09. 森の中の遭遇
前話のあらすじ:
(前略)
「……それに、何より……水島先輩の姿、していましたから」
「水島美穂と知り合いだったのか?」
「はい」
ほんの一瞬、加藤さんは視線を落とした。
ひょっとすると、亡くなった水島美穂のことを思い出しているのかもしれない。
「ところで、リリィさんの胸が、わたしの記憶にある水島先輩より、かなり大きい気がするんですけど」
「あ。それはおれも思ってた」
* 下半身スライムになれることからわかるように、リリィはある程度擬態後の姿を変化させられます。
9
更に一週間ほどが経過した。
加藤さんを探索隊に預けると決まったので、これまで利用してきた洞窟で、いまでもおれたちは暮らしている。
夜は洞窟で過ごし、昼になると森の中を探索する。
そんな生活サイクルが確立していた。
何度かモンスターとも遭遇した。
どうにか今日まで生きてこられたのは、そのことごとくをリリィとローズが退けてきたからだ。
それ自体はまったく結構なことだ。
しかし、モンスターを倒し続けているということは、言い換えると、遭遇するたびに戦闘になっているということでもある。
つまり、探索に出ている本来の目的である『眷族の増員』はうまくいっていないということだ。
気長に探すしかないことはわかっているが、焦りは募る。
やはり一番の問題は、おれのモンスター・テイムの発動条件がイマイチよくわからないことだろう。
モンスターを見た時に、『これは駄目だ』というのは感覚的にわかる。
ローズの時はわからなかったじゃないかという話もあるが、あれはあくまで慌てていたせいだ。きちんと冷静でいさえすれば、相手をみて、眷族になってくれるかどうかは判断できる。
だが、その条件がわからない。
それさえわかれば、危険な戦闘を繰り返す必要はないのだが。
最近では、ひょっとしたらその条件というものは、おれ自身では判別がつかないところにあるのかもしれない、とさえ思えてきたくらいだった。
そんなことはないと思いたいのだが……
「ただいまー」
「帰ったか」
洞窟にリリィが戻って来たので、おれは木剣を振るっていた腕をとめた。
「あ、訓練してたんだ」
ととと、と軽やかに走り寄ってくるリリィに、おれは苦笑を返した。
「その言い方はやめてくれ」
「ん、どうして?」
「むずがゆくなる。こんなのただの暇つぶしだよ」
最近、おれは暇な時間に、日課として素振りをすることにしていた。
剣道は高校での選択授業で受けているので、素振りくらいならやり方は知っている。
きちんと出来ているかどうかはおいておいて、真似事くらいならやって出来なくはないのだ。
こんなことをして意味があるのかどうかは、正直なところ、わからない。
まあ、体を動かしておけば、いざという時にもっと動けるようにはなるかもしれない。
そうだったらいいな、くらいのことだが。
さほどおれは、こういった方面でおれ自身に期待していないのだ。
じゃあ、いったいお前に他に何が出来るのかと問われれば、黙りこむしかないのだが……
むしろ何も出来ないからこそ、暇な時間にたえかねて、体を鍛えることにしたというのが、正解なのかもしれなかった。
ちなみに、適当にそのへんに落ちている木切れを振っていても良かったのだが、どうせならカタチから入ろうかと、おれはローズに素振り用の木剣の作成を依頼した。
もう数日前のことだ。
おれたち人間と違って睡眠の必要がないため、ローズは夜の時間がまるまる使える。とはいえ、おれの指示に従って様々な物品を造り続けている彼女は忙しい。
だからおれは「片手間で適当に造ってくれれば構わない」「なんなら刃なんてついていなくてもいい」「最悪、握りがしっかりしていて、ある程度の長さと重さが確保されていればそれで十分だ」くらいのニュアンスで依頼をした覚えがある。
しかし、どうやら彼女はおれの武具を作るということで発奮してしまったらしい。
一日経って、依頼した品を渡されたおれは、目を見張る羽目になった。
――木製なのに、刀身部分が灰色っぽい光沢を放っている。
――握りは黒っぽく変質していて、掌に吸いつくような感触がする。
――振ってみれば見た目より軽く、それでいて、重心がうまくとれているためか頼りない感じはない。
――非常に丈夫で、切れ味も半端ではない。
――木製であることの残滓として表面には木目模様が残っているのだが、それさえも重厚なまでの実用性の表れとして目に映る。
……おかしい。
おれはちゃんと素振り用だと断っておいたはずなのだが。
明らかにオーバースペックだった。
ただの素人でしかないおれが、一目見ただけで、ローズの職人としての魂さえ感じとれたのだ。
いい仕事しすぎである。
リリィなんかは、水島美穂の知識を参照して、「『ダマスカス鋼』みたいだ」と言っていた。おれはそれが何なのか知らないが、とても有名な金属らしい。
おれが手にするにはもったいない名剣だった。
だったらこれをリリィに回せばいいのでは……という考えも思い浮かばないでもなかったが、期待いっぱいの態度でおれに剣を献上するローズを目の前にしては、おれには迂闊なことが言えなかった。
言えるはずがない。
現在、ローズは自分の手足のストックを作成中だが、それが終わったら全装備の換装を行う予定だ。
ローズが製作を重ねるごとに技術を伸ばしているのは確かなので、アップグレードは引き続き行っていく予定である。
おれの持つこの剣を越える業物は、流石にそうそう造り出せないだろうが。
「悪いな、リリィ。一人で行ってもらって」
「んーん」
おれが声をかけると、そこが自分の定位置だと言わんばかりにおれの片腕に抱きついてきたリリィは、まるで人懐っこい犬のように、亜麻色の頭を二の腕に押し付けてきた。
本日の探索を切り上げたあと、おれたちが拠点で休憩している間、彼女には食料調達がてらに山小屋の様子を見に行ってもらっていた。
勿論、これは探索隊が戻ってきていないか確認するためだ。
これはリリィにしか頼めない仕事だった。
何故なら、万が一にも探索隊に出くわしたなら、外見からではただのモンスターと区別が出来ないローズは彼らに討伐されてしまう危険性があるからだ。
その点、人間の姿になれるリリィなら、出会い頭に攻撃を受ける可能性は低い。
加えて、ファイア・ファングの肉を喰ったことで彼女は鋭い嗅覚を手に入れている。
本家本元の狼のそれには及ばないものの、それなりに彼女の索敵能力は高い。下手を打ちさえしなければ、相手に勘付かれることなく帰還することは可能だろうという判断だった。
問題があるとしたら、リリィが高屋に見つかった場合くらいのものだが、その場合でも、すぐに状況が露見する可能性は低い。少なくとも、おれたちと合流する程度の時間はあるはずだった。
以上の理由と、あとはローズに他に色々と仕事があることもあって、食料調達などのおれたち人間がいると邪魔な洞窟外での単独行動は、最近はもっぱらリリィに頼りきりになっていた。
「何か変わったことはあったか?」
腕にしがみついてきて満足げなリリィの前髪を指先で撫でつつ、此処数日というもの繰り返してきた質問をおれは今日も口にした。
実際に動いてもらっている彼女には悪いのだが、正直、成果についてはあまり期待してはいない。
仮に探索隊が戻ってくるにせよ、それはまだまだあとのことになると推測していたからだ。
加藤さんの話によると、第一次遠征隊の進路について高屋は知っていたらしい。
なので、ここでは探索隊に追いつくだけの算段は立っていたことを前提にする。
第一次遠征隊が出発して六日後に、コロニーでは反乱が起きた。
それから一日以内におれや加藤さんはコロニーを落ちのびた。
おれはこの洞窟につくまでに三日かかった。水島美穂や加藤さんに歩調を合わせていたので、チート能力者として桁違いの体力を持つ高屋も、数日かかけてあの山小屋に辿り着いている。
それからすぐに高屋は探索隊を追って山小屋を出たというが、どんなに急いだとしても、一週間以上前に出発した相手にそう簡単に追いつけるはずがない。
追っている間にも、どんどん相手が離れていっているのだから尚更だ。
更に追いついたにしても、そこから探索隊はUターンして、此処まで戻ってこなければならないのだ。
以上の理由から、あと一週間は戻ってこないものとおれは予想していた。
たかをくくっていたといってもいい。
「あの山小屋……というか、山小屋跡だけど。人影を見付けたよ」
それだけに、リリィから返って来た言葉は、おれの予想を裏切るものだった。
「遠征から戻ってきた探索隊の人間か?」
「わかんない。ご主人様の言いつけ通り、すぐに戻って来たから」
「そうか。いや、それでいい。……にしても、おかしいな。いくらなんでも、早過ぎる」
「ひょっとしたら、探索隊じゃないのかも。たった一人だったし」
リリィが他の可能性を提示した。
「一人だけだったのか?」
「うん。遠征隊に組み込まれていた探索隊の生徒なら、集団でいなくちゃおかしいでしょ。ご主人様だってコロニーからこの洞窟まで一人でやってきたわけだし、同じようにコロニーから落ちのびてきた生徒なんじゃないかなって思って」
「確かに、その可能性はあるな」
森の中には危険なモンスターたちがいるが、遭遇する頻度はさほど高くはない。せいぜい一日に一度遭うか遭わないかというくらいだろう。
索敵能力が非常に高いファイア・ファングだとアウトだが、そうでもなければ、遭遇したところで、こちらが先にモンスターを発見出来ていれば回避できることも多い。
完全に運頼りになるが、特別な力を持たない人間でも運が良ければ森をうろつくことは出来るということだ。
実は、こうした状況は異世界に転移して来てからの一ヶ月で、探索隊が作り出したものだったりする。
おれはコロニー残留組だったため、詳しいことは知らないが、かつてコロニーが存在した時、この周辺までが探索隊の行動半径にあったことは間違いないと考えていた。
何故なら、探索隊の一員である高屋が、あの山小屋の存在を知っていたからだ。
探索隊はコロニーの安全を確保するために、モンスターの排除を第一に動いていた。
そのため、その行動範囲内では大部分のモンスターが排除されているのだ。
今考えてみると、そうして狩られてしまったモンスターの中に、おれが従えられるものがいた可能性は高い。
惜しいことだ。今更言っても仕方のないことではあるが。
そうして考えてみると、リリィが探索隊に狩られることがなかったことは、おれにとって最大の幸運だったといえる。
彼女に出会ったことで、おれの命運はこうして繋がったのだから。
「山小屋にいたっていう生徒が何者なのか、一度確認しなきゃいけないな」
おれは決断を下した。
「そいつが遠征隊の一員だった探索隊の生徒や、あるいは、コロニーに残っていた探索隊の生き残りなら、加藤さんの身柄を預けるに足るかどうかを確かめる必要がある」
「……それはいいですけど」
気付けば近くにきていた加藤さんが口を挟んできた。
最近、彼女は少し元気になってきているように見える。
まだまだ暗いが、ぼそぼそとした聴き取りづらい喋り方ではなくなった。
食事の時間などには、たまにふっと笑顔らしきものを見せることもある。
「相手がチート能力者ではなかった場合は……どうするんですか?」
こうしておれたちの行動方針について、確認をとるようにもなった。
これは、いい傾向だろう。
おれが加藤さんに向ける警戒心が一段階レベルをあげてしまったという事情とは、まったく別の次元で。
「そうだな……」
おれは加藤さんの問いかけを検討する。
「その場合でも方針は変わらない。観察あるいは直接の接触によって情報を集める」
「……どうしてですか?」
「相手がチート能力者ではないのなら、おれたちがあえて様子を見たり、接触を試みる必要性はない。そうすることによるメリットがないからだ。だが、ひょっとしたらリリィが気づかなかっただけで、コロニーに残った探索隊メンバーが随伴している可能性だってあるだろう」
「ああ。それはありえるかも。わたし、すぐに帰ってきちゃったし」
リリィもこの意見には賛同の意を示した。
おれは更に続けた。
「あるいは、おれたちが逃げ出したあとのコロニーの状況を何か知っているかもしれない。おれの知らない何かの情報を持っているのなら、接触することに意味はあるだろう」
「そう……ですか、ありがとうございます」
ぺこりと加藤さんが頭を下げた。
おれの意見にそれ以上の質問や反論はなく、おれたちはすぐに準備をして洞窟を出た。
***
木々につけておいた目印を確認しつつ、おれたちは森を移動する。
ファイア・ファングの嗅覚を模倣できるリリィがいるので、同じ森を進むにしても、奇襲に怯えていた一週間前とは安心感が違う。
それでも油断することなく、おれたちは慎重に歩を進めていった。
幸いなことに、モンスターと行き遭うことはなかった。
辿り着いた山小屋には、既に一週間前の面影はなかった。
おれがあの不思議な石を砕いた次の日に訪れた時には、山小屋はモンスターによって破壊されてしまっていた。
それから数日が経ち、既にそこは山小屋跡というべき残骸になってしまっている。いまでもたまにモンスターがやってくるので、家屋の破壊は加速度的に進んでいた。
そう遠くないうちに、元々そこにどんな建物があったかさえわからなくなってしまうかもしれない。
そんな場所に、男子学生が一人うろついている姿があった。
おれよりも少し背が高く、少しだけ筋肉質な体型をしている。
軽薄そうな雰囲気があるものの、まず極一般的な日本の男子高校生のいでたちと言えるだろう。
男子生徒は小屋跡を踏み荒らすようにして動き回り、時折、罵声らしきものを発していた。
……何を考えてるんだ。
というのが、おれが最初に彼を見た瞬間に思ったことだった。
山小屋がモンスターに崩されたのだと推測出来れば、そんな場所に長く留まりはしないはずだが。
実際、おれは此処に来るまでの間に、リリィが見たという男子生徒は既に他の場所に移動していってしまっているだろうと推測していた。ファイア・ファングの嗅覚を擬態するリリィに追跡を任せるつもりだったのだが、その必要はなかったようだ。
「彼は探索隊……でしょうか?」
同じことを考えたのか、加藤さんがつぶやいた。
確かに探索隊であるのなら、モンスターの脅威など考慮にすら入れずに動くことが可能だ。
モンスターの脅威に気付いていないかのような彼の振舞いは、強者の無頓着さと見て見れないこともない。だが……
「いや、違う」
おれはその意見を否定した。
あれは単に、危険を危険と気付いていないだけだ。
何故ならば。
「あれはコロニー残留組の一人だ」
「ひょっとして……お知り合い、ですか?」
「ああ」
おれはいまだに山小屋跡をうろつきまわり、残骸を苛立たしげに蹴りつける彼の姿を眺めつつ、苦いものを噛み締める気持ちで頷いた。
「クラスメイトだ」
***
おれたちはちょっとした相談のあとで、ふた手に分かれることにした。
念のためだ。
おれはリリィを伴って、山小屋へと近づいていく。
ぶつぶつとつぶやく少年の声が、耳に届き始めた。
「おい、加賀」
「ひっ」
余程集中していたらしい。
後ろからおれが声をかけると、加賀はびくりと身をすくめた。
「……おいおい、逃げるなって」
加賀はモンスターにでも見つかったとでも思ったらしい。再度のおれの呼びかけに、反射的に逃げ出そうとした足をとめた。
とりあえずこの時点でおれは加賀の態度から、こいつが残留組のときのまま、何の力もない学生であることを確信した。
「お前ら……」
振り返っておれたちを認めた加賀の顔が、安堵にゆるんだ。
「真島と、それに……おおっ、水島さんじゃねえか!」
明らかに後半の方が、テンションが高い。
そういうやつなのだった。
といっても、おれもこいつのことは、それほど詳しいわけではないのだが。
加賀はおれのクラスメイトではあるものの、さして仲が良かったわけでもなかった。教室でも顔を合わせれば挨拶くらいはしたが、それだけだった。
あまり好きなタイプではなかったのだ。
多分、お互いに。
「無事だったんだな!」
「加賀こそ」
おれの言いつけ通りに愛想を振りまくリリィへと、手でも握りかねない勢いで加賀が近づいてきたので、おれは一歩前に出て進路を塞いだ。
「あの混乱の中、よく無事だったな」
こういうことになるだろうと思っていたので、心の準備は出来ていた。
案の定、加賀はおれの予想通りに動いた。
やはりこいつのことは好きになれそうにない。
「真島」
加賀がやや憮然とした表情で、割って入ったおれに視線を向けた。
「よく無事だったな。これまで真島は、水島さんと一緒に行動してたのか?」
話をしながらちらちらと加賀の目線はリリィに向けられていた。
「ああ……」
多少不快だが、おれは自分の感情をぐっと呑みこんで平静を保った。
これは仕方のないことでもあるのだ。
なにせリリィは美人だから。愛想良くしているいまは三割増しに輝いて見える。
おれの前では基本的にニコニコしているから、いつも通りとも言えるが。
「……『水島さん』とは、幸いなことにコロニーの混乱から一緒に抜け出すことが出来てな」
何気ない日常会話のトーンを、おれは意識した。
「それからは、今日まで一緒に行動してる」
うまく出来ているだろうか?
おれはこの世界にやってくる前、いったい教室でどんな風に喋っていた?
……思い出せない。
かつての平穏な日々は、たった一月ちょっと前のことでしかないのに、ひどく遠い昔のことに感じられた。
「そっか」
幸い加賀には不審に思ったような様子はなかった。
これは、おれに腹芸の才能があるというよりも、加賀がおれにあまり注意を払っていないことが原因だろう。
加賀はまだちらちらとリリィのことを眺めていたが、自分の中にある女好きの部分にふんぎりがついたのか、ようやくおれに向き直った。
「加賀もうまいことコロニーを抜けだせたんだな」
「ああ。一時は死ぬかと思ったけどな」
「お互い運が良かったな」
「ああ。会えて嬉しいぜ」
「そうだな」
加賀のこの台詞には嘘がなさそうだったので、おれは特に含むところもなく、相槌を打つことが出来た。
おれだって顔を知っている人間が生きていたことで、何処となくほっとしていた。
死ぬよりは生きている方がいい。
当たり前のことだ。
そんな当たり前の感覚は、まだおれの中で生き残ってくれている。
おれは別に『人間なんてみんな死んでしまえ』とか、何処かのゲームのラスボスみたいな終末思想をしているわけではないのだ。
人間不信の人間嫌いだから、主人公にだってなれないだろうが。
「おれは今日、此処まで辿り着いたばっかりなんだが、真島と水島さんは、この山小屋を拠点にしてるのか?」
「そんなわけないだろう」
今度こそ、おれは呆れを隠すことが出来なかったかもしれない。
「おれたちはもっと目立たないところにある洞窟に隠れ住んでる」
「へえ、洞窟ね。原始的だな」
「原始的でも此処よりマシだ。……というか、お前、よくこんな廃墟をうろうろしていられたな。気付いてないのか? これをやったのは、モンスターだぞ」
「なにぃ!? マジかよ!?」
目を飛び出させんばかりに驚く加賀に、おれは小さく溜め息をついた。
「なんでおれたち人間が、過ごしやすい山小屋を壊さなくっちゃならないんだよ……自然に朽ちたって感じでもないのは、見たらわかるだろう」
それ以外にも、破壊の痕跡などをみれば、他にもいくらだってわかることはあったはずだった。
長い時間をかけて、加賀はいったい何を調べていたのだろうか。
……いや。もう何も言うまい。
「じゃ、じゃあ、さっさと此処を離れようぜ」
「そうだな」
慌てた様子で加賀が促すので、おれたちは山小屋を離れた。
「それにしても、お前たちはよく無事だったな。ひょっとして、チート能力者が一緒にいたりするのか? 真島も水島さんも、二人とも残留組だったはずだろ?」
しきりに背後を気にしている様子の加賀が尋ねてきた。
その声には何処か期待がこもっている。
おれはこちらから尋ね返した。
「そういうお前はどうなんだ?」
「そんな奴がいるなら、そいつにひっついて離れねえよ。おれは運が良かっただけだ」
「おれたちも同じだ。必死に逃げ回っていたら、気付けばこんなとこまで逃げてきていた。こんなものも拾ったんだけど、役立てるような場面はなかったな」
おれは腰にさげていた木製の剣をぽんと叩いた。
「マジカル・パペットから手に入れられる木剣か」
加賀が変な顔をした。
「……あれ? なんかこれ、違くね?」
「……。おれは何も知らない。落ちてたのを拾っただけだからな」
実際は、ローズに気合が入りまくってしまった結果だが。
「おれが振るってもモンスター相手には当たらないから、こんなの、あくまで護身用だけどな。……あー、食用に小動物を狩る時には使えるけど」
「おれはコロニーから食糧持ち出してきてるぜ」
「抜け目のない奴だな」
加賀は背負っているバックパックを指さして得意げに笑った。
けっして頭は良くないが、こういうところがあるから、これまで生き延びて来られたのだろう。
あとは、悪運の強さか。これはおれが言えたことではないが。
こうして加賀と会話をしながら、おれは茂みを掻き分けて歩いていった。
こういった作業はこれまで先頭を歩いていたローズがやってくれていたから、久しぶりの重労働に息があがった。
というか、加賀。『水島美穂』はともかく、お前は手伝えよ。
「それにしても、真島が水島さんと一緒にいるなんてな」
「たまたまだよ」
「その洞窟って言うのは、近いのか?」
「それなりに。周りに気をつけながら進むから、小一時間くらいはかかる」
「お前たちしかいないんだよな?」
「そうだな」
道中、加賀は根掘り葉掘りこちらのことについて尋ねてきた。
気になるのも無理はなかった。これまで一人だったなら、会話に飢えてもいるだろう。
と、解釈しておく。
余計なことは考えない。今は道を作って歩くことだけに集中する。
「それじゃあ、あの山小屋にきてたのは、探索隊がきてくれるかもしれないからなのか」
「まだ時間はかかるだろうけどな。確実にきてくれるとも限らないし」
「それでも十分だ! これでおれたちは生き残れる!」
「そうだな」
おれは適当に答えつつ、洞窟への道程を消費していく。
だんだんと互いに質問することがなくなっていき、会話は世間話に近いものへと移り変わっていった。
「そういえば、この近くでモンスターに喰い殺されてる奴らを見掛けたぜ?」
「バラバラ死体か?」
一週間前に見付けた学生たちのことを言っているのだろう。此処一週間というものおれたちはこの近辺の探索を続けているが、あれ以外学生の死体を見付けたことはない。
「まだ残ってたんだな。それがどうかしたのか?」
「いや。あの一人って探索隊の奴だったよなって」
「……なに? それは本当か?」
これは知らない情報だった。
おれは思わず手をとめて加賀を振り返った。
「ああ。第一次遠征隊の方には編入されずに、コロニー防衛のために残されたチート能力者の一人だったはずだぜ」
「それは……気付かなかったな」
「仕方ねえって。あいつは単なる兵隊だったし。ウォーリアの中でもミソっかすみたいな奴だったからな。だから、遠征隊にも連れてってもらえなかったわけだし」
「……そうか」
死者を馬鹿にするような加賀の発言には引っ掛かるものがあったが、それはとりあえず置いておく。
注意したところで聞くような奴ではないし、おれが注意してやる義理もない。
だが、加賀の言っていることが本当だとしたら、少しまずいことになる。
知らなかったとはいえ、この周辺にはチート能力者さえ殺せるような強力なモンスターがいるということになるからだ。
あるいは、足手纏いでしかないその他の学生たちを守るために立ち回るうちに、モンスターの群れでも相手にしていて、下手を打ったのかもしれないが……最悪を想定しておくに越したことはないだろう。
近いうちに拠点を移すべきか。
それとも、これまで無事暮らせていたということは、もうその強力なモンスターはこの近辺を離れたと考えるべきか……
いや、それは楽観的過ぎるというものだろう。
やはり移動を考えておくべきだ。
おれが考えを巡らせている間、おれの背後で加賀はしきりにリリィに話しかけていた。
リリィにはにこにこと愛想よく相槌を打っているように言っておいてある。下手に会話をすると、化けの皮が剥がれる可能性もあるからだ。
幸いなことに、加賀はひたすら自分をアピールすることにしか興味がないようだった。
それにしても、さっきから状況がわかっているのだろうか、こいつは。
女を口説いている場合か。
わかっているからこそ、こうして口説いているのかもしれないが。
「着いたぞ」
「へえ。此処がそうなのか」
特に問題もなく洞窟に辿り着いた。
加賀は興味深そうに洞窟を眺めている。
おれはあがってしまった息を整えつつ、抗議の意味も込めて軽く加賀を睨みつけた。
「これからはお前にも色々と手伝ってもらうからな。食料の確保とか、他にも色々やるべきことは多い。人手はいくらあったって足りないんだから」
「わかってるって。おいおい。よしてくれよ。リーダー気どりか?」
「そんなつもりはないが。そもそも、たったの三人でリーダーも何もないだろ」
「違いないな」
へへへ、と加賀は笑うと、ふと何かに気付いたかのように指を鳴らした。
「そういえば、話しておかなくちゃいけないことがあるんだけど」
「話しておかなければいけないこと? 何だ?」
「ええっとだな」
もったいぶったように、加賀は思案する様子を見せた。
「その前に……水島さんは洞窟に戻っててもらえるか?」
「どうして?」
「男同士の秘密の会話ってやつだよ。わかるだろ?」
何を言ってるんだ、こいつは。
そう思ったおれに、加賀は少し距離をつめて声を潜めた。
「話って言うのは、遠征隊についてのことだよ」
「遠征隊の?」
おれも合わせて声を抑える。
「ああ。あいつらがいつ戻ってくるのか……っていうか、そもそも戻って来られるのかって話さ。お前も聞きたいだろ?」
それが本当なら、耳を傾けざるを得ない。
それがどうして、水島美穂の同席を断る理由になるのかはわからないが。
しかし、加賀の表情を見る限り、此処で譲るつもはないらしい。
仕方がないか。
おれは『水島美穂』に水を向けた。
「わかったよ。『水島さん』もそれでいいか? 先に戻っててくれ」
「ん。了解」
頷いて、少女の姿が洞窟の向こうに消える。
それを見送ってから、おれは改めて加賀に向き直った。
「それで? 遠征隊についての話って言うのは……」
「馬鹿。まだ水島さんに聞こえるかもしれないだろ」
加賀はおれの言葉を遮った。
「刺激の強い話だからな。水島さんに聞かれたらまずい。少し離れようぜ」
おれの返事も待たずに、加賀は先に立って歩いていく。
有無を言わせぬ行動に、おれは重い溜め息をつくと、彼のあとについていった。
◆「ローズパンマン! 新しい腕よ!」
……と、かなり迷いました。
前書きの話です。
ふと思いましたが、すでにあらすじじゃないな。
◆今回の前話のあらすじネタは、第六話の四つん這いで近づいてくるリリィのシーンを書きながら思いついたもの。
流石に本編には入れられなかった。
◆次回更新は12/28(土曜日)となります。