした。どうやって使い方を覚えるか、そもそも、入手の手段はどうするのか……」
ご主人様がなにかに気付いた顔をする。
「……待てよ。あいつら、どうやって翻訳の魔石を手に入れたんだ?」
「確か、翻訳の魔石はあまり流通していないという話だったと記憶していますが」
「ああ。転移者のためにしか普通は使われないから、一般には需要がない。基本的に、勇者を擁する聖堂教会が持っているものだったはずだ。広大な領土を持っていて、ファースト・コンタクトを取る可能性の高い帝国の……それも軍あたりなら在庫も十分にあるって話だが、アケルだとな」
「あのサディアスという方は、帝国の人間なのでしょうか?」
「だとすると、アケルの民族衣装に身を包んでいたのがよくわからない」
「そうですね。……あるいは、シランさんやケイと似たような立場なのかもしれません」
「まあ、ないとは言えないか。おれたちだって、立場は深津と同じわけだからな」
まだどこか引っ掛かるようではあったものの、ご主人様は頷いた。
「あいつにも事情があるんだろう。……ずいぶんと他の転移者を嫌っていたようだったし、これまでになにか見てきたのかもしれないな」
他の転移者をあれだけ嫌うだけのなにか。
あまり愉快なことではないだろう。
無論、深津明虎が単に気難しい人間だというだけの可能性もあるが。
「気になるようでしたら、いまからでも追いかけて、探りを入れてはいかがですか?」
ご主人様を侮辱した人間と接触するのは気が進まないが、必要と判断されるのなら是非もない。
「……いや。それはやめておこう」
しかし、ご主人様はあまり考えた様子もなく、わたしの提案を退けた。
「サディアスはともかくとして、深津明虎にはずいぶんと嫌われているみたいだからな。あえて虎の尾を踏むようなことをする必要もないだろう」
「『虎』ですか。……龍の髭を撫で虎の尾を踏む。ご主人様の世界の故事成語でしたね」
「……なんだ、ローズ。よく知ってるな。前半の龍のくだりは、おれも知らなかった。加藤さんか?」
「ええ。真菜は水島美穂に聞いたのではないかと思います。読書家……というより、乱読家だったようですから」
「そうなのか? ……いや。そういえば、樹海で暮らしていた頃、おれが知らなかった血抜きについて教えてくれたのはリリィだったな。どうしてかと思ってたんだが、そういう理由があったのか」
ご主人様は故人のプライベートに配慮しているため、真菜の話を聞くくらいしか、水島美穂のことを知る機会はない。
水島美穂の趣味についても、知らなかった様子だった。
ちなみにこれは余談だが、樹海にいた頃に狩って食べていたモンスターの肉が異様にまずかったのは、『血を抜かなければならない』ことは知っていても、『どうやって血抜きをするか』までリリィ姉様が……というか、水島美穂が知らなかったためだったりする。
屠殺したあとの死後硬直がどうこう、肉の熟成がどうこうという話は、そもそも彼女は知らなかったようだ。
本で読んだ知識だけでは限界がある。
当然のことではあった。
きちんと処理された一部のモンスターの肉は、チリア砦など樹海では珍味として食べられたりもしているらしい。このあたりは、シランさんから聞いた話だ。
「話が逸れたな。まあ、そういうわけで、探りを入れるのはやめておいたほうがいいと思う」
ご主人様の言葉に、わたしは頷いた。
「わかりました」
「それに……今日は折角こうして、珍しくローズとふたりきりで出歩いているんだしな。あまりない機会をふいにするのはもったいない」
最後は少し冗談めかした口調だった。
多分、あまりわたしを意識していないからだろうが、こういうことをさらっと言ってしまうのは、ちょっとずるい。
「楽しまないとな」
「はい」
するりと表情が抜けて人形のものになってしまいそうな顔を、わたしは意識して制御しなければならなかった。
***
露店を見て回ったあとは、店舗の並ぶ本通りに戻った。
町にある店に足を踏み入れるのは、これが初めてのことだ。
雑貨屋や、武器や防具を扱う店は、新鮮なだけでなく、物作りに携わる者としてとても勉強になった。
途中からは、ちょっと夢中になってしまった。
ご主人様の腕を抱えて半ば引っ張るようにして、次から次へと店をはしごしていく。
魔石を扱う店を出たところで、そんな自分に気付いて落ち込んだ。
自分だけ楽しんでいたことを謝罪すると、ご主人様は笑って気にするなと言った。
「ですが……」
「いいんだ。おれもちゃんと楽しんでる。これまではゆっくり店を見て回る機会もなかったからな。それに、そうでなくても、子供みたいにはしゃいでるローズを見ているだけでも楽しい」
「へ、変なことをおっしゃらないでください」
もしもこの身に赤面する機能が付いていれは、相当みっともないことになっていたに違いない。
誤魔化すようにわたしはご主人様の手を引いた。
「あ、あそこに、面白そうなお店があります。行ってみましょう」
「わかったわかった」
落ち込んでいた気持ちを忘れたことに気付いたのは、もう少し経った後のことだった。
結局、わたしたちは日が傾くまで町を歩いた。
「そろそろ帰ろうか」
「そうですね」
最後に、わたしたちは旅に必要な品々をいくらか補充してから帰ることにした。
ついでに、リリィ姉様に頼まれていたこの世界の書籍の類も手に入れる。
「……あれ?」
それでは帰るかと店を出たところで、ご主人様が声をあげた。
「どうかなさいましたか」
「いま、シランがいた気がしたんだが……」
「シランさんが? ……申し訳ありません。ちゃんと見ておりませんでした」
通りを行きかう人波を見るが、すでに金色の髪と白い鎧姿は見られなかった。
シランさんは眷属として特殊なところがあるためか、わたしたちよりパスでの情報量が少なく、お互いの位置もわからない。
「いや。見間違いかもしれない。本当に、ちらっと見えただけだったから。考えてみれば、こんなところにいるのも変だしな」
大通りの店を見て歩くうちに、いまのわたしたちは町の外縁部近くまでやってきていた。
ここからでも大通りの向こうに、頑丈そうな鉄門が見える。
目の前の雑踏には、夕刻ということもあって、外からこの町にやってきたばかりの旅人が足を引きずり気味に歩く姿も散見された。
シランさんが向かったこの町の軍の駐屯地は、少し離れたところにあった。
「確か町の外縁部には、いくつか防衛のための施設がありますよね。昨日、顔を合わせた方と、そちらに行っていたのではありませんか?」
「かもな。それこそ、おれの単なる見間違いかもしれないし」
わたしたちは寄り添いながら歩き出した。
すぐ傍にあるご主人様の存在を感じながらやりとりをする。
この距離にも、一日経って少しだけ慣れたかもしれない。
そうすると、華やいだ気持ちのなかに、じんわりと広がる幸せな気持ちが感じられた。
けれど、この時間も終わる。
これは特別な時間だから、そう長くは続かない。
「あの、ご主人様。ちょっといいですか」
宿が見えてきたところで、わたしはご主人様を呼び止めた。
「お渡ししたいものがあるのです」
名残惜しいものを感じながらも、ご主人様から離れる。
前掛けのポケットに手を差し入れた。
「これは……?」
取り出したものを手渡すと、ご主人様はちょっとびっくりした顔をしていた。
サプライズが成功した満足感を覚えながら、わたしはご主人様が抱えたものを見下ろした。
それは、一対の黒色の籠手だった。
左右で少し飾り付けのデザインが違っていて、左は青色と黄色、右腕には赤と緑を基調とした飾りが施されている。
高屋純との戦いによって、新たな力を手に入れたご主人様……というか、アサリナのために製作したものだった。
いまご主人様の左腕に巻かれている包帯は、ガーベラの蜘蛛の糸で織ったものだから、防御力がないわけではない。
しかし、やはり本格的な防具ではないから限界がある。
そこで、以前に幹彦さんといろいろと話をしていたときに、助言されていたことを思い出しつつ作ったのがこちらの品だった。
早速、ご主人様が籠手を両腕に取り付ける。
一時的にせよ、こんな往来でアサリナを表に出すわけにはいかないので、いまは包帯の上から取り付けたが、包帯なしで装備したとしても、籠手に隠れて普段は手の甲は見えないようなデザインにしてあった。
「こちらの『アサリナの籠手』ですが、左腕のほうは、アサリナの行動を阻害しないように、手の甲の部分は可動式にしてあります。他にもいくつかギミックを組み込んでありますので、あとで説明いたしますね。それと、もうひとつ……」
言いながら、わたしは再び前掛けのポケットから取り出した物をご主人様に手渡した。
「短刀……というか、懐剣か」
柄まで合わせても拳三つ分もないだろう。
とても短い刀だ。
渡されたご主人様が、少しだけ刀を抜いた。
艶めかしいほどの刀身の輝きに、ほんの一瞬、ご主人様が魅入られたように動きをとめる。
「……これは、すごいな。ひょっとして、『疑似ダマスカス鋼の剣』より上なんじゃないか……?」
「過去、最高の出来と自負しております。ただ、素材が少し特殊でして、出来上がった物の長さが足りないのは申し訳ありません」
「特殊? なにか珍しい木を使ったってことか?」
「まあ、そんなところです」
これも以前から試作していた品だった。
こちらは、真菜の助言を受けている。
「『薔薇の懐剣』とでもお呼びください」
名付けたのは真菜だ。
わたしも異存はない。それ以外に名前の付けようのない剣だった。
製作者はわたし。
そして、素材もまたわたしなのだから。
――この身は人形。
元を辿れば木材である。
ならば加工もできるのが道理だ。
というのが、真菜の意見だった。
相変わらず、真菜はすごいことを思い付く。
この身が常にご主人様を守れるのならという願いが、わたしに製作を決意させた。
何度か破損しているため、材料となる部品はいくつかあった。
ご主人様が手にしているのは、先の高屋純の襲撃の際に大破した下半身から削り出した剣だ。
加工自体は難しかったし、何度か失敗もしたが、出来上がった物品は最高の逸品となった。
「メイン・アームにはなりえませんが、ご主人様を守ってくれるようにと願をかけました」
「ああ。ありがとう、大事にさせてもらうよ」
そう言ってご主人様が向けてくれた笑顔で、この特別な日は締めくくられたのだった。
***
今日という日を経験したことで、わかったことがひとつある。
やっぱりわたしは、ご主人様に抱き締められるその先を望んでいる、ということだ。
それがどういうかたちになるのかはわからない。
自分がご主人様とどうなりたいのかもわからない。
だけど、今日のわたしは、ご主人様と過ごしたこの特別な時間を期間限定のままにしたくないと感じたのだ。
そのためには、まずはご主人様に抱き締めていただくことだ。
そこから先を知るために、頑張ろう。
そんなことを改めて決意した。
***
二日後、わたしはご主人様と一緒に、思い出深い町となったディオスピロをあとにした。
結局のところ、あの深津明虎やサディアスがなんでディオスピロにいたのかはわからないままだった。
話をする機会もなかった。
別れ際に、『縁があればまた会おう』とサディアスは言っていたが、わたしたちには縁がなかったのだろう。
そんなふうに思っていた。
……けれど、後日になって、わたしはその認識を改めることになる。
彼らとご主人様の道は、この先、避けがたく重なることとなるからだ。
出会い自体は偶然だったにせよ、ある意味、そこには必然とも言える事情があった。
しかし、それより前にわたしたちはひとつの遭遇を経なければならなかった。
不意の遭遇、とは言い切れない。
以前に警告は受けていたからだ。
いろいろあったせいで、それを忘れていた。
いいや。忘れていなかったところで、どうにかなったものかどうか。
まさかそれがそういう意味だとは思ってもみなかったし、そんなかたちになるだなんて、想像できるはずもなかったのだから。
この先に待ち受けるものを知ることなく、わたしたちはリリィ姉様やガーベラたちの元へ帰る旅路についたのだった。
◆水島美穂が乱読家という設定は初期からあったんですが、やっと出せるようになりました。
加藤さんが「水島先輩から聞いたんですが……」とよく言ってたり、
一章あたりでリリィが変なこと知ってたり、
醸す感じでは描写していたので、
なんとなく人物像を把握できていた方もいるかもしれません。
あと、まずい肉の種明かし。
初出は一昨年の十二月です。
あとあとになりましたが、こちらもやっと出せました。
◆この週末、書籍版『モンスターのご主人様』の4巻が発売になりました。
今日には、全国書店に並んでいると思います。
応援してくださっている方のお陰です。
ありがとうございます。 m(_ _)m
Web版ともども、これからもお読みいただければ幸いです。
活動報告のほうで、4巻のキャラデザの公開もしていますので、
そちらもよろしければ、ご覧ください。
http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/316835/blogkey/1224436/






